第7話 回想 釣り

僕とサマルは学校が終わった後、急いで帰宅すると、またいつもの場所に集合しなおして、毎日のように一緒に釣りに出掛けた。

僕に釣りを教えてくれたのはサマルだった。サマルはサマルのお父さんから釣りを教わったらしく、その腕前はすでに大人顔負けだった。

そんなサマルに早く追いつきたくて、僕は毎日ようにサマルを連れ出し、釣りに出掛けたのだ。そんな僕にサマルも快く付き合ってくれた。


僕達は自転車に乗って、田舎の道を約20分程駆け抜け、そしていつも、山の麓にある「三ツ沼」という沼に行った。

「三ツ沼」は名前通り、手前から奥の方へと、ほぼ等間隔に小、中、大と大きさの違う3つの沼が並んである自然の沼だ。

昔からそう呼ばれていて、サマルのお父さんも幼い頃よくこの沼で釣りをしたらしかった。


最初、僕が釣りを習い始めたときは、真ん中の中くらいの沼で釣りをした。サマル曰く、奥の大きい沼では広すぎて、手前の小さい沼では狭すぎるため、その分キャスティングの技術がいるし、また、魚が今どこに潜んでいるか見極める勘も必要になってくるから初心者には向かないらしかった。


だから、ただ漫然とキャスティングの練習をしながらでも、それぞれのルアーの特徴や扱い方を勉強しながらでも魚を狙える、この真ん中の中くらいの沼から始めるのがいいと思うし、楽しいはずだよとサマルは言った。


さすが、サマルの言うことは正しかった。

サマルの教え方がうまかったのもあって、僕は釣りを始めてわずか3日目にして、初めて自分の手で魚を釣ることができた。

僕達がターゲットにしていた魚は、ライルゲータという、故郷ライル村固有の魚で、性格は慎重だが一度かかれば強い引きで、力の限り抵抗する。その醍醐味で、大陸中の釣り好きから最高のターゲットとされる魚だった。

僕も一度釣っただけで、そのライルゲータの頭の良さと、手がビリビリするくらいの力強い引きにすぐ魅了された。


それからは毎日のように釣り三昧だった。

僕はサマルから様々な釣りのテクニックやルアーの使い方、魚の生態と水温の関係、魚と天候の関係、魚が好む植物、嫌う植物から、山の中で僕達が気をつけなければならない虫に至るまで本当に色々なことを教えてもらった。

その代わりに僕は学校でサマルに、彼の苦手な歴史と言語学と法学を教えた。


釣りを始めてから半年程経った頃、確か季節はもう秋になっていた。

その頃には僕はもう大きい方の沼でも日に3匹くらい魚を釣れるようになっていた。

「ラシェットはずいぶんうまくなったよ。これならもう僕が教えることは何もないかもな」

とサマルも言ってくれた。

「サマルこそ、ずいぶん成績が良くなったよ。これは僕のおかげだね」

僕達はそう言い合って笑った。


僕は少し得意になっていたと思う。

その日は、サマルが小さい沼で釣りをし、僕が大きい沼で釣りをしていた。

僕は順調に1匹目を釣り上げると、どこか新しいポイントはないかと思った。

そういえば、この大きい沼には流れ込んでいる沢がある。沢は山の上の方からこの沼に流れ込み、この沼から下の真ん中の沼へと水は流れている。

あの沢の上はどうなっているんだろう。

僕はそう思った。


僕はサマルに怒られるかもしれないと思いつつも、その沢の上流へと向かった。沢は思ったより急で、岩がゴロゴロしていた。

そういえば、数日前に大雨が降った、その影響かもしれないと思った。


十分程登った所にそれはあった。

なんと見たこともない4つ目の沼がそこにあったのである。

僕は興奮した。もしかしたら、これはサマルも知らないんじゃないかと思ったからだ。

沼は長い時間、人の入った形跡がない感じがした。こういう雰囲気の沼には、きっと大物が潜んでいるに違いない。

よし、そいつを釣って、サマルを驚かせてやろう。僕はそう思い、沼に近づいていった。

そのときだ。

「うわっ」

と僕は声をあげた。しかし、気がついたときには、もう遅かった。


僕の足はどろどろの沼に勢いよく埋まり、身動きがとれなくなっていたのだ。


えっ?でも、沼はまだ、ずいぶん先に見えているのに、なんで。


まさか、これも先日の大雨で……


考えている暇はない。とにかく抜け出さなければ。

そう思い、もがくのだが、もがけばもがくほど、足は深く沼にはまっていく。もう膝まで埋まってしまっていた。


このままでは、いつか頭まで埋まってしまう。

どうするべきか考えている間にも、ずぶずぶと体は沼にはまっていく。気づけばもう、太ももの半ばまできていた。


ダメだ!

誰か、誰か、助けてくれ!


「サマル!助けて!」

僕は大声で叫んだ。

しかし、返事はなかった。

それはそうだ、僕はサマルに黙ってここまで来てしまったのだ。

僕は体に寒気が、走ったのを感じた。

まずい、このままじゃ……

しかし、僕にはもう声の限り叫ぶことしかできなかった。

「助けてくれー!サマル!サマルー!」

僕がもう一度叫んだ、次の瞬間


「ラシェット!」

そこにサマルがいた。息を切らしていた。

急いで駆け登ってきた様子のサマルだったが、僕の状態をひと目見て把握すると、バックから太いロープを取り出し、近くの木に結びつけた。

そうして、その一方を僕の方へ投げ

「それに掴まれ!ラシェット!」

と叫んだ。僕は必死にロープへ手を伸ばしたが、あと少しで届かない。

くそっ、もう少しなのに長さが微妙に足りない。

そうしている間にも体はどんどん沼にのみこまれていく。

やっぱりもうダメなのかと思ったとき、

サマルが予想だにしない行動に出た。


なんとサマルはロープをしっかりと腕に巻きつけると、ざぶざぶと自ら沼に入り、僕の方へ向かって来たのだ。

「バ、バカッ!こっちに来ちゃダメだ!」

僕は言ったが、そんなことかまう様子もなくサマルは僕の近くまで来ると、僕の方へ手を差し出した。

「はやく!ラシェット!手を!」

「くっ」

考えている場合ではなかった。僕は差し出された手を思いきり掴んだ。今度はなんとか届いた。

「よし、せーのっ!」

サマルは精一杯ロープを引いた。

僕もそれに合わせて、必死に抜け出そうと踏ん張った。

すると、少しだが確実に足が抜けてきた。

「いいぞ。その調子だ」

間一髪だった。


そうして僕はある程度抜け出すと、ロープを掴める所まで来た。あとはサマルと一緒にロープを辿りながら、なんとか沼から抜け出すことができたのだ。


「ハァ、ハァ」

二人とも息を切らしながら、地面に倒れこんだ。

頭がぼーっとした。

ついさっきまで死ぬかと思っていた。

でも、僕は生き延びることができた。


もう死はすぐそこまで来ていた。

でも、サマルが来てくれたおかげで、今生きている。

そう考えるのが精一杯で、頭はまっ白だった。

「大丈夫かい?ラシェット」

寝っころがりながらサマルは言った。

「うん。サマル。その……、本当にごめん……」

「えっ?何がだい……?」

サマルはまだ整わない息で言う。

「なにがって!僕は、サマルも危険に晒してしまった!僕の軽率な行動のせいで、だからっ」

僕は起きあがってまくしたてた。

でも、サマルは寝たまま、落ち着いた顔をしていた。

「いいんだよ。そんなのは。助かったんだから」

あくまでサマルはそう言う。

「でもっ」

「いいんだよ。だからさ。普通にさ、ありがとうって言ってくれれば、それでいいさ」

と言い、サマルは笑った。


「あ……」

僕は、自分がまだサマルにありがとうと言っていないことに、はじめて気がついた。


僕は自分が情けないやら、サマルの優しさやら、勇気やら、生きていることの嬉しさやら感謝やらで、もう頭がぐちゃぐちゃになった。

次に涙が、ボロボロと溢れ出してきた。


僕は心から

「ありがとう、サマル。本当に、ありがとう」

と言った。


涙は次々と溢れてきて、止めることはできそうになかった。

「いいんだよ。これくらい。友達だろ?」

サマルはそう言って、また笑った。



…………

僕はもう何度目かわからない、手紙の読みなおしをしていた。

そして、目を瞑って昔を思い出していた。


サマルは手紙で僕を「人生で一番の友達」と書いてくれた。


だったら僕はサマルに「助けてくれ」という手紙を書いて欲しかった。


サマル。

なんで、助けてくれって一言でも書いてくれなかったんだ。


サマル。

僕は君が命を投げ出す前に、僕に助けを求めて欲しかった。


そうしてくれたら、僕は絶対に、いつだって、どこにいたって、何があろうと君を助けに行ったのに。


僕はあの時、君の差し出してくれた手を掴んだ。だから今ここにいる。

だから今度は僕が君に手を差し出す番なんだ。


眠れぬ夜に僕はひとりそう思っていた。

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