第9話 悪の怪人とショータイム
月曜日、秘密の撮影会から初めての部活だ。
部室の扉を開けると先にイマムラとアケミがいた。「お疲れでーす」とイマムラが言う。少し後れてアケミも「お疲れ」と続く。いつも通りだ。俺もいつも通り「おいすー」と挨拶した。至って普段と同じように振舞えていると思う。
アケミは一番奥の席で読書をしていた。これもいつも通りだ。何やら細かい文字の書かれた文庫本に集中しており、こちらのことを気にする様子などまるでない。薄めの唇はきゅっと締まっていて、黒目がちの目がせわしなく上下に動いている。うん…やっぱりこいつ、黙っていればそれなりに…なんだよなあ。
イマムラがいるところであの話もできないし、しばらくは普通に部活をしていることにした。イマムラが将棋のリベンジをしたがってきたので、それに応じることにする。
しかし普通に部活をしてしまえばアケミと二人っきりになることなどなく、この日はついに撮影会の事について話すことは結局なかった。
俺は正直ほっとしていた。アケミは普段と同じように接してくるし、実はそれほど月曜日のことを気にしていないかもしれない。もしかしたらこのまま「なあなあ」のままでやり過ごせるかもしれないぞ。水曜日には第三の箱のレプリカがお披露目できるだろうという先生からの情報もあって、水曜の部活はワクワク気分終わることができた。
で、その水曜日、運が悪いことに一週間前のテストが帰って来た。結果は予想通り散々なもので、最近の課題提出率の悪さと相まってとうとう教師を怒らせてしまった。放課後に急きょ補修が組まれて、部室につくのがいつもより一時間ほど遅れてしまった。
よりによって箱の中身お披露目の日に残らせるなんてと教師を恨むが、流石に最近の勉学に対する態度は見直すべきところがあったと自覚しているので、甘んじて受けた。補修の最中も発掘物でわいわい遊んでいる部室の様子が頭の中に浮かんできて、とてもお勉強どころではなかったが、課題をそれなりのデキで仕上げ、急いで部室棟へ走った。
「ごめんなさい、遅くなりました!」
と言って間もなく、部室に重たい空気が漂っていることに気が付いた。肩をがっくり落とした三人が机を囲みながら俯いている。何だここは!?入る部室を間違えたか!?念のため一度部室を出てみるが、扉横の表札には間違いなく「考古学部」とあるし、机の周りにいる三人も間違いなく考古学部の面々だ。
部室の入り口でうろちょろしている俺に向かって、ミヤコさんがのっそり顔を上げて言った。こころもち青い顔をしている。
「おお、来たなソネくん。まあまあ、こちらに来てブツを見てくれ。いやはやこれが、何と言うか、大変な代物でね…」
ミヤコさんが体をどけて俺に机の上の代物を見せてくれた。
そこにあったのは、一着のワンピースだった。ピンクを基調とした生地で作られている。下はミニのフレアスカート。上は背中が大きく開いた構造になっている。あん?これと全く同じものを、俺は最近見たことがあるぞ。ワンピースの側には同系色のマントと、二枚のアームカバー、異様に丈の長い帽子、銀髪ショートのウィッグ、そして先端に珍妙な飾りが付いたステッキまで並んでいるではないか。
「なんてことだ、ハハ」
面白いことなんてないのに、横隔膜のあたりからがひくついててくる。
「魔法少女戦士は実在したんだ」
目の前にある衣服は間違いなく先週にお披露目された人形が着ていたものだった。全体の配色からディテールの作りまで全く同じなのだ。つまりあの人形のモデルになった者が実在したということである。
なんてことだ!前史には魔法を使える人間がいたのだ!これは考古学だけでなく人間の世そのものを覆しかねない大発見だぞ!
力なく笑う俺の肩にミヤコさんがそっと手をかけて優しい口調で言った。
「そう考えたくなる気持ちも分かるが、どう考えたって私たちの説が間違っていた考えるのが自然だ。ここはしっかりと現実を見よう」
そう、前史の人類が魔法を使えたなんて、そんな話あるわけがない。あるわけないことは分かっているのだが、その可能性にどうしてもすがりたかった。だってせっかく一年生三人で編み出した結論だったのだ。ミヤコさんの御墨付までもらって、自分でもいい仕事ができたと思っていた。それを簡単に諦めきれるはずがない。
入部一番のファインプレーをふいにされた悔しさに、思わず肩が震える。隣のイマムラは目線を下に落として唇を噛んでいる。きっと俺と同じ気持ちに違いない。イマムラもミヤコさんに褒められて嬉しそうだったもんな。アケミも…。
うん?アケミも…。
あれ?アケミ…お前…その顔…。
アケミは、とてもキラキラした目で目線を下に落としていた。イマムラのどんよりとした目とは明らかに違う。彼女の視線の先を追ってみると、そこには件の衣装があった。嬉々とした顔で衣装を眺めているのだ。
ははーん。分かったぞ。コイツ。着たいんだな!? フリフリ・フワフワ・過剰装飾の服を見て、猫耳ハウスワーカーの時と同じように、この服を着てみたくなっちゃったわけだ。相も変わらず分かりやすい奴である。
「こんな状況でなんて呑気な!」と言ってやりたくもなったが、諦めきれずにうじうじやっている自分たちと比べればよっぽど前向きと言えるのかもしれない。「魔法少女戦士」は、死んだのだ。俺たちがやるべきことは彼女の死を惜しむことではなく、彼女の死から立ち直ることだろう。
俺はソソソとアケミに近寄ると、型の後ろからヒソヒソ声で話しかけた。
「アケミさ、これ、着たいと思っているんだろう」
アケミはものすごく驚いたみたいで、飛び上がるんじゃないかって勢いで体をビクンと震わせた。「うん?どうした、大丈夫か、アケミくん」と心配するミヤコさんに「OK」のハンドサインを送ると、俺の首に腕をひっかけて後ろに百八十度回転させた。二人でイマムラとミヤコさんに背中を向ける体勢になってから、アケミが耳打ちをしてきた。
「なんで分かった?」
「アケミの顔を見たらそら分かるよ」
「はぁ!?何それアンタ読心術の心得でもあるわけ!?」
「お前の表情が分かりやすいだけだよ」という言葉は腹の中に収めておく。表情が出やすいことを意識されて変に修正されたらつまらない。
「まあ、それはともかくさ、実際どうなんだよ。着たいのか、そうでもないのか」
アケミは下を向いたままで、質問に答えてくれない。
「どうしたんですか二人とも。後ろを向いて、なにやっているんですか?」
「ほら、イマムラも不審がっているぞ。答えるなら、早く」
「忘れ物…」
「うん?」
「今日またここに、忘れ物しにきなさい」
アケミは小声でそう言うと、クルリと二人の方へ向き直り、「なんでもない、なんでもないよ、ハハハ」と下手くそな作り笑いでごまかした。
今度はきちんと扉をノックする。コンコン。誰もいない部室棟の廊下に渇いた音が響き渡った。「入って」とぶっきらぼうな言い方でアケミがすぐに返事をよこしてくる。ミヤコさんとイマムラが部室を出てから二十分後、俺は再び部室に足を踏み入れていた。
アケミはいつも通り、奥から二番目の席に足を組んで座っていた。服装は制服のままだった。一応「扉を開けたらそこには魔法少女戦士が!」みたいな急展開も覚悟していたのだけれど、その心配は杞憂に終わった。アケミは目線を落としたまま何も言わないので、とりあえず彼女の向かいの席に腰かけることにした。
席に着くと、今この瞬間、俺が恐れていたアケミと二人っきりというシチュエーションにあることに気が付いた。余計なことを思い出してしまった。やはりあの「可愛い」の意味について弁解しなければいけないのだろうか。アケミが黙っているのもそれを気にしてのことなのか?急に動悸が早くなってきた。
何か、言わなければ。でも何て言う?そういえば自分の気持ちまでなあなあのままにしっぱなしだったな。
俺が言い淀んでいると、アケミの方がようやく喋り出した。
「率直に言うわ。私はあの服が着てみようと思う」
俺は物凄くほっとした。金曜日の撮影会でのことについて気にしていないようだな。胸を撫でおろす俺を気にする様子もなくアケミはさらに続けた。
「でもね、それはただ単に私が着たいからって理由じゃないの。私が着てみて、初めて見えてくるものもあるかもしれないじゃない。つまりは『実践』よ。実際に着てみることで、この衣装を着ていた人物が何者なのか探ろうというわけね。先週の猫耳ハウスワーカーのユニフォームを着ていた時もそう。私が実際着てみることで、何か新しいことが分からないか、試していたのよ」
なるほどそうきたか。あくまで部活のためであり、個人の趣味ではないということを主張したいんだな。それにしてはカメラの前でノリノリだった気がするけれど。
しかし、アケミの言うことはもっともだ。アケミが着てみることで、人形のモデルが何者なのかを推理する手掛かりになるのは間違いない。一石二鳥と言うわけだ。まあ、主たる目的は「衣装を着ること」なんだろうけれど。
「オーケー。よし、じゃあ早速着替えなよ。また撮ってやるからさ。外で待ってるから、着替え終わったら声かけてよ」
「うん…そうしたいのはやまやまなんだけれど、今日はちょっとできないから、日程の打ち合わせをしようと思って」
「なんで今日無理なんだ?必要なものは一通り揃っているじゃないか。あ、もしかしてフィルムが切れているとか?」
「いや、カメラフィルムはまだ十分にあるんだけれどね。今日は私にちょっとした用事があってね。ハハハ」
アケミがそう笑って見せたが、この顔はつい一時間ほど前にミヤコさんとイマムラに見せたごまかし笑いと全く同じものだった。こいつ、この期に及んで何か隠そうとしているな。
「用事って…着替えて撮るだけなら三十分もかからないだろう」
「だから、すぐ帰らないといけないのよ。さっさと日取りを決めちゃいましょう。私は早い方が良いわ。明日の放課後にここっでていうのはどう?部活がない日なら、時間に余裕を持って活動できるでしょう?鍵の方は適当な理由つけて私が先生から借りておくから。これでいいわよね?」
なんだか、やけに強引に話を進めたがっているなあ。よっぽど知られたくないことを隠しているとみる。
「用事って何時から?」
アケミがちらりと掛け時計に目をやった。
「七時半から…」
「何の用事があるの?」
「え、えーと親と食事を…」
アケミの目が泳ぎまくっている。これだけ嘘をつくのが下手くそな人間もちょっといないな。
「アケミの親って共働きだろ?その時間帯に誰か家にいるのかよ」
アケミは小刻みにわなわな震えた後、大声を上げて開き直った。
「…あぁもう!なんでアンタはそうなんでもお見通しなの!いいわ、本当のことを言うわよ!脇よ脇!今日は処理が甘いからこんな格好で写真なんて撮れないの!そういうこと!分かった!?じゃあ帰るから!カギ締めるのよろしくね!」
そう吐き捨てるとアケミは嵐のように去ってしまった。台風一過、俺は水を打ったように静かな部室の中一人佇んでいた。なるほど、脇ねえ。女の子には色々あるんだな。
部室のロッカーを開けて、改めて(旧)魔法少女戦士の衣装を眺める。このポップなデザインとビビッドな色彩はミヤコさんよりもむしろアケミに似合うんじゃないかと俺は思う。頭の中でこの衣装に袖を通したアケミを想像してみる。アイツの目は、あの人形ほどではないにしろクリクリしているから、結構いける気がするぞ。
念のためフィルムの確認をした後、部室の電気を消してカギを締めた。真っ暗で誰もいない部室棟は不気味だ。誰もいないはずなのに、誰かに見られている感じさえする。年柄もなくびくりと体を震わせてしまった。職員室の灯りに向かって駆け足で向かった。
翌朝凄く寝覚めが良くて、自分で自覚している以上に今日の撮影を楽しみにしていることが分かった。
日中の授業もほとんど頭に入ってこなかった(いつも通りと言えばいつも通りなのだけれど)。衣装と小道具は部室に置きっぱなしにしてあるし、カメラのフィルムも十分にある。準備万端なはずなのだが、なぜかそわそわしっぱなしで仕方がなかった。
かったるい日中の授業が終わると急いで部室に向かった。ドアノブに手をかけると、予想通り鍵がかかっていた。ドアをノックすると「着替えているから待って」とアケミの声が返ってきた。俺はドアに背を向けると、壁にもたれかかった。コンクリートの壁はひんやりとしていて、興奮しているの俺の頭を少しだけ冷静にしてくれた。心の中で今日やるべきことを反芻してみる。
もちろんアケミの「趣味」に付き合ってやることも第一の目的なのだけれど、今回の裏テーマは(旧)魔法少女戦士の検証だ。実際に等身大の(旧)魔法少女戦士を見て、その印象を分析しなければならない。撮影に夢中になりすぎず、クールで理性的な目線を持つことを心掛けておこう。
部室のドアが内側から三回ノックされる。これはアケミが着替え終わったという合図だろう。間もなく鍵が開錠される音がした。生唾を飲んだ。緊張感が一気に高まる。クールに、努めてクールにと自分に言い聞かせながらドアノブを回した。
立て付けの悪いドアを開けると、そこはもう部室ではなかった。アケミとその衣装が作り出す未知の世界がそこには広がっていた。俺は思わず口にしてしまった。
「これが…前史の世界か」
(旧)魔法少女戦士の衣装を身に纏ったアケミは、想像した以上にあの人形とそっくりだった。もう、アケミをモデルに人形が作られたのではないかと思ってしまうくらいだった。アケミの幼い体格が人形のそれとぴったりなのだ。これはミヤコさんには真似できないアケミの個性だ。ミヤコさんでは大人っぽすぎてこの衣装を着こなせなかっただろう。
「ど…どう?似合っている?」
アケミが恐る恐る聞く。似合っているどころじゃない。こんな言い方はおかしいのかもしれないが、もはや「生き写し」だ。
「おお、似合っている。似合っているよ…」
「ほ、本当?良かった…」
アケミはホッとした表情を見せた後、すぐに真面目な顔に戻した。部活をしている時のアケミの表情になった。
「それで、実際私が着ているのを見てどう思う?この衣装を着た人間が何者か、何か新しいアイディアは浮かんだ?」
「そうだなあ…」
改めてアケミの衣装を上から下までまじまじと見てみる。
露出は多いのだけれど、アケミの体格が幼いぶんエロさはほとんど感じない。どちらかといえば軽やかでエネルギッシュな印象だ。マントと帽子があるおかげで知性も演出されて、これは、何と言うか…。
「まさに、魔法で敵と戦う少女の衣装って感じだな、これは。もうそれ以外考えようがないよ」
結局、先日出した結論に戻ってしまった。俺の腑抜けた解答にも、アケミは静かに頷いてくれた。
「やっぱり、アンタもそう思う?実は私も、着てみて同じよな印象を持ったの。脇が開いていて凄い動きやすいのよね。スカートも丈が短いぶん脚を邪魔しないから、スパッツのようなものさえ履けば運動性に問題はないわ。むしろスカートで激しい運動をしようと思ったらこのデザインじゃないと無理なのかも」
なるほど、この意見は衣装を着たものにしか分からないから貴重だな。もしかして、「昔の人間は魔法を科学のように使いこなしていたのですよ!」というちゃぶ台どんでん返しもありなのか?
「悩んでも仕方ないわ。とりあえずここはパパッと撮影しちゃいましょう?撮ってみて分かることも有るかもしれないじゃない?」
アケミの言う通りだ。悩むということは足踏みすることと同じである。とりあえず体を動かしてみれば思考もそれに付随して動いてくるものだ。
備品ケースからカメラを取り出してシャッターをアケミに向ける。
「そいじゃあ、始めるぞ」
「待って、ポーズはどうすればいい?」
「そうだなあ、とりあえずステッキの先をこっちにむけてみて。ちょうど剣を構えるみたいにさ。そそそ。良い感じ」
俺は前回のように、アケミを絶えず褒めながらどんどんポーズを要求していった。
今にも目の前敵を叩き潰さんとステッキを大きく振りかぶってみたり。逆さまに立てたステッキの柄に肘をひっかけてクールに決めてみたり。ちょっと煽情的にマントをはだけて流し目をレンズに向けてみたり。試しに両手を大きく上げるポーズを撮らせてみたところ、きちんと脇の毛は剃られていた。剃り残しは何一つなく、アケミのプロ意識に感心した。
アケミは俺の指示に対して忠実にポーズを決めてくれた。ただ俺に従うだけでなく、時々アドリブを入れてきたりして、前回以上にノリノリな様子だった。俺は彼女がポーズをきめるたびに「いいねー」「素敵だねー」と言いながらシャッターを切っていった。「可愛い」という言葉はもちろん封印しておく。
俺は五分ほどの間で三十回ほどシャッターを押したと思う。三十枚の写真全てが傑作だ。思いつくポーズは全て撮りきったので、ファインダーから目を切ってカメラから手を離した。アケミは大きく振りかざしていたステッキを下げた。
「あ、もう終わりなの?そっか…」
「なんだ、随分寂しそうに言うな」
アケミは「んー」と否定とも肯定ともとれる唸り声を発した後、少し顔を赤らめながらゆっくりとした口調で話し出した。頬に垂れていた髪を耳の後ろへかき上げる。
「うん、実はちょっと寂しいんだよね。私、結構今日の事楽しみにしていたから」
「俺も楽しみにしてた…」と言いそうになったが、止めた。これを言うと、なんだか変な雰囲気になりそうだったから。アケミは続ける。
「もともとね、小さいころからこういう可愛い恰好に憧れていたんだけれどね、実際着てみることは無かったし着てみたいと言うことも無かったの。私ってがさつな人間だし、そんなの着たら笑われると思っていた」
がさつ…とは少し違うと思うけどな。ものの言い方がストレートだけれど、あれで中身は繊細だと思う。それに本人は気が付いていないのだろうか。まあ良い、話を聞こう。
「でもこの前、ミヤコさんが猫耳ハウスワーカーの服を着ていた時、ホント可愛いと思ったの。前史の人間のセンスって凄いと思った。それで我慢できずに、みんなが帰った隙をついて着ちゃったら…アンタが来たわけね」
アケミがはにかんで俺の目を見つめた。心臓が少し跳ねた。
「びっくりしたけれど、実は少し…少しだけれどね、嬉しかったの。多分、誰かに見てもらいたいって気持ちがどこかにあったんんでしょうね。扉にカギをかけ忘れたのも、無意識で誰かが入ってくるのを望んでいたのかも。それでアンタに褒めてもらえて、写真まで撮られて、なんというか、そのね…気持ち良かった…」
紅潮した顔でそんなことを言われると、胸がわなわなしてくるぞ。落ち着け、落ち着くんだと念じても、いや念づれば念づるほど、胸のざわつきは大きくなった。
「それで今回も楽しみにしていたんだけどさ…まあ、何が言いたいかってね、これで終わりっていうのは物足りないってこと!またこの撮影会、続けない?だってほら、まだこの衣装の使い道の結論は出てきていないわけだからさ。例えば、今度は悪役とかを配置して、戦いをシュミレートしてみたりね…」
なるほどね、アケミはそんな風に思っていたんだ。これがアケミのありのままというわけか。
アケミが素の自分をさらけ出したおかげで、俺の中で魔法少女戦士の変身が溶けてしまった。そこにいるのは、紛れもなく一人の女子高生としてのアケミだった。思春期真っ盛りの、瞳がきれいで、恥ずかしさで頬をほんのり紅潮させて、下半身には下着と腰巻を身に着けただけのアケミである。
俺はそのアケミと二人っきりで部室にいる。今になってその事実が急に眼前に迫ってきて、俺の心拍数を倍増させた。
アケミと部室にいる時は、いつもミヤコさんかイマムラが一緒にいた。その二人は今部室にはいない。それどころか今日が本来は部活が休みの日だから、もうこの学校にすらいない。
校舎の隅の、誰も来るはずのない教室で、アケミと俺、二人ボッチ。
いやいや、だからどうしたという話である。男女二人で一つの空間を共有する、それだけで一々事件が起こっていたら、世界の人口は今の倍じゃすまないぞ?
あ、でも今回は前回の「可愛い」の布石がある。あの「可愛い」が「好き」という感情の一歩手前にある「可愛い」だとしたら?好きな女の子と二人っきりになったら勝手に体が動いちゃうのも仕方がないんじゃないか?むしろアケミもそうなることが分かっていて俺と二人きりの状況を作り出したんじゃないか?
いやいやいやいや、落ち着け。まずは深呼吸だ。ミヤコさんの言葉を思い出すんだ。「理性の光で古代文明を照らし出せ」。考古学部たるもの、常に理性的であることを心掛けなければならない。
今アケミに手を出したらどうなるか、その頭で考えろ。皆悲しむし、人間関係は崩壊するぞ。そんなのまっぴらごめんだろ?そうそう、ようやく冷静になってきたじゃないか。一時の感情で自らの人生を駄目にすることはないんだ。努めてクールに。理性的に。
火照っていた脳みそが段々と冷却されてきた。よし、いつもの理性的な俺に戻りつつあるぞ。改めて目の前のアケミを見る。着ている物こそ違えど、そこにいるのは間違いなくアケミだ。あの口が悪くて、厭味ったらしいアケミ。
どうだ?そそられるか?
無いだろ!?よし、これでいつも通りの俺に戻れたぞ。
時計を見ると撮影開始から三十分経っていて、もうそんなに経つのかと驚いた。それほど熱中していたのかと自分でも半ばあきれた。
「まあ、次の撮影も考えておくか。あ、フィルムが一枚余っている。使い切っちまうか。アケミ、なんか好きなポーズ撮りなよ」
「そうだなあ、じゃあこういうのはどう?『どこからでもかかってきなさい!』みたいな」
アケミがそう言いながら、芝居がかった動作でマントを翻した。
とその時、マントによって起こった風に混じって、発掘調査の後にいつものバンで嗅ぐあの匂いがかすかに鼻孔をくすぐった。そういえば、アケミのクラスって七限目はイマムラのクラスと合同体育をしていたんだっけか。
アルカリ性の酸っぱさと果物の甘さが混じったような、独特で、生命のエネルギーを感じさせる匂い。
そうか、あれの正体はアケミの汗と制汗スプレーが混じった匂いだったのか。
それに気が付いた瞬間、俺の中で何かがはじけた。
人には脊髄反射というものがある。脳味噌と関係なく体が勝手に動いてしまうのだ。それはまさに脊髄反射だった。まるで何者かに弾かれたように俺の両腕が素早く動いて、アケミの肩を抱いていた。
アケミが目を見開いて、驚いた顔でこちらを見ている。見ているだけで、は何も言わない。それとも何も言えないのだろうか。
俺は完全に舞い上がっていた。アケミの肩が温かさだけがリアルに感じられた。頭は完全にこんらん状態になっていた。
こっからどうする!?どうするんだ俺!?どうすればいいんだ!?今から退けるのか!?それとももはや押すしか選択肢の無い状況なのか!?押し倒したらどうすればいいんだ!?部活時間内に終わるものなのか!?
などと目を回していると…。
「ドガアアアアアアアアアン」
突然、俺の背後で扉が蹴り開けられる大きな音がした。俺は驚いて「ヴェエ!」と牛がひき殺されたような叫び声をあげてしまった。慌てて後ろを振り向くと、真っ黒な全身タイツを着た四本足のフクロウが中に入ってきていた。四肢は人間のそれなのに、顔だけがフクロウなのだ。
アケミを前にしてパニックになっていたところに謎の怪物の闖入が重なって、俺の頭は完全にパンクして、冷静な判断力を失ってしまった。目の前の怪物はギョロっとした目でこちらを睨みつけている。これから俺はどうなるんだろうか。恐怖で脚ががたがた震えている。
「そうか、お前はは自ら私の盾になってくれたんだな」
アケミが、俺の胸の影から怪物を覗いている。俺は未だにアケミの肩を抱いていたようだ。
「アケミ、これはいったいどういうことなんだ?いったいこの怪物は何者なんだ?」
「分からない。魔法少女戦士の格好をして居たら、いつのまにか魔術とメルヘンの世界に迷い込んでしまったみたいな…」
「そんなことってあるのか!?」
「分からない。ただ一つ確かなのは、この怪物を排除しなければ先はないってことだな」
アケミが、肩に乗っていた俺の手をどけた。
「これが最後になるかもしれないから言っておくよ。私の盾になろうとしてくれて、ありがとう。少しカッコよかったぞ。後は私に任せておいてくれ。こいつを退治することは私の役目だからな」
その堂々とした振る舞い、まさに俺が思い描いていた魔法少女戦士そのものだった。なんてことだ!アケミも魔法少女戦士の格好をしていたら、本当の魔法戦士少女になってしまったとでもいうのか!
「そんな!アケミも逃げてくれ!あんな怪物、戦ったって勝てっこねえよ!」
「ふふ、心配しないで。だって私は」
アケミは俺の前に出てステッキを手に取ると、扇風機のように両手でぐるぐる回して見せた。
「だって私は魔法少女戦士なのだからな!」
ステッキの頭部を怪物に向けてアケミがポーズを決める。その洗練された立ち振る舞いに俺は確信した。ここにいるのアケミは、間違いなく魔法少女戦士なのだと。
「戦うって決意、変わらないんだな」
「ああ、もちろんだ」
「じゃあ、生きてかええれ。最後とか言うな。いつか保留してたお願いがあったな。今使う。『生きて帰ってくれ』って、それだけだ」
アケミが優し気にほほ笑む。駄目だ。そんな顔しては。そんな顔をして戦場から生きて帰った人間を俺は知らない。
「お前はお人よしだな。分かった。その願い、聞き入れたよ。私が魔法少女戦士だってこと、学校の皆には内緒だぞ。さあ、ソネは窓から逃げて!」
アケミのことは心配だが、俺がこの場にいても彼女が戦いにくくなるだけなので、換気用の窓を開けて部室棟から外へ逃げ出した。
助けを求めるため先生たちがいる教室の方へ走る。すると後ろから「どこに行く!お前の相手は私だ!」というアケミの声が聞こえてきた。振り向くとフクロウの怪物が俺を追いかけてきているではないか!
ヤツの狙いは俺だったのか!?しかしなぜ!?今までフクロウなんていじめたことはおろか、会ったことさえないのに!
考えている暇はない。今はとりあえず、怪物から逃げなければ。そして誰か頼りになる人間の助けを…。
がむしゃらに走っていると、いつの間にか中庭に着いていた。西校舎と東校舎と両者を結ぶ渡り廊下によって区切られた芝生の空間で、花壇や水道が設置されている。
フクロウは案外体力がなくて、走るスピードが落ちてきていた。飛べばいいのにと思ったが、どうやらコイツ、顔以外フクロウ要素はないらしい。ていうか、ステッキを持ったアケミにも追いつかれている。どれだけ鈍足なんだこいつは。
アケミが大きく振りかぶってステッキを振り下ろす。フクロウ人間は転がりながら攻撃を避けると、すぐに体をおこしてしてアケミと向かい合った。中庭の真ん中で、魔法少女戦士と怪物がにらみ合う。
逃げている場合ではないと思った。俺はこの戦いを見届けなければならない気がする。
騒ぎを聞きつけた生徒たちが、「何が起こっているんだ」と、ちらほらと窓を開けて中庭を見ている。アケミはギャラリーに気が付くと、表情をより一層引き締めた。
「罪のない私の大切な仲間を傷つけるなんて!絶対許さないんだから!」
と魔法少女戦士が誰に言うでもなく説明すると、ステッキの柄をクルクル回して、部室でやったポーズをもう一度決めた。四方のギャラリーから「おー」と声が上がる。
剣を構えるようにステッキをフクロウ怪人に向けながらアケミがゆっくりとフクロウとの距離を詰める。フクロウはじわじわと後退していきついに花壇の際まで追いやられた。
さあステッキの間合いに入ったぞというところでフクロウはしゃがむと、花壇の土を握ってアケミの顔に投げかけた。なんと、目つぶしだ攻撃だ! 向こうも戦いに慣れているということか。不運にも土が入ってしまったようで、アケミは顔を覆って目を開けられないでいる。
「汚えぞ!」とギャラリーからヤジが飛んだ。
フクロウはこの隙を見逃さず、鋭い嘴をアケミに突き刺そうとする。アケミはすんでのところでかわし、目をこすりながら体勢を立て直した。口の中に土が入ったのか、ペッと一つ唾を吐いた。フクロウはいつの間にか花壇に突き刺したままになていたスコップを手にしている。あれを武器に対抗しようというのか。
「女の子の方の武器はリーチが長く威力も抜群だがその分隙も大きい」
「ああ、小回りが利く武器で懐に入られたら危ないな」
誰かの会話がどこからともなく聞こえてくる。確かにその通りだ。これは形勢が逆転してしまったかもしれない。アケミ、危ないと思ったらすぐに逃げてくれ!
しかし、アケミはこの不利な状況に怯むことなく、微かに笑みさえ浮かべていた。
「ふーんあなた、どうやら勘違いをしているみたいね。どうせ、私を、ステッキを振り回すしか能がない女と思っているんでしょ。見せてあげるは私のとっておきを」
フクロウも含めて皆がアケミの話に引き込まれていた。とっておきとはなんだろうか。やはり魔法少女戦士なんだから、魔法を使うのか?
アケミはステッキを短く持つと、「えいっ」と一歩踏み込み素早くフクロウの手を叩いた。
「いたっ」とフクロウ怪人が声をあげた。こいつ日本語喋れるのか!右手を叩かれたフクロウ怪人はスコップを落としてしまった。
「へー」「やるじゃん」とギャラリーから感心の声が聞こえる。
俺が思っていたのとは大分違ったけど、何にせよ形勢逆転だ。地味だけれど、そういう器用さも戦士には必要だものな。
困ったフクロウは頭を前のめりにしてミヤコさんに突進してくる。またしてもの嘴攻撃。
「私に同じ技は通用しないよ!」
アケミは素早くマントを外すと猛進してきたフクロウの頭に被せた。なるほど、フクロウの目つぶしをアケミなりの形でお返ししたわけだ。今までマントで隠されていた短い腰巻が露になって「はああ」という感嘆のため息が男性陣から上がった。
そんな男子どもの劣情など気にするそぶりも見せず、アケミはステッキを、大きく振りかぶった。前が見えず右往左往するフクロウ人間にとどめを刺すつもりだ。
「あなたにも土の味を教えてあげる」
アケミがステッキを振り下ろし、マントの中でもがいているフクロウに重い一撃をくれてやった。その衝撃で周りの空気が揺れる(気がした)。怪人は土上にうつ伏せでぺしゃんこになってしまった。アケミの、魔法少女戦士の勝利だ。
再び「おー」という声がギャラリーから上がった。どこかから指笛も聞こえてくる。アケミが俺の方を見て、やんわりと目で笑ってみせた。俺は感動のあまり涙を流しそうになっていた。俺のためにここまで体を張って頑張ってくれる人がいるなんて。こんなにありがたいことはない…。
俺は中庭の真ん中で、俺は立ち膝をついて感傷に浸っていた。俺を命がけで守ってくれたアケミの優しさに感動して俺は半ば放心状態になっていたのだけれど、渡り廊下の方から聞こえてきた、
「ずいぶん派手にやってくれたな、君たち」
の一言にはっと我に返り、俺は後ろを振り返った。声の主はミヤコさんだ。ミヤコさんが肩をいからせてずんずんこちらにやってきている。
「ミヤコさん、大変なんです、フクロウの怪人がいきなり部室にやってきてですね…」
「君、いつまで平行(べつレ)世界(イヤー)にいるつもりなんだ。もう『おままごと』は終わりにしなさい」
ミヤコさんが控えめに俺の後頭部をぶった。骸骨の中がグランと揺れて、脳みそが軌道修正された。
魔法の世界への旅行が終わり、俺は現行世界に戻ってきた。
頭がパニくったせいでなんだか妙なテンションに巻き込まれてしまったが、冷静に考えればアケミが魔法少女戦士になるはずはないし、フクロウ怪人がこの世界にいるはずもない。当たり前のことだ。
全ては幻影の中で行われたごっこ遊びだったのだ。「常に理性的であれ」なんて念じてきたのに、結果がこれでは全く意味がないじゃないか。
「にしてもこのフクロウ、どうしましょうか。先生呼びます?それとも保健所とかに連絡し他方がいいんですかね」
「君、まだ微妙に混乱しているんだな。これ、どう見てもイマムラくんじゃないか。状況からして分かるだろう。てっきり打ち合わせ済みなのだと思っていたが」
ええ!?これイマムラなの!?確かに、地面でのびているフクロウ怪人の体格はイマムラと似ている気がする。しゃがみこんで恐る恐る「イマムラなのか?」と怪人に声をかけると、「そうですよ」とフクロウの顔の中からイマムラの声が聞こえた。
「ウソッ…、イマムラ…まさか敵の幹部に操られていたというの…!」
「アケミくんもまだ夢の中だったか!君もいい加減に目を覚ませ!」
ミヤコさんが俺と同じようにアケミの後頭部を叩いた。アケミははっと我に帰ると、瞬間湯沸かし器のごとく顔を赤くした。
「私、人前でなんてことを…!」
「大丈夫、帽子をかぶっているから人相は分からないはずだよ。色々言いたいことはあるが、ここでは目立つから部室に戻ろう。ほら、イマムラ君も立って」
ミヤコさんがイマムラに手を伸ばして、フクロウ怪人もといイマムラを引き起こした。
と、その時、周りのギャラリーから拍手が起こった。一人が始めた拍手はどんどん辺りに伝染していった。
「良いショーだったぞ!」「ブラボー!」「かっこよかったよ!」
と歓声も聞こえてくる。
アケミの顔を覗いて見た。ちやほやされてニヤニヤしているのだろうと思っていたが、違った。アケミは唇をキュッと結んで、表情は硬く締まっている。温かく見守ってくれたギャラリーを有難く思う気持ちが、もてはやさられる喜びを勝ったのだろうか。
ミヤコさんがアケミの肩にそっと手を置いた。
「主役は君だ。拍手に応えてやったらどうだ」
アケミは一歩前に出ると、腰を九十度に曲げて恭しくお辞儀をした。その瞬間、拍手が最高潮になった。
ギャラリーに見送られた我々は、そのまま部室に直行した。
今、一年生三人が、部室で一列に並んで立っている。誰かに言われたわれたわけではないが、こうするのが自然なのだと皆分かっていた。一番最初に頭を下げなければいけないのは、やはり撮影会の良いだしっぺである俺だろう。
「すいません。勝手なことをして。反省しています」
俺の謝罪をスルーして、ミヤコさんが話だす。
「本当ビックリしたゾ。図書室で自習をしていたら、君の後輩のソネ君がなんか大変な目にあっていると聞いて中庭に行ってみれば…」
「ソネを、そう怒らないでください」
魔法少女戦士姿のアケミが、帽子を脱いで俺と同じくらい深々と頭を下げた。
「全部私の責任なんです。突然のハプニングに舞い上がって、冷静さを欠いて、二人を巻き込んでしまいました。ごめんなさい。あと、勝手に衣装を持ち出したことも、一緒に謝ります。重ね重ねごめんなさい」
俺の頭上で「フゥー」とミヤコさんが一つ息をついた。
「二人とも、頭を上げて。別に、私は怒ってないよ」
「え!?」
「魔法少女戦士の格好をして、仮想敵と戦ってみるとどういう感じになるか試してみたんだろう。その実践の精神、大いに結構だ。考古学部の鑑とさえ言える。怒る要素なんか一つもないよ。ただ…」
「ただ?」
「こんな面白いことをやるなら、私に何か一言あってもいいんじゃないか。私だけ蚊帳の外って、そんなのないだろう」
責めるような口調だった。怒っていないと言いつつも、静かにだが確実に怒っている。珍しく説教するミヤコさんを宥めたのはイマムラだった。
「いやいや、ミヤコさんだけじゃないです。実は僕も呼ばれてなかったんですよ。事情を説明するとですね…」
イマムラがおもむろに語り始めた。
イマムラは昨日帰り道、二日連続で忘れ物をした俺を見ておかしいと感じ、こっそりあとをつけていたらしい。そこで見たのは俺とアケミの怪しい密会現場。部室の換気用窓に耳を当てて中の声を聞くと、どうやら俺とアケミが翌日の放課後に部室で撮影会をすると言っているではないか。
イマムラはここで、はぶられた怒りを感じたという。抜け駆けで何やら楽しそうなことをやろうとしている二人に一泡ふかしたい。と、ここでイマムラに一つの冴えたアイディアが浮かんだ。上手くいけば二人を驚かせるだけでなく、研究を進めることもできるかもしれない。
それが「フクロウ怪人闖入作戦」だった。フクロウのマスクは家にあった人形を加工して自作したらしい。一人綿をくり抜く過程を想像すると少し笑える。
「と、いうわけで、別にミヤコさんだけがハブられたわけじゃないんですよ。というわけで僕は何も怒られるようなことはしてません。怒るならこの二人をどうぞ」
「あ!てめえ!そんな逃げ方すんのかよ!」
「ハァ、まあいいよ。これからイレギュラーな活動をするときは先生か私に一言断りをいれること。分かった?」
三人が併せて頷くと、ミヤコさんはパンと一つ手拍子を打った。
「はい、じゃあ私のお小言はここまで。それで?今回の収穫は、何かあったかい?」
ミヤコさんがやんわりと笑ってみせた。部室の緊張感が一気に緩まった。アケミが控えめに右手を挙げる。
「あの、実際魔法少女戦士の格好で戦ってみて感じたことはいくつかあるんですけれど、あくまで感覚的なものなので…」
「構わないよ。言ってみてほしい」
アケミ一度頷くと、説明を始めた。
「ええっと…実際動いてみると、凄く馴染むんですよね。それにどことなくテンションが上がるというか、気持ちが鼓舞します。ホント、自分が魔法戦士になったような気分を味わえましたよ」
「ユニフォームとは元来そういうものだからな。プライベートと仕事、日常と非日常を区別する着物だ」
「ただあのステッキで殴打するのは少し違うかと思うんですよ。あんまり乱暴に扱うと先端の装飾が壊れてしまうのでこん棒として使うのは向いていないです。殴るんだったらもっとハンマーみたいな構造にするべきです。もしくは先に刃物をつけるとか」
「もしそれだったら、僕死んでいましたね」
「そう、そこがポイントなのよ。これは武器だけれど、敵を倒すためのものじゃないの」
「じゃあ、どういうものだったんですか?」
「格闘技にも、演武とか型というものがあるでしょう。あれと同じようなもので、戦う『真似』をするために用いられた棒だと思うの。」
ミヤコさんが深く頷く。
「なるほどね。するとあの人形との関係性は?」
「あの人形は、私たちが推理したように、魔法の力で戦う架空の存在、魔法少女戦士なんだと思います。そして、それを人間が真似をするためにあの衣装が作られた。そういうことだと思います。今まで、衣装を着る人間がいてから人形が作られたのだと思っていましたけれど、逆ということですね。人形がまずあって、それを模倣するために衣装が作られたと」
俺はアケミの説を聞いて、一人聴衆として感心してしまった。あれだけ「ごっこ遊び」に夢中になりながらも、後でこれだけ冷静な分析ができるとは。
「良い説なんじゃないか?説得力があるし、俺たちが出した説も無駄にならなくて済む。良いことづくめだよ!」
「僕も、良いと思います」
「ミヤコさんはどう思われますか?」
アケミが緊張した面持ちで聞いた。ミヤコさんは右斜め上を向いて「そうだなあ…」としばらく考えてからこう答えた。
「アケミくんは『鼠舞』いというものを知っているだろう?」
「あ、はい。お正月になると、うらやすの方でやっている伝統芸能ですよね。鼠やアヒルの被り物をしながら、電飾がついた神輿に乗って夜の街練り歩くっていう…」
隣県の有名な伝統行事なので俺もよく知っている。ニューアカデミズムの影響ででもてはやされている伝統芸能に一つだ。年々規模が大きくなり、昨年は正月の三日間だけで約五万人の観客を動員したらしい。確か、テレビ中継も行われていたはずだ。その「鼠舞」と魔法少女戦士に何の関係があると言うのだろう?
「それだ。あれの由来はとある神話からきていてね。あのあたりはその昔、鼠やその他動物の神々に支配されていたという伝説があるんだ」
「八百万の神ですか。典型的な日本神道ですね」
「『鼠舞』にはもともと神々の姿をして踊り続けることで、彼らと一体化するという目的があったそうだ。よくあるスーフィズムだね。多分、同じことなんだろうと思う。魔法少女戦士という神話的存在と一体化するため、巫女がこの衣装を纏ったというわけだ。」
「そ、それじゃあ…」
アケミの顔がパァッと明るくなる。
「アケミくんの説に私も賛成だ。実践したかいがあったな」
アケミが「やったあ!」と飛び上がって、イマムラの首にしがみついた。
「アンタが乱入してくれたおかげよ!最初はびっくりしたけれど、ホントにグッジョブだわ!」
「いやいや、そんなに褒めないで下さいよ。悪意からやったことなんですから」
「でもその悪意が無かったら今の結論は出ていないわけだから、結果オーライよ。あ、あとステッキで殴っちゃってごめんね?」
「なんですかそのついでみたいな言い方。あれ、無茶苦茶痛かったんですからね。結構本気でのびていたんですから」
なんか、アケミとイマムラがいちゃいちゃしていやがる。俺は!?俺への感謝は無いのか!?俺が撮影改を定案しなければあの「おままごと」は無かったんだからな!?いや、別にアケミに抱き着かれたいわけでは決してないんだ。イマムラにだけお礼を言って俺には何もなしっていうのはおかしいだろう!?
俺の心の声が聞こえたのか、アケミが振り向いた。「アンタもありがと」と言って右手を差し伸べてくる。なんだ、俺には握手だけかよ、と渋々右手を出すと、ぐいと掴まれて体を引き寄せられた。耳元でアケミが囁く。
「アンタのおかげで色々と自分の殻を破れた気がする。アンタがあの時部室に入ってきてくれて、本当に良かった。その、なんというか…これからもよろしく」
アケミの耳たぶが赤くなっている。クソーやっぱこいつ、しおらしくなると、急に、何と言うかこう…可愛くなるよな。
しかも気味が悪い…というか不思議なことに、鼻先すぐにまで近づいていたアケミの髪の毛からは、あの夢の中で嗅いだのと全く同じシャンプーの匂いがしたのだ。俺は思わず「うわっ」と声を発しそうになった。こんな偶然ってあるのか?いやいやきっと記憶のすり合わせだろ。そうに違いない。でも夢の中ではそんなに思わなかったけれど、この匂いも俺、結構嫌いじゃないな…。
って、駄目だ駄目だ。こんなことを考えている暇などないぞ。何せ全国高校考古学部大会まではあと三週間しかないんだ。説の再考、原稿づくり、発表の練習とやることは盛りだくさんだ。とりあえず今は、自分の煩悩に付き合っている時間があったら部のために何ができるかを考えねば!
今日の活動記録
① あの人形はやはり魔法少女戦士を象ったものだった!
② 魔法少女戦士が先、衣装の方が後。人が魔法少女戦士の真似をするために衣装が作られたのだ。
③ 案ずるより産むがやすし。まずは動いてみるということの大切さ。そして実践することで見えてくるものの多さを改めて実感。
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