ep8/9「木星(ほし)を継ぐ者」前編

「警戒圏に突入。距離50万、12時の方向に目標施設を捕捉」


 ブルは大きく息を吸い込み、実に半世紀ぶりに味わう空気に震える。遂に戦闘だ。

 前方500kmにまで迫っているのは、まるで上下逆さのキノコのような形をした基地構造物。一寸先も見通せない視界の先に、およそ500kmもの液体金属に隔てられた巨大構造物が浮かんでいる。冷静に考えても見れば、まったく恐ろしい事をやっているものだった。

 ここでは、人はあまりにちっぽけで脆弱な存在だ。たとえ10m級の鉄巨神に乗り込んでいようと、この金属海うみに潜ればやはり塵の一つに貶められてしまう。

 それを再び、思い知らされた。


『了解。船を出てからがなげぇもんだ……』

「敵部隊の展開も終わっているだろうな、後はやるだけだ」


 相変わらず役に立たないはずのメインモニターには、しかし、白い影が薄ぼんやりと浮かんでいる。

 あまりにも遠過ぎて未だに音が届かない遠方、500km。普通ならば有り得ないことに、連絡船側で処理されるセンサーがきちんと基地の表面構造を捉えているのだ。更に驚くべきは、基地前方に展開する敵部隊までもが、二重壁を描く白点として映っている事だった。


 改修された海刃の索敵性能に、ブルは内心で舌を巻く。

 通常状態よりも二桁ほど跳ね上がっている索敵半径。それは今回のミッションに当たって用意された隠し玉の一つが、上手く機能しているという証に他ならない。

 そこには勿論、リスクと紙一重の仕掛け(タネ)があるのだが。


「船から離れ過ぎるなよ」

『分かってる分かってる。ケーブルが千切れちまうからな』


 チャックからの返答がヘッドセットを震わせると同時に、海刃二号機が僅かに身動みじろぎする。ブルは海刃一号機の中に居ながら、いつもとは異なるその反射音を聞き取っていた。

 よく耳を澄ませてみれば、海刃二号機は連絡船に向かって長いケーブルを伸ばしているのだ。連絡船と海刃二号機を繋いでいるのは、ちょうど背面から生えている長大な大容量転送ケーブル。

 無論、ブルにとっても他人事では無い。実のところ全く同じものが、この海刃一号機の背面からも連絡船に接続されているのだ。

 ブルは一号機のスピーカー群を作動させると、トリガーボタンに指を掛けた。


「敵機照合完了、ダイバー〈荒巌あらいわ〉12機。砲撃開始」

『了解、ぶっ放すぞぉ!』


 敵を前にトリガーボタンを押し込む感触は、記憶していたよりも遥かに軽かった。

 ボタンを押し込んだ途端、圧電素子は瞬く間に振動周波数を上げていく。海刃の四肢に仕込まれた数十万個という六角結晶が、装甲裏で蠢き出して鼓膜を震わせる。一つ一つのスピーカーから発振された音波は、海刃一号機の前方でコンマ一秒と掛からずに収束。鼻先を掠める焦げ臭さ。高周波音が、無形の刃と化して高圧気泡を纏い出す。

 ――――発射。

 ブルの脳裏に真っ赤な三日月を描き出しつつ、海刃一号機は深い闇へと衝撃波を撃ち込んだ。

 同じように、ブル機の隣からも薄い三日月のような衝撃波が伸びて行く。海刃二号機の腕に薄緑の淡色円環が閃くと、消失。すぐさま二射目の衝撃波となって、敵部隊の姿を隔てる分厚い液体金属水素を貫いていく。


「この距離なら破壊は出来ないからな。最大出力の直撃で構わん!」


 金属海うみに撃ち出された衝撃波は減衰し、超音速の刃から強烈な音波へと姿を変える。

 総勢12機を誇る荒巌あらいわ部隊は、未だ海刃の姿を聞いていない。砲撃に気付いてもいない。しかし不意に、幅10kmに亘る二列横隊を組んでいた内の一機が、まるで仰け反るようにして隊列から脱落していく。

 海刃から荒巌あらいわ部隊まで、遥か数百kmにも及ぶ距離を走り切った音波は、発射から三分以上の時間を掛けてようやく敵部隊に着弾した。


 着弾したのだ。


 未だ荒巌あらいわの索敵可能範囲にすら入っていないにも関わらず、海刃は一方的な狙撃を成功させていた。

 確かにヘルダイバーの音響兵器ソニック・ウェポンならば辛うじて届く距離だが、この距離で直撃弾を出すのは極めて難しい。もはや基地守備隊の面々の理解を超えるような、殆ど神業と言っても良い芸当だった。


『クソッ!……アーサー3被弾』

『被弾だと? 冗談を言うな!』


 部隊の混乱が収まらぬ内に、長い、長い緑色の軌跡がもう一本描かれる。

 続けて飛来した二射目の音波により、またもや前方に展開していたうちの一機が直撃を受ける。よほど当たり所が悪かったのか、パイロットは運悪く失神した様子だ。

 直撃に気付いた僚機が咄嗟に腕を掴むと、被弾機はまるで死んだ魚か何かのように曳航されていく。


『クラーク5被弾した模様……!』

『突っ立っていると撃たれるぞ! 各機、回避運動を怠るな!』

『この距離の狙撃だと……?』


 この距離では破壊されるはずも無いが、まともに音波を食らえば繊細な聴覚には混乱が生じてしまう。例えば目の前で花火が炸裂するような、相当過激な目潰しを食らったようなものだ。

 二機目、三機目……直撃を受けた機体はたまらずに平衡感覚を失ってしまい、数分間は隊列に戻れない有様となっていた。


『50年も前の骨董品で……連中は一体何者だ』


 部隊に向けて次々に、休みなく襲い掛かって来る緑色の軌跡。

 眼前の闇から無数に突き出される、音響兵器ソニック・ウェポンの長槍。

 荒巌部隊のパイロットたちは、背筋を氷が滑り落ちていくような感覚に戦慄する。これではまるで、大戦期以降は封印されて久しいはずのヘルダイバーが、そのまま戦史の教科書から抜け出てきたような光景だ。しかも相手だけが、この完全なる闇を見通せているのだからタチが悪い。


 ダイバーをも圧倒するという、あのヘルダイバー規格。


 勿論、その存在はパイロットならば誰もが知っている。しかし、その恐ろしさは半ば歴史を語る上での化石と化していた。たとえどんなに恐ろしい獣が居たところで、半世紀も前に絶滅していると聞かされれば誰も恐れたりはしない。

 だが、その末裔が生きていたとしたら。

 牙の鋭さをそのままに、襲い掛かってきたとしたら。

 だからこそ、大戦期を知らないパイロットたちは驚嘆する。恐怖する。それぞれに回避機動を始めた荒巌部隊は、未だ姿の聞こえぬ海刃二機に翻弄されていた。


 * * *


「敵部隊への着弾を確認。手を休めるなよ」

『この距離からでも狙えるとはなぁ!』

「連絡船の重力波干渉計をアイに任せているんだ、それが上手くいっている!」


 ブルはリアルタイムで更新される、メインモニター上の敵部隊の動きに目を凝らす。

 通常、金属海うみにおける狙撃は困難を極めるものだ。

 その理由の一つとして挙げられるのは、他でもない音によって敵の位置を探らねばならないこと。つまり、光に比べて遥かに遅い音でしか敵位置を特定できないからこそ、現在位置の把握が極めて難しい。

 そこでブル達は、連絡船に搭載したとあるセンサーをアイに処理させ、そこで得られた情報をケーブルを介して受け取ることにした。具体的には、連絡船に積載したレーザー干渉計を用いて微弱な重力波を検出しようというのだ。


 重力波とは、時空を伝わっていく歪み。

 質量を持つ物体が動けば、そこにはまるでさざ波が立つように重力波が生じる。波は障害物に邪魔されることがなく、しかも光と同じ速さで瞬く間に伝わっていくのだから都合がよい。

 無限の彼方まで届き、速くて、弱まらない。

 そんな重力波を見ているブル達は、敵機の大まかな位置をリアルタイムで把握しているも同然だった。しかも一方的に。

 そこへブルとチャックのプランターとしての共感覚能力が加わり、二機の海刃は悪魔的な精密さで命中弾を叩き出していく。彼らの視界は、重力波と音に照らされた金属海うみだ。


 ただし、重力波干渉計はかさばる上に、検出精度が低過ぎる。普通はせいぜい連絡船に搭載するのが精一杯で、ダイバーなぞ捉えられる訳が無いような代物だった。これも全て、アイの能力が加わる事で初めて可能になった戦法だ。ただし、守るべき船から離れられなくなるという致命的な弱点もある。

 故に、絶対に敵部隊を近付けさせてはならない。

 圧倒的な索敵能力を得る代わりに、ダイバー本来の特性を殺しかねない。

 まさにリスクと紙一重の、諸刃の剣とでも言うべき邪道だった。


「これ以上、近付けさせる訳にはいかないな」


 廃熱が素子を歪ませる前に、機体冷却系は最大効率での稼働を開始した。異常振動が機体を震わせ、警告メッセージが視界の端に灯る。が、こんな物を見ている暇はないとばかりに、すぐさま警告消去デリート

 音響兵器ソニック・ウェポンの発振素子が悲鳴を上げるのも構わず、ブルはとにかく撃ち続ける。数十分に亘って、鋭い音の暴威は荒巌部隊を抑え付けていた。


 連絡船は、海刃二機の後方4km地点に守られる形で潜航を開始。アイが自律操船を継続している為、内部は無人だ。荒巌部隊は連絡船と海刃の無力化を狙うも、ブル達は最大射程圏内から侵入を許そうとしない。

 一見、戦局は膠着しているようにも見える。

 しかし、もたもたしていれば応援戦力がやって来るのは目に見えていた。有利なのは超長距離狙撃に翻弄されている荒巌部隊の方であって、決してブル達の方では無いのだ。往々にして、老人に残されている時間は長くない。そういうものだと世間の相場が決まっている。

 既に基地までの距離は、200kmを切っていた。


『じゃあここらで一発花火を上げるぜ』

「当てるなよ」

『分かってらぁ。お前さんのやり方に付き合ってやるよ』


 チャックの駆る海刃二号機が、背負っていた長砲身に手を掛ける。口径12.7mm、砲身長6m以上。その長さに対して異様に小さな口径を誇るライフルは、海刃二号機の両手で構えられる。砲口が見据えるのは遥かなる闇、それでも狙う対象ははっきりと捉えられていた。


『カウントダウン開始、3、2……』


 ブルはコンソールパネルに手を伸ばし、機体の出力配分を変更する。微かな唸りを上げていた音響兵器ソニック・ウェポンへの配分を停止、全余剰電力を背面のメタルジェットエンジンに注ぎ込む。推進系、全力運転開始のタイミングをマニュアル制御に変更。

 更に大容量転送ケーブル、パージ。

 途端に重力波の視界が消え失せ、音こそが金属海うみを照らす光となる。軽く押し出されるような衝撃と共に、海刃一号機の背面からはケーブルが外れていた。衝撃で漂い出す接続部は、カンという仄かに青い音を纏って装甲を打っていく。


『1……』


 ブルはフットペダルに込める力を強め、メタルジェットエンジンの投入電力を最大まで引き上げる。爆発寸前まで溜め込まれた推力が、ビリビリと機体フレームに振動を伝えていた。自動安全装置の第一次制限ファースト・ミリッターをカット。メタルジェットエンジンのコーンが僅かに前方へと突き出し、全力運転の負荷に備える。

 加速直前、夜明け前のような静けさがコックピットを包んだ。


発射ファイア


 チャック機が構えていたライフルから、骨を震わすような真っ赤な音が炸裂する。砲口から球体状に広がっていく衝撃波面は、超高圧の液体金属水素を泡立たせながら広がっていく壁だ。その赤壁を内側から食い破るように、一発の縮退炭素結晶ダイヤモンド弾が撃ち出されていた。


 そしてほぼ同時に、ブルの足は思い切りペダルを踏み込んでいた。推力全開。

 海刃一号機の背面、双発メタルジェットエンジンの内部で一挙に推力が爆発する。凄まじい勢いで円筒から噴き出す金属流は、実に100m以上の尾となって機体を押し出していた。弾き出されるように急速下降していく海刃一号機は、チャック機から広がる真っ赤な衝撃波面に揺さぶられる。

 刃のような四肢が金属海うみを切り裂く。なおも加速。


「……ッ!」


 息が詰まる。視界が黒く染まる。スーッと意識が抜けていく感覚は、まるで天に召されるような心地だった。この死ぬほど息苦しい圧迫感を除けば、だが。

 老体が耐えられる常識的な限界など、今さら知った事ではない。

 残った歯を精一杯食いしばるブルは、みしみしと骨が軋むような音を幻聴していた。精一杯、ブラックアウトへと誘われる意識を保ち続ける。声も出せないほど凄まじい力に抑え付けられていたが、身体は無言の悲鳴を上げていた。

 あまりに過酷な加速度の責め苦を耐え抜くには、この身体は脆すぎる。そんな事は分かっている。分かっていてなお、推力を緩めるつもりは無い。


『起爆するぞぉ!』


 深く、深く潜っていく海刃一号機の頭上で、重力崩壊式実弾兵装ブラックホール・ウェポンが起爆する。

 チャック機が弾頭を撃ったのは、ちょうど荒巌部隊の鼻先だ。一秒にも満たない時間の内に生まれ、そして蒸発したブラックホールは、基地の数十km先で凄まじい大爆発を起こしていた。熱核弾頭百発分にも相当する爆発が金属海うみを揺らし、ブルの海刃をもドンと揺さぶっていく。

 しばらくは何も聞こえぬほどの爆発音が、辺り一帯の海域を支配する。

 これで少しは敵の耳を誤魔化すことができる筈だった。こうして潜る海刃一号機の姿など、捉えられるはずが無い。


「機体が分解……しても……文句……は言えない、なぁ!」


 目的地まであと少しだ。

 この永遠にも思える数分間で進んだ距離は、実に200km近い。ブルは機体速度を少しだけ緩めつつ、進行方向を斜め上方に設定。今度は最短経路で逆さキノコのような基地へと突き進む。海刃一号機は、荒巌部隊の遥か下方を潜り抜けていった。

 ブルの記憶が正しければ、基地の上層ブロックには抜け穴が存在する。

 潜航艇避難用の緊急時発着場、それこそが抜け穴の正式名称だ。


「あった、あそこか」


 息が切れる。既に相当体力を消耗していたが、耳まで鈍くなる訳ではない。ブルの鋭敏な拡張聴覚系は、反射波から基地表面の凹凸を聞き分けていた。その中に、記憶通りの場所に設けられている緊急時発着場を聞き取ったのだ。

 大幅に減速していく海刃は、閉鎖されているゲートの周辺へと接近を図る。余計な衝撃を与えないように基地壁面へと取り付き、外部ロックの解除を開始。このゲートは潜航艇の避難に用いられる性質上、ロックは緩い。

 海刃の認証が未だに生きている事を祈りながらも、彼は徐々に開いていく隔壁を目にすれば驚かずにはいられなかった。

 割とあっさり開いてしまったのだ。

 彼がそれを望んでいたとはいえ、基地設備のあまりの古さには同情せずにいられない。


「ここも昔と変わらんな。大戦後は予算ばかりケチっているから……」


 自動で動く三重隔壁を抜け、ブルは海刃を緊急時発着場の中へと収める。せいぜいダイバー三体を収められる程度の広さしか無かったが、今はこれで十分だ。

 錆び付いた金属壁に四方を囲まれた空間で、跪いた海刃はみるみるうちに漆黒の纏いを脱いでいった。

 海刃胸部のコックピットハッチを開放。よろける足で踏ん張りながらも機体を降りて来たブルは、発着場の壁面パネルへと辿り着いていた。

 海刃の脚部整備用コネクタから引っ張って来たケーブルを伸ばし、基地システムに繋がる壁面操作盤へと接続。コックピット内の増設スロットに刺して来た適当なコアディスクに、システム内部への干渉を開始させる。

 予め仕込んでおいたAIスクリプトが走る(ラン)、走る(ラン)、走る(ラン)――――。


「あとは警報装置を作動させれば……」


 一旦、コックピットに戻ったブルの操作で、跪く海刃の右腕だけが金属壁へと向けられる。ゆっくりと慎重に狙いをつけようと動く右腕は、壁の向こうにあるネットワーク中継装置を向いている。その前腕が僅かに振動し始めたかと思うと、ごく細く絞られた衝撃波が壁に向かって撃ち出された。

 グワングワンと発着場内を暴れ回る唸り音、その直後に室内の電源が真っ赤に切り替わる。警報アナウンスまでもが響き始めると、基地ブロックに修復不能な被弾箇所があることを告げ始めた。勿論、実情に比べれば大げさな反応だ。

 しかし、被弾箇所があると誤認したシステムは、自動遮断を実行している最中だった。一帯を緊急電源に切り替えさせた上で、無事な中枢ブロックにリソースを集中しようとしている。この混乱に乗じて、ブルは基地内部へと潜り込もうというのだ。


「ここまでは上手く行ったな」


 一旦は気絶しかけながらも、ここからは生身で電源設備を潰して来なければならない。ブルは首を痛めないよう、ゆっくりと頭を振って思考をすっきりさせる。本番はこれからだ。

 そして、発着場を後にしたブルは、古い造りの基地施設内を小走りで駆けていく。ロクに更新されていない警備システムは、海刃一号機からのクラッキングで作動を止められていた。


 走る足の動作に合わせて、パワーアシスト繊維が動作を補助する。

 ブルが着ているのは、作業用アシストスーツの法定範囲を超える違法改造を施した作業衣。一世代前の軍用パワードスーツにも匹敵する馬力を発揮可能な代物だった。チャックは「重いパーツを運ぶ時に便利。負担も軽い」と、元からこれで作業をしていたらしい。

 ブルの頭には溶接作業の時に用いる遮光ゴーグル。腰にはゴツゴツと膨らんだウエストバッグ。中身を考えると不安しか無いが、彼が生身で頼れるのはこれしかない。

 ブルは精一杯、走ろうとしていた。

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