第12話 司馬遼太郎の風景

先日、横浜の実家にいる母に、オレオレ詐欺と思われる電話が掛かってきた。

しかし母が、長男の龍太郎を騙るこの手の電話にひっかかることはあり得ない。

どこかから名簿を手に入れたのであろう、オレオレ詐欺グループの兄ちゃんは決まってこう言う。

「俺だよ、リュウタロウだよ。」

どっこい私の名前は龍太郎と書いて「リョウタロウ」と読む。そこで母は、にべもなくこう言う。

「あいにく我が家にはリュウタロウという子供はいません。」

ひねくれた読み方の名前でつくづく良かった。もっとも、息子本人が金の無心をしたところで、シブちんの母親から金を引き出すことはなおさら不可能である。なぜなら私は学生時代、実家に電話をかけて、「俺だよ俺、リョウタロウだよ」などと言って、遊ぶ金欲しさに息子本人によるオレオレ詐欺をさんざん働いていたからである。

オレオレ詐欺に対する予防訓練のために、あえて放蕩息子を演じていたというわけだ。なんという孝行息子であろうか。

しかしあれですな。

オレオレ詐欺業界もあと30年もしたら大変ですな。

「オレだよオレ、黄熊(ぷう)だよ。」とか

「オレだよオレ、光宙(ぴかちゅう)だよ」とか言わなきゃならないわけだろ?

キラキラネームって思いのほか、防犯に有用かもしれん。


さて、なぜ私の名前が「龍太郎」と書いて「リョウタロウ」と読むのかというと、亡き父が、司馬遼太郎の大ファンだったので、その名にあやかったのである。(「遼」の漢字は私が生まれた当時、人名漢字として使用できなかったので、しゃーなしで「龍」で代用したとか。)

野球で人を殺したり、中学生がカツアゲしたお金でビルを建てたりするような、実に破天荒かつアホーな熱血漫画を描いていた父だったが、読み手としては、なぜか非常にお堅い、緻密な歴史小説を何よりも好んだ。


日本人が好きな歴史上の人物で、

坂本龍馬が上位に選ばれるのは、司馬遼太郎の影響に他ならない。

もともと弘法大師信仰は日本各地に点在していたものの、戦後、お大師さまの名声を一気に国民的なものに高めたのは、司馬遼太郎の「空海の風景」、およびノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士のおかげだと思う。

権威と発信力あるセレブリティにレビューしていただく事が、一番手っ取り早い宣伝になる事は、今も昔も変わらない。ジャスティンビーバーによってバズられたピコ太郎も然り。


司馬遼太郎は、弘法大師空海の人間性について、あざとい山師であるかのような、ネガティブな見方をしているのにもかかわらず、「空海の風景」を読んで弘法大師空海を嫌いになったという人はついぞ聞いたことがない。

司馬遼太郎が亡くなって、かれこれもう20年以上になる。かくいう、私の高野山大学の卒業論文は「司馬遼太郎の作品に見られる日本人の仏教観」というテーマだった。参考資料は父の書斎から拝借した。


今回、たまたま大阪の布施に投宿することになったので、かつて司馬遼太郎の自宅であった、司馬遼太郎記念館に行ってみた次第である。近鉄八戸ノ里駅のバスターミナルのそばに「珈琲工房」という、やけにレトロな喫茶店があった。

司馬遼太郎も行きつけの店で、店名は司馬遼太郎によるネーミングらしい。そこで冷コーをいただいた。司馬遼太郎記念館までは八戸ノ里駅から徒歩5分というところか。布施高校の裏にある。入場料500円。入り口でなぜか団扇を渡される。庭に蚊が多いので、団扇で追い払えと言う。司馬遼太郎記念館は、近代的な美術館のような内装だった。もうすぐ公開される、映画「関ヶ原」の展示をしていた。

二万冊を超える資料の書庫。まさに圧巻である。膨大な蔵書量の、大きな本屋さんに行くと、私は必ず便意を催すタイプだが、ここでは何故か便意は起こらず、終始落ち着いていた。

20年前、司馬遼太郎は右翼でも左翼でもない、中道の作家だと思っていたが、今読むと、明らかに左寄りなんだよね。それだけ今の日本が右傾化しちゃったのかな。

ま、日本をそうさせたのは中国の軍拡なんだけどね。司馬遼太郎が書いた頃の中国って、文革が終わったばかりで、貧しい発展途上国に過ぎなかった。

80年代、日本人にとって中国人は皆、孔子の弟子であり清廉な士太夫であった。

黄河とシルクロードは偉大な聖地だというキャンペーンに朝日新聞とNHKは必死だった。

30年後、中国のGDPが日本を上回り、中国人観光客が日本製品を爆買いしたり、軍事力に物を言わせて領海侵犯するような大国になるとは、司馬遼太郎もまさか夢にも思わなかったはずである。司馬遼太郎が生きていたら、今の日本をどう思うのであろうか。果たして9条の改憲には賛成するのか反対するのか。

たぶん、彼ならこんな風に書く。


憲法は、人を守るためにあるといっていい。憲法を守るために人がいるのではない。

憲法を墨守するために、国家が国民の生命を危険にさらすような事があるならばー


―愚かというほかない。


語尾に「~といっていい」、

「~というほかない」と書くだけでアラ不思議。なんとなく司馬遼太郎感がアップするでしょ?

慎重に物事を断定するんだよね。司馬さんは。


              (2017年8月)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る