富山日記
プロジェクトグリーンペリラ
序
内田百閒とH・P・ラブクラフトに無上の敬意を。そして畏友拾い絵君が、少しでもいいから籤運に恵まれますように。
※
「何か不思議な事ないかな」
拾い絵君と散歩していると、彼はちょくちょくこうボヤく。私にとって散歩はただ歩くことが目的なのだけれど、彼にとってはどうやら不思議な事を探すのが目的であるらしい。
それが原因だと思うのだけれど、彼と散歩しているとよく迷子になる。細い路地があったり、知らない道を見つけたりすると、この友人は取り敢えずそこに入ってみるのである。不思議があることを期待して。
大学に入ったばかりの頃に彼に知遇を得て、その頃からしょっちゅう散歩に出ている。貧乏学生であった当時の我々としては、遊びにあまりお金をかけたくなかったし、地元民の彼としては、県外出身の私に富山(とみやま)を案内してくれるつもりもあっただろう。だから、講義が終わるとほとんど毎日のように街やら山やら堤防やらに繰り出し、そこらを歩き回っていた。
それはいいのだけれど、上述の通り彼は好き勝手に歩く。歩いて迷子になる。迷子になって困った顔をする。
全く土地勘のない場所で、日没後に、頼りの筈の地元民から「ドクダミ君、ここはどこだろ?」とか言われる絶望感を是非とも想像して欲しい。あの時は確か、月の所在と月齢と時刻を参考にして方角に見当を付け、さらにダウジングまで使って、どうにかこうにか帰ったのだ。15時に出発して、アパートに帰りついたのは草木も眠る丑三つ時である。
あれから6年が経ち、我々ももう学生ではないのだけれど、未だに別段金持ちでも無いので、基本的に顔を合わせれば取り敢えず散歩に出ている。
散歩に出るのはいいけれど、人間というのは年をとったから進歩するとは限らないらしく、未だに我々は迷子になる。しかもこの6年無駄に歩き続けた結果、足腰が頑強になったらしく、歩行速度と歩く時間は当時よりも大きく伸びている。
このまえ計算してみたら、平均歩行速度はおおむね時速五キロくらいだった。普通は歩行速度は一時間に一里、つまり大体時速4キロである。ちょっと歩くのが早い。で、だいたい12時間くらいは歩き続けられるようだ。つまり、彼と私とが本気を出すと、一日に60キロくらいは歩けるらしい。
中国の春秋時代、軍旅が一日に移動する距離を一舎と呼んだという。例えば春秋五覇に数えられる晋の文公が、放浪中に楚の成王に厚遇されたため、その返礼として城濮の戦いで三舎を避けた故事は有名である。
で、一舎は三十里。この里は日本ではなく周の里である。うろ覚えだけれど、当時の中国で一里は400mくらいだったと思う。してみると一舎は12kmである。これを普通の人が一日に歩ける距離だとすると、我々は一日に普通の5倍の距離を歩いていることになる。これは即ち、普通の5倍の勢いで迷子になっているという事に他ならない。これからは占い師じゃなくて迷い人と名乗ろうか。
ともかくとして、こんなに迷子になるのはひとえに、不思議を渇仰してやまない拾い絵君の責任に帰するのである。それにホイホイ着いていく私も私だけれど、悪いのは主に彼だと決めつけておく。それで腹いせに、彼の言行なんかを日記風に書き留めて、広く公開してやろうと思うのである。
富山日記 プロジェクトグリーンペリラ @greenperilla
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。富山日記の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます