ep7/9「たった一つのバカげたやり方」

 とある日の朝、一隻の連絡船が浮遊コロニーを出港しようとしていた。


 目的はコロニー間輸送業務。船舶番号、積載重量共に事前報告と相違無し。

 要するに、何の変哲も無い一隻の連絡船が、発着場の大型ゲートをくぐって液体水素の海へ漕ぎだそうというのだ。発着場を見渡してみれば、そんな船は掃いて捨てるほど存在する。普段と何も変わらない業務、当たり前にこなす日常の風景。特段、何も注目すべき事は無い。


 浮遊コロニーの管制室を仕切る男は、一人、無数の壁面モニターを前に合成コーヒーを啜っていた。ただ苦いだけの黒い水、これくらいマズい方が良い目覚ましになると自分に言い聞かせる。彼の視線は、とあるモニターへと向けられていた。

 そこには、第二減圧ブロックへと入ったばかりの連絡船が一隻だけ映し出されている。ちょうど出港作業を進めている真っ最中だ。しかし、その映像を見ていると、何か引っ掛かるような気がしてならない。カップをテーブルに戻した管制官は、自分が連絡船の外見に違和感を覚えている事に気付いた。


「なんだ……あの船、見た目が違うじゃないか? どうしてここまで通したんだ」


 ここは仮にもコロニーの出入りを監督する場所。これから出港しようという船には、きちんと提出されたデータとの照合作業が待っているはずだった。だと言うのに、ここまで外見が異なる船を間違えて通すとは、一体どういう事なのか。

 他の管制官の怠慢っぷりには、流石に腹を据えかねる。後で上にどう報告してやろうかと考えつつ手元の操作盤に手を掛けると、男は連絡船に通信を繋いだ。


「出港許可は一時取り消す。速やかに出港プロセスを中止し、指定ドックへと戻られたし」

『は、はい、何ですと?』


 返って来たのはとぼけたような老人の声だ。

 こういう手合いにはゆっくり、分かり易く。


「出港許可を取り消すと伝えました。早く、ドックに、戻って!」

『はあ……ちょいとボロ船の調子が悪くて何を仰っているのか……おい、もう少し真面目に答えられないのか……そんな事言ったってワシはこんな受け答えは初めてなんだぜ……』


 今度は、二人の声が入り混じり始めた。面倒な事になって来たぞ、と男は予感する。こんな時、耳の遠い老人は一人でも多過ぎるくらいだ。


「ほう、そちらからのお二人の声はよく聞こえますがね」

『そりゃどうも……』


 ああも見た目が違う船であれば、船籍を偽装している可能性も高い。管制官は船内への立ち入り検査の手配を進めつつ、連絡船の船橋へと呼びかけを続ける。

 しかし、いつまで経っても真面目に応える気配が無い。通信先では、二人の爺さんが口喧嘩を始めている始末だ。


 よし、こいつはやる気だな。


 管制官はそう判断すると、手元の操作盤に手を伸ばして、減圧ブロックの開閉を完全にロックする。これで連絡船がいくらあがこうとも、ここから出る事は出来なくなった。後は余計なことをせず、相手が大人しく出て来るのを待つのが一番だ。管制官は仕上げとばかりに、やんわりと最後通告を吹き込む。


「そこで根競べも良いのですがね、早く戻られた方が身の為ですよ」

『どうしても通さないおつもりで?』

「ほれ、やっぱり聞こえているじゃないですか。聞こえているなら――――」


 しかし、最後まで言い終える間もなく、管制官の男は目を剥くことになった。

 突然、連絡船の影から巨大な人型が現れたかと思うと、減圧ブロックを仕切る隔壁に両腕を向けたのだ。それは間違いなく大戦期に主力兵器として用いられた兵器、今でも金属海うみに配備されているという鉄巨神の姿だ。


「こ、こんな所にダイバーだと!?」


 少しばかり厄介なクレーマーだと思っていた老人達が、一気に凶悪極まりない武装集団と化した瞬間だった。いきなりライフルや手榴弾を向けて来たどころの話ではない。ダイバーなのだ!

 管制官は頭をぶん殴られたような衝撃を受けながらも、少しは冷静に働く思考で相手を観察し始めた。ダイバーは恐らく、第一減圧ブロック内で既に出撃させていたに違いない。こんなものが本気で暴れようものなら、発着場どころかコロニー低層に及ぶ被害が想像を絶する規模になるのも間違いない。

 しかし、そんな時だというのに、老人たちからはいちいち指摘が飛んで来る。


『ダイバーなんぞと一緒にされたくはないわ! こいつはれっきとしたヘルダイバーだぞ、ヘ・ル・ダ・イ・バー! きちんとそれくらい勉強しておけ、この若造めえ!』

「まったくこの爺共め……! 一体何をするつもりなんだ!」

『へへっ、聞きたいか?』


 駄目だ。止められない。管制官の脳内を電撃のような直感が走る。


『早く隔壁を開けてくれればいいんだ。でなきゃ、全部の隔壁ぶち破って浅海に出てやるぜ。そうなりゃ発着場全体だって無事じゃ済まない。分かっているよな?』


 勿論、分かっている。そう言い返してやりたい気持ちを飲み込むように、男は力なく弛緩した表情でモニターを見つめる。

 そう、これは仕方がない。後で処分が下りたとしても自分の責任では無いのだ。

 それが今出来る精一杯の自己弁護だった。管制官は大きく息を吸った後、死んだような目で操作盤に手を掛けるしか無かった。


「……こいつはもうどうにもならん。俺のせいじゃない」


 * * *


『あの管制官、減給で済むと良いんだがなぁ』

「そんな事を心配している場合か。でも、その為にあそこまで派手に脅したんだろう? あのやり取りが残っていれば、誰だって仕方ないと思うだろうよ」

『はは、ワシらは極悪人も良いところだな』

「違うのか?」


 浅海へと出た連絡船の船橋で、ブルはチャックと通信を交わす。予定より随分と早い段階で恐喝に及ばざるを得なかったが、チャックの海刃二号機を出撃させていた時点で、このような展開も想定していなかった訳では無い。既にブルは仕方がないと諦めて、次の対処へと移っていた。

 彼はサブモニター上に、連絡船を追って来る複数の反応を発見していた。数は4、コロニーに常駐しているダイバー小隊の緊急出撃スクランブル。コンソールパネルから短距離音波通信の周波数帯を弄ると、船内には途切れ途切れの通信音声が響き始める。


『船舶番号19-41627JPH――――だちに武装を解除し――――にて停船せよ! もし、この警告が受け入れら――――』


 ブルは最後まで聞き届けることもなく、通信を切った。

 ブルやチャックが軍に居た頃から変わらない、マニュアル通りの警告文だ。もしこの警告が聞き入れられなかった時、ダイバー部隊が次にどうするのかを彼は知っている。武装船の拿捕、あるいは撃沈。どちらも御免被る話だった。やるべき事は一つしかない。

 まずはコロニーの専用発着場から出撃して来た追手に、穏便に引き取ってもらうのだ。


「ダイバーに張り付かれたら厄介だ。あれは追っ払わないとな」

『まあ穏やかに済ませて来るぜ』


 チャック機はメタルジェットエンジンを吹かしつつ浮上して行き、連絡船を背に追手へと向かって行った。追って来た小隊とて、なにもこちらを本気で沈めに掛かろうとしている訳では無い。多少脅して来れば済む話だ。

 ブルは船体の状況をモニター上でチェックしつつ、徐々に船を潜航させていった。推進機関の出力上昇。急激に増した推力を反映して、船内をガクンという揺れが襲った。改修前とは段違いの加速特性だ。チャック機を引き離してしまわないように注意しつつ、連絡船は分ごとに数千m単位で深度を上げて行く。


「戻って来たか」


 連絡船後方、接近して来る一つの動体反応があった。距離が詰まって来た段階で音紋解析に掛けてみれば、それは間違いなく海刃だと分かる。チャックが駆る海刃二号機は、ダイバー小隊を容易く追い払って来たらしい。


「早かったな」

『なぁに、ライフル向けて低出力音響兵器ソニック・ウェポンの一発でも掠らせればりゃあ、あんな連中は一発で退散よ』

「まとまった部隊を差し向けられたらかなわんしな。深度を上げて振り切る」


 そう、まだ深度が浅い今は捕捉されるリスクが高い。本気で軍の追手を振り切ろうと思えば、最低でも10000kmは深度を上げていかねばならない所だ。それでこそ、金属海潜航艇の高い隠密性は真価を発揮する事が出来る。大戦中は沈黙の殺し屋サイレント・キラーとまで恐れられた、神出鬼没の存在となれるのだ。


「まずはこのまま金属海うみすれすれの浅海を航行するぞ」

『了解。船内に入るぜ』


 後部ハッチからチャック機を収容した連絡船は、更に深い海域へと潜っていく。一旦は振り切られた追撃部隊が、応援戦力を伴って駆け付けた頃には、既に連絡船は索敵可能範囲から消え去っていた。


 * * *


 ――事態の展開――

 翌日。事態を重く見た浅深度警備隊は、武装船鎮圧の為の作戦行動を承認。

 最寄りの三基のコロニーに常駐していた戦力は、一部ダイバー部隊を再編成。水面下で、総勢24機、二個中隊規模のダイバー戦力が任務に当たることとなった。

 そして警察を介入させる事無く、コロニー下層街で生活する複数の協力者にも聴取を実行。協力者はいずれもサルベージ業。彼らは目的を知らされずに、補修用という名目で多数の資材を販売した疑いが濃厚。

 実際に、チャック=リーン名義で借用していたドックからは、ヘルダイバー規格の資材が多数押収されている。


 またこの調査から、ブル=アルヘンド、チャック=リーン両名が運用している機体は、特定封印規格の一種〈ヘルダイバー 海刃〉であると判明した。

 重力崩壊式実弾兵装ブラックホール・ウェポンの運用が可能であり、危険度は極めて高い。


 ――目的の推察――

 取り調べの中で、チャック=リーンは複数人に対し「これで海賊にでもなってやる」と告げていた事実が判明。なおチャック当人に過去の犯罪歴は無し、業務上の指導は複数回。

 顕著な反社会的傾向は窺えず、先述の発言はカモフラージュを期した虚言であると考えられる。

 ブル=アルヘンドに対しては、勤務していた輸送業者への聴取が完了。過去50余年に亘る記録を洗い直した結果、問題を起こした記録は発見されず。犯罪歴、反社会的傾向無し。

 動機に繋がり得る思想的要因を含め、現在も範囲を広げて捜査中。


 ――結論――

 未だにブル、チャック両名の目的・目的地ともに不明。

 ただし、超深海層を目指している可能性も否定出来ず。対応は慎重を要する。

 関係者を極力減らすべく、コードネーム〈亡霊ガイスト〉の投入も視野に入れ――――。


 * * *


「軍も今頃は、ワシらを探して血眼だろうな」


 ぼりぼりと頭を掻きつつ、チャックはコンソールパネルとの睨み合いを続けている。彼ら二人は連絡船の操船室に閉じこもり、航路再計算とルートの調整を進めていた。


「あー、これで捕まったら営業許可は取り消し、そのままブタ箱にぶち込まれて、まっずいオートミール食って華の余生を過ごすことになるんだぜ? 違法資材がどうのこうので、ワシぁいくら罰金を持って行かれる事やら」

「そりゃあ、法律気にせずに機械弄っていたお前さんが悪い」

「フン、海刃だってその一つなんだがなぁ。パーツを切り出すのも手間だったから、そのうちに機体丸ごと高く売りつけてやろうと思っていたんだ」

「……」


 言い返せずに黙る。今さら思い出すまでもないが、ブルも共犯者なのだ。

 この騒ぎが一体どれほどの早さで伝わるのかは分からないが、どちらにしても海に入っている限りはそう簡単に捕まりはしない。この環境下では初めから長距離索敵などはほぼ不可能だし、そもそもブル達の目的地は知られていないのだ。

 今、ブル達がどこに居るのか、そしてどこへ向かうのか。これさえ知られていなければ、多少は安全だ。


 一方その頃、浅深度警備隊は、ほぼ完全にブル達の居場所を見失っていた。

 連絡船の行動可能半径から予測円を描き、対流を考慮して捜索範囲を設定するも、改修された船はその範囲外へと逃げおおせていたからだ。

 警備隊がしらみつぶしに捜索範囲内を潰している中、ブル達は居場所を悟られる事も無く、金属海うみすれすれの深度11000km付近を航行していた。

 警備隊が自らの失策に気付き、大深度領域へと捜索の手が伸びるまでに、更に三日の時間を要する事となる。当然、ブル達は知る由の無い情報だ。

 しかし、知っていようがいまいが判断は変わらない。いずれにしても、かつて軍人だったブル達に、軍という組織の能力を甘く見積もるつもりなど無かったのだ。


「流石にそろそろ警備隊も捜索深度を切り替えているだろうな」

「連中も馬鹿じゃない、いくら金属海うみが広いと言ったって運悪く見つかりゃマズい事になるんだ。ワシはそろそろデコイを使うべきだと思うぜ」


 チャックは親指で背後の貨物積載ブロックを指しながら、そう提案して来る。今回のミッションに向けて用意した搦め手の一つを、ここで使おうというのだ。


「デコイからある程度の位置を割り出される事も覚悟の上か……敵もデコイを見付ければ、戦力を割いて対応せざるを得ないしな。本当に使えるんだな?」

「当ったり前ぇよ。何の為にわざわざもう一隻の連絡艇ランチを調達したと思ってるんだ」


 用意したデコイ、即ち連絡船の位置を誤魔化す為の囮は、全長20m程度の小型連絡艇ランチだ。連絡船と酷似した音紋を出すように改装してある為、ある程度なら音響索敵を誤魔化すことができる。

 ただしデコイは航続距離が短く、発見されればある程度連絡船の位置をも絞らせる事になるから、ここぞというタイミングで使うしかない。

 敵戦力の足を止める為の時間稼ぎ、ギリギリまで使えない切り札の一つだ。


「よし、分かった。放出作業に掛かるぞ」


 数分後、ブルとチャックは連絡艇ランチを起動させ、貨物ブロックの減圧室を開放。予定航路を進むだけのデコイを船体後部から放出し、液体水素の海へと旅立たせていった。

 デコイはこれから、設定した航路に従ってただ浮上と潜航を繰り返していくことになる。航行と呼べるかどうかも怪しい原始的な移動に過ぎないが、敵戦力を分断する役目は果たしてくれるはずだった。


 デコイの放出と潜航深度の切り替え、あらゆる手を使いながらの隠密潜航は数日間に亘って続けられた。追う者と追われる者の静かなる戦いは、木星に不可視の火花を散らしていく。

 そして、追撃部隊の捜索を逃れ続け、連絡船の出港から130時間以上が経過。

 コロニー脱出から6日目、連絡船は目的地まであと2000kmという位置にまで迫っていた。


 連絡船が接近しているのは、木星内部でも特に巨大な下降流が発生している海域だ。

 実に深度5万kmを超える超深海層へ向かう為には、その下降流に乗る形で潜っていかなければならない。しかし、そういった海域は限られているからこそ、ブル達も危険を承知で特定海域を目指す必要があった。

 なにより厄介なのは、その海域にとある警備基地が設置されている事だ。


「あのオンボロ基地も、昔から変わっていないようだな。俺が居た頃からなにも」


 格納庫で海刃の起動作業を進めつつ、ブルはヘッドセット越しにチャックに話し掛けた。

 基地の構造は、直感的に説明するだけなら単純極まりない。

 語弊を恐れずに言うなら、コロニーの最下層から遥か深層に向けて伸ばされたケーブルに、基地施設がぶら下がっているのだ。液体水素の海を上から下まで突っ切って、実に全長1万kmを超える軌道エレベーターが沈められている。

 そこに突っ込むという事は、基地周辺の防衛網に自ら飛び込むことを意味する。


『今も昔もこんな所に用意されているのは閑職だろうよ。あそこに常駐している部隊さえ突破できりゃあ、そのまま連絡船は超深海層に潜って行けるってね』


 ヘッドセットのスピーカーを介し、チャックからの通信が入る。彼は既に海刃二号機のコックピットに収まっているはずで、一足先に起動準備を進めている。耐圧システムを作動させ始めた証拠に、二号機の装甲はみるみる内に漆黒へと染まっていった。


『まだか』

「すぐ済ませる」


 ブルは海刃一号機の足元の端末から、機体の補助動力装置(APU)を始動。小型ジェネレーターが高周波音を奏で始め、電力供給を開始する。耐圧システムを起動しつつある一号機もまた、頭部から黒いペンキを垂らされたように変色していった。

 すぐに整備用クレーンでコックピットへと上がったブルは、ウエストバッグを足元に放り込む。中身を詰め込んだせいでゴツゴツと尖っているから、身に着けるとこれが痛い。自らも整備用作業衣のままシートに身を預けると、年齢を感じさせない手捌きで起動プロセスを開始した。


「連絡船の制御はアイに任せてあるからな、俺達は何としてもダイバー部隊を抑える」

『おうよ』


 今さら正式な起動手順などとっていなかったが、ヘルダイバー海刃は全く問題無く作動していた。狭苦しいコックピットに収まったブルは、ちょうど入口に沿って四角く切り取られた船内を見やる。

 作戦が成功しようとしまいと、もはやこの船に戻って来る事は無い。もう二度と。

 ならば、せめて自らの決意を別れの手向けにしようと、ブルは一人呟く。


「お前の願いくらい、叶えさせてくれるな?」




 ――――うん。




 薄暗い格納庫の壁に、ふと無垢のワンピースがひらめいたような気がした。春の日差しを浴びているかのような微笑み、そして聞いたことも無い少女の言葉が、無骨な灰色のキャンバスにおぼろげに浮かび上がる。

 それもただの幻視、ただの幻聴。とはいえ、忘れるにはあまりに惜しい少女の幻影だった。遂に複合金属中毒で脳がイカれ始めたのかも知れないが、それでも構いはしない。気付けば、ブルはほんの少しだけ口角を上げていた。あるいは、彼女に向かって微笑もうとしていたのかも知れない。

 彼は萎びた両手で操縦桿を握り締めると、ただ一言、彼女に応えてみようと思った。


「行ってくる」


 ――――行ってらっしゃい。


 最初で最後、初めて口にする言葉の感触はどこかむず痒い。二度と戻らないはずの船内を愛おしそうに眺めると、ブルは遂にコックピットハッチを閉じた。


「チャック!」

『あいよ! かましてやろうじゃねぇか!』


 連絡船から二機の海刃が出撃。彼らは遂に基地防衛網への突入を開始した。

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