第6話 不吉な影 2


僕は改めて、まじまじと手紙を観察した。

色は少し光沢がある薄い茶色だ。手触りは光沢のせいか少しツルツルしているが、いたって普通の紙のようだった。

僕は試しに手紙をくしゃくしゃにしてみた。意外にもくしゃくしゃっとなんの抵抗もなく丸めることはできた。しかし、手を離すと徐々に元通りの状態に戻った。くしゃくしゃにしたときの折れ目もついていない。


そこで、ひとつ疑問が浮かんだ。

なぜなら手紙は三つ折りになって封筒に入れられていたのだ。そして、今も三つ折りの折り目があり、それに沿ってなら折ることができる。サマルは一体どのようにこの紙を折ったのだろうか。


次に僕は手紙を水でジャブジャブ洗ってみた。しかし、紙は当然のごとく水を弾き、濡れもしなければ、傷みもしない。文字が書かれたインクはどうか見てみたが、滲んですらいなかった。次に熱湯をかけてみたが、結果は水のときと同じだった。

今度は視点を変えて、この手紙に何か書き込めるかやってみた。まずはペンで書いてみたが、インクが弾かれてしまい何も書けなかった。鉛筆も試してみたが、ダメだった。


そこで、ふたつ目の疑問が出てきた。

サマルはどうやってこの紙に文字を書き込んだのかということだ。

紙に近づいて見てみると、文字は紙にしっかり染み込んでいて、滲みも確認できた。だから書いたことには間違いないのだ。


ここまでやって推量できることがいくつか出てきた。


1.サマル、もしくはサマルの協力者はこの不思議な紙を使いこなすことができるということ。


2.もしかしたら、この紙は最初は普通の紙であり、書き込んだり折ったりした後に、なにかしらの処理をされることにより、このような強度を持つ状態になったのではないかと予想できるということ。


3.そして、おそらくサマルが狙われた理由にはこの紙の技術が関係しているのではないかということだ。


「まったく、なんなんだこれは……」


僕はサマルからの手紙の内容をもう一度吟味してみる。


サマルからの手紙には

「君なら自分の利益のために僕を生かしておいたりはしないで、ちゃんとこの世から葬り去ってくれるだろうから」

と書いてある。

ということは、サマル自身に何かしらの利用価値があるということか。しかし、それはサマルの能力に関係しているか?それとも身体に関係しているのであろうか。


手紙の文面からして、サマルの働いていた国というのは、間違いなくアストリア王国だと思う。

アストリアがボートバルのことをあまり心良く思っていないのはもはや世界の常識だからだ。


アストリア王国はアストリア大陸の中央部に位置する、ボートバル帝国と並ぶ屈指の経済大国である。

そして、現存では最古の王国でもある。

その歴史は文献により2500年前まで遡ることができると言われている。一説では、それ以前の古代アストリア文明時代から続いている王国であると言う歴史家もいるが、これには決定的な物証を欠く印象がある。

しかしそれは別として、古代アストリア文明がかなり高度な科学技術を持っていた文明であることは世界的に知られている事実だ。


そして、アストリア王国は歴史上、最も早い時期に民主主義を取り入れた国の1つでもある。

一番上に国王を配す、王国制は今だに続けてはいるが、それはその当時から現在に至るまで形だけのものとなっており、極端な権力、権限は国王にはない。

代わりに国民が選挙によって選んだ代表300人により運営される議会を最高意思決定機関にし、そこでの決定を最高権力としている。


でも、アストリアの制度の一番の特徴は、この議会制度を当時の国王自らが取り入れたという点にあるだろう。

このことは、他の民主主義国家が軒並み、軍や民衆の蜂起による革命によって生まれたのとは経緯を異にしている。

しかも、そのように革命で生まれた民主主義の多くは、時代の経過と共に歪められてしまい、いつの間にか独裁政権を作り出すに至った。それにより多くの国が自壊することとなったのである。

そのせいか、数百年前に主流になった民主主義というものは、現在ほとんどの国において採用されていない。


そういう実情もあってか、アストリアは自国の安定した民主主義と、それによる自由な国風を誇りに思っているのだ。

そりゃ、帝国を嫌うのも頷ける。

帝国は国王による絶対権力主義だ。


しかも、そんな野蛮国家につい50年程前から機械産業分野で抜かされ、世界一の機械産業国という称号を取られてしまったのだからなおさらだ。


そういえば、僕の記憶によると、サマルは中等学校を卒業したあと、メルカノン大陸の工業都市コスモにある、世界でも有数の機械系大学に進んだはずだった。

当時、僕が一緒に帝国軍学校を受けてみないかと誘ったとき

「ごめん、僕は軍ってやつはどうも好きになれないんだ。それなら街の機械修理工にでもなって、気楽に機械いじりでもしたいな」

とも言っていた。


アストリアは機械技術においても歴史が古い。

ボートバルの機械技術だって、そのほとんどは長年かけてアストリアから学び盗ったものなのだ。

だから、アストリアは機械生産数や総利益ではボートバルに抜かれたとはいえ、今だに最先端の研究を多くの施設で行っており、その技術力では世界を常にリードしている。


サマルがそのアストリアにいたとすると、おそらく機械系の仕事に従事していたに違いない。

そしてもし、それが公的な機関であれば、アストリアに行けばすぐに、サマルがどこで働いていたか調べもつくだろう。

それは調べみる必要がありそうだ。


しかし……そこでサマルは何をしてしまったのだろうか。

僕はまた手紙を見つめた。

例えば、この紙にしてもだ。

もし仮に、これがサマルの作り出したものだとしても、これが自殺なんかしようという理由に果たしてなるのだろうか。

いや、きっと違うはずだ。

きっとこの手紙はその問題の一部に過ぎないのだと僕は思った。


……

そこまでベッドに座って一息に考えたが、確実にわかったことは何ひとつ無かった。

やはり、僕には情報が足りない。


たぶん僕は今、あの背高帽の小男よりもサマルのことを知らないのだ。

僕はその事実に心が痛んだ。

僕こそもっと早くサマルと連絡を取ればよかったのだ。


でも、一番わからないことがある。


そもそもなんで、サマルは僕にこの手紙を送ったんだ?


サマルは僕のことを「人生で一番の友達」と書いてくれた。

確かにサマルと僕は仲がよかった。親友だとも思う。いつも一緒にいたし、多くの時を共に過ごした・・・


でも、僕はサマルのことを「人生で一番の友達」と思ったことがあっただろうか。


「君もそう思ってくれていることを祈る」

そうとも書いてあった。



…………

だからなんだ、バカ野郎。


だったらなんで、死んだりなんかするんだ?


だったらなんで、これから死にますなんて手紙を寄越しやがったんだ!


ふざけるなよ。


僕がそんなことさせない。

自殺なんてさせはしない。

必ず見つけ出して、


そんなバカげたこと止めてやる!


「そして、一発ぶん殴ってやるんだ」

僕は決して破れることのない手紙を力いっぱいぐしゃぐしゃに握りしめた。


僕は何故かはわからないが、サマルがどこかで生きている気がした。

今日はもう眠れるかどうかわからなかった。



クラヴィッツホテル本店の前は何回も通ったことはあったが、中に入るのは初めてだった。値段が高すぎるのだ。

ドアボーイが恭しく開けた扉を抜けると、広々としたロビーがあり、左右を見渡すと遥か右の方に確かにカフェがある。ロビーだけで、数部隊共同の模擬戦ができそうな広さだった。


カフェに入るとすぐに、昨日の背高帽の小男が見つかった。向かうもこちらに気づいたようだ。

昼間の光の中にいる小男は、完全に場違いな存在だった。あまりに雰囲気が陰惨すぎるのだ。格好こそ綺麗にクリーニングされたタキシードを着てはいるが、彼の雰囲気と気配は如何ともし難かった。

しかし、格好でいったら僕の方が場違いかもしれない。僕は薄茶のチノパンに水色のシャツ、それと、いつも着ているボロボロのジャケットを着ているのだ。高級なホテルに着て行くにはあまり相応しくない格好だった。

人によっては僕よりもあの小男の方が常識ある紳士に見えるかもしれない。僕はそれがなんとなく悲しかった。


「クックックッいやぁ、お待ちしておりました。ラシェット・クロードさん。わざわざご足労いただきまして、すいません」

僕が席に着くなり、小男はそう言った。

昼聞いても変わらず不気味な声だった。

それが、僕をまた少し身構えさせた。

しかし、その一方で、ああ、やっぱり昨日の出来事は幻ではなかったんだなと、僕はホッともしていた。

なんとなく余裕が出てきたのかもしれない。

昨夜一晩で腹が決まったのだ。

「いえいえ。そんなことより、早速本題に入りましょう。依頼の話です」

小男は僕の反応に意外そうな顔したが、すぐににやっと笑い

「ええ、そうですねぇ。しかし、その前に確認したいことがあります」

と言った。

「確認?なんですか?」

「クックッ、いえ大したことではないんです。ただ、今回の依頼に関しては、依頼内容を聞く前に引き受けるか、引き受けないかを先に決めていただきたく思いまして」

「依頼内容を聞く前に?」

僕は少し眉間に皺をよせた。

この男は人の動揺を誘うのがうまい。

「はい」

「それはできないな。依頼は依頼内容を聞いてから引き受けるか、引き受けないか決める」

「クックッ、それでは今回はお引き受けにならないと?」

「そういうことになりますね」

僕はそう言った。

この小男から情報が取れないのは痛いが、その条件は不利と判断した。まあ、聞くだけ聞いてぶっちぎってもいいのだが、相手のペースになるのは嫌だった。

「クックックックッ」

小男は笑った。

それはなかなか収まりそうにもなかった。

僕はなんだかだんだん、この笑い声にも慣れてきていた。

だから黙ってみていることにした。

しばらくすると小男は顔を上げた。

「わかりました。では、特別に少しだけ、先に依頼内容をお話ししましょう」

そう言うと小男はどこからか小さなアタッシュケースを取り出した。

そんなもの持ってはいなかったはずだが、小男は静かにケースを開け、中から一通の手紙を出してテーブルに置いた。

「この手紙をある時刻、ある場所にいる、ある人物に確実に手渡して欲しいのです」

「手紙ですか。で、どこに届ければ?」


「アストリア王国です」

小男ははっきりとそう言った。


「……アストリアですか」

「そうです。アストリアです。クックックッ」


なるほど、確かにこいつは取引がうまかった。

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