第一部
第一章 それぞれの道
1.春の訪れ
溢れんばかりの桜が咲き誇る桜並木を通り抜けて、開けた先。
たくさんの生徒でごった返している校門を通りぬけて、冬田郁兎は今日も変わることなく
ひとつだけ、今日から変わっていることがあったのだ。
今日から郁兎は学年が変わる。成績はギリギリだったが、なんとか二年生になることができた。
クラス分けを確認しようと、昇降口近くの電子掲示板に群がる生徒たちの山に突入しようとした矢先、すぐ近くから呼び止められた。
「おい」
声には聞き覚えがある。
二年生は何組になるのか心を躍らせていた郁兎は、自分の楽しみを邪魔されて億劫そうに振り返った。邪魔すんなよなの意味を込めて、にらみつけると、そこにはやはり思った通りの三人組がいた。
その一見しただけでもチャラいと分かる男子の険しい顔を見て、郁兎は一瞬笑みを消す。だけどすぐに元の笑みのまま、友好そうに手を上げた。
「おはよーっす」
あん、と郁兎に声を掛けてきたリーゼント頭の男子が、眉間に荒々しく皺を寄せる。
「俺は別にてめぇと挨拶する気なんてねーよ。ツラを貸せ」
くいっと首だけで校舎裏を指されたので、郁兎は低い声で陽気に「へい」と返事をする。
リーゼント頭は郁兎の返事をつまらなそうに聞き、先に歩いて行った。その首元には、白銀の一翼の羽の形をしたネックレスが揺れている。
その背中を無表情で眺めながら、郁兎は歩き出す。
人混みのざわめきから離れて、しーんとした静けさが満ちる校舎裏。
もう半分も花を散らした桜の幹に、郁兎は胸倉をつかまれた状態で押し付けられていた。状況が悪いにも関わらず、郁兎はヘラヘラと、リーゼント頭を見返している。
「てめえ、まだ性懲りもなく学校にきやがって」
「そりゃあ、俺はここの生徒だからな」
あたりまえだろ? と郁兎は挑発するように顔を上げる。
「はんっ、笑わせる。てめえみたいな魔ナシが、誰かの役にたてるかよ」
「でも、俺はお前より頭は良いぜ。俺、勉学は平均よりも上だからな」
いしし、歯をチラ見せしながら笑ってやると、リーゼントは不機嫌さを隠すことなく舌打ちをすると、空いている方の手で郁兎の鳩尾を一発、殴ってきた。
威力を弱めることの知らない一発に、溜まったものが込み上げる嫌な味を飲み下し、郁兎はそれでも笑ってやる。暴力の塊のようなヤツに、弱みを見せるのは癪だ。
「魔ナシの分際で、俺より格上だと?」
「はは、俺に体術で負けるヤツが、なにほざいてんだよ」
リーゼントは体術の成績が学年十位以内に入る郁兎より、はるか書く下の四十位辺りを言ったりきたりしている生徒だ。体術の成績だけ見れば、郁兎がリーゼントに負ける要素はない。三対一なのは分が悪いが。
自慢のリーゼントをへし折ってやろうかな、と郁兎は表で考えながら、腹の内では静かに闘志を滾らせていた。
こんな野郎に構っている
郁兎には目的がある。だが、この目の前にいる男子は、何かにつけて郁兎にちょっかいをかけてきて、ずっと邪魔に思っていた。開いても、郁兎のことを邪魔に思っているから、郁兎に敵意を向けてきているのだろう。
それを笑って許しているうちに、早くどこかに行ってほしかった。
無言で、また一発。鳩尾に食らった。次は、膝を思いっきり蹴られた。
喉まで酸っぱいものが込み上がってきて、溢れそうになるそれを慌てて飲み込む。
ああ、と郁兎はため息を吐く。
だから自分が笑っているうちに、早く済ませてくれればいいものを。
腹の内で、燻っていた怒りに、火が点りかけている。
「おいッ! もう一度言ってみろ、魔ナシ! てめえなんて、おれらが魔力を使ったらな、一発でこの世からおさらばできるんだぜ! 試してやろうか!」
こいつ正気か、と郁兎は笑った。
魔力を使う。それが何を意味をしているのか、魔ナシである郁兎ですら知っている。魔力は、人智を超えた力を引き出せるうえ、それを下手に他人に向かって使えば、簡単に相手を殺すことができる。それにリーゼントの魔力は戦闘向けた。
このリーゼントは、おまえを殺す、と言った宣言をしたも当然だった。
それを黙っていられるほど、郁兎は大人ではない。まだ十六歳のガキだ。
息を整えると、右手に力を込めた。
いまの郁兎にできることは、これぐらいだ。
マナほとんどなく、魔力すら使えない郁兎にとって、唯一できること。
あの日から毎日欠かすことなく行ってきた日々の鍛錬により、いまあるこの力を手に入れたと言ってもいい。
だから、全力で来る相手に、全力で使うことは許されるはずだ。
だけど、郁兎のその抵抗は、思わぬ形で邪魔をされた。
「七尾せんせーい。こっちでーす」
妙に間延びした、気力のない声がその場に響いた。
「七尾先生」という言葉に反応して、三人の男子生徒が顔をみるみる青白くなっていく。七尾先生といえばこの学園でも特に怖いと評判の先生だからだろう。これが温厚な老人の
行き場のなくなった拳を降ろし、郁兎は近寄ってきた人物に胡乱気な目を向けた。
「遅いぞ」
「そうかな。結構ベストタイミングだと思ったんだけど」
黒髪で平均的な身長の男子生徒だ。長い前髪の下から、陰気臭い細い目が覗いている。特徴的なのは、耳にあてている小さな緑のヘッドフォン。それを外すことなく男子生徒は、郁兎の頭からつま先まで眺めると、うんと頷いた。
「怪我が無いようで何よりだよ」
「抜かせ。お前、最初から見てただろ。悪趣味なやつだな」
「遠くからでも聴こえていたからね。けど、駆けつけたのはついさっき」
「あっけらかんと嘘言うな」
「嘘じゃないんだけどさ」
くすっと笑うと、男子生徒は踵を返して、人混みのざわめきに戻って行こうとする。
「おい」
「あ、そうだ郁兎。君と僕、同じクラスだって。寮で部屋も同じだし、なんだか嫌な運命を感じるよね」
「一年の時もそうだっただろ」
「最初はね? でも、すぐにクラスは分かれた」
「……そうだったな」
「寮ももともと別だったけど、なぜか郁兎と同じ部屋にさせられちゃったし」
「相方がいなくなったんだからしゃーねぇだろ」
「それも、そうだね。じゃあ、またあとで」
今度こそ、男子生徒は校舎裏からでると、喧騒の中に消えて行った。
どこか遠くを見るような目で、郁兎はその背中を眺めていたが、予鈴を告げるチャイムで我に返り、いなくなった男子生徒の背中を追いかけるように走り出した。
クラス分けを確認してから、郁兎は自分の教室に向かう。
「三組か。今年はあるんだな」
一年生の時、三組というクラスは存在しなかった。
正確には最初は存在していたけれど、すぐになくなったのだ。
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