新
「先生、大変です」
「どうした、友達でも出来たのか」
「いえ、最近どうにも羽振りが悪くて……。って、それじゃないです」
「なら何かね」
「今、世界が大変なことになっているんですよ」
「ほう、ファイストスの円盤でも解読されたか。それは世界も大騒ぎに……」
「違いますよ。先生、新聞読んでないんですか?」
「無論、読んでいる。本日もなかなかいい知見を得られた」
「なんですか」
「英バーミンガム大学で世界最古級の聖典コーランが見つかったらしい。放射性炭素年代測定法により、作成されたのは7世紀初頭、イスラム教の預言者ムハンマドの時代に近い時代にさかのぼるんだそうだ」
「いや、初耳なんですが」
「君が持ってきてくれた新聞に書いてあった」
「見せてください……って、これ。家の引き出しに眠ってたやつじゃないですか」
「ふむ。だが、このニュースは私も知らなかった。実に興味深い」
「先生、せっかく毎日新聞持ってきてるんですから、ちゃんと世界の情報を知ってください。ただでさえ先生は新聞もなければテレビもなく、外に出ないんですから」
「知る必要がない」
「理解が出来ませんよ。先生は物知りなのに、現代の事となるとからきしですもんね」
「確かにな。だが、最近の事象を把握してなんになる?私がもし後100年生きたとすれば、今日の事を100年前の歴史的史実として知識に加えよう」
「先生は社会人失格ですね。いや、人間失格と言った方が」
「少年、太宰のは見たのか?」
「見ましたよ。薬に手を出してないだけ、先生はまだマシです」
「それならいいだろう」
「でもモルヒネとかの麻薬については詳しいんですよね?正直読んでて意味がわからなかったので説明が欲しいです」
「モルヒネというのは、ただの痛み止めさ。いや、ただのと言ったがかなり強力だ。重要な医薬品であるが強い依存性があってね。せっかくの鎮痛・鎮静効果も麻薬に関する単一条約の管理下にある。実に勿体無い」
「でも、依存性があるからでしょう?毒がないならいいじゃあありませんか」
「いや、実際に毒もある。毒としてみた場合、非常に強い塩酸モルヒネと呼ばれる物質になる。数量にするとヒトに対し6-25gであり、数分から2時間程度で死亡するそうだ。江戸川乱歩の短編『屋根裏の散歩者』でも使用されている、是非読んでみるといい」
「なるほど、何となく理解しました。話を戻しましょう」
「君はよく話を脱線させてはすぐに戻すな」
「まあ、分からないことがあれば先生に聞くのが一番ですから。先生のことはネットや辞書なんかよりよっぽど信頼しているんですよ?」
「それは嬉しい限りだ」
「それで、先生は本当に何も知らないんですね」
「何も知らないことはない。ただ私が新聞で入手する情報は基本的に文化面に限られる。政経などは興味がないのでね」
「先生に新聞渡してるの、なんだか徒労に思えてきました」
「だが、それのおかげで君は私の家に来る明確な口上が作れる上、両親にも貢献しているのだろう?」
「そうですね」
「本来なら、君はこの時間部活動をしているはずだがね」
「仕方ないじゃないですか。どの部活に入っても楽しさを感じられませんし。何より帰宅部だなんて親にバレたら……」
「書道部に復帰すればいい」
「嫌ですよ。まあ、両親は新聞の廃品回収がなくなるからそこは喜んでますが、僕はあまり字が好きじゃないんです」
「字は上手ければ上手い方がいい。文字というのには人柄が表れる」
「ちなみに先生はどんな字なんですか?」
「ふむ、暫く待っていなさい」
「はい」
「めちゃくちゃ上手いですね」
「当然だ、私はこれでも書道七段でね」
「先生、スペック高すぎです」
「ちなみに絵も描けるぞ、見たまえ」
「はぁ、鳥獣戯画ですか。パッとかけてすごいですね」
「私が使っているのは最近買ったチタンのペン先でね、実に思い通りに書ける」
「あ、なら先生これも描いてください」
「携帯など取り出してどうした」
「最近推してる娘なんですよ。可愛いでしょ?」
「髪が赤いな。染色か?おそらくアメリカ初のカラー剤だろうな。まったく、一高校生が多額な金を払い貴重な髪を染めるとは」
「そういう話はいいです。あ、あとこの娘も一緒に。二人が肩組んでピースしてる感じでお願いします」
「ふむ。それで、何に描けばいい?」
「あ、それなら」
「君は、毎日色紙を常備しているのかね」
「油性ペンもです。いつ何時、有名人と出会うかわかりませんから」
「そうか。それで着色はどうする。油彩か?水彩か?」
「得意な方でいいです」
「なら二、三日待ってもらわなければな。ちょうど小さめのカンバスもある。最近イーゼルを立てることもない、久々にアトリエに没頭でもしよう。『落ち穂拾い』模写をするのもいい」
「いや、そんな時間かからなくていいです」
「久々に油絵を描けると思ったのだが。そういえば君には私の油絵コレクションを見せたことがないな。ついてきなさい、別棟にある。私の描いたものと、集めたものがある」
「結構です。水彩でお願いします」
「ふむ、まあいい。暫く待て」
「ヤバイです、先生。興奮止まりません」
「高校生の総合文化祭の審査員に時たま呼ばれる」
「そういう話ではありません。あ、先生、これ額縁にして飾ります。あと今度コミケ参加しましょう」
「共同声明に参加?私たちは一般人だぞ」
「違います、それ多分コミュニケです。上手くありませんよ」
「他に何がある」
「コミック・マーケットです!」
「ほう」
「興味なさそうですね」
「興味無いからね」
「どうしてですか」
「君の眼が輝いていた。どうせまた漫画やアニメの類だろう?」
「間違ってはいないですねぇ。まあ実際なところ絵が上手い人が集まるんですよ。他にも色々とありますが。そんなことより先生、本当に絵上手ですよね。習っていたんですか?」
「習う?莫迦な事を言う。芸術とは感性だ。己の思うがままに描くからこそ、絵というものはセンスという名のブラシに磨かれ色彩は輝きを増す」
「あぁ、練習しなくても感覚で描けるやつですか。天才ですか。そうですか。……先生、夜道には気をつけてください。妄執と嫉妬に狂った底辺絵師が復讐しにいきますから、フフッ」
「底辺絵師だと?そう自分を卑下するから物が描けないのだろう。自分の絵に自信も持てない輩が絵師など名乗るとはな。片腹痛い」
「先生、ネットやってなくて良かったですね。その言葉、炎上するやつです」
「少年は絵を描かないのか?」
「僕だって憧れて色々描いていたんですけどね、思ったんですよ。でも、描けなくて苦しいからやめたんです。多分、一番の原因は嫉妬でしょうね」
「自分に欠けているものを嘆くのではなく、自分の手元にあるもので大いに楽しむものこそ賢者である。エピクテトスの言葉だ。君がなんのために絵を描いていたのかは知らないが、そこに楽しみを見出せないのであれば、やめて正解と言わざるをえないな」
「そう、ですね。確かにチヤホヤされたいだけだったかもしれません」
「明日描く絵が、一番すばらしい。パブロ・ピカソの言葉だ。描き続けていればいつかは必ず良い絵が仕上がるだろうというのに、人間は現状しか見ない」
「そうかもしれませんね。でも僕気づいたんです。自分から苦しい思いをしなくたっていいんです、神絵師さんのイラストを拝んでいればいいじゃないかって」
「ほう、君も絵に関心があるのか」
「まあ、もちろん」
「ふむ、たまには芸術的な事に関しても話すとしよう。私はねえ、アンリという画家が好きなのだが」
「はぁ……仕方ないので合わせますよ。僕はダヴィンチがすきですっ」
「何を怒っている。しかしなるほど、ダヴィンチか」
「で、アンリって誰ですか」
「アンリ・ベルジョーズ、ゴシック期パネル絵創成期の画家だ。君は本当に見聞が狭いな。そこに飾ってあるだろう?」
「飾ってあるではなく、置いてあるです」
「『聖ドニの祭壇画』だ。まだ写し終えていないだけだ。いやはやしかし、実に美しい。知らないのなら、君の依存している文明の利器で検索すれば良いだろう」
「そうします、気に入ったのがあればまた連絡します。あ、あとまた色々キャラクターのリクエストしますね」
「待っていよう」
「まあ、ここに来ればいい話なんですが。そんなことより、先生も携帯くらい買った方がいいですよ」
「ふん、携帯なんていらない。なにせ外に出ないからね。それに今の私にはこのダルマで充分だ」
「ダルマ……?あぁ、黒電話ですか。見事に本に隠れてますね」
「今退けた。だが、いいだろう?この黒電話はね、ダイヤル装置の廃止と筐体デザインの自由度が上がりベル装置を電子音になってしまう前の、最後の黒電話なのだよ」
「意味不明です」
「なかなか貴重でね。600型が黒電話の最終形態といっても過言ではない。この頃になるとコードがコイル状になっていて……」
「充分分かりました。先生の中ではまだ平成という概念がないんですね。あ、でもこの間先生パソコン使ってましたよね?」
「ああ、愛用しているよ。これは実にいい。私の知らない知識が山というほど入っている。ただケーブルだの電波だのと設置に手惑いはしたがね」
「もう先生のことよくわからなくなりました。現代社会を知らない人類史偏愛者の知識人だと思ってました」
「ふむ。確かに私の知識における日本の最新ニュースでは世界大戦が終戦した頃で止まっている」
「欧州連合ってご存知ですか?」
「
「あぁ、もういいです。なんだか、先生は新聞の記事を全く有用してないんですね」
「実にその通りだな。私も興味のないページは読み飛ばす、だがまあ感謝はしているよ」
「それならいいです。あ、そろそろ部活が終わる時間ですね。合わせて帰ります。それでは」
「あぁ、明日も是非きたまえ」
「また明日も、新聞を持ってきますね」
「やれやれ……。それにしても、今の世界事情か……。私の心を動かす芸術品の一つや二つ現れれば興味が出るのだがな。だがまあ、私が知らないのにあの少年が知っているのもまた癪だ」
「あの少年に、たまには教えてもらうというのもいいのかもしれないがね」
韻文編纂 紡芽 詩渡葉 @tumugime
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