夏に世界が終わるなら

那詩 ごはん

夏に世界が終わるなら

 詳しくはよく知らないが、どうやら世界は終わりへと傾き切ってしまったらしい。そう告げられても、「ああそうですか」としか言えないわけだが。


「明日、世界は終わるらしいよ」


 彼女は心なしか弾んだ声で俺にそう耳打ちした。


「ソースは?」

「お好み焼きにはお好み焼きソース」

「……情報源は?」

「ちなみに、お好み焼きソースってお好み焼き以外にあんまり使い道ないよね」

「お好み、焼きっていうぐらいだから、お好みで何にかけていいんじゃないか?」

「味のバランスってものがあるじゃん。バランスが崩れるとよくないんだよ。そうだね、ちょうど明日終わるこの世界のように」

「なるほど。……ようは、乙女の秘密か何かってことだな」

「うーん、乙女の秘密をそんなに安売りしないでほしいなあ。乙女の秘密っていうのは、いうなればハヤシライスの中のお好み焼きソースみたいな、そういう絶妙でわかりづらいものでなくっちゃ」

「ソースの使い道知ってるじゃないか」

「お母さんの秘伝だったからね。盗んだレシピに書いてあったんだよ。実践したことはないなあ」

「それを試す機会は今日の夕食しかないわけか。どうする? 作るか?」

「残念、最後の晩餐はアイスクリームって決めてるんだ」

「アイスクリームの前にハヤシライスじゃダメなのか?」

「それだとアイスクリームはデザートになっちゃうじゃん。空っぽの胃袋にアイスクリームを詰めてこそ最後の晩餐はアイスクリームだったと言えるんだよ」

「最後の時間をトイレで過ごさないようにな」

「そういうデリカシーのないような発言は嫌いだよ」

「でもまあ、確かに、こんなにあっつかったら最後の晩餐云々を抜きにしてもアイスが食べたいよなあ」


 空を仰ぐと、真っ青なキャンパスに雲を無造作にぶちまけたような景色が広がっている。世界最後がどうこうの空にしてはなんとも情緒がない。照りつける日差しは容赦なく肌を焼く。


「世界最後の日、か」

「正確には世界最後の前日、だけどね」

「そっか。世界ってどうやって終わるんだろうな」

「たぶん、あっさりざっくりだと思うよ」

「なんだそれは」

「終わるのは世界であって地球ではないからね。恒星の最期のような華々しい爆発なんかでは終わらないんだと思うよ。現に隕石がどうこうとか、聞かないし」

「爆発オチや夢オチは最悪の締め方だからな」

「スーパーノバ、とかだったらカッコよかったんだけどね」

「まあ、終わり方なんかにあまり興味はないけどな。有終の美、って柄でもないし」

「そうだねぇ」


 あっさりざっくり世界が終わる。まあ、理解できなくもない。世界というものはひどく不確かで曖昧なものだ。何をもってして世界と定義するのか。


「世界っていうのは、ひどく狭い見方をすれば、自分の視界と想像が及ぶ範囲のことなんだろうな」

「急に、どうしたの?」

「いや。世界が終わるって、どういう事かと議論するには、まず世界を定義しないとダメだろ?」

「わたし別に議論する気はないんだけど」

「じゃあ俺が一方的に喋ることにする」

「横暴。DVだ!」

「家庭でも暴力でもないし、仮にそうだとしても明日終わる世界の警察なんて意味がない」

「……うるさい。ばか」

「なんだそれ。まあいいや。世界ってなんだと思ったんだけど、たぶん俺と君の世界は違うんだろうなと思ってな。俺の世界の色と君の世界の色は違うし、それの受け取り方も違う。俺たちは奇跡的な擦り合わせで、世界を同じように見てるようなつもりになってるに過ぎない。クオリアとかその筆頭。だからそうすると、世界ってのは人の数だけあるんだと思う。あくまで仮説による個人的な意見だけどな」

「なんとなく、わかるよ。その感じ。君の世界とわたしの世界は違うのかもしれない。君の知らないものをわたしは見てきたし、わたしの知らないことに君は触れてきたもんね」

「ああ。だから、世界ってのはすなわち自分自身のようなものなんじゃないか、と」

「うんうん、それで?」

「哲学的ゾンビって知ってるか?」

「うん。一応」

「まあ、常識だしな。俺にはふとそれが頭をよぎったわけだ」

「……なるほど。たぶん、言いたいことは理解できたよ」

「話が早いな。つまり世界の終わりというのは――」

「自我の崩壊、あるいは喪失。わたしや君を構成していた観測者がいなくなること。観測者がいなくなった世界はすなわち滅亡という終わりに等しい。こんな感じかな」

「……ああ、そうだな。まあ咄嗟に考えついた限りだけど」

「残念だけど、不正解。それは終わりではなく停止に近いからね。つまりいつか自我が再び芽吹いて、わたしがわたしを続ける日が来ないとも限らないから。わたしがいなくなってもこの抜け殻に記憶は堆積してるから、わたしという自我は急に戻ってきてもその記憶を瞬時に読み取り、たぶんなんら戸惑うことなく振る舞い続けるよ。だから、そういう意味での世界は、こんな形では終わることはない」

「自我が蘇生するという可能性は十分にあるということか」

「違うね。そもそも自我が消えたということを自分ですら知ることができないんだよ。つまり逆説的に言い換えればそれは、生きている限りは自我は消えないということ。自我の喪失とはそれすなわち肉体の死亡だよ」

「なるほどな。いい線いってると思ったんだけど」

「うん。たぶんテストで書いたら80点は堅いね。でも答えがない問題として出されてるけど限りなく正解に近い答えはある問題なんだよ、これ」

「意地が悪いな、それ。優越感に浸りたいためだけの自己満足じゃないか」

「世の問題なんて、そんなものだよ」

「まあ、そっか」


 あっさりざっくり終わる世界のことを考えるのは、きっと果てしなく無駄なことだ。別に世界の結末という答えを知りたいわけではなく、俺はただ何か話ができればよかっただけなのだから。


「世界の終わりはどこで迎えればいいんだろうな」

「どこでもいいんだよ。きっと。そこで終わりたいと思えるなら」

「じゃあ、一つ心当たりがあるな」

「奇遇ね。どこか訊いてもいい?」

「残念だな、乙女の秘密ではないが、男子は秘密基地に憧れるものでな、秘密と言っているからには人には明かせないのだ」

「わたし、その結社の一員じゃないの?」

「おんなにおとこのロマンがわかるかー、的な?」

「男女差別だー。最近世間はそういうの敏感だから怒られるよ」

「そんなこというなら男女なんていう分け方なくなればいいのにな。それなら同性愛も異性愛もなんもなくなってみんなハッピーなのに」

「ジェンダーのそれとかは解決しそうだけど、生物学者に怒られそう」

「ミミズに生まれ変わったら、日替わりで女の子にも男の子にもなれるんだと思うと夢が広がるよな」

「うわあ、気持ち悪い」

「男ってのは女の子になりたいって思うときもあるんだよ。アニマってやつだ」

「誤魔化しでそういう具体例を持ってくるのは卑怯だと思うけどね。まあ、わからなくもないけど、たぶんなったらなったで、すぐやめたいっていうと思うよ。女の子ってめんどくさいもん」

「ああ、それは身に沁みてる」

「…………たぶん、意味合いが違うと思うなそれ。あと君の方がめんどくさいよ」

「そんなことはないと思うけどな」

「その性格を乗りこなせているなら、君は女の子になってもそのイザコザとかで悩むことはなさそうかも」

「褒めるなよ、照れるだろ」

「真顔で言われたくないし、貶してるんだよ無神経」

「罵倒されて喜ぶ趣味はないぞ」

「わたしも罵倒して喜ぶ趣味はないよ!?」

「まあまあおちつけどうどう」

「がうがう」

「暑いなあ。取り敢えず、帰るか」

「そうだね。そうしよう」


 日が高くなり始め、学校の屋上の日陰がみるみるうちになくなってきていた。世界の寿命も、おそらくこのように劇的になくなっているのだろう。俺たちは帰ることにした。


「夏期課外、サボっちゃったね」

「心配しなくても明日の世界に英語は使わない」

「使うかもよ。しーゆー、とか」

「また会ってどうするんだよ。それなら、アスタラビスタを使う」

「それも地獄で再会じゃん」

「馬鹿言え、俺は天国も地獄も信じていないんだ。人は死んだら無になるんだよ」

「その根拠は?」

「天国にしても地獄しても、今まで死んだ人間全てが押し込められるような空間に行きたくないからだけど」

「人混み嫌いだもんね」

「冗談は置いておくとして、もし魂の行き場があるのなら、たぶんみんな同じところに行く気がしてる。21グラムの重りを背負って、どこか、下の方。現世か、それ以外か。そんなもんだと思ってるよ」

「そっか」


 日差しが草木に反射している。熱れ、と表現するのが正しいのだろうか。蒸せ返るような草の匂いがする帰り道を歩く。アスファルトは、ちょっと暑すぎるから。できる限り自然的な道を俺たちは帰るようにしていた。


「にしても、なんで夏に終わるんだろうな。冬じゃダメか? 冬って生命の終わりって感じがするだろ」

「もし仮に君が冬を選ばないとしたら、君の答えはどんな感じ?」

「夏を選ぶ理由じゃなくて、冬を選ばない理由、ねえ。そうだな。寂しいから、かな」

「寂しいの?」

「……少しだけな」

「ごめんね」

「感謝したいぐらいだよ」


 彼女が何に謝ったのかは、わからない。正解も不正解も言わなかった。解の無い問いだったか、あるいは何を答えても正解だったか。

 寂しさを味合わなくて済むのなら、俺は確かに感謝したいぐらいだ。


「でもね、寒さは寄り添う理由になるんだよ」


 そう呟きが聞こえた。馬鹿だな。暑さは触れ合わない理由にはならないというのに。熱くなった右手の感触は、少し汗ばんでいて、少し温かかった。


 それから、一体何を話しただろう。他愛の無い事ばかりだった気がするし、とても大切なことだった気がする。自販機で飲み物を買って、公園の池の隣のベンチに座っていた。夕方には歩道橋の上で落ちる夕日を見送った。真っ赤な落日は、確かに世界の終わりがした。アイスを買って二人で分けて食べた。それから、終わり行く世界が見たくて、俺たちは小高い丘の上に来ていた。この町は明るすぎず、暗すぎない。寝転んだ先の夜空は、落胆するほど星が見えないわけでもなかったが、感動するほど星を見せてはくれなかった。


「作り物のプラネタリウムの方が綺麗ってのは、なんだか腑に落ちないよな」

「当たり前でしょ。綺麗なところだけ切り取るのが、人間の得意技なんだから」


 妙に納得した。綺麗なものだけを切り取る、か。

 もし世界が綺麗なものだとしたら、人間はそれを切り取ってしまうのかもしれない。

 そのまま、人々が静まるまで、ダラダラとしていた。


「世界が終わるのが夏でよかった。冬だったら、凍えて死ぬ」

「ナイス終末ジョーク」

「嬉しくないお褒めをありがとう。ああところで、世界が終わるのが、嬉しいんだよな、君は」

「どうして?」

「なんだか嬉しそうだったから」

「酷い答えもあったもんだよね」


 そういうと彼女も寝転んだ。冷え始めた土の感触は存外に気持ちが良い。


「残念だけど、不正解かなもしくは部分点」

「そうか。ちなみに、答えは?」

「言ったら価値がなくなるから、言わない」

「そうか」

「ねぇ」

「なにか?」

「………………ねぇ」

「いや、わからないんだが」

「意気地なし。朴念仁。無神経」

「ああ、はいはい」


 二人は一つになる。俺の世界が、少し揺らいだ気がした。ああ、この世界は不正解の解答だっけ。まあ、いいか。


「わたしたちは、42グラムになれるのかな」

「それは、わからないが」

「誰もいけない下の下まで、わたしと落ちてくれる?」

「その口説き文句、最高にイかれてるな」

「ちょっとキャラ間違ったかも」

「嫌いじゃ無いしむしろ好きだけど」

「重くない?」

「沈んでいくには重くないとだろ?」

「そういう意味じゃないし女の子に重いとか言わないでよね」

「やっぱり、君の方がめんどくさいよ。絶対に」


 繋いだ感触だけを残して、自然と瞼が落ちる。視界は暗闇だけになり、残るのは、頬を撫でる風と、あと一つ。意識が沈み込んでいく感覚がした。


「ねぇ」

「世界の終わりも、悪くないな。明日に怯えなくて済む。幸せだった今日より不幸せだったらという、不安がまとわりつく明日に」

「居場所の話、したよね。ここで、いいの?」

「よく覚えてたな。……ここで、いいよ。ここがいい。君の隣だったら、どこでも」

「……それは、ズルイと思うなあ」

「じゃあ、お返しをくれよ」

「わたしが嬉しかったのはね、君と終われるからなんだ。看取るでもなく、別れるでもなく。この日々がずっと続けばいいのにって、思ってたから。このまま世界が終わったら、幸せな日々の感覚を持っていける気がして」

「ありがとう。ご馳走様。価値は、なくなるどころか増えたな」

「こちらこそ。恥ずかしいよ、これ」


 ゆるり、ゆるりと、落ちていく。全てが曖昧になる。このまま無くなるなら、繋いだこの手の感触だけは、最後まで持っていたい。


「わたし、君と出会えてよかった」


 耳に抜けた愛しい声を最後に、真っ逆さま、落ちていく。どこまでも、どこまでも、終わりの方へ。

 俺が世界の終わりと一緒に溶けてしまったのか、あるいは何事もなく翌朝目を覚ましたのかどうか、俺はまだ、知らない。だけど。


「また、会えるよ」


 それがどこだとしても。きっと。

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