ep8/9「木星(ほし)を継ぐ者」後編
「あーあ、まったく……」
チャックは相対する敵部隊を前に、渋い表情を浮かべている。
荒巌部隊との距離は、もはや互いのソニックウェポンが衝撃波として到達しうる近さだ。とはいえ、この距離でもまだ遠い。耐圧システムを破らなければ、機体の撃破には繋がらない。
敵にとっても味方にとっても、中途半端な距離での戦闘が始まっているところだった。
――――今から二十分ほど前。
ブラックホールウェポン起爆直後、連絡船からは複数の音源が射出された。どれもダイバーのスクラップに手を加えた代物だ。
チャックはそれを一度限りのデコイとして利用することで、さもこちらが大部隊であるかのように見せかけていた。
だが、相手も馬鹿では無い。とっくに仕掛けには気付かれている。
それどころか、荒巌部隊は実に厄介な動きを見せ始めていた。
「ワシらの方から近付かなきゃならないなんてなぁ、狙撃だけじゃ終わらせてくれないか」
そう、連絡船は、超長距離狙撃による一方的なアドバンテージを捨ててまで前進し続けている。そこまでして基地に接近せざるを得ない事実に気付かれてしまえば、敵も当然のように動き方を変えて来ようというものだ。
「接近して来る荒巌は4機、他は後ろに引っ込んでいやがるな」
荒巌部隊のうち、急速に接近しつつある敵機は一個小隊4機だけ。残る8機を後方に残したまま、その小隊は何が何でも突撃を試みて来る。
この戦法の意味は明快だった。
ダイバー戦において、戦闘中の機体は常に相手の耐圧システムへジャミングを仕掛けている。つまり、情報遅延作用を担う
その大前提を踏まえて、敵は4機だけを前進させて来た。これはダイバー一個小隊を接近させる事で耐圧システムを弱体化させ、後方からの砲撃で仕留めようと言う魂胆に違いない。チャックも数え切れないくらい見たことがあるから分かるのだ。
これは大戦期にも使われた古典的戦法。半世紀前の時点でさえ、古過ぎて錆び付いたような戦法と見なされていたくらいだが、それは決して非効率であることを意味しない。
むしろ有効だったが故に、ここまで使い古されてきた。
「ようし……そんなら良いぜ、そっちがその気なら乗ってやる」
チャックはケーブルが伸びるギリギリまで機体を前方に押し出すと、接近してくる一個小隊の進路に立ち塞がった。牽制射撃は控えめに、敵の砲撃を誘う。
しかし、前衛部隊は撃って来なかった。
チャック機を迂回するように機動するだけで、常に散らばって一定の距離を保とうとしている。全て予想通りだ。
海刃二号機を操るチャックの鼻元には、どこか焦げ臭い音が漂うようになっていた。
後衛の荒巌部隊8機から放たれる衝撃波が、次々に機体の装甲を掠めてコックピットを揺らす。
操縦桿を引き込みつつ、右フットペダルを踏み込む。鮮やかな捻り機動で下降する海刃二号機は、赤い衝撃波の三本を回避。次の瞬間には、メタルジェットエンジンに大電力を叩き込んでの急上昇を図る。ケーブルのせいで制限された範囲を縦横無尽に駆け回り、チャックは執拗なまでに前衛部隊だけを追い回す。
無論、彼にとってもギリギリの攻防だ。
肺は潰され、骨は軋む。容赦のないGが内臓をかき回していくようだった。
「ハァ……ッ! ハァ……ッ!」
ただし、これは老獪な駆け引きでもあった。
周囲をハエのように泳ぎ回る前衛部隊は、いずれ海刃二号機のしつこい追撃に焦れる。避ける事だけに集中すべきだというのに、ほんの出来心でチャック機を黙らせたくなるに違いなかった。
それが追い回される事への苛立ちなのか、防衛本能なのか、そんな事はどうでも良い。とにかく、必ずや生まれる隙を見逃してはならない。
チャックは思い切りフットペダルを踏み込むと、挑発するような衝突軌道に入る。耳元で鋭く鳴り出す異常接近警報、このままでは二秒後には敵機と激突だ。……二、一、衝突直前にメタルジェットエンジンの逆噴射を開始。寸前で減速した海刃二号機は、敵の攻撃意識を炙り出す。
――――この腰抜けめ、撃てるものなら撃ってみろ!
そして遂に、前衛部隊の内の一機がソニックウェポンの発振態勢に入る。しかし、その腕が発振を始めた途端、チャック機はそれよりも素早く敵機の脚部を砕いていた。これは反射神経の賜物ではない、発射タイミングの読みが完璧に噛み合ったのだ。脚部の装甲を撃ち抜かれた荒巌は、被弾面を圧潰させながら漂い始める。
「まだまだ、もう一機ぃ……ッ!」
発射残響に唸る海刃二号機の四肢は、立て続けにもう一射の衝撃波を機体下方に向けて撃ち出す。
衝撃波が向かう先にいたのは、ほんの一瞬、味方機の被弾に動揺していたと見えるもう一機の荒巌だ。海刃二号機の
これでも、パイロットは殺していない。
勿論、ブルのやり方に付き合うという意味もあったが、実利的な効果も考えての事だ。パイロットが生きているとあれば、たとえ敵の目の前であっても、味方はこれを救出せざるを得ない。それが
しかし、チャックとて余裕がある訳ではない。
肩で息をする彼にしても体力的限界は近いのだ。残る10機の荒巌を前に立ちはだかる海刃は、不退転の覚悟でメタルジェットエンジンを吹かす。
「時間はねぇんだからな……急げよ、ブル」
* * *
頭頂が擦れるほどに狭い廊下を、腹の底をかき乱すような重低音が駆け抜けて行く。
ブルは思わず、外部から轟いて来る大音響に顔をしかめた。彼は
「若い頃、チャックの奴がこっそり兵舎を抜け出すのに使っていた道がな……こんなところで役に立つとは」
警備が厳しいはずの区域を迂回し、誰に遭うともなく基地の後方区画へ。
ブルは脇道に設けられている扉に手を掛けると、音を立てないよう力を込めていく。ゆっくり、ゆっくりとブルの方に赤い光が差し込んで来る。扉を抜けた向こうは広い廊下だ。
まずは状況確認。少しだけ開いたドアの隙間から、ブルはひょっこりと頭だけを出す。
そんな彼の背後で小さな声が上がると、ブルは心臓がキュッと縮まるような思いを味わった。振り返ってみれば、そこには上下ツナギの若い男。眼帯に覆われていない右目が、男の視線と交錯した。
「あ」
「あっ」
通り掛かりの整備兵と運悪く出くわしてしまったらしい。全くついていない。
無言の裡にも、男の目には急激に警戒の色が滲み出て来る。これはマズい。男の手が拳銃を抜き放つのを見るより早く、ブルは咄嗟に扉の影へと引っ込んでいた。
相手にしても、まさかこんなところで侵入者と出くわすとは思っていなかったらしく、明らかに慌てた様子で呼びかけて来る。「そこから出て来い!」「両手を上に上げて」常套句を並べ立ててはみるものの、拳銃の扱いにも不慣れな様子だった。
「使うしかないな」
仕方ないと判断したブルは、ごそごそとウエストバッグを探り金属パイプ製の円筒を取り出す。筒の中にたんまりと反応剤を詰めた、チャックお手製の発煙弾もどきだ。ブルは分厚いドアの影に隠れつつ、それを整備兵の足元へと投げ付けた。
一瞬で拡散した煙が視界を覆い始め、相手は咄嗟に二三発撃って来る。しかし、まともに見えていないのだから当たるはずも無い。
跳弾の火花を飲み込むように、ドアの内側にまで濃い煙が這い寄って来る。煙を吸ってたまらず咳き込んだブルは、息を止め、目を瞑りつつ物陰から飛び出した。
ブルは聴覚を通して見えて来る世界を、脳裏に浮かび上がらせる。
プランターとしての共感覚能力によって、音だけでおおよその位置関係を把握。拡張神経系が無ければ大した事は無いが、位置関係を掴むくらいは朝飯前だ。そろりそろりと相手の背後へと回り込む彼の手には、民間用に市販されているテイザーガンが握られていた。
「悪く思うなよ」と心に念じ、そのまま兵士へ向けて引き金を引く。背中に電極針を撃ち込まれた兵士は、反撃する間もなく高圧電流によって痙攣。気絶していた。
既に辺りでは、煙を感知した火災警報システムが鳴り出している。
早く立ち去らなければ。そうは思うものの、ブルの身体はついて来ようとしなかった。
「痛たた……」
壁に手を着いたブルは、元から神経痛を抱えていた膝の辺りをさする。
さっきは危ないところだった。膝がやられるところだったと、彼は内心で冷や汗を浮かべる。
じん、と響く痛みが老体には堪える。なんとか息を整えようとするが、乾き切った喉が痛んで仕方がない。たったこれだけ動いただけだというのに、酷い息切れだった。弱り切った心臓が悲鳴を上げているのはよく分かっていたが、彼は弱弱しくも拳を握り込む。
「あと十年若ければなぁ」
ブルは目的地を目指して、重い身体を引きずって行った。殆どアシストスーツに歩かされながらも、彼はひたすらに通路を進んで行く。
それからおよそ十分後、ブルは動力室に辿り着いていた。
海刃側からのクラッキングは成功していたようで、電子ロックは解除済み。ウエストバッグに入っていた工具を取り出すと、かつて訓練で習った内容を思い出しながら物理錠を外した。こういった原始的な鍵は、時代が変わっても使われ続けるものだ。
中に入ると、9m四方の巨大な燃料電池設備が姿を現す。
下手な核融合炉よりも扱い易いからこそ、こういった大型燃料電池は一般的に使われているのだった。ブルはお手製爆弾の時限信管をセットし、基地主電源装置の破壊を試みる。起爆時間設定、300秒後。カウントダウン開始。
「よし」
これさえ破壊すれば基地の戦闘能力の大半は奪える。最低限の爆発しか起こさないから、後は周辺の隔壁を閉めておけば死ぬ者は出ないはずだった。とりあえずの目的を達成したブルは、動力室を後にする。
手当たり次第の圧力隔壁を閉鎖しつつ、海刃を置いて来た緊急時発着場へ。
しかし、通路を小走りで駆けていたブルは、ひときわ大きな轟音に鼓膜を殴られた。
室内を暴れ回っていく大音響と来たら、そこら辺の部屋でTNTが爆発したのではないかと思わせる程だ。咄嗟に両手で耳を抑えてもなお、目の前がチカチカと瞬いていた。この破滅的な振動の規模は、
これは間違いなく、
「チャック、このタイミングで撃ったのか?」
ブルは予定にない
ただならぬ事態の到来を直感したブルは、急いで海刃の下へと戻っていく。
「待ってろ、すぐに戻る……!」
* * *
その頃、コックピットに収まるチャックは額に汗を浮かべていた。
海刃二号機は既に傷付き、全身の至るところに擦過痕めいた疵を残している。しかし、戦闘には全く支障がない状況だ。辺りに浮かぶ無数の残骸は、チャックの駆る海刃二号機が単機で荒巌部隊を退けた事実を意味していた。
だから、息を切らしたチャックがなおも対する敵の正体は、荒巌などでは無い。
「おいおい、こんな奴が出て来るなんて聞いてないぜ。ワシだけじゃ抑え切れないぞ……!」
既に一発、
海刃に備わる聴覚神経系を通して、チャックの脳裏には音が描かれていく。
ヒイラギのような四肢、恐るべき高速性、人型を外れた異形。
背面に携えているであろう巨大なライフルの反射音を聞けば、その正体は一目瞭然だった。戦後数年で建造が打ち切られたはずのヘルダイバー、詳細不明の敵機が向かって来ている。
ようやく荒巌部隊を蹴散らしたと思えば、今度はこれだ。
この期に及んで、チャックは人生最大の忙しさを味わっているような気分だった。尤も、こんなに分の悪い役回りは引き受けたことが無い。
全く割に合わないはずの役回りだが、それでも、悪くないと思えるのが不思議でならない。チャックは今一度、身体の深奥に宿る火の熱さを確かめた。
ブルからこの話を持ち掛けられた時に感じた馬鹿馬鹿しいという思い、正気では無いという判断、それらを乗り越えてもなお見てみたかった何か。それはこの瞬間、ブルから託された背後の
馬鹿な友が、終わり掛けた人生の最後にようやく見出した希望なのだ。
過去の罪に潰されながらも、たった一つ見出した願いなのだ。
絶対に裏切ることはできない。たった一つだけで良い、最期に見せてやりたい。
――――だから、確実にこいつを撃退してみせる。
「へへっ、因果なもんだ。なあブルよ、やるしかねぇよなぁ!」
勝てるかどうかなど分からない。ただ、やらなければならないのだ。
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