第4話 私がおじさんになった時

日本にいると、赤の他人の呼び名に苦労します。

たとえば駅で、バスの中で、空港で、百貨店で、

全然、面識のない人々と顔を合わせることになりますが、

自分の前を歩いているおばさんが、財布をポロリと落としたとしましょう。

気づかずに歩き去っていこうとします。あなたは呼び止めなくてはなりません。


「あの、ちょっと!おばさん!」


ひと昔前だったら、さらりと言えたはずですが、

私自身がおじさんになったこともあり、こう呼ぶにはいささか勇気が要ります。

明確な基準があるわけではないですが、


他人が、10代もしくは20代の、若い男性だったら「お兄さん」。

若い女性だったら「お姉さん」。

30代後半から50代前半くらいまでの男性が「おじさん」、女性が「おばさん」

明らかに60歳以上の高齢者だったら、「おじいさん」か「おばあさん」。

大体、そんな感じでしょう。




大阪など関西圏では、「そこの兄ちゃん」とか、「おい、オッチャン」とか、

わりとフランクに呼びやすい空気があります。

ちなみに「オッサン」「オバハン」という呼び方には、ちょっとした悪意がこもっています。 好感が持てないオッチャンはオッサンに格下げされます。

いけ好かないオバチャンはオバハンになります。

大阪はもともと商人の町ですから、赤の他人としゃべってなんぼです。




いわんや中国においてをや。

中国は、赤の他人に対する呼び方がたいへん豊富です。


たとえば喫茶店のウエイターのお兄さんを「小弟シアオディ」、

ウエイトレスのお姉さんを「小妹シアオメイ」と呼びます。

小姐シアオジエ」という言い方は、もともとは普通に若い女性全般の呼称でしたが、 売春婦を含む水商売に従事するお姉さんの蔑称になってしまい、

今ではあまり聞かなくなりました。

ただし、李小姐リイシアオジエ王小姐ワンシアオジエなど、名字に小姐をつけるのは、普遍的な敬称です。

ちょっと調子に乗った呼び方として、お兄さんの従業員に「帥哥シュアイグー」(男前のお兄さん)、 お姉さんを「美女メイニュイ」などと呼んだりします。








レストランのみならず、ホテルなどの従業員全般を、「服務員フーウーユエン」と呼ぶことも出来ます。


タクシーの運転手や、料理人のコックさんなど、手に職を持つ技術者全般を、


師傅シーフー」と呼びます。


学校の先生は「老師ラオシー」、店長やオーナーを「老板ラオバン」、


オーナーの奥さんだったら「老板娘ラオバンニャン」と呼びます。


既婚者の旦那さんを「先生シエンション」、既婚者の奥様を「太太タイタイ」などと呼びます。


僧侶のことを「法師ファシー」という敬称で呼んでくる方もいました。




おじさん全般を「叔叔シューシュ」、おばさん全般を「阿姨アーイー


おじいさん全般を「爺爺イエイエ」、おばあさん全般を「婆婆ポーポ」と呼びます。




特筆すべきは、「阿姨アーイー」の存在です。


阿姨は中国の至るところにいます。13億人の中国人のうち、

おそらく4億人くらいが、いわゆる阿姨に該当するのではないでしょうか。

阿姨はたいてい、学生寮の管理人をしていたり、メイドのようなお手伝いさんをしています。(中国人は特にお金持ちでなくとも、わりと普通にお手伝いさんを雇います)


いかにも最大公約数的なオバチャン然としたお姿。

非常に面倒見がよく、時に迷惑なくらい世話好きで、明るくておしゃべりで噂好き。 世界中のオバチャンが大体そんな感じですが、

中国人のオバチャンは、血中オバチャン濃度が特に高いのです。


私の中国生活はいつも、どこかの阿姨のお世話になっていました。

阿姨たちのことを「阿姨」としか呼んでなかったので、本名は知りません。

日本に帰国後、数年が経ちますが、今でもふと、彼女たちのことを思い出します。


街角に、見知らぬ婆婆ポーポが、赤ん坊の孫を抱っこしてあやしています。

そこへ私が通りかかり、すれ違いざまに一言、


ウェイ宝貝バオベイ好可愛ハオクーアイ」(ヘイ、ベイビー、とっても可愛いね)などと言いますと、


婆婆はこう、孫に言います。


哥哥来了グーグライラ向哥哥説シアングーグシュオー拝拝バイバイ」(お兄さんが来たよ、お兄さんにバイバイって言おう)


私が中国に赴任した2006年当時、私はまだ30歳でした。

ところが数年が経ったある時、また別の婆婆が赤ん坊をあやしていて、

いつもと同じように、私がひとこと挨拶すると、婆婆はこう言ったのです。

叔叔来了シューシュライラ向叔叔説シアンシューシュオー拝拝バイバイ」(おじさんが来たよ、おじさんにバイバイって言おう)


(叔叔シューシュ。。。。。。)


そうか。俺はもう、おじさんなのだな。でもあの婆婆ポーポの目から見るとたまたま、俺のことがおじさんに見えたのかもしれない。

そうさ、たまたまに決まっている。

そう自分に言い聞かせました。

しかし、この日を境に、赤ん坊を抱っこしている婆婆ポーポに出くわすと、

中国のどこへ行っても 私は「叔叔シューシュ」と呼ばれるようになりました。もう二度と「哥哥グーグ」と呼ばれることはありませんでした。

この時、自分がおじさんになったのだと、はっきりと自覚し、観念したものです。


                              合掌




                             





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