火星に生物はいない

南枯添一

第1話

 酸化鉄でも含まれているのか、砂は妙に赤みがかった色をしていた。起伏の感じられない地形の上を、赤い砂はどこまでも広がっている。その上の空は擦れた青で、まるで漂白でもされてしまったかのようだ。風景の奥の方、地平線の少し手前では風が吹いていた。巻き上げられた砂塵が一塊になって、ゆっくりと移動をしていた。その様は、東宝の映画に出てきる、着ぐるみのモンスターのようだった。そして、恐ろしく寒かった。

「まるで火星の風景だな」と慎次しんじが言った。

 ちょうど同じようなことを考えていた美奈みなは同意するのが嫌で顔を背けた。

「ほら、なんだっけ?NASAのマーズ・チャレンジャー?…アタッカー?アリゲーター?」

「アリゲーターなんてワニじゃない。そんな名前付けるわけないでしょ」

「なんでもいいけど、そいつが火星から送って寄こした写真があるだろ。ちょうど、あれがこんな感じだった」

「そう」

「あれ、見たとき、すげえなって思ったよ。火星にさ。もし、俺が降り立ったら、あんな風景が見れるんだな。そう思うとさ、けっこう、鳥肌モンだったぜ」

「そうね」

「宇宙の話なんか、嫌いか」

「そうじゃないわ。寒いだけ」

「そうだよな。寒いよな。でも、火星はもっと寒いんだぜ」

「知ってるわ。火星は南極よりも寒いし、金星は地獄より熱いのよ」

「金星の地表だと鉛だって溶けてしまう。けど、地獄の平均気温って何度くらいなんだ?」

「知らないわ、そんなこと。ダンテにでも訊けば」

「ダンテ?」

「ランボーでも、ボードレールでも。サド侯爵でもいいわ。地獄のことに詳しそうな人に訊けばいいのよ」

 慎次は曖昧に笑って、ボンネットに付けた腰を浮かせた。無意識にパンツの埃をパタパタと払う。

「そろそろ、暖かいとこに行こうか。モーテルまではまだかなりある。もう行かないと、着く前に日が暮れてしまう」

「ええ」けれど、美奈は動こうとせずに砂を眺めていた。

「なあ」

「生き物って、火星には見つからなかったんでしょう」

「多分、生物は発生しなかったんだ」

「どうして」

「生物って簡単にはくたばらないんだ。今でも、地球には火星よりタフな環境で生きてる生き物は幾らでもいる。だから、昔にでも生物が発生したのなら、生き延びてなきゃおかしい」

「ものが腐るのって、微生物のせいでしょう」

「ああ」

「ハイエナとか、その手の動物がまずバラバラにして、その次がシデムシの出番。最後に微生物が解かしてしまう」

「……」

「だから、火星では何一つ、腐らないわけね。火星の砂に埋められた生き物の死骸は、永久に腐らずに干からびてミイラになるんだわ」

「ここは火星じゃないよ。それに人の死骸には元からいっぱいバイ菌がいるから、火星の砂に埋めても腐っちまうよ」

「火星じゃない」

「ああ。火星じゃない。みんなバラバラになって、腐っちまう」

 そのとき、日差しが不意に陰った。見上げると、迷子になったような、クリーム色の雲が一つ、二人の頭上に浮かんでいた。雲が作る影と日差しの境界線が、砂の上にくっきりと引かれているのが見えた。

 美奈は自分の肩を抱くようにして身をすくめた。彼はもう一度立ち上がり、彼女に掛けてやる何かを手にしていないことを残念に思った。

「行こう」

「ええ」

 今度は彼女も立ち上がった。フロントノーズを回り込んでいく美奈に慎次は付いていき、壊れているフォグランプを気にして立ち止まった。彼はそこから後ずさりで戻り、シートに潜り込んだ。美奈は助手席で両手を広げて、掌を見ていた。

「悪いのはあいつだ」慎次は怒鳴った。「こんな火星みたいな風景の中を独りで歩いてる奴がいるなんて、思うわけないじゃないか」

 美奈は何も言わなかった。

 そうして、二人は地球を目指す旅を始めた。

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火星に生物はいない 南枯添一 @Minagare_Zoichi4749

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