第2話

 突然謎の霧によって異世界に飛ばされてしまった明堂準みょうどうじゅんは、この世界について何もわからないまま見たことのない生物に襲われてしまう。

 素手でその生物を倒した準は一先ず、助けに現れたジェイリー姉妹に付いて行く事にした。


 ジェイリー姉妹の住む村は森から出てすぐの場所にあった。

 そこはあまり栄えているとは言いづらく。藁や木の家が転々と立てられているだけの、目立つ建物といえば風車くらいな小さな村だった。

「ホントにこんな所に住んでんのか……?」

「悪かったわねこんな所で」

 物珍しい村をキョロキョロと見回しながら姉妹に付いて行くと、他の家とは違う一回り大きな家に案内された。

「ここに、この村の村長が住んでるの。くれぐれも失礼の無いようにしてね?」

「ああ、善処してみる」

 準の言葉に不安そうにしながら、マリアナが外から村長を呼んだ。

 すると、誰も触れていない筈の木のドアがゆっくりと開き、準はまたも不思議な光景を目にして固まってしまった。 

「どうしたの?」

「ああ、いや……お前らにとっては普通なのか?」

「何がですか?」

 ジェイリー姉妹は、どうみても自動ドアのような機械的な物でない木のドアが勝手に開いた事に、なんの疑問も持っていない。

 いちいち驚いていてはキリがないと悟り、準は「なんでもねぇ」と答え、村長の家に入っていった。

 中は程よく広く、藁や木で出来た家とは思えない程しっかりとした作りだった。

 二階まで伸びる階段もあり、姉妹はその階段を登っていくと、準も付いて行く。

 二階もまた広く、しかし一階程は物が置かれているわけでもない若干落ち着きのある空間だった。そしてその真ん中に、グレーのローブを着た顎髭の長い村長らしき老人が床に座っていた。

「村長、失礼します。彼は森で出会った……えっと、遭難者?」

「まぁ、迷ってはいた」

「です。名前は……なんだっけ?」

「忘れんなよ、マリアナ」

「し、仕方ないじゃない! 珍しい名前だったし、えっと……えーっと……?」

「ジュンさんです」

 準の紹介を聞くと、村長は静かに首を縦に振り、準の目を見る。

 ただ無言で、ジッと見られている事が落ち着かず、準は口を開く。

「なんだ?」

「ちょっと!」

 早速失礼な物言いの準をマリアナが睨むが、準は睨み返した。

「ふむ、既に仲は良いようですな」

「何処が!?」

 準は村長の言葉にすかさず返すが、村長は視線をシエルに向けて言う。

「シエル。ロベントの所に行って、客人用の料理を作って貰って来てくれんか」

「はい」

 シエルは村長に頭を下げると、すぐに階段を降りて行った。

「ロベントって?」

「この村にある酒場の管理をしてくれてる人。良かったわね、一応客として扱われるみたいで」

「お前も村長とやらの前でそんな事言って良いのか?」

「あっ」

 マリアナも村長に頭を下げるが、村長は二人を見て笑っていた。

 二人はそのまま床に座ると、村長が口を開く。

「さて、遭難していたという事ですが、何処から来たのですかな?」

「日本」

「ニホン?」

「の、東京」

「ノ・トーキョー?」

「……」

 村長もマリアナも首を傾げた。

 話が通じない事に、この世界へ来て何度目かわからない溜め息を吐く。

「まぁ、遠い所だ。多分。で、この世界の事をオレは全く知らない。だから色々聞きたいんだがな」

「だからアンタは……!」

「よい」

 敬意を払う様子の無い準にマリアナが怒ろうとしたが、村長がそれを止めた。

「そうですな……この世界について知らない、とは、どういう事ですかな?」

「そのまんまの意味だ。あんたらが度々使ってる変な……なんて言えば良いんだ、魔法? みたいなのも、森で会った変な動物も、オレは全く見た事が無い」

「ふむ……」

「そもそも、オレは別の場所に居た。今言った遠い場所。そこで変な霧に包まれて、気付いたら森に居た」

「霧?」

 準の言葉に引っかかったのはマリアナだった。

「心当たりあるのか?」

「いえ、その……」

「なんだよ、ハッキリ言え」

 準の言葉にムッとするマリアナ。しかし口を開いたのはマリアナではなく村長だった。

「妙な霧の事でしたら、こちらで調べられるかもしれませんな」

「本当か?」

「はい。最近よく見かける霧でして――」

「失礼します」

 話の途中で、シエルが料理を運んできてくれた。大きな骨付き肉や綺麗に盛り付けられた野菜、見たことは無いが美味しそうな果実。

「話は食いながらでもいいよな?」

「貴方が言うセリフじゃないでしょう」

 料理が目の前に置かれ、準はすぐに手を付ける。マリアナがそれを注意したが、村長は笑って答えた。

「そうですな。では軽くですが、まずこの村についてお話しましょう」

 シエルが全員の前に料理を並べ終えると、村長はコホンと小さく咳をしてから話し始める。

「この村は特に名前はありません。ただ私共が住む小さな村。我々はこの村の周りに居るファンモスなどを狩って生活しております。ファンモスはご存知ですかな?」

「ああ、森で戦った。これもファンモスの肉なのか?」

 準は骨付き肉をかじりながら質問する。

 元の世界の肉と比べて変わった味がするが、美味しさや新鮮さはこちらの方が上だと思えた。

「はい。森で戦ったと言うのは、普通のファンモスですかな? それとも……」

「オニです」

 準の変わりに、料理に手をつけようとしているマリアナが答えた。

「ふむ、オニについての知識はありますかな?」

 野菜を適当に頬張りながら準は答える。

「知らねぇ。そのオニってやつと普通のファンモスは違うのか」

「全く違います。オニは、生物を凶暴化させる病原菌のような物です」

 飲み物に口を付けながら、答えたのはシエルだった。

「最近この辺り、いや、おそらくは世界中で確認されている異常です。突如オニに感染した生物が、別の生物や人々を襲い、問題になっているのです」

「ふーん」

 村長の言葉を聞き流しながら、準は見たことの無い果実を割る。すると透明な果汁が溢れ、それをすするように飲んだ。甘い果汁が喉を潤す。

「うまっ」

「ちょっと、もう少し落ち着いて食べれないの? それに、ちゃんと話聞いてる?」

「聞いてるよ。あんまり理解は出来てねぇが、食いもんは美味い」

 村長は笑いながら話を続ける。

「それはありがたいですな。しかし、オニによってファンモスの繁殖も脅かされておりましてなぁ……」

「あ?」

 再びファンモスの肉にかじりつこうとした所で準の手が止まる。

「先ほども申しました通り、オニは他の生物。ファンモスも襲います。それにファンモス自体が感染する事もある。何か対策を取らねば、その肉すらも希少な物となるでしょう」

 村長の言葉を聞き、準は手に持った肉に視線を移す。

 元の世界では食べられない程に美味しい肉。オニのせいで、これが滅多に食べられなくなるかもしれないという。

「そのオニへの対策ってのは?」

「それがまだ、なんとも……」

「ぁあ? じゃあ、オニってのはどうやったら減るんだ?」

「それもなんとも言えません。オニに関しては、我々でも謎が多い故……」

「ッ!」

 準は舌打ちすると、ファンモスの肉を噛み千切り、味わう。

「なぁ、森で倒したあのファンモス。連れて来れねぇのか」

 肉を飲み込みながら、準はマリアナに問いかけた。野菜を口に運ぼうとしているマリアナがそれを中断させ、答える。

「オニに感染した肉を食らうのは危険よ?」

「そうじゃねぇ。オニってやつに感染した生き物を調べれば、何かわからねぇのか?」

 村長とジェイリー姉妹は驚いた表情で準を見る。一斉に向けられたその視線に、準の方が少し驚いてしまった。

「なんだよ」

「村長! 彼は、素手でオニに感染したファンモスを倒したんです! 私達では武器か魔法でしか倒せなかった。でも、素手で倒したのなら、調べやすい状態で持ってこれるかと!」

「ふむ、それはそれは……」

「あ? なんだなんだ、勝手に話進めんな」

「ジュンさんは、素手でオニを倒してくれました。つまり、ほぼほぼ外傷なしでオニを持って来れることになります。私達の攻撃手段……武器などではどうしても外傷を与えてしまって、その傷からオニが逃げるんです。逃げたオニはまた別の生き物をオニにする……でも、それを断ち切れれば!」

「オニは減るって事か」

 ニヤリと笑い、準はファンモスの肉にかじりつく。

「倒したオニはどうしたのじゃ?」

「台車が無くて持って来れず、そのままです。でもすぐに持って戻ります! シエル!」

「はい!」

 ジェイリー姉妹が立ち上がり、再び森へ向かおうとしていた。

「マリアナ、シエル。気を付けるんじゃぞ」

「はい。では、いってきます」

 姉妹は村長へ頭を下げると、まずは台車を取りに自分達の住む家へと向かった。

 どうやら話は良い方向へ進んでいるようで、準は安心して料理を食べる手を進める。

「所で、ジュン殿は行く当てなどあるのですかな?」

 料理を食べながら、準は村長の目をまっすぐ見て答える。

「今日中に戻れなかったら世話になる」

「ふむ、では、この村のしきたりについても説明した方がよいですな」

「頼む」

 準が視線を再び料理に向けると、村長は話し始める。

「この村では、お金や通貨がありません」

「は?」

 いきなりの言葉に準の手が止まった。

「栄えている所と違い、この村はご覧の通り小さな村。だからこそ、お金や通貨を必要としないのです」

「じゃあ、この料理とかは……」

「そう。その料理の為に、その料理を作ってくれたロベントに恩返しを兼ねて、依頼や頼み事を聞かなければならない」

「この料理を頼んだのはお前だろ。だったら、お前がそれを聞くべきなんじゃないのか」

「勿論そうです。ワシは村長でもありますが、その前に一人の村民。ですから、この村で暮らすのであれば、ジュン殿にもワシと同じく、この村のしきたりには従って頂かねばならない」

「まぁ、いいけどよ……」

 渋々承諾し、準は料理を食べ進める。

「また、この村に住むにしても開いている家が無いものでしてな」

「寝泊まりする場所ならなんとか確保するさ、別に何処でも寝れる」

「それでしたら、酒場に一時的に住まわれてはいかがですかな? 管理をしているロベントは、一日中酒場に居るわけにも行きませぬ故、住まわせてもらう変わりに彼の手伝いをするという形であれば、問題は無いでしょう」

 肉や野菜を飲み物で流し込むと、準は答える。

「そのロベントってのはどんな奴だ。この料理作った奴か?」

「はい。この村では腕利きの料理人とも言えましょう。依頼を聞けば、それよりも更に美味しい物を振る舞ってくれるやもしれませぬ」

「ノッた。じゃあ、その酒場に案内してくれ」

 食べられる箇所は綺麗に食べた骨付き肉の骨を皿に投げ入れると、準は立ち上がった。

「この村の中でも、ワシの家に次いで大きな家があります。木で出来た建物、そこが酒場です。すぐに見つかるでしょう」

「そうかい、じゃあご馳走さん。元の世界に戻るまでは世話になるぞ」

 ボクサーバッグを肩に掛け、準は階段を降りて行く。

 酒場の建物を想像しながらドアに手を掛けようとした瞬間、勢い良くドアが開かれ、準は鼻をぶつけた。

「痛って……!!」

「あ! ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」

「シエルか……てめぇな……」

「村長!」

 準がシエルを睨んでいると、その後ろを通り、マリアナが慌てた様子で二階へと上がっていった。

「なんだ、何があった?」

「それが……。いえ、お姉ちゃんが説明すると思います。二階、上がりますか?」

 鼻を擦りつつ準が頷くと、二人も二階へ上がった。

「どうしたのじゃ、マリアナ」

「村長! オニなのですが……私達がその場所に行ったら、消えてまして……!」

「なんじゃと!?」

「どういう事だ」

 二階に上がってきた準が問いかけると、マリアナは準を見て言った。

「あの時、完全には倒せてなかったって事」

「待て、確かに息の根は止めた筈だぞ。拳で殴ってたんだ、相手が生きてるか死んでるかはわかる」

 準は自分の拳を見ながら言うが、マリアナは言いづらそうに答える。

「それでも、居なくなってたっていう事はそういう事でしょ?」

「そりゃあ……そうだが……」

「ふむ、一旦この件は保留としよう。次にオニが現れた時は、ジュン殿にも事に当たってもらうという事で」

 顎髭を撫でながら村長が言うと、準は納得はしていない様子だったが、渋々頷いた。

 ジェイリー姉妹も共に頷き、改めて村長が準の住まいについて話を持ち出す。

「ところでマリアナ、シエル。ジュン殿を酒場へ案内してやってくれんか」

「まだ食べるの?」

「ちげーよ」

 村長がマリアナと準のやりとりに笑いながら、準が酒場に住む事を話すと、三人は村長の家を出て酒場へ向かった。

「この世界の事、大体わかったけどよ。不便に感じる事とか無いのか?」

「不便……ですか?」

「特に無いわね。この村ではこれが普通。栄えてる所は知らないけど、そういう所って変な格差も生まれてるって話だし、村長含め皆平等なここの方が――」

 マリアナが突然言葉を詰まらせ、準は不思議そうに問う。

「なんだよ?」

「なんでも、ここの方がいいに決まってるじゃない。って言いたかったの。ほら、着いたわよ」

 ジェイリー姉妹が足を止めると、確かに他の建物よりは大きく、しかし村長の家よりは小さめの建物があった。

「ロベントさんは良い人だけど、あんまり迷惑かけないようにしてよ?」

「美味い飯を作る人に迷惑なんて掛けねぇよ」

「どうだか……」

「失礼します」

 酒場に入ると客は誰もおらず、カウンターで食器を拭いている一人の大男だけがポツンとそこに居た。

「やぁシエル。マリアナも。その少年は……?」

「彼は……」

 マリアナが紹介しようとすると、準は一歩前に出て答えた。

「明堂準です。今日から暫くの間、ここに住まわせて貰いたくて」

 準の言葉遣いにジェイリー姉妹は驚いた。敬語が使えたのか、と。

「ここに……?」

 ロベントも驚いているが、彼は準とは初対面であり、敬語に驚いているというわけでは無さそうだった。

「はい。村長が」

「村長がか……わかった。構わないよ。色々と手伝ってくれるならね」

「勿論手伝います。で、さっきの料理って、アンタが作ったんですか?」

 段々ボロが出てきている準に姉妹はクスリと笑った。

 ロベントは気にせずに答える。

「そうだよ。どうだった? 口に合ったかな?」

「滅茶苦茶美味かった! アンタ、天才ッスね!」

「ははっ、ありがとう」

「敬語はいいの?」

 マリアナの言葉に、準はムッとしながら振り向くが、ロベントが笑いながら答えた。

「ま、構わないよ。普段通りの君のスタイルで過ごしてくれればいいさ。接客はちゃんとやってもらうけどね」

「だとよ」

 何故か勝ち誇った顔をする準に、今度はマリアナがムッとしたが、ここでは抑える。

「それじゃあ早速頼み事いいかな?」

「おう!」

 準が改めてロベントに向き直ると、ロベントは依頼内容を口にした。

「さっきの料理でファンモスの肉を使っちゃってね。大きいのを一体、仕留めてきてくれるかい?」

「わかった。じゃあその変わり、持ってきたらまた美味い肉食わせてくれよ」

 握り拳を手の平に叩きつけ、準は早速ファンモスを狩りに行こうとする。

 そんな準に呆れながらマリアナは言う。

「消費したから補充してくれって言ってるのに」

「うるせぇな。大きいのなら少しくらい良いだろうが」

「ははっ、じゃあその条件で頼むよ。狩り場はわかるかい?」

 ロベントに言われて「あ」と準は固まった。

「私達が付いて行きます。良いですか? ジュンさん?」

「ああ、助かるぜ」

「仕方ないわね。それじゃあ、いってきます」

 準とマリアナが先に外に出る。それに続こうとしているシエルにロベントが声を掛けた。

「彼、面白い子だね」

「はい」

「でも良いのかな、ここに住まうって事は、あいつらと……」

「大丈夫、だと思います。ジュンさん、凄く強いですから」

「シエルー、早くー」

「置いてくぞー」

 外からマリアナと準の声が聴こえてくると、シエルはロベントにペコリと頭を下げてから二人を追いかけた。

「強い。だと、それはそれで危険な気もするなぁ」

 誰も居ない酒場の席を見ながら、ロベントは一人、そう呟いた。


 ジェイリー姉妹にファンモスの狩り場へと連れて来てもらった準は、拳を鳴らしながらファンモスの群れを見つつ獲物を見定める。

 より大きいファンモス。大きい獲物を仕留め、自分の取り分も大きくする為だ。

「ジュン、これ」

「あ?」

 後ろからマリアナに声を掛けられ、準は振り向くと、小さな小刀を渡された。

「一応、武器は持っておいた方がいいでしょ。さっきみたいに素手じゃ仕留められないかもしれないし」

「だからあれは……!」

「良いから使う! 狩りの為の正装だと思いなさい!」

「チッ」

 渋々小刀を受け取るが、準はそれを鞘から出さずにファンモスの品定めを続けた。

 所々に群れが居るが、準の求める大きさの獲物はなかなか見つからない。

「早く決めなさいよ」

「中々居ねぇんだよデカいのが。さっきのオニのやつくらいデカけりゃ良いんだが」

「あれはオニのせいで大きくなってただけで、今居る子達が普通なんです」

 シエルの言葉に準は肩を落とす。

 しかしふと、群れから少し離れた所に一匹の大きなファンモスが居る事に気付いた。

「お、居るじゃねぇか。あれはオニじゃねぇよな?」

 他のファンモスよりも少し赤みが掛かっている獲物を指し歩き出しながら準が言うと、姉妹もその大きなファンモスに気付き驚いた。

「ちょ! ちょっと待って!」

 姉妹は慌てて準の腕を両側から引っ張る。

「だぁっ!? なんだよ、オニなのか!?」

「いや、オニじゃないけどあれは……!」

「希少種です! ファンモスの中で、稀にああいう成長をする子が居るんですけど……」

 腕を引っ張りながら、姉妹は顔を青くさせていた。

「珍しい奴って事はわかった。で、美味いのか?」

「美味しいかどうかで言ったら美味しいんだろうけど……」

 マリアナがそう言ってしまうと、姉妹の掴む腕を振りほどいて準は希少種のファンモスに駆け出していく。

「あ、待って!」

「希少種は通常のファンモスよりもかなり凶暴なんです! 下手をすればオニよりも!」

 その言葉が聞こえているのかいないのか、準は尚も希少種に向かって行く。

 希少種が準に気付き、睨み付けた。準よりも離れた場所に居るジェイリー姉妹はその希少種の目に恐怖を感じたが、準は怯まない。

 そうして怯まず向かってくる準へ、希少種も突進する。

 通常のファンモスよりも鋭い角、まともに喰らってしまえばひとたまりもないだろう。

 それでも、準は怯まない。

 姉妹が心配して止めようと声を張っている中、準と希少種がぶつかり合った。

「ぐっ……!!」

 希少種の角に横から拳を打ち込んだ。オニの角はこれで折る事が出来たのだが、

「おわぁっ!!」

 角は折れず、直撃は避けられたが横っ腹をかすり、準は突進してきた希少種の勢いに吹き飛ばされてしまった。

「ジュン!」

「ジュンさん!」

 姉妹が武器を構えながら慌てて駆け寄る。

 吹き飛ばされた準は上手く受け身を取り、構え直す。そして、笑った。

「ジュン……?」

「良いねぇ。全力を出しても、下手すれば死んじまうかもしれない戦い。ワクワクする」

 まただ。

 準がオニと戦っている時、オニを殴りつけている時に見せた、どこかゾクリとするくらい怖い表情。

「何言ってるのよ! 死にたいの!?」

「死ぬ事にワクワクしてるわけじゃねぇよ。負けたら死ぬ、そんな戦いが楽しいんだ!」

 準の感情は、ジェイリー姉妹には理解出来ないものだった。

 そんな準にシエルが一歩踏み出し、必死そうに言う。

「ジュンさん、とにかく武器を使って下さい! 素手ではあまり効果はないです!」

「あ?」

「お願いです! 死んで欲しく……ないから」

 悲しそうな表情で言うシエルを見て、準は一旦構えを解いてから渡された小刀を取り出す。

「来るわよ!」

 マリアナが叫ぶと、希少種は再びこちらに突進してくる。三人は一斉に散らばった。

「ワンパターンなんだよ!」

 ギリギリでかわし、準は小刀を鞘から引き抜くとしっかりと握り締め、

「おらぁ!」

 希少種の横腹に、拳を打ち込んだ。

「あれ?」

「なんで刀持ったまま殴ってんのよ! 刺しなさいよ!」

 小刀を持った手で、つい殴ってしまった。

 改めて構えなおそうとしていると、希少種は準へと角を薙いでくる。

 希少種のパワーで薙ぎ払われた角を小刀で受け止めるが、圧倒的な力の差に、準は再び吹き飛ばされた。

「ぐぁっ! くっそ……!」

 小刀を持っていた為上手く受け身を取ることが出来ず、身体が地面に叩きつけられる。

 散らばった三人を睨み付けながら希少種が吠えると、通常のファンモスがワラワラと集まってきた。どのファンモスも皆、準達に敵意を向けている。

「まずいわね……」

「お姉ちゃん、詠唱の時間稼いでくれる?」

「わかった!」

「おい、マリアナ!」

 ジェイリー姉妹が作戦を立てていると準が叫び、マリアナへ鞘に入った小刀が投げられた。

「ちょっと! え、何!?」

「それ、いらねぇよ。戦いにくい」

「は!? 何言ってんの! 素手じゃあ希少種は……」

「だからよ、お前のそれ、くれ」

 準は手の甲をマリアナに向け、その甲を指先でトントンと叩いた。同じ所を見ろと言う意味だろう。

 マリアナが自分の手の甲を見ると、装備した篭手の模様が目に入る。準が言いたいのは模様ではない。篭手そのものだ。

「これを、どうするの?」

「それで殴る」

「はぁ!? だから、素手じゃあ……」

「それ付けてりゃ素手じゃねぇだろ。ってか早くしろ、ドンドン増えてんぞファンモス」

 辺りに集まっているファンモスを睨みつけながら、準は手を差し出している。

「お姉ちゃん、ジュンさんの言う通りにしよ?」

「シエル!?」

「ジュンさんならきっと、なんとかしてくれる。……って、思うんだ」

 ニコリと微笑むシエルの表情を見てマリアナは篭手を外す。左手の篭手をシエルに渡すと、先にシエルがその篭手を準へ向かって投げた。

「お願いします!」

「おう!」

 上手く飛んできた左手用の篭手をキャッチし、準はそれを装着する。少し小さく窮屈さを感じるが、拳を振るう事に問題は無いだろう。

「貸すだけだからね! あんまりボロボロにしないでよ!」

 マリアナも右手の篭手を外して準に向かって投げた。

「そりゃあ希少種って奴次第だな――っておい! 何処投げてんだ!」

「あっ!!」

 マリアナが投げた篭手は明後日の方向へ飛んでいき、一匹のファンモスの背中へ乗ってしまった。

「ノーコン」

「何よそれ!?」

「来るよ!」

 複数のファンモスが準達に向かって突進してくる。肝心の、背中に篭手を乗せたファンモスは動いていなかった。

「畜生……! お前らには興味ねぇんだよ!」

 突進してくるファンモスをかわすだけで反撃はしないまま、準は篭手を乗せたファンモスの様子を見る。まだ来ない。

「この!」

 マリアナがレイピアを構え、ファンモスに反撃しようとしたのを準は止める。

「何!?」

「オレら、いや、オレの狙いは希少種って奴だけだ。他のをいちいち傷付ける必要はねぇだろ」

「でも、襲いかかってきてるのよ!?」

「それも希少種って奴をぶっ飛ばせば収まるんじゃねぇのか? あいつの声で集まってたろこいつら」

 あの時吹き飛ばされていたにも関わらず、準は冷静にファンモスと希少種達の動きを分析していた。

「ジュンさん! 左手だけで希少種、倒せますか?」

「いや」

 準とシエルの間をファンモスが駆け抜け、一旦会話が止まってしまうが、気にせず続けた。

「いや、全力込められるのは右だ。サイズが合ってねぇからな、左じゃ上手く力を込められねぇ」

「わかりました。じゃあもう一つ、この子達を傷付けてでも、私の詠唱を援護してくれますか?」

「あ?」

 準はシエルと視線を交わす。

 初めて会った時、準の荷物を取り返してくれた時と同じ魔法を使おうとしているのだとすぐに気付いた。

「傷付けはしねぇ、でも援護はしてやる」

「え、どうやって?」

「いいから、篭手を取り返してくれ、シエル」

 マリアナへ声を掛ける時とは違う声色で、準はシエルへ優しく声を掛けた。

「何かやるなら早く! 希少種も地面を蹴ってる!」

 希少種が後ろ足で地面を蹴っている様子をマリアナが伝えると、シエルはすぐに詠唱に入った。

 そんなシエルに突進して来ようとしているファンモスの前に準が立ち塞がり、左手を振り上げる。

「っらぁ!」

 向かってくるファンモス達を睨み付けながら、準はその拳を地に叩きつけ、地面を揺らした。

 その揺れは準の近くの地面を揺らしただけだったが、その準の行動、睨み付ける視線がファンモス達を怯ませ。ファンモス達の動きが止まった。

「今!」

 準が叫ぶと、シエルが詠唱を完了させ、あの時と同じ風の魔法がファンモスの背中に乗った篭手を巻き上げる。

 しかし、風を操り篭手を準へと運ぼうとしているシエルに向かって、希少種が突進していた。流石に希少種は準の睨みで怯まない。

「やべぇ!」

「シエル!」

 準とマリアナが叫ぶと、シエルは突撃してくる希少種に気付き、恐怖で震え風が消えた。

 恐怖に染まった表情でシエルは準に視線を向けると、希少種よりも先に準がシエルへ突進して来ていた。

「ジュンさ――きゃっ!?」

 勢い良くぶつかられ地面に倒れたが、それでも準が気遣ったのか、あまり痛みは無かった。しかし、今度は準が希少種とぶつかり合った事で、準の身体が空高く吹き飛ばされる。

「ジュン!」

 落ちてくる準に追い打ちを掛けるかのように、希少種は鋭い角を準へ向けた。このまま落ちてしまえば串刺しになってしまう。

「風よ!」

 シエルが杖を拾い上げて再び構え、風を巻き起こす。先ほど詠唱は済ませていた為、またすぐに風が力を貸してくれた。

 しかしその風では人一人を巻き上げる事は出来ない。だが、シエルも準を巻き上げようとしているわけではなかった。

 シエルが巻き上げたのは右手用の篭手。その篭手を、巻き起こした突風に乗せ、準へと飛ばす。

「ジュンさん!!」

 空中に吹き飛ばされた準は意識があるのか無いのかはわからない。それでも準に篭手を届けようと、目に涙を浮かべながらシエルは叫ぶ。

 地面で角を構え待ち受ける希少種。

 そこに為す術無く落ちていく準の身体。

 シエルが巻き起こす風が、マリアナの篭手を準へ運ぶ。

 串刺しになるか、篭手が届くかという寸前――

 準の右手が飛んできた篭手をしっかりと掴み取り、身体を捻らせ、左手で角を殴り逸らした。

 着地と同時に右手に篭手を装着し、その隙を狙って希少種がまたも角を薙いで来たが、今度はしっかりと右の拳で角とぶつかる。

 篭手はしっかりと装着したわけではない。それでも十分な力は入った。

「よ、く、も……やってくれたよなぁ!」

 力を込め、準は左の拳も叩き込み、希少種の角を砕く。

「ジュン!」

「ジュンさん!」

 希少種が痛みに唸るが、準は容赦無く追い打ちを掛けた。

「逃さねぇぜ、美味い肉!」

 先ほど小刀を持ったまま殴ってしまい、全く効かなかった横腹。そこへ今度は、篭手を付けた拳を打ち込む。

 希少種の唸り声が叫び声に変わり、準は希少種の頭に飛び乗ると視線を一瞬シエルへ向けた。

 またオニにしたような事をすれば、シエルを怖がらせてしまう。ならばと、準は右の拳に全ての力を込める。

「これで……!」

 一撃。

 希少種の頭に振り下ろしたその拳の一撃で、希少種は倒れ、動かなくなった。

「ふぅ」

 溜めた息を吐きながら、準が辺りに居るファンモス達を睨みつけると、彼らもワラワラと逃げて行った。

「ジュンさん! お疲れ様です! 凄かったです!」

「どうも。でもまぁ、シエルのおかげで助かったよ、ありがとな」

 準とシエルが微笑み合っている様子を、マリアナは不思議そうに見ていた。

 しかしふと、準が疑問を浮かべる。

「そういえば、これどうやって持って帰んだ?」

「あ! 台車忘れた!」

「またかよ!」

 準は見張りとして一旦その場に残り、ジェイリー姉妹は慌てて台車を取りに帰る事となった。

 その途中。

「ねぇシエル。ちょっと思ったんだけど、貴女やけにジュンに肩入れするわね?」

「え!? え……へへ。なんていうか、凄い人だなぁって思っちゃって」

 少し照れくさそうに笑っているシエルの気持ちは、今のマリアナにはわからなかった。


 続く

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