焦る人間様と耽る畜生様
夕ご飯は少し豪勢に、いつものあの店で私も時雨君も大盛りを頼んだ。
「あらあら、お二人とも今日はあのテーマパークに行ってたんですか?」
「そうなんです! すっごく楽しかったんですよ~」
「あらーそうなの。よかったわねぇ。
よし、じゃあおばちゃん先生のカチューシャに免じて
今日はからあげ付けてあげようかねぇ」
「え? あっ!」
「教授まだつけてたんですか!?
ということは電車の中でも……」
二人に笑われ、私は赤面せざるを得なかった。不思議なものだ、普段つけないものをつけていても、意外と気付かないものだった。ようやくカチューシャを外した私は、今日のことを話した。
「今日はすまないな、わざわざ付き合わせてしまって」
「いえいえ! 何を言うんですか!
誘ってくれてありがとうございました。
私の方こそテンションあがっちゃって、
引っ張りまわし過ぎちゃったって今反省しています」
「いやいや、普段あまり体を動かすことがなくてな、いい運動になった」
「それにしても教授が先にチケット買ってたなんて」
「それにしても君が先にチケットを買ってたとはな」
偶然声が重なり、互いに笑いが出てしまった。それを見ていたおばさんも、にこにこと笑ってくれていた。しかしここのどんぶりは相変わらず大盛りにするだけで随分と量が増えている。大盛りというよりは特盛に近い状態になっているが、それでも時雨君はぺろりと食べてしまう。
……ということは普段の並盛は足りないのだろうか?
そんなことを思いつつ、私は残りのご飯を食べた。ここの料理はやはりいついただいても美味しい。特にこの女性の作ってくれる飯が美味く、私がこの時間帯にしか来ない理由でもある。昼は女性の旦那が切り盛りしており、残りの夜の数時間はこのおばさんなのだ。
時雨君がからあげとなぜか増えていたデザートを食べ終わったころ、私も食べ終わり、お茶を飲みほした。
「ごちそうさまでした」
会計を済ませ、帰路に着いた。星は相変わらず綺麗で、私はまた公園に時雨君を誘った。彼女は「いいですね」と一言放ち、ついてきてくれた。
いつものベンチに腰をかけると、私の首は定位置についた。今日見たあの景色と、今見ているこの景色は、とても似ているようで全く別のものだと考えると、余計に二つともが美しく見えた。この景色がいつまでも続けば良いと願い、隣を見てみると彼女もまたその美しさに夢中になっていた。
彼女が何を思っているのか、何を見ているのかは聞かず、首を元の位置に戻した。すると、携帯から高い鈴の音が聴こえた。
時雨くんは私の携帯を見て、満足げな顔で再び空を眺める。すると彼女の携帯からも、小さな鈴の音が聞こえた。それらはまるで夏の夜の涼しさを物語るかのように小気味良く鳴り響き、風の中に溶けていく。流れ星がよく見えるここでは、願い事をする人をよく見かける。
私も、一度人間のように願ってみようかと思ったが、大半のことは自宅の悪魔が叶えてくれるので、願えられずにいた。
「さぁて、そろそろ帰りましょっか」
そういうと時雨君は立ち上がり、公園の出口へと向かう。
ここで私は再び残された時間を思い出した。
今日だ。
今日が分かれ目なのだ。
しかし何を言えばいいのか、
なんと止めればいいのかもわからなかった私の口から出たのは
「時雨君!」
「はい?」
「あ、あの、あ、いや」
「どうしたんですか教授」
「明日は……、夜は……、時間があるか?」
「『あるか?』って、明日普通にお仕事じゃないですか」
「あ、あぁ、そうだな」
「なんです?
そろそろカツ丼以外の晩御飯奢ってくれるんですか?」
「あ、あぁ、そうしよう。
だから、明日もこの公園に付き合ってくれないか」
「おぉ、言ってみるもんですね! じゃあ期待してますね!」
空には二つ、流れ星が走った。
それぞれの帰路に着き、私は自宅に帰った。その日は珍しく雨井がおらず、代わりに漱石が出迎えてくれた。帰った時刻は23時半。普段は眠る時間なのだが、ここ最近は眠れず、中庭で月を眺めることが多い。
この家の中庭からは夜中に必ず月が見えるようになっている。これは私が頼んだことではなく、雨井の趣味なのだそうだ。よく雨井が一人で月を見ているのを見かける。その雨井の場所に、私はいた。
すると漱石が隣へやってきて、丸い体を私にくっつけ座った。
「今日は喋るのか?」
しばらく沈黙した後、漱石の鼻から笑みがこぼれる。話を聞いてもらうからには互いに何かなくてはならないと思い、私はコーヒーを、漱石にはぬるめのミルクに粉末状のマタタビを加えたものを出した。
「綺麗なものだな、空にあるものは」
「あぁ全くだ。我々畜生でさえその美しさに目を囚われる」
「畜生という言い方、前から気になっていたのだが、なぜお前からそう言うのだ」
「我々には名前がない。
人間様が付けた『猫』や『犬』といった種族、
お前さんやアホタレが付けてくれたような『漱石』や『キュリー』。
あれは名前というより、首輪の類だ。
聞いたことがあるだろう、『名は呪いの一種だ』と」
「あぁ、いくつかの本で同じようなことが書いてあったな。
しかし、畜生はどうなのだ、言ってて嫌だとは思わないのか?」
「ではこう聞こう。
『奴隷』はなぜ『奴隷』を嫌がるのだ。
それはきっと名のせいではあるまい。
名ではなく、その境遇と自己の意識をその名のせいにしているからであろう。
もしその『奴隷』という言葉に、本人が誇りを持っていたらどうだ?
人でありながら人の下で働く、しかしそこに誇りを見いだせているのなら、
その名を汚いとは思うまい」
「なるほどな。漱石、お前雨井よりも断然頭がよいのではないか」
「はっはっは、あのアホタレと一緒にされては困るな」
つくづく可哀想なやつだ、あの悪魔は。私はコーヒーを酒に持ち替え、漱石もようやく出したものを飲み始めた。
「なぁ漱石、お前は何かを愛したことはあるか」
「私に人間様の恋愛相談はしない方が良い。なんせ猫だからな」
「そうかもしれんが、参考にな」
「つくづく面白いやつだ、お前は。
そうさな……ないと言えば嘘になる。
我々畜生が何かを愛し始めた時は、もう時間がない証拠なのだ。
愛など普通は分からぬからな。
しかし、性行為を除く愛が分かると、
家族であったり仲間という物を愛おしく感じる。
人間様の言う愛と、お前さんの言う愛というのは、
もしかすると何か違いがあるのではないか?」
漱石は含みのある顔をしながら私に語りかけた。私の正体を知っているのかと一瞬考えたが、もし漱石が気付いていたとしても、何も問題はなかった。漱石の言う人間と私の考え方の違いは、果たしてなんなのだろうか。私と人間との違いは、多すぎてむしろ分からなくなてしまっていた。
「この世界は、あいつは、私に何をさせたいのだろうか」
酒が入ったせいか、私はふと途方もない悩みを猫に打ち明けてしまった。
「世界が生き物に求めることなど分からぬ。
あのアホタレの考えることも、分かりやすいが分かろうとはしていない。
考えるだけ無駄というものだ。
大切なのは、自分が何を思い、何を考え、何を求めて生きるのかではないか?
もし世界が何かを求めて我々を産み落としたのなら、
求めていることを伝えぬのは理不尽ではないか。
それなら、自分のやりたいように生きてもよかろう。
人間様の世界には束縛と責任という物が存在する。
それは人が生きる理由を求めた結果の副産物なのだろう。
しかし、それならその枠組みの中でやりたいことを最大限にすればいいのだ。
後悔など、どんなに最善の選択をしても出来てしまうものだ。
お前は今、私とこうして話している。
これは、世界がお前に求めたから、お前が話しているのか?」
漱石もマタタビが入ったせいか、長く話してくれている。
「あぁ、人間様の言葉は口が疲れる。
そろそろ黙って猫に戻ってもよいか?」
「あぁ、すまんなわざわざ。
ありがとう、漱石」
そういうと漱石はいつもの鳴き声を上げ、私の膝の上にやってきて空を見上げた。長々と話して疲れた割には、漱石の喉からはご機嫌な音が聞こえていた。
「ところで漱石、お前以外のやつらは人語を話さないのか?」
そう尋ねると漱石は何も言わず、目も閉じてしまった。おそらくきっと、そういうことなのだろう。悪魔のことを『アホタレ』扱いできるとは、さすが漱石はここ一帯のボスなだけある。
普段は夜でも猫と犬だらけのこの中庭も、今日は私と漱石しかいなかった。
しばらく漱石を撫でていると、いつの間にか漱石の喉から音は消えていた。
「おやおや、寝てしまったようですね」
後ろから静かに雨井がやってきた。どうやらこの時間だというのに散歩に行ってたらしく、後ろからぞろぞろといなかったペットたちがやってきた。それぞれ、皆漱石を起こさぬよう、適当に屋敷に散らばっていった。
飲みのこしのコーヒーを差し出すと、雨井は嬉しそうに飲んでいた。確かにアホタレと言われても仕方ない。
しかし、雨井もまた、考えることをやめた側の者なのだろう。
この男も天使と悪魔という束縛と責任の中に生まれ、悪魔という枠の中で自分のやりたいことをやっている。
もしかするとこういうやつこそ、我々が求める理想の姿なのかもしれない。私は雨井に指定席を譲り、漱石を抱えて寝室に入った。漱石の喉が再び鳴り、その音を聞きながら眠りに入る。
私に残された時間は、あと3日。
蝉日記 十匙 謎人 @Mandge
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