ep6/9「アイに花束を」

『おう、そっちはどうだい』

「初めての試験潜航テストダイブになるがな。今のところ問題ないぞ、チャック」


 ブルは身に着けているヘッドセットで、チャックとのやり取りを交わす。彼はコックピットシートに腰を据え、昔懐かしい海刃の腹中に収まっていた。ブルとチャックが使う短距離音波通信装置は、海中の海刃と、乾ドック内の連絡船とを接続する為のものだ。

 応急修理を終えた海刃による、液体水素層への試験潜航テストダイブ

 つい数時間前に応急修理が済んだ機体ともなれば、ブルとて当然不安は付きまとう。しかし、時間が無い以上、こうして少しでも早く動かしておかなければならない。


「よし、始めるとするか」


 前方、そして左右に配置されているのは、まるで波がのた打ち回るような映像を垂れ流すだけのモニターだ。両手で操縦桿を握り込んでいたブルは、ふと握る力を緩めた。そして一つ一つ思い出していくかのように、急ごしらえのレバースイッチを幾つか押し込んで行く。

 不意にレバーが折れやしないかと心配になるが、切り替えていく度にカキリと響く音は順調そのものだった。骨董品とはいえ、コックピットブロックごと付け替えられた恩恵は大きい。

 ブルはサブモニターに視線を向ける。警告、警報無し。今のところは正常に稼働中。


「耐圧殻の歪みは許容範囲内。遅延場による装甲表面の圧力減退を確認」

 数百万気圧という想像を絶する高圧から機体を守るシステムも、至って順調な稼働状況だ。


 自然界に存在する第五の相互作用、〈情報遅延作用〉。

 ダイバーやヘルダイバーの耐圧システムは、この情報伝達を遅らせる力無しには成立しない。遅延子ディレイオンと呼ばれるゲージ粒子がやり取りされれば、物質は重力を除く相互作用の到達を遅らせることが出来る。ダイバーはこれによって致命的な圧力の到達を遅らせ、耐圧システムが作動している間は装甲材を凍り付かせていられるのだ。

 ダイバー戦では双方のジャミングによって機能不全を起こすのが常とはいえ、耐圧システムがあるおかげで人は木星の金属海うみに潜っていられる。

 ブルは満足感と共に、フットペダルに乗せた足に僅かな力を込める。


「一番、二番メタルジェットエンジンを始動。タービン閉鎖解除、微速前進」


 海刃の背面に備え付けられた二つの円筒に、補助動力装置(APU)からの電流が流し込まれる。円筒内側を放射状に区切る無数のブレードが、強制回転を開始。双発のメタルジェットエンジンは流路を確保する為、円筒から突き出すコーンを引き込ませていった。コーンと円筒に生じた隙間からは液体水素が吸い込まれ、徐々にではあるが後方へと吐き出されていく。全力稼働には程遠い微推力が、海刃を非常にゆっくりと押し出していった。

 10m級の鉄巨人は、人間が歩く程度の航行速度で進んでいく。

 コックピットは、メタルジェットエンジン始動直後の緩やかな振動に晒される。


金属海うみでなければ、推力もこんなものだろうな。全システムオンライン、巡航出力での起動を確認」

『一段階目は何とかなったって事だな。次は……そうだな、四肢の動作試験でも』

「分かった」


 ブルは改めて操縦桿に両手を置き、自らが乗り込む鉄巨人に操作指示を吹き込む。

 すると、右肘に内蔵された駆動モーターが作動し、海刃は右腕を引き絞るように曲げて行った。関節部を覆う蛇腹状の装甲がそれぞれスライドし、充分な可動範囲を確保する。

 右肘の次は左肘。そして、両膝の駆動モーターも同様に作動を始め、全身の駆動部が順番に確かめられていく。すっかり全身の駆動部を回し終えた頃には、海刃の基本的な機能については無事動いていることが確かめられた。

 しかし、そんなタイミングで、穏やかでは無い警告音がコックピット内を満たし始める。


『何の警報だ』

「膝部周辺のF451番装甲に異常負荷警報。この浅海でも駄目となると、話にならないぞ」

『とりあえず戻ってこいや。圧電素子との噛み合わせの問題だろうよ、恐らく』

「減圧ブロックを確保しておいてくれ」


 ブルはメタルジェットエンジンの出力を上げ、機体を浮上させていった。目指すは、個人所有ドックに直結する発着場入口だ。開放された重厚な隔壁を抜け、彼は第一の減圧ブロックへと機体を滑り込ませる。密閉完了、減圧開始。そんな五重の隔壁に閉ざされたエアロックを抜けると、海刃は一気圧に保たれていた乾ドックの中へと戻って来る。

 接地する真っ黒い脚部が、鈍い衝撃と共に金属床を踏み締めた。

 乾ドック内に戻って来た漆黒の鉄巨人は、二足歩行で固定位置へと向かう。色という色を失ったかのような闇に包まれる機体は、まるで立体感の無い影のようだ。


『ブル、機体はケージに固定しておけよ! ぶつけるなよお!』

「少しは信用しろお!」


 コックピットからドック内を見下ろすブルは、補助カメラで捉えたチャックを踏み潰さぬように海刃を歩かせる。整備用ケージに機体を立たせると、ガコンという衝撃と共に挟み込んで来たアームによって全身の固定が完了した。

 同時に、全身を覆っていた漆黒がみるみる内に溶けて行く。情報遅延作用を解かれた装甲材は、これまで溜め込んでいた圧力を熱として解放し始めていた。

 まるで頭から青い塗料を掛けられたかのように、上半身から下半身へと青い金属光沢が戻っていく。これまで耐圧システムの作動によって抑えられていた反射光が、システムの解除に伴って本来のスペクトルへと戻りつつあるのだ。高熱を発し始めた機体本体の冷却も始まり、束の間、機体周辺は噴き付けられる冷却剤の白煙に覆われていた。


 白煙が消え去った頃になって、コックピット内のブルは機体ハッチを開放した。乗り込み口から半身を乗り出し、足元のチャックに声を掛ける。


「海刃二号機の組み立ては進んだかあ!」

『まだだあ! さっさと降りて来て、お前さんも手伝えよう!』


 せこせこと動くチャックの傍らには、まるで化石標本のように並べられた海刃のパーツが広げられている。分解された腕部に脚部、中には胴体や腰部も並べておいてあるが、どれもブルが乗り込んでいる海刃に比べれば酷い損傷度合いだった。

 殆どスクラップも同然だった二機目のヘルダイバーは、未だに組み上げ工程が終わっていないのだ。金属海うみから引き揚げてきた残骸には個体差が大きく、こうしてレストアしなければ使えないような物も珍しくはない。


 ブルはコックピットから手近な整備用クレーンに乗り移ると、地上まで降下していった。ドックの床に足を着けた彼は、そのまま床に並べられた海刃のパーツ群の間を縫うように進んでいく。頭上を見上げれば、ガントリークレーンに吊るされた長さ4m程のメタルジェットエンジンが微かに揺れていた。隣には、青い塗料の残滓を残す台形の装甲板もぶら下がっている。


 ブルは何気なく、そこら辺に転がっていた艶の無い金属塊に手を着く。すると彼は、人間の身長より一回りほど高い金属塊の正体が、海刃の大腿部を構成する一次装甲板である事に気付いた。改めて周囲を見渡してみれば、控えめな金属光沢を晒す腕部、胸部、腹部ブロックなどなど……どれもこれも、ブルの背丈をも追い抜かんとする巨大なパーツばかりだ。

 こうして分解された機体を観察してみれば、つくづく10m級の人型が持つ圧倒的なスケールを思い知らされるようだった。

 忙しそうに動き回るチャックの姿は、ちょうど海刃の胸部を挟んだ向こう側にのぞいている。


「あー、ったく! もっとマシな海刃を引き揚げていれば楽だったろうによぉ」

「このままじゃあ、機体が組み上がるより先に寿命が来そうだな」


 すぐに「うるせぇ!」と返して来るチャックは、直径30cmはあろうかという黒いケーブルを脇に抱えていた。極限環境下での使用をも可能とするケーブルは、ちょうど連絡船から引きずり出されており、チャックはまさにそれを海刃の胸部に向けて延ばして来ている。胸部脇の一次装甲板のメンテナンスハッチが開かれている所を見るに、どうやらそこに接続したいらしい。

 ブルの予想に違わず、チャックはケーブルの接続端子を胸部脇の空洞に差し込もうとする。だが、彼は何度か小首を傾げながら、ブルからは見えないところでガンガンと鈍い金属音を奏で始めた。接続しようとはしているが、明らかに上手く行っていない様子だ。


「おっかしいなぁ、この規格じゃ合わねぇぞ。ディックの野郎、ちょーっとばかし値切ったからって粗悪品売りつけやがったな」

「他には無いのか?」

「こんな骨董品がほいほいあってたまるかよ! へへッ、こんなパーツはこうして嵌め込んでやりゃあこっちのものよ――――」


 どこか悪魔的な笑みを浮かべたチャックに、ブルは嫌な予感を覚える。


「あ、おい!」


 思わずブルが手を伸ばした先で、バキッという盛大な破断音が鳴り響く。


「折れたか」

「折れたな」


 意外なほどにあっさりと過ちを認めたチャックは、心なしか顔面にうっすらと汗を浮かべているようにも見えた。

 しかし、妙な沈黙の中に、システムが正常に接続されたことを示す信号音が流れ始め、二人は全く同じ動作でホッと胸を撫で下ろす。どうやら昔のパーツはやたらと噛み合わせがきつく、且つ無駄に冗長性が高いらしい。そう信じておく事にする。

 チャックは途端に威厳を取り戻したかのような態度で、自慢げに胸を張っていた。


「ほれみろ、ワシの経験に間違いは無いぜ」

「このクソジジイめ、どの口が言うんだ」

「機械なんていうのはな、ちょっとばかし強引なくらいで良いんだよ」


 バンバンと手元の胸部一次装甲を叩きながら、チャックは大口を開けて豪快に笑っている。ブルは「そんな馬鹿な話があるか」と返すが、当の本人は全く気にする素振りも見せない。こんな適当さで何十年にも亘ってサルベージ屋を続けて来たのだから、全く恐ろしいとしか言いようのない話だった。


「ともかく、こっちの組み立ては一旦放って置いておくしかねぇよ」

「そうだな、不具合の調整に掛かるか」

「おう。右膝の装甲板を外すぜ」


 ブルは整備用クレーンを使って再びコックピットにまで上がると、コンソールパネル上に指を滑らせた。分解再組立て(レストア)用の制御モードを起ち上げ、機体フレームに接続されていたパーツの固定を一部解除。すると、海刃の右脚部に生じた分割線から冷却剤が噴き出し、右膝を覆っていた表面装甲が数十cmほど浮き上がった。

 一方、長方形のコントローラーを握るチャックはガントリークレーンを操り、浮き上がった表面装甲に器用にフックを引っ掛けて外していく。表面装甲を剥がされた右脚部は、一次装甲をびっしりと埋め尽くす六角形の圧電素子を露わにしていた。ごく薄い結晶が張り付いている脚部は、儚い雪氷に覆われているように見えなくも無い。


 その正体は、ダイバーさえも粉砕可能な衝撃波を生み出せるスピーカーだ。

 腕部、脚部そのものが強烈なスピーカーとして機能する為には、どうしてもこの圧電素子同士の緻密な連動が欠かせない。しかし、整然と並んでいるはずの六角形は、膝下30cm四方の範囲だけが微妙に歪んでいた。これが膝部周辺の装甲板の密閉性を阻害していたらしい。

 圧電素子配列の歪みを見て取ったブルは、難しい顔で唸り出している。


「うーむ。フェーズドアレイ・スピーカーの基盤が歪んでいると来たか」

「ワシらの予想通りじゃねえか。まあこいつがイカれちゃあ、音響兵器ソニック・ウェポンも撃てなくなるんだが」

「直すしかないだろう」

「そりゃそうだ」


 二人の老人は決して焦らず、しかし急ピッチで調整作業を進めて行った。

 それからおよそ五時間後に、ブルは再び海刃のコックピットに乗り込んでいた。膝部装甲の補修を終えた海刃は、現在、浮遊コロニー直下の浅海に投下されている。


 組み立て作業を終えた海刃一号機による、二度目の試験潜航テストダイブ

 数時間前に不具合を起こした機体に対して、ブルとて不安を抱いていない訳では無い。しかし、一度目の試験潜航テストダイブが思いの外スムーズに進んだ事もあり、ブルは今度こそ確かな手応えを感じていた。今度のテストは、浅海程度の生ぬるい環境で終わらせる訳にはいかないのだ。


「今度はいけそうだ」


 ブルは機体各部からの報告で復調を確かめつつ、徐々に出力を引き上げていく。


『運航スケジュールは調べたが、今から二十時間以内なら見つかる可能性は低そうだぜ。どちらにしても、海刃がきちんと潜れるかどうか確かめなきゃならんのだし』

「分かった。深度を上げてみる」

『浅海と金属海うみじゃ天と地ほどの差だ……無理だと思ったらすぐ戻って来いよ』

「了解」


 ブルが操縦桿を押し込むと共に、海刃は秒速200m以上で液体水素を切り裂いていく。

 半世紀ぶりに味わう、生身で海に潜っていく感覚だ。

 光無き世界を照らす音に耳を澄まし、ブルはどこまでも深い闇に閉ざされた世界へと潜る。いっそ懐かしいとさえ思える感覚だったが、身体はまるでつい昨日までヘルダイバーに乗り込んでいたかのように操作手順を覚えている。細かな姿勢制御を手足が勝手にこなし、海刃はごく安定した態勢で足先から潜航していく。


 無意識の内に、ブルは操縦機器を操る手足に無用な力を込めていた。彼は満足に上がらない肩を回して、長時間の潜航で強張った身体をほぐす。現役時代は、この狭いコックピットで寝る事も日常茶飯事だったが、体力の衰えた今となってはそう簡単に寝付けない。殆ど黒に染まるモニターの照り返しがコックピットを照らし、ひたすらに長い時間が過ぎて行った。


 深度4000km、7000km、10000km。かれこれ八時間以上に亘って降下し続けている内に、深度は遂に10000kmを突破していた。機体周囲の液体水素はいつしか、その絶大なる圧力によって液体金属水素へと変質している。

 ここからが、ダイバーにとっての真の海だ。


「メタルジェットエンジン、タービンブロック閉鎖。通常モードで稼働。補助動力装置(APU)停止の後にスキンジェネレーター作動開始」


 唯一の電源を止めた海刃が、全身の肌に備わる本来の動力源を起動させた。

 液体金属という良導体を巡らせている影響で、木星はそれ自体が巨大な発電機ダイナモとして機能する。電位差によって電流を導いてやれば、機体は無尽蔵の電力源を得たも同然だ。現に補助動力装置(APU)を停止させたものの、海刃には激しく対流し続ける液体金属からの膨大な電力が流れ込んで来る。

 そして、周囲に豊富な導体を得たメタルジェットエンジンは、電磁推進方式へと切り替わっていた。強大なローレンツ力によって液体金属流を噴き出す円筒は、力強く海刃を押し出していく。


 そうして海刃は、地球を丸ごと沈められる程に深い金属海うみへと足を踏み入れる。


 早速、ブルは瞼の裏にちかちかと瞬く、五感を刺して来るような雑音ノイズを感じ始めていた。自ら金属海うみに潜るのが半世紀振りの出来事なら、この雑音ノイズを煩わしいと思うのも実に半世紀ぶりの感覚だ。懐かしさと不快さ。その両方の感情が、理屈では届かないような心の深い部分を圧迫して来る。

 その時になって初めて、ブルは今自分が置かれている状況を実感する事が出来た。


 ――――自分はようやく、金属海うみへと戻って来たのだ。


『深度は』

「予定値クリアー」

『機体は』

「オールグリーン。相変わらず周りは煩いが、順調だ」

金属海うみっていやあそんなもんだろ。あと、その辺りの座標に装甲片を投下してあるぜ。一回なら恐らく見つからんよ』

「射的と来たか」


 ブルはチャックが指定した辺りの地点から、跳ね返って来る音を見た。耳を澄ましてみれば、チャックが言うところの装甲片は50cm四方の金属材だと分かる。彼がこの辺りの海域に立ち寄る機会があった時に、ついでに投下されていったものなのかも知れなかった。


 安全装置解除、照準固定。操縦桿に備え付けのトリガーボタンに、指が乗せられる。

 膨らんだ刃物のような海刃の四肢が、微振動で僅かに揺らめき始めた。

 音響兵器ソニック・ウェポンを放つ為に、フェーズドアレイ・スピーカーが唸り出す。装甲裏面にびっしりと配置された何万個というスピーカーが一斉に作動し、ブルの脳裏に淡色円環の音を描いて行った。発振出力を引き上げると共に円環は縮んで行き、消失。次の瞬間には真っ赤な衝撃波が撃ち出され、薄い三日月のような音の暴威が金属材に直撃していた。

 ダイバーの装甲すら砕くソニックウェポンは、難なく目標を粉砕して見せたのだ。


「標的に直撃だ。フェーズドアレイ・スピーカーにも問題は無いらしい」

『同期が上手くいくか怪しかったんだがな。上手くいったんなら構う事ぁ無い』

「戻るぞ」

『あいよ』


 ブルは再び十時間弱を掛けて乾ドックに戻り、整備用ケージに機体を固定した。

 たかだか二度の試験潜航テストダイブで、丸一日掛かりの作業だ。流石に帰りのコックピットでは寝息を立てていたブルも、完全に疲労を取り除けた訳では無い。自動操縦モードがあったとはいえ、10000km以上に及ぶ航路を浮上して来れば老体に響くのも当然だった。

 全身に張り付いた鉛のような怠さと共に、彼はコックピットからドック内を見下ろした。


「二号機の組み上げはまだかあ!」

「四割くらい進んでるぞお! 前を見ろ前を!」


 ブルが視線を上げてみれば、ドックの反対側の壁面には海刃の上半身が釣り下げられていた。

 既に胸部の上には頭が付いており、未だフレームが剥き出しの両腕はさながらはりつけのように広げられている。固定用チェーンとフックに吊るされた上半身は、ガントリークレーンによって地上1mほどの地点で宙に浮いていた。

 なるほど、確かに金属海うみへ潜っている間にも、二号機のレストアはだいぶ進んでいたらしい。とはいえ、未だフレームの強度検証すら済んでいない二号機を、これから数日で形にしなければならないのだ。ブルは気が遠くなるような思いに囚われていたが、すぐに「よし」と自分を奮い立たせた。


 それからは連日、機体の組み立てと試験潜航テストダイブが繰り返された。

 襲い来る疲労、無理の利かない老体、合わないパーツ規格……せいぜい数日の間に、ブルとチャックに課された試練はもはや数え切れないほどだ。ブルは気付けば粗末な樹脂製テーブルの上で寝ていたし、チャックはコックピットシートで力尽きている事もあった。その度にブルは心中に呟いたものだ――――こんなのは、80手前の老人がやるような事では無い。


 そして、耐久レースのような四日を経て、二人の前には二機の海刃が並べられていた。


「やっと……!」

「ああ、やっとだぜ」


 整備用ケージに収まる二つの青い鉄巨神。傍らのチャックも、ようやく修理を終えた二機の海刃を満足そうに見上げている。

 海刃一号機は、在りし日の姿を想起させる設計図通りの姿に。

 海刃二号機は、欠損していた左腕部をヴォーテックス系に置き換えた歪な姿に。

 まるで二機が対比になっているかのように、それぞれ異なる外形となった鉄巨神は並んでいる。そんな海刃に自らの決意を重ねるブルは、熱い視線を以て機体から目を離そうとしない。既に光を失って久しい左目からも、黒い眼帯を通して熱が迸っているかのようだった。

 一方、チャックはとあるコンテナの前で立ち止まると、腰程度の高さしかない上面に手を掛けていた。


「あとはこいつも忘れちゃいけねぇ。昔、引き揚げられたのは運が良かったぜ」

「それは……運が悪かった、の間違いじゃないのか」


 そのやや小ぶりなコンテナの中に何が入っているか、彼は既に知らされていた。

 金属海うみから引き揚げて来たというその中身は、縮退炭素結晶ダイヤモンド弾頭だ。人間の小指よりもちっぽけな針状弾頭が、全部で15発。合計で15t以上にも達する超高密度弾頭が、5発1まとめの弾倉に収められているのだ。

 本来なら36発が引き上げられたが、歪んでいないものは15発に過ぎなかったという。


 勿論、こんな代物の使い道など一つしか無い。

 ブルはドックの片隅に置かれている、砲身長6m以上にも及ぶ巨大なライフルに視線をやった。今では禁忌とされる重力崩壊式実弾兵装ブラックホール・ウェポンは、幸運にも殆ど無傷の状態で確保出来ている。それがちょうど二挺。彼は自らの葛藤が単なるワガママだと理解しつつも、最後の一線を超えるつもりは無かった。


 ――――奪う為では無く。アイを守り切るだけの力が欲しい。

 ブルは確かにあの時、そう望んだのだから。もう人を殺める気は無い。


「俺はそれを使うつもりは無いぞ」

「そう言うなや。こんな作戦じゃあ何が起こるか分からないんだぜ? お前さんがいくら使いたくないと言ったって、ワシが強引にでも付けてやる」

「そんなものが無くたってな」

「そりゃあ何年前の話だと思ってる。お前さんはもう、錆び付いたダイバーだよ」


 若い頃とは違う。否定しようのない正論を前に、ブルは押し黙るしか無かった。たとえ虚勢を張ろうとも、まさにチャックの言う通りだと分かっていたからだ。


「分かった。ただな……もう命は奪いたくない」

「お前さんは頭が固いなぁ。ワシらはすっかり老いぼれちまったんだ、これもただの保険だと思っておけよ、な?」


 そう言われてしまえば黙るしか無い。ただ持っているだけで威圧になるのは間違いないし、なにも本当に撃つ事だけが武装する意味では無いのだ。そういう論理を頭で理解していたブルは、それ以上チャックに反論する事は無かった。


「いよいよ、明日だな」

「後先短いジジイらしく、慎ましやかにいこうぜ」


 ブルが右手の拳を向ける。すると、歩み寄って来たチャックも左手の拳を合わせて来た。重なった二つの拳が互いの心意気を伝え合い、無言の裡にも固い信頼を確かめる。後はもう、作戦開始まで余計な心配をする必要など無い。

 そして、この無謀極まりない作戦を示す暗号は昨晩の内に決まっていた。


「この棺桶で決行になるな。〈アイに花束を〉と行くか」

「〈アイに花束を〉。それもとびきりの奴をだ」


 彼らはもう後には退けない事を理解していたし、さらさら退くつもりも無かった。

 ――――全てはこれまでの生の意味を確かめる為に、全てはアイの為に。


 翌日、浮遊コロニーを出港した二人の老人は、遂にミッションを実行に移した。

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