3.自己紹介

「うそだろ、担任志津馬かよ!」


 始業式のあと、教室に戻ってきた二年三組を待っていたのは、これからの一年間彼らの担任になる先生のお披露目だった。

 クラスメイトは、「先生誰だろう」「七尾っちは怖いからやだぜ」「白鷺先生だとなんでもできそうじゃん」「えー、でも、昔とても怖かったって噂だよ」「あと誰いたっけ」「入るぞー」

 そう教室に入ってきたのが、四十代後半の男性教師、志津馬剛しずまたけしだった。

 その顔を見た瞬間、郁兎は思わず叫んでいた。

 ピュンと音がして、郁兎の額にチョークが直撃する。


「おい、冬田郁兎。俺じゃ不満か?」


 志津馬は、常に気だるげな眼をした中年男性。二十代の頃はハンターを生業としていたらしいが、娘が産まれてから前戦を退き、次なる世代に託すために教師になったとか。だけど、クラス担任として教鞭をふるっていたのはほんの五年ほど前で、志津馬はもっぱら体術の先生としてこの学園に努めている。担任をやるのを辞めて、魔力を使う実技ではなく体術を選んだのには何か理由があるとかないとか。

 志津馬は五年間、クラス担任を受け持っていなかったはずだ。その彼が、まさか自分たちの担任になるとは、郁兎はもちろん他の生徒も思ってはいなかっただろう。特に郁兎からすると、体術で容赦なくしごかれてきたので、思わず文句を言ってしまうのも無理のない話。それに志津馬は、郁兎が一年三組だった頃の担任、志津馬恵子の父親でもある。


「不満じゃないです」


 志津馬が担任なのが不満じゃない。寧ろ、生徒の顔色を窺ってご機嫌を取ろうとする先生より、少しぐらい厳しい方が強くなりたい郁兎からするとよかった。

 不満じゃないが、彼の名前を見るだけで一年前のことを思いだしてしまう。怒りを熾す枷でもあるあの光景を。郁兎が一年三組だった頃、担任だった志津馬恵子の死に際を。一番最初に、に見るも無残に殺された、生徒を絶望させて動けなくするのに十分な光景を。

 思い出して、けれど郁兎は普段通り笑っていた。


 志津馬は教壇に立つと、チョークを持ち黒板に向き、でもすぐに面倒になったのか「まあいいか」と言いながら振り返るとクラス中を見渡した。


「俺は、志津馬剛だ。……まあ、なんだ。これから一年よろしくな」


 気取った言葉が苦手な志津馬らしい挨拶だ。


「えっと、最初は自己紹介か? 担任なんて久しぶりだからよ……ま、適当でいいか」


 志津馬に指さされた、五十音順で一番となる生徒が席を立つ。郁兎は最後のほうだ。夏樹は三番目か。静春と悠菜も結構前の方だ。

 自分の番まで暇なので、郁兎はぼうっと、クラスメイトの自己紹介を聞いていた。


「伊納夏樹。趣味は、特にないです。よろしくお願いします……」


「神橋静春です。趣味はかわいいことを愛でることで、特技は剣技です。体術も得意です。よろしくお願いします」


「し、白鳥悠菜と申します。あ、あの、趣味は特技で……あ、違います。趣味は、ど、読書で、特技は……なんでしょう? え、あ、わ、あ、で、でんぐり返しです。たぶん……。うう、一年間、お願いします」


 因みに冬田郁兎の趣味は鍛錬で、特技は早食いだ。

 自分の番になるのに、暇つぶしにギャグでもいうかと考えていたがなにも思いつかなかったので、郁兎は簡単に自己紹介を終わらせることにした。



● ● ●



 自己紹介。

 一体、何を言えばいいのだろうか。

 自分の趣味がなんなのか考えるが、特に思いつかない。特技も、ない気がする。

 名前だけでいいか。どうせトップバッターだ。最初からギャグを口にするようなキャラではない。

 クラスメイトの視線は、容赦なく突き刺さってくる。立ち上がって、じっと机の上を見下ろしている、秋村奈央あきむらなおに。

 これは、好奇心の視線だ。ただ珍しがっている、そんな視線。

 やっぱりこんな外見をしているからだろうか。染めて赤茶けたボリューミーな髪の毛を両サイドで縛って、エメラルドのような深い緑のカラコン。軽くメイクもしていて、決して派手すぎるわけではないが、存在感を無視できるような容姿ではない。

 自分でこんな格好をしておきながらなんだが、奈央は人の視線が苦手だった。じっと見られるとできることもできなくなってしまう。

 だから早く自己紹介なんて終わらせようと、舌で唇を湿らせてから口を開く。


「秋村奈央。お願い、します」


 口の中が渇いているせいで、低く惨めな声になってしまった。だけどもうどうでもいい。

 小さな声で自己紹介を終わらせると、奈央は席に座り直した。

 二年二組の担任の七尾先生が、奈央の後ろの席の生徒の名前を呼ぶ。慌てて立ち上がる音が背後から響き、奈央とは比べ物にならないぐらいしっかりとした声が背中を叩くように響いた。それに、なんだかますます惨めになり、奈央は机の上から視線を逸らさなかった。

 今日ほどまで、自分の名字が秋村だということを呪ったことはないだろう。五十音で一番目は、こういうことになるから嫌だった。


 ぼうっと、奈央は思わず考えた。

 自分はどうしてここにいるのだろう。

 手を握りしめる。【壁】を創りたくなり、だけど授業中に許可なく『魔力』を行使するのは、校則で禁じられているので、ギュッと目をつぶった。


 ちりんと、頭の片隅でが聴こえてきたが、それも無視する。

 ただ、いまはどこかに閉じ籠りたかった。

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