暗殺者クロナの依頼帳 月の兎は夜に跳ねる

レライエ

第1話―1


 人と人とが出逢うとき、そこには常にあるものが生まれる。有史以来、数多の出逢いがあり、その度に、それは繰り返されてきた。


 その名は、【争い】。


 獲物の取り分のため、土地のため、女のため、子のため、地位のため名誉のため金のため………目的こそ時代によって変遷してきたが、その根本は変わらない。変わるはずがない。

 だからこそ。

 私の【仕事】も無くならない。



 琥珀色の液体を一息に煽る。空になったグラスをテーブルに置くと、カラン、という軽い音を立てて積み重なっていた氷が崩れた。


「………………………」


 その音が合図だったかのように、カウンターの奥から腕が伸び、そして戻る。秒と経たない一連の動きのあとには、空になったグラスは幻のように消え失せ、液体で満たされたグラスが寸分違わぬ位置に忽然と現れている。

 注視していなければ私でさえ見逃してしまうであろう、熟練の手捌き。氷の音どころか衣擦れの音さえしない技術に、私は軽く口笛を鳴らす。


「お見事。流石ですね、マスター」


 そう声を掛けても、白髪をキッチリと撫で付けた初老の男性マスターは、軽く目礼しただけだった。無言のままでグラスを洗い、磨く作業に戻っていく。

 私は、再びグラスを口に運ぶ。今度は一息では呑まず、ゆっくりとその味を楽しむようにする。


 再びの、静寂。


 酒はやはり、夜に限る。それも、こんな静かな夜に。

 自分以外誰もいないバーのカウンターで、私自身が立てる以外はマスターがグラスを磨く音と、古臭いジャズしか聞こえないような、世界に見捨てられたような夜こそ、酒に相応しい舞台だ。

 つまみは特に必要ない。少々耳の良い私にとっては、静寂こそが何よりの御馳走だ。その点、この店は申し分無い。


 尤も。

 そうした奇跡にも似た貴重さは、往々にして長持ちしないのだが。


「………………………」


 私はため息をつき、マスターはちらりと視線を上げ、新たなグラスを手元に運ぶ。その一瞬の後、ギイッという乾いた音と共に、バーのドアが開いた。

 来客だ。この古ぼけたバーの、そして、私、クロナへの。



「………………………あなたが、クロナさんですか?」


 入り口から一歩踏み込んだところで、その男は口を開いた。私への依頼を試みる人間が、よくする調子の声だ。形振り構う余裕もないほど切羽詰まっているのに、それを隠そうとしている声。


「そうだ。何か用か?」

亜人デミ………?」


 薄暗い店内に漸く目が慣れたのか、男が見ればわかる事を言った。


 その通り、私は厳密な意味での【人間】ではない。人に似た形をした、人とは異なる種族だ。由来には諸説あるようだが、多くは人と動物とが混じったような姿をしている。

 私はその中でも比較的ポピュラーな、ラヴィと呼ばれる種族である。特徴は、大きく長い耳に、赤い瞳。詰まりはウサギと似た外見だ。


「もう一度聞くが。何か用か。用がないなら静かに帰れ」

「………本当に、クロナさん、なんですか?その………」


 それ以上私は何も言わず、グラスを手に取った。これで帰るのならそれも良い。そうすれば、少なくとももうしばらくは、この美味い酒が楽しめる。

 生憎、私の細やかな願いは却下された。男は少しの間だけ悩み、そして、もうどうしようもならないからここに来たのだと思い出した。


「………お願いしたい、【仕事】があります」

「………………………」


 私は軽くため息をついた。それから、そっと片手を振る。帰れ、ともその真逆の意味にも取れる動作だったが、果たして男は入店した。


「………取り敢えず、座ったらどうだ?」


 諦めた私の言葉に、男はノコノコと隣の席についた。今夜の酒は、不味くなりそうだ。



「何か飲むか?」


 私の言葉に何か言おうとしたので、遮るように続ける。


「要らない、は通じないぞ。ここは酒を飲むところだ、飲まないのなら追い出される」


 男が視線をカウンターに向ける。強面では無いが存在感のあるマスターと目が合い、男は身体を震わせた。


「わ、わかりました………では、ギムレットを………」

「………思ったより、強めのいくんだな」


 カクテルの名を聞いたマスターが軽く頷き手に取ったのは、ドライジンだった。弱々しい雰囲気の男にしては、なかなか強いカクテルだ。

 暫し無言。ここに来た人間は、なぜか皆示し合わせたように、頼んだ飲み物が出るまでは無言を貫く。

 幸い、マスターのシェイカーは沈黙が気不味くなる前に振り終えた。


「………お願いは、こちらです」


 出されたカクテルに口をつけず、男は懐から一枚の写真を取り出す。それを見るより早く、私は写真を突き返した。


「先ずは、依頼料だ」

「話を聞く前に、ですか?」

「あぁ」


 驚いたような言葉に頷く。

 この辺りは、まぁ人それぞれだろう。仕事をする者によって違いはあるが、私は基本的に先に決める。何故なら。


「何も聞かないうちになら、金で折り合いが付かなくても直ぐに話を終わりにできるだろう。あんたもその方が気が楽だろ?」

「なるほど………」

「で、額だが。これがだ」


 そう言って示したメモ。そこに書かれた数字の羅列に、男は息を呑む。よく見えないが、顔も血の気が引いているだろう。

 それもそのはず。私は、。余程の事情がない限り、普通の人間には逆立ちしても払える額ではない。


「………わかりました」


 それでも。男は、頷いた。ますます酒は不味くなる予感がする。


「どっちみち、もう僕にあとは無いんです」


 そう言うと、男は改めて懐から写真を取り出した。


「お願いします。………この男を、殺してください」



 人と人とは相争う。それが当人同士の殴り合いで済むのなら良いが、それでは済まないのが現代の闘争だ。武力を伴わない闘争さえ、今はありふれている。

 私は、そうした現代の闘争における、最後にして最悪の手段の代行者。夜の闇でなく、社会の闇に溶け込む犯罪者だ。

 私を知る者は、皆こう呼ぶ――【暗殺者】クロナと。

 社会の闇に月は出ず。兎の帰る場所は、何処にもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る