第4話 手紙 4

僕は懐からタバコを取りだし火をつけた。

そして、深くゆっくりと煙を吸い、それをまた時間をかけてゆっくりと吐き出した。ため息のような吸い方だった。


サマルからの手紙は本人の言うように、何から何まで冗談じみていた。しかし、冗談ではないのだろう。いくら冗談好きなサマルでもこういう種類の冗談は決してやらない。冗談好きには冗談好きなりの礼儀やポリシーというものがあるのだ。


だとしたら、これはサマルになりすました別人の手紙か?とも思ったが、それも違う気がした。サマルの筆跡なんて覚えてはいないが、なんとなく思考の流れがサマル本人が書いている印象を僕に与えた。それに、こんな手紙をなりすましで送ることに、どんな目的やメリットがあるというのか?


タチの悪いいたずらか?

それとも、本当に僕がこの手紙の指示通りに、どこにあるのかも、実在するのかもわからない島を探しに行って、その果てに遭難し、死んでしまうことを狙っている、というバカげた暗殺計画でも練ったやつがいるのだろうか?


…………

バカバカしい。

とりあえず、僕は考えるのを止めた。


ウイスキーを飲もうと思ったが、もうグラスには氷しか残っていなかった。手紙を読みながら全て飲みきってしまったらしい。


僕がグラスをカウンターの前方に差し出すと、ジンはすっと寄ってきてグラスを取った。

「もう一杯飲みますか?」

「ああ。氷はそのままでいいよ。そのまま注いでくれ」

そう言うとジンはグラスをカウンターに置き、そこにまた波波とウイスキーを入れてくれた。

「お手紙なんて珍しいですね」

「別に手紙なんて珍しくないだろ?みんな手紙くらいもらうし、送る」

僕がグラスに口をつけながら言うとはジンはくすっと笑った。

「あまり詮索はしたくないのですが、どうやら良い知らせではなかったようですね」

「ああ」

僕はどう答えてよいかわからなかった。もし、仮に手紙の内容が本当ならばこの手紙のことは誰にも話さない方がいい。いつもならジンに相談のひとつでもしたいところだったが、それも諦めるしかなさそうだ。

それ以前に、内容を知らなかったからとはいえ、人目に着く場所でこの手紙を読んでしまったこと自体がもうすでに失敗だったかもしれない。


そう思う自分の心の動きに気付いて、僕は少し動揺していた。そう。僕は今、この手紙の内容を丸々信じようとしているのだ。


「でも、大したことじゃないんだ」

僕がそう言うと、ジンは

「そうですか」

とだけ言って、あっさり引き下がってくれた。ジンのこういう気遣いがありがたかった。だから、ここには常連がいっぱい集まってくるのかもしれない。


残っていたスモークチキンを食べ、ウイスキーを飲みながら、しばらく考えごとをしていると、時刻はもうかなり深くなっていた。

しかし、客は増える一方で、ジンは相変わらず見事な手際の良さで、料理やカクテルを次々と作り、テーブルにサーブしている。それでも、追いつかないときは客が自らカウンターまで、用意できた酒や料理を取りに来てくれる。それに対してジンは

「すいません。ありがとうございます」

と手を休めずに言い、客は

「いいってことよ。ジン」と答える。

これもいつもの光景だ。


まだ仕事の疲れがとりきれていなかったので、そろそろ帰ろうかと思っていると、カランカランと扉が開き、顔見知りが入ってきた。

彼女は僕と目が合うと、ぱっと目を見開き、ずいずいと僕の方へ向かって歩いてきた。


僕は半ば無意識的に、手に持っていた手紙をジャンバーの内ポケットに隠した。


「久しぶりだね、ラシェット」

「そうだね、リンダ」

彼女の名はリンダ・グラント、軍学校時代の同期だ。

「ん?リンダ、また大きくなったんじゃないか?」

「なあ、そういうのはセクハラっていうんだって、何回言わせれば気が済むんだ?」

ジンにビールを注文しながら、リンダは横目で僕を睨みつける。

「でも、本当のことだろ?正直に言ってみろよ」

そう言うとリンダは苦虫を噛み潰したような顔して、さらに僕をキッと睨みつけた。


リンダが大きくなったというのは、別に胸や尻の話じゃない。文字通り背が大きなったという意味である。


僕は身長170センチと平均的な男子の背丈だが、リンダは軍学校時代にはすでに190センチ近く身長があった。

しかし、この身長は飛行機乗りには不利に働く。飛行機乗りには軽さと小ささが求められるからだ。だからリンダは入学早々、憧れの空団入りを諦め、陸軍訓練のコースに切り替えねばならなかった。

でも、そこでがっちり鍛えられた彼女はその恵まれた体格もあってか、並みいる男子ライバル達を蹴散らし、見事陸軍訓練コースを第二席で卒業したのだ。


そして現在彼女は陸軍の中でもエリート中のエリートと呼ばれる、帝国陸軍特殊行動部隊に在籍している。

だからそんな、リンダに睨まれたら半殺しにされるんじゃないかとか思う男も多いが、本当のリンダは優しく、心の広い姉貴肌の女の子なのだ。


「ズバリ、1センチ背が高くなったろ?どうだい?」

なおもしつこく僕が尋ねると、リンダは、はーっと、怒る気もなくなったというふうにため息をついた。

「そう。ここ半年でまた1センチ背が伸びたんだ。だから今、198センチ」

「やっぱりな」

僕は得意げに言った。

そこへ、ジンがビールを持ってきたので、早速リンダはごくごくと一口飲んでから

「はーっ、ほんと、ラシェットは妙に映像記憶力がいいわね。そのせいかな、模擬戦でも妙に苦戦させられたっけ」

と言った。模擬戦とは軍学校時代にやらされていた剣闘のことだが、リンダは模擬戦が特に好きで、得意だった。

「また、その話かい?でも模擬戦では僕の3勝17敗なんだよ?完敗もいいところじゃん」

「私にはその3敗が、どの敗戦よりも悔しいのよ」

そう言ってリンダはまた僕を睨んで、ビールを飲んだ。

「ふーん。まあ、今なら20回やって1回もリンダには勝てないだろうけどね」

僕もまだグラスの底に少し残っていたウイスキーを飲んだ。

すると、その様子を見ていたリンダが

「まだ、飲むかい?」と言う。

しかし、今日はさすがに疲れている。

それに、やっぱり手紙のことが気になった。

「いや、せっかくだけど、今日はもう帰るよ。仕事明けなんだ」

だから、僕はそう言って手を挙げ、ジンにチェックの合図をした。

「そうか。まだ危険な郵便稼業を続けているんだったな」

頬杖をついてたずねるリンダを見て僕は言った。

「ああ、特行にいるリンダほど危険じゃないとは思うけどね」

ジンに勘定を渡している僕の顔を、まじまじと見ながらなおリンダは

「でも、なんで郵便なんだい?ラシェットなら他にいくらでも働き場があっただろ?」

とたずねた。僕は席を立ちながらリンダの方に向きなおった。

「それが無かったんだなあ。まあ軍部の力を持ってすれば、僕の職場を奪うくらい簡単なことだよな。見事に裏から手を回されていたよ。色々なところにね。だから自営業しかなかったんだが……」

僕は笑ったが、リンダは真面目な顔で聞いてくれている。

「でも、気に入っているんだ。今の仕事。世界中を旅できるし、また飛行機にも乗れるし」

それを聞いてリンダは微笑んだ。

「まあ、ラシェットがそう言うんならいいんだが……でもな、もし困ったことがあったら遠慮なく言ってくれ。そのときは力になるから」

あくまで真面目に言ってくれるリンダに、僕は嬉しくなった。でも、表情に出すの照れ臭かった。だから

「ありがとう。でも、大丈夫だよ。だから心配しないで」

と僕は茶化した。すると

「バ、バカ。誰がお前の心配なんかするか」

とリンダも照れたのか笑ってそっぽを向いた。

「はははは、あ、ところでさ、前から聞いてみたかったんだけど」

「ん?」

リンダはまた、こっちに顔を向けた。

「なんで、リンダはこんな場末た旧市街なんかに住んでるんだい?特行ならもっと良いところに住めるはずだろ?」

そう質問すると、リンダはなんだそんなことという感じになり

「そんなの、あの大都会が好きになれないからに決まってるじゃない」

ときっぱり言った。

「ラシェットだって、そうでしょ?」

「まあ、そうだな」

僕は鼻の頭を、ぽりぽり掻いた。

そうして、ちょっと考えてから

「なんか、リンダとは昔から妙に気が合うよな。まるで、恋人同士みたいに」

と冗談半分に言ってみたが、返ってきたのは強烈な前蹴りと

「な、何言ってんだ、このバカ!お前なんて、次の仕事に失敗して、海の藻屑になってしまえ!」

という、ひどい言葉だった。


バーを出てしばらく歩いても、まだ脚が痛かった。

まったく、手加減というものを知らないんだからなぁと文句を言いつつ歩く。しかし、久しぶりに懐かしい顔に会えて嬉しかった。そのことで僕は少しだけ、サマルからの手紙のことを頭の隅にどかしていた。

でも、それがいけなかった。


僕はアパートの前まで来てようやく、その男の存在に気がついた。

男は僕の部屋へと続く階段の一番下にじっと蹲るようにして座っていた。

月の明かりも少ない中、わずかな街灯によって照らし出される男の姿は初めは、小さな黒いかたまりにしか見えなかった。

しかし、目が慣れてくるとそれが、全身黒いタキシードを着込んだ小人だということがわかった。そして、男はその身長には不釣り合いなほど背の高い、背高帽をかぶっている。


この暗闇の中でここまで視認できる距離まで来てしまったのは、致命的だった。もし、この男が僕の命を狙っているのであれば、彼の目的はすぐにでも達せられるはずだ。


そう瞬間的に考え、全身を硬直させながらも、身構えようとした僕を嘲笑うかのように男はゆっくりと立ち上がり、そして口を開いた。


「クックック、いやぁお待ちしてましたよ。ラシェット・クロードさんですね?」

僕は警戒しつつも、先手がこなかったことから、少なくとも命を狙っているのではないと察し

「そうですが、あなたは?」

と努めて平静を装い、たずねた。

しかし、背高帽の小男はそれも見透したかのように

「クックッ、そんなに警戒しないでください。私はただの依頼人なんですから」

とにやにや笑いながら言った。


警戒するなと言われても無理な話だった。

手のひらにはじわじわと、しかし次々と汗が出てきている。嫌な汗だった。

僕はこの男の姿に、とてつもない不吉な影を感じていた。

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