第1話―3
暗殺と聞いて、多くの者は眉をひそめるだろう。私としても、そうした意見があることはわかっているし、殊更否定したい見解でもない。
正々堂々正面からの決闘のように誇り高くもなく、場末の飲み屋での喧嘩のように人間らしい温かみもなく、国家間の戦争のように主義主張のぶつかり合いでもない。己ではない他者の争いに介入し、報酬の代わりにその命を奪う、卑しい強奪者。
戦いの果ての決着としての『死』は、実は大多数が………人も亜人も………恐れない。それまでに彼等は出来ることをし、すべきことをし、その上で及ばなかったならば諦めがつく。そう考えているのだ。そして現実的には、その時点で疲れ果てていて、もうどうでもよくなっていることが殆どだ。
全力で、息が切れ足が上がらず心臓が破裂する寸前というところまで走り続ければ、まぁ結果など気にする余裕はなくなるだろう。
しかし、暗殺は別だ。
喩えるなら、落とし穴に嵌まったようなものだ。確り踏み締めて歩いていたはずなのに突然足が宙に浮き、一瞬の無重力の後身体は穴へと落ちていく。暗く深い、二度と這い上がれない穴の底へ。誰かが埋めれば、そのまま墓の出来上がりだ。全力を尽くすどころか名誉を刻む墓石すら、用意する暇は無い。
戦いの決着としてではなく、全力の果ての結果でもなく、生命を摘み取るだけの【死】。過程の一切を無視して結果だけを追い求めた、殺すためだけの殺人行為。
真っ当な神経の持ち主ならば、嫌悪しか抱かないであろうその行為は、しかしこうして職業として成り立っている。誰もが望まぬ行為でありながら、それを求める者が確かにいるという矛盾。
実は誰もが、気付いているのだ。
時として、名誉も倫理も主義主張をも置き去りにした刃が必要になるという事に。
「………………………」
いざ引き受けてしまえば、私のやることは単純だった。何せ、いつも通りの仕事にすぎない。
寧ろ、いつもよりも楽でさえあった。依頼人の持ってきた情報には、標的の自宅が記されていたのだ。一応一日監視をし、それを確かめてほとんど準備は終わりである。本来なら更に行動パターンを探り、人の出入りを確かめ、手はずを整えるのだが………幸い今回はその必要はなかった。
「幸い………とも言い難いか………」
「まぁな。何せ依頼人は、正面突破をお望みだ。お前さんには向いてないぜ!」
けして小さくない声で喋るバグ。
因みにここは静かなバーではなく、賑やかな軽食屋だ。周囲にはそれなりに人がいて、彼らの内何人かは物珍しげな視線をこの喋る鞄に向けていた。
だが、それだけだ。色めき立ったり、驚いて倒れたりする者は一人もいない。
それもそのはずで、この店は、例の魔術師が住む家の近所にあり、それなりに治安も良く物資も良いものが手に入る………喋る鞄など珍しくない程度には。
「まぁ、魔術師がいる辺りだから、こういう魔法道具は珍しくないか」
色々な魔法が込められていて、簡易的に魔法を使える
魔術師が手慰みに作る場合もあれば、それを作ることを目的としている魔術師もいる。そのための素材集めは人を雇う者が多く、肉体労働の中でもハイリスクハイリターンな職業で、何だかんだと人気がある。
「………ホント、剣と魔法の世界だぜ。ファンタジーだなぁ」
「?」
「何でもねぇさ。ギャハハ、ま、俺には住みやすい世界観で何よりだぜ!」
相変わらず、妙なことばかり言う鞄だ。
まぁともかく。そういった訳で、喋る鞄なんて珍しくもなんともないらしく、周囲の視線は直ぐに外れていった。【言葉を話す】程度の神秘は、町の最も治安の悪い所でさえ興味を持たれない程度だ。
実際のところ、バグの【
「あの魔術師………全く出てこない………」
思わず憎々しげな声が出るのを止められなかった。バグも珍しく軽口を控え、苦笑めいた笑いを溢す。
そう。
標的の魔術師は、自宅からほとんど外出していなかった。食料などは玄関前に届けられ、配送人が居なくなってからそれを取りに来る。その際も門を開けず、片手だけ出して引きずり込んでいた。その偏執的な引きこもり方に、私は最悪の予想をしていた。
「………バレてる、か………?」
「可能性としちゃあまぁ、あり得るねぇ。いくらなんでも、用心深すぎる」
確かに、魔術師という輩は大体が用心深い。安全上の理由から自宅に籠る者は多いし、そうでなくても、積極的なアウトドア派は皆無だ。しかし………ここまで徹底して外に出ないことはない筈だ。
「写真だって撮られるくらいだぜ?元々の出不精とは思えないな。となると、ギャハハ、最悪だな?!」
「………………………」
そもそもこの依頼は、標的の魔術師が買い物で揉めたことが原因だったはずだ。だとすれば、少なくともその時点までは普通に外出していたと見て間違いはない。それが、理由もなく宗旨替えをするとは思えない。
問題は、その理由だが………。
「………私が来ていることが、バレているとは思えない。それにしては、対応が中途半端だし。とすると………」
「『襲撃を予感させるような何かがあった』、か。ギャハハ、なにやら益々きな臭いな!」
全くその通りだ。徐々に姿を現しつつある暗雲に、私は盛大にため息を溢した。
「………くそ」
薄暗い部屋の中で、男はうろうろと歩き回っていた。余程腹に据えかねる何かがあったのか、いらいらと必要以上に床を踏み鳴らしている。
口からは、ぶつぶつと不平不満が漏れ出して、時折それが怒鳴り声のように大きくなっている。
「なんで、俺がこんな目に………」
男の不満は、結局その一言に尽きた。
思うように外出できないことも、研究が進まないことも、根本は同じだ。自分の自由が著しく制限されている。これが不愉快でなくてなんだというのか。
男は苛々としながら、ローブの懐に手を突っ込み、煙草を取り出す。と、それに引っ掛かるように、紙が一枚滑り落ちた。
「………………………」
男は、煙草を口にくわえたまま、ジッとその紙を見つめていた。小さな、それこそ煙草の箱くらいの大きさのその紙には宛名と、そして絵が描かれているだけだった。小さな、花の絵だ。
ただそれだけの紙を、男はただひたすら見詰めていた。まるで………目を離したら、その紙に殺されるとでも言うように。
男は、微動だにもせぬままに、ただただその紙を見つめ続けた。
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