第1話―2

「………………………」


 依頼人の立ち去ったあと、私は残ったスコッチウイスキーを飲むでもなく、グラスを持ち上げ、揺らしていた。

 氷も溶けて大分色の薄れた液体に、私の顔が映る。ラヴィの特徴である真っ赤な瞳、ツンと上を向いた小さな鼻………髪と同じ茶色い耳までは長過ぎて映っていないが、実にラビらしい顔と言える。


 好きでも嫌いでもない自分の顔。しかし、顔の造形はともかくも、そこに浮かぶ表情は目を背けたくなるものだった。

 眉は寄り、唇はへの字に曲がり、瞳には刺さりそうなほど鋭い気配が浮かんでいる。

 街中で見かけたら迷うことなく目を反らすような渋面に、私はため息をついた。


「ギャハハ、最悪の面だなぁ、クロナ?」


 ………その声は、正にその瞬間を狙い澄ましたようなタイミングで聞こえた。

 軽薄そのものといった調子の声に、グラスに映る眉は更に寄った。


「悪い気分か?ちげぇねえよな、わかりやすい顔つきだぜ?いい感じに最悪だ!」

「………起きてたの、お前?」


 どこまでも軽く、騒々しく空々しいその声に、私は平坦な声を返す。普段はもう、この時間なら寝ているのだ。てっきり今日もそうかと思ったのだが。

 不愉快さを隠そうともしない私の声。こんな職業だ、それなりに威圧感もあると自負しているのだが、返ってきたのは軽薄な笑い声だった。


「ギャハハ、たまたまな。なんとなーく興が乗ってな、ちょっと夜更かししてたらこの体たらくだ。ギャハハ、日頃の信心深さの賜物だろうぜ!」


 アーメン、等とのたまう声に、とうとう私は舌打ちする。腹立ち紛れにグラスを干すと、マスターがお代わりを寄越してくれた。

 当然だが。この声はマスターのものではない。マスターの声を聞いたことは実のところ一度もないが、ラヴィとしての鋭敏な聴覚は声の発生源が彼ではないことを告げている。

 しかし、それは奇妙だ――少なくとも、一般的には――店内には私とマスターしか居ないのだから、声の主は彼でなければ私でしか有り得ない。そして、勿論私ではない。では、誰が。


「あぁ、神様に感謝しないとなぁ!こんな悪い気分のお前さんを見られるとは!!」


 本当にうるさい声だ。私の一言に、数十倍のだみ声を返してくる。静寂こそ何よりも貴重な財産と考える私にとっては、この声はただの強盗に過ぎない。

 あぁ、全く。本当にそうであったなら良いのに。もしそうなら、殴り飛ばせばそれで済むのだが。


「………お前は、神を信じてるの?」


 手の代わりに出たのは、馬鹿みたいな質問だ。答えは、当たり前のように馬鹿みたいな笑い声だ。


「信じてるさ!お前さんが、俺を信じてるくらいにな!ギャハハ!」


 憂鬱さが増す。話の内容は無意味で無価値で、ただただ煩い。


「それより、ずいぶんと面白そうな話だったな、さっきの優男のお話は!!」


 言葉に、私は先程の話を思い出した。グラスを見ればきっと、さぞやしかめ面のラヴィが映ることだろう。




「殺してほしいのは、このルード・ヘンドリクスです」

 差し出された写真に写っていたのは、男だ。亜人ではないと思うが、よく見えなかった。これは私の視力に問題があるせい、ではない。

 歩いているところを隠し撮りしたのか、妙な角度で写っていてよく顔が見えないのだ。


 それに何より、彼の衣服が問題だった。

 一枚の布から作った丈の長いローブを全身に纏い、そして目深に被ったフード。そのフードのせいで、顔立ちがほとんどわからない。

 その特徴的な衣服を、私は見たことがある。嫌と言うほど。


「………魔術師ウィザードか」

「………はい」


 嫌そうな私の声に、男もまた憂鬱そうな声をあげる。

 無理もない、と私は思う。誰だって思うだろう。よりにもよって、魔術師の暗殺など考えるだけ愚かな行為だ。


「この男は、私の両親を殺したのです」

「そうか」


 驚くことでもない。魔術師というのはとかく自己中心的で、堪え性がない。自身の力に絶対の自信を持っていて、それが傷つけられたと思えば何の躊躇もなく報復する。

 誇りがローブを纏っているようなものだ。彼等にとってはそれが自分そのものであり、侮辱とは攻撃に他ならない。そして、攻撃に対して話し合いを選択するほど大人しい存在ではないのだ。

 人の命が掛かることくらい、良くある。


「発端は、ルードの方でした。彼は、父に羊を売ってほしい、と頼んだのです。生け贄にするからと」


 おぞましい、と言うように、男は身を震わせる。純真に育った人間にとって、生け贄という言葉は酷く冒涜的に聞こえるだろう。両親は、恐らくは田舎の農民なのだろう、純朴で、そして信心深い。


「父は、断りました。金額の折り合いがつかなかったこともありましたが、何より、そんな神をも恐れぬような事をさせるわけにはいかないと………」


 神への生け贄だったかもな、とは思ったが、流石に言わなかった。ジョークを言う場面でもないし、さして面白いジョークでもない。


「ルードは怒りました」

「だろうな」


 ここはまぁ、口を挟んだ。魔術師の名誉のために言えば、普通に考えて物を買いに行って言われる事ではあるまい。用途を説明するだけマシな人格とさえ言えた。無神経とも言えるが。


「………それで?」

「それだけです。魔術師は怒り、そして。母も家に居ましたから、共に埋まったのです」


 比喩ではないのだろう。魔術師が怒ったのなら、安住の家そのものが彼等を襲う凶器となり得る。

 しかし、どちらが悪いかというと判断が難しいところだった。魔術師という存在を、偏見にまみれているとは言え知っていたにしては、男の父親は好戦的に過ぎた。そして魔術師の方は、まぁそうするだろうとは言え過剰な反応だった。

 ようは価値観の差異だ。何を命より上位に置くかの違いだけ。魔術師にとってそれは誇りであり、男の父親はそれを理解できなかった。


 ありふれた話だ。両者が互いに理解し合えないから、生き物は争う。


「この男を殺してほしい。父の、そして母の仇を討って欲しいのです」

「………………………」


 私は少し悩んだ。どちらが悪いのかについて、。そんなことはもう関係がない。

 彼等は争ったのだ。そこに自己の美学は在っても良いが、共通のルールは存在し得ない。男にとって、命より両親が大切だっただけなのだから。

 問題は、男の雰囲気だ。この気配に、私は覚えがある。絶対に、これ以上何かを付け足そうとしている。


 果たして、男は更に口を開いた。




「魔術師か、眉唾な奴等だよな?」

「………冗談?」


 だとすれば、笑えない。彼等は夢でも幻でもない、現実に存在する人間だ。呆れつつ、私は註釈を語る。

 魔術師………本人達からすればそれは大雑把な括りに過ぎず実際はもっと細かく、その権能で区分されるのだが、私のような門外漢からすれば、もうその一言で充分お釣りが来る。チップを弾むなら、【最悪の相手ファンブル】と付け加えても良い。

 不可思議な呪文を唱えて、不自然な力を操る不愉快な相手だ。これも当人達には不満がある評価だろうが、恐らくこの世界の誰に聞いても正当な評価だと頷くだろう。


 考えても見てほしい。


 何やら一言か二言呟くだけで、手から火が出たり氷が出たりする。こちらの攻撃は同じく一言で発生した見えない盾に防がれ、運良く傷をつけたとしても、二言目には癒しの魔法が待っている。

 更に上位の魔術師ともなると、その一言すら無く、意思のみでそうした現象を起こすと言うから、それこそ化け物じみている。


「マジかよ、そいつはまた、最高に最悪だな!」

「本当に、わかった?」


 口笛まで聞こえ、私は呆れの色を濃くする。ふざけている場合ではないし、それに、彼等の異様な能力など、一番の恐怖ではない。


「何より最悪なのは、そんなことじゃない。………それでも、

「………?ヤバいのは、その魔法ってやつだろ?なんだ人間だからって」


 声に、私は首を振った。人間が持っている能力が怖いのではなく、逆だ。


「魔術師は、血筋とか才能とかが確かに幅を効かせる。でも、それでも彼等は人間なの。人間が何年も、何十年も、何世代にもわたって努力してきたその結果なんだ」

「………」

「魔術師は、魔術の為だけに生きる。その人生は魔導の探究の為にあり、その生まれさえ、より良い魔術師になるために調整される」

「………………」

「それは、執着。生きること、魔術師として生きることにだけひたすらに拘った、生きるための命」


 なんと恐ろしく、不自然な存在だろうか。夢のために生きる人間は多いが、夢のために生まれる人間など類を見ない。

 だが。

 どれ程極端でも、それは人間の在り方の一つだ。


「あれほど化け物じみていても、冗談みたいな力を操っても、それらは全て、人間が可能な技術の究極でしかない。私達みたいな亜人には、理解出来ない」


 それが、怖い。

 良く、亜人は人間に似た何かだと、人間は思っている。似ていて、しかし決定的に異なる私達を、人間は恐れている。

 しかし、その逆を気に留める者はいない。つまり、亜人が人間を、自分達に似ているけど全く違うからと恐れるとは思ってもみないのだ。


 誰だって怖いのだ。理解出来ない、共感できないものは。


「ならなんで受けたんだ?しかも、あんな面倒なおまけ付きでさ」





「条件が、一つ在ります」


 やっぱり、と私は思った。あぁ全く、そうだと思ったよ。


「恐らくは、このせいで依頼遂行は困難になります」

「そうならない条件なんて思い付かないが」

「想像以上にです」

「ご丁寧にどうも。で?」


 私はさっさと先を促した。時間で考え直すような条件なら、口には出さない。

 男はどういうべきか少し迷った。それから、結局はシンプルにいくことに決めたようだ。


「父と母は、こいつの誇りのせいで死にました。だから、それを一緒に殺してほしい」


 なるほど。私は納得した。話の内容にでは勿論ない。その前の言葉についてだ。これは、確かに想像以上に面倒になりそうだった。


「………ルードを、真正面から戦って、殺してほしいんです」




「最悪以外の何者でもないだろ、そんなの。【暗殺】の意味わかってんのか、あの優男」

 それに関しては、私も全面的に賛成だ。こっそり、密かに、慎ましく。言葉は色々あるが、その意味するところは同じ。【気付かれないように】だ。


「なぁ、マジなんで受けたんだ?報酬に目が眩むほど、馬鹿じゃねぇと信じたいんだがな!」

「当たり前。あんなのは、大したことない」


 他の同輩に同じ依頼を持っていけば、ゼロが二つは付く。それすらも少数派で、恐らく大部分は断るだろう。

 私も、断っただろう。私でさえなければ。


「私は金を示して、相手は受けた。断るのはフェアじゃあない」

「かっこつけかよ、ギャハハ!」

「煩い」


 見栄も張れない人生なら、終わらせた方が幾らかマシだ。


「それに………」

「あ?まだなんかあんのか?」


 それに。その先は、あまり言いたくはない。私達なら出来そうだった、なんてこと、それこそかっこつけたみたいで恥ずかしい。だから言わないことにした。

 ちらり、と視線を横の席に向ける。さして広くないバーの席を一つ、贅沢に占領した、

 肩掛け用のベルトが左右から伸びたやや大きめのその鞄は、ボタンが壊れていて口がバケツのように開いていた。

 その口が、触ってもいないのに動いた。同時に声が聞こえてくる。


「なに見てんだよ」


 私はため息をついて、私の【相棒】を手に取った。その鞄はなにも入っていないからか、声みたいに軽かった。

 喋る鞄、バグ。私の、うっとおしいほど喧しい、最悪の【相棒】だ。


「少し酔ったかな………」


 そうに違いない。だから、あんな風に思ってしまったのだ。

 魔術師と暗殺者の正面対決。それは最高に最悪だ。だから………だから、こそ。


 面白そうだ、などと。

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