7.覚えている

 ――あの時、僕は確かに見ていた。


 伊納夏樹は自分の席に座りながら、ぼんやりとここではない光景を思い出そうとしたのに、フィルターがかかっているみたいに、思い出すことができない。


 あの日、【はじまりのダンジョン】で、夏樹は好きな人を亡くした。

 一目惚れだった。明るく人を引き付ける笑みに、気さくな性格の彼女は、夏樹とは正反対な性質をしていた。

 夏樹は、一般生徒Dぐらいに位置づけされるであろう、地味というわけではないが目立つ方ではない生徒だった。ただ周りの生徒に合わせて笑ったり相槌を打ったりすれば学校生活は難なくすごすごとができたので、それで十分だと思っていた。

 そんな夏樹と違い、想い人は誰からも愛されるクラスの委員長。男女関係なくクラスメイトから慕われて、『魔力』も稀な光属性。彼女の性格は周りを束ねることに特化していた。肝心の魔力は入学したててほとんど使うことなく終わってしまったが、彼女は自分の力や入学試験で十位以内に入った成績を鼻にかけることなく、全ての生徒に平等な笑顔を振りまいていた。そんな彼女に唯一の親友がいた。親友に対して彼女は、まるで猫のようにじゃれついていたのを覚えている。よく彼女のことを眺めていたし、その親友は悲劇に生き残った。


 さらりと黒髪が踊り、整った顔がこちらを向く。

 彼女の親友だった神橋静春は、夏樹の視線に反応すると、満面の笑みを浮かべながら手を振って視線を戻した。静春は友人との会話に戻る。


 まるですべてを見透かされているような黒い瞳に、彼女に不釣り合いなほど満面な笑み。その笑みは夏樹の想い人にあまりにも似ていて、少し歪。

 夏樹は自然と眉をひそめた。

 静春は意識してその笑みを浮かべているのだろうか。それとも自然だろうか。後者だったら、それはもう狂っているとしか思えない。静春はもともと周囲に笑顔を振りまくキャラではなかった。政府に繋がりのある家庭で産まれた静春は、クラスでは寡黙で、実力はあるもののそれを周囲に誇るようなキャラではなく、優秀だが近寄りがたい雰囲気を持つ少女だった。

 その彼女が、彼女に不釣り合いな笑みを浮かべている。それも、親友だった委員長にそっくりな笑みを。

 夏樹は視線を携帯ゲームに戻すと、ため息をついた。


(静春は変わった)


 彼女は悲劇から復活すると、ああして笑顔を浮かべるようになった。

 それが親友を目の前で失った影響だと思うと、夏樹としても放っておけるわけがない。夏樹は、静春の親友のことが確かに好きだったのだから。


 だけど。


(よく、思い出せないんだよね。あの子の顔)


 夏樹は確かに、想い人の最期を見ていた。

 静春を庇ってバケモノに殺された、あの子のことを。

 夏樹は、入り口から一番近い場所で、郁兎にずっつきされるまでずっと彼女の面影を眺めていた。


 それなのに、血に塗れた彼女の顔を夏樹は思い出せない。

 フィルターはざぁざぁノイズをたてて、夏樹の記憶が復活するのを妨げていた。


(好きだったはずなのになぁ)


 ふと、ヘッドフォンをしているはずの耳が、廊下の足音を捉える。

 しっかりと地を踏みしめて歩くこの足音はきっと。


 ガラリと教室の前扉が開き、郁兎が姿を見せた。


(やっぱり)


 夏樹は口に笑みを刻む。

 緑の小さいヘッドフォンは、ただ耳を覆っているだけで音楽は流していない。ただの飾りのようなものだ。

 夏樹の『魔力』は<聴力強化>。ある一定ほど遠く離れた場所の物音を聴くことができる。このヘッドフォンは、まだ『魔力』をコントロールできなかった時期に、先生から提案され使っていたものだ。その名残が未だ続いて、手放せないでいた。


 郁兎をぼんやり眺めていると、彼のもとに別のクラスのはずのリーゼント頭をした男子生徒が近寄っていくのが見えた。

 それを夏樹はただ眺め、魔力で聴力を強化するとふたりの会話を聞くことにした。





「おい、ツラ貸せ」

「昨日に引き続きかよ」


 郁兎はげんなりして顔を顰める。こんなところで騒ぎを起こすわけにはいかないので、立ち上がるとリーゼントの後について行った。


 連れていかれたのは、本校舎と別館を繋ぐ渡り廊下近くの踊り場だ。

 今日のリーゼントはお供を連れずひとりだった。シルバーアクセサリーが、首元でキラリと光る。


「てめえ、マジで【連戦隊】に参加するつもりか?」

「ああ、あたりまえだ。まだまだ申請状態だけどな」

「魔ナシのてめえじゃ選ばれるとは思わねぇけどよ、言っておくぞ。やめとけ。てめえじゃ、また仲間を殺して終わるだろうしよぉ」

「ん?」

「……昔なじみだから、忠告してやってるんだよ」


 このリーゼントこと、林千人はやしせんととは中学の頃からの顔見知りだ。中学生の頃は普通の髪型だったが、高校デビューというやつだろうか。彼は、高校に入って一ヶ月もしないうちに髪の毛をリーゼントに固めはじめた。中学の時はあまり目立つ風貌ではなかったため、【はじまりのダンジョン】から復帰した郁兎は、最初彼のことを思い出せなかったほどだ。だけど彼の双子の兄のことはよく覚えている。

 千人の双子の兄、林善人はやしぜんとは名前から連想できるほど優しい生徒だった。成績は並みだが、何をやるにもいつも先走って周りに迷惑をかける郁兎の歯止め役でもあった。善人がいたおかげで、郁兎は何度救われたことか。周りが見えない郁兎に辟易することなく、善人は郁兎についてきてくれた。


 それも、あの時までだ。

 あの日、はじまりのダンジョンの悲劇で、林善人はバケモノの口の中に消えて行った。

 郁兎の目の前で、郁兎の親友はバケモノに食べられた。

 善人は郁兎を庇ったのだ。庇って、食べられた。


 千人はもともと自己中心的な郁兎のことを心良く思っておらず、はじまりの悲劇で善人の死を訝しみ、郁兎が悪いんじゃないかと一年生の頃から何かと突っかかってきた。

 確かに善人の死は、郁兎が茫然としていた影響もある。魔ナシの郁兎じゃ何もできなかったから、それなら『魔力』がある自分が相手になろうと、バケモノを倒してやろうと善人は立ち向かおうとしたのだろう。その希望は虚しく消え、遺体さえも帰ってこなかった。家族で双子の弟である千人は、双子の兄の死を実感できていないのかもしれない。確かにあいつは死んだのに。いや、あれは確かに、彼の言う通り「仲間を殺した」となるのかもしれない。

 郁兎に力があれば、殺されずに済んだのかもしれない。


だが、それはたらればだ。

 そんなこと考えては無意味だと、郁兎は割り切ってリーゼントに啖呵を切る。


「忠告どうもな。だけど俺はあれから成長した。仲間は絶対に殺させない!」


 リーゼントは目を見開いた。すぐに細めると、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 もとより郁兎が彼の忠告を聞きいれるとは思っていなかったのだろう。踵を返すと、リーゼントは郁兎に暴力を振るうことなく歩きだした。


「その言葉、てめえ忘れるんじゃねぇぞ」


 郁兎はその背中を睨みつける。


(そんなことわかってんだよ)

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