6.悲劇の光景
目の前で、親友が食べられるのを、郁兎は見ていた。
足から股にかけて咀嚼され、バケモノの大きな口の中に親友の体が消えて行くのを。
見るも無残にバラバラと、ぐちゃぐちゃに咀嚼されて、親友は骨の一本も残らなかった。
食べかすを周囲一帯にまき散らしながら、バケモノが大きな口を開けてこちらを向いた瞬間、郁兎は走り出していた。
それは本当にたまたまだ。
たまたま、郁兎はダンジョンの入り口に近いところにいた。
だけどそれは悲劇だ。
郁兎は、ただ陰惨な光景を目の前で見ていることしかできなかったのだから。
モンスターがいないとされていて、高校生になったばかりの生徒が観光気分で潜ることになっている、【はじまりのダンジョン】。
その日は、たまたま郁兎たちのクラスの番だった。
三人から五人ほどのチームに分かれて、郁兎たちはたった二層からなるダンジョンを散歩するように巡り終え、出入り口でクラスメイトが集合するのを待っていた時。
しんがりを努めていた、担任の志津馬恵子の悲鳴が聞えてきた。
続いて、男女数人の耳をつんざくような悲鳴が。
そして、数人の男女が出入り口の近くに戻ってきたと思うと、その後から担任の「逃げて」と言う儚く小さな声が。ばりばりむしゃと到底人には出せないような――バケモノのような咀嚼音が聞こえてきた。
志津馬恵子の首が、ころりと出入口近くの大きな空間に転がり出てくる。
それに視線を向けて、息を飲む間もなく現れたバケモノに、生徒は凍り付いたまま動けなくなった。
長い爪が、走ってくる男女の体をかすめ――いや、バラバラに引き裂き、赤いモノをまき散らす。
それに再び、凍り付いたまま動けなくなっていた生徒は視線を向け、そして我を忘れたかのように叫び声を上げた。
阿鼻叫喚。
叫び声が、バケモノの咆哮にかき消される。
目の間で、次々生徒が、頭から、腕から、胴体から、足から、鋭い牙で咀嚼され、鋭利な爪で抉られる。
それを、ただ見ていることしかできなかった郁兎は、いつも突っ走ってしまう自分の抑止力となってくれていた親友が、目の目で見るも無残に食べられるのを見てしまい――頭のなかの何かが切れた瞬間に走り出していた。
尻餅をついてどこか虚空を眺めている少女の手を掴み、
唖然と友人の返り血を浴びておぼろげな表情で立ち竦んでいる少女の手を取り、
それから、ひとりで出入り口近くで茫然とどこか遠くを眺めている少年にずっつきを食らわせ、
郁兎たち四人は、ダンジョンの外に出ることができた。
生存することができた。
――――
――
じっとりとねばりつくような汗を袖で拭い、郁兎は目を覚ました。
羽多岐学園男子生徒寮の一室。
二段ベッドの上で、郁兎は乱れていた息を整える。
(嫌な夢を見た)
壮絶で、忘れたくても忘れてはいけない、あの時の夢を。
一年前、当時の一年三組に訪れた悲劇の夢を。
くっと歯茎を噛みしめ、郁兎は拳を布団に叩き付けた。ベッドを揺らすような音が響く。
「……郁兎? なにそのモーニングコール。て、え、まだ五時じゃん」
二段ベッドの下から、伊納夏樹のくぐもった声が聞こえてくる。彼もまた、あの時、何もできずに突っ立っていることしかできなかった、悲劇の生き残りだ。
「早起きだろ?」
「いや早すぎるよ。僕は眠い」
「はいはい、おやすみ」
「……いま寝たら起きれなくなりそうなんだけど」
「わるい。ちょっと外、走ってくるわ」
言うが早いか、郁兎は寝巻のジャージ姿のまま、ベッドから飛び降りると部屋の外に出て行った。
早朝だから、寮の廊下に人気はない。
靴に履き替えて外に出ても、誰の気配も感じなかった。
ただ、春の早朝の冷たい空気が、頬を撫でて熱を奪ってくれるだけ。
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