ep2/9「内なる金属海(うみ)」

「俺達の増援は?」

『すぐに来る訳ねぇだろ……俺たちの後方でドンパチやってるんだから』


 それはそうだ、とブルも内心で頷くしかない。

 現在、互いに数百機同士のダイバーがぶつかり合う主戦場は、ブルたちの後方50km以上先で繰り広げられている。代わりにブルたちは対流柱を陰に迂回しているのだが、その役目は後方からの攪乱にあった。だから、今さら余計な戦力など来るはずも無いし、そもそも相手がヘルダイバーとあっては並の増援が役に立たない。

 ブルは瞼を閉じて、大きく息を吸う。

 胸一杯に取り込んだ空気を吐き出した時には、既に彼の心は固まっていた。


「あのヘルダイバーを落として突破するぞ」

『ま、そうなるよな。このオンボロでどこまでやれるんだか知らねぇけどさ!』

「音源接近中。接触予想時刻、8秒後! 随分と早いからすぐに来るぞ!」

『すぐに金属海うみの底に沈めてやるよ!』


 ブル機とチャック機、二機の海刃はほとんど同時に大型ライフルを構えた。

 既に装填されていた縮退炭素結晶ダイヤモンド弾は、骨を震わす真っ赤な衝撃波と共に撃ち出される。続けざまに二発の針状弾頭を発射、そしてブルはすぐさま次弾装填を終えると更にトリガーボタンに手を掛けた。二機の海刃は間髪入れずに針状弾頭を撃ち出し、その度に凄まじい大爆発を液体金属海に生み出してゆく。


 なにせ、10km先で数百発の熱核兵器が起爆しているようなものだ。爆発はすぐに液体金属海の凄まじい圧力で潰されるとはいえ、その衝撃波たるや、一歩間違えばブル達ですら砕かれかねない規模となっている。

 ブラックホール蒸発現象の乱流に揉まれる機体は、まるでひらひらと宙を舞う葉っぱのように揺さぶられる。ギシギシと軋むシートベルトが、ブルの身体をシートに縛り付けてくれていた。


「撃ち方止め! 離脱だ」

『あいよ! どうせ正攻法じゃ勝ち目も無いんだ、俺が囮をやるぜ』

「了解。やられるんじゃないぞ」


 爆発の轟音で、敵機が発する音などとうに消え去っている。遠距離戦でも有効な重力崩壊式実弾兵装ブラックホール・ウェポンは、間違いなく強力ではあるがデメリットを抱える兵器でもあるのだ。流石にこの程度の爆発ともなれば、機体メインモニターにも白い球のような影が映っている。


 ブルは目を閉じながら操縦桿を引き込むと、メタルジェットエンジンの推力を下げてゆっくりと金属海うみに沈み込んでいった。液体金属のジェット流を吐き出し続けていた推進機関が停止し、機体が発する雑音ノイズも可能な限り遮断する。この轟音の中では、殆ど無音に近い潜航だ。敵が近くに強力な音波アクティブ・ソナーを撃ち込んでこない限りは、反射波で居場所がバレる可能性は限りなく低い。

 一方、チャックが操る海刃は急速に上昇し、手足から強力な衝撃波を撃ち出し始める。本来、音響兵器ソニック・ウェポンというものは、もう少し近付いてからでないと破壊力を発揮しない。しかし、チャックは敵ヘルダイバーに敢えて気付かれるように、自ら強烈な音波を発しているのだ。


 敵ヘルダイバーがチャック機に食いつこうとする瞬間、それが狙い目だ。

 仰向けで大型ライフルを構えるブル機は、ただひたすらに敵ヘルダイバーを待つ。


「まだ沈んでいないんなら、さあ来い」


 右腕に大型ライフルを構え、左腕から青い音波を撃ち出していたチャック機。突如として、その至近を紫にも感じられる音波が掠めていった。相当の精度で絞り込まれた音波は、まるで闇夜に浮かぶレーザーのように液体金属海を貫いている。


『ハッ、こいつ生きていやがったか。かかったな!』


 強気な言葉を吐き出すチャックだが、その実、敵機から撃ち込まれた音波の色には驚愕しているに違いなかった。かくいうブルにしても、これには驚きを隠せない。なにせ紫色など、今まで聞いた事も無いような桁外れの高出力音響兵器ソニック・ウェポンだ。射線上で明滅を繰り返すキャビテーション気泡もまた、その尋常ならざる出力を証明している。


 そして、ブルとチャック二人の戸惑いを察知したかのように、とうとう敵ヘルダイバーがはっきりと聞こえる位置にまで接近して来た。今までは轟音で不明瞭だった海域から、まるでヒイラギの葉のような四肢を持つ機体が抜け出して来る。脚部前方には三つ、そして後方には二つの大きな突起が張り出し、肩部にも同様に前後一対の鋭い突起が設置されていた。無数の鋭いトゲのように張り出した装甲は、液体金属を切り刻む刃のようにも聞こえる代物だ。

 その手には、ヘルダイバーの象徴たる〈重力崩壊式実弾兵装ブラックホール・ウェポン〉が握られていた。


『こいつ、よりにもよってあの〈ヴォーテックス〉かよ!?』


 敵最新鋭ヘルダイバー〈ヴォーテックス〉。その悪名高き機体名はブルも知っていた。

 ここ一か月以内で実戦投入されたらしい、敵の最新鋭機。数十機のダイバーからなる味方部隊を単機で壊滅せしめて以来、ブル達パイロットの間では恐怖の象徴として噂されて来た機体だ。ヘルダイバーだというだけでも厄介なのに、よりにもよってヴォーテックスとは――――ブルの額を嫌な汗が伝う。


 ヴォーテックスは軽快な運動性を見せ、チャック機から放たれる音波を次々に回避する。背面に搭載されている単発の小型メタルジェットエンジンからは、たったそれだけで海刃にも迫る推力が発揮されているようだった。大型の海刃とは異なり、機体も小型。こんな相手に懐に入り込まれてしまえば、もはや海刃では太刀打ちが出来ないのは明白だ。

 だからこそ、チャック機は容赦なく重力崩壊式実弾兵装ブラックホール・ウェポンを撃つべきところだった。

 しかし、今はそう易々と撃てる状況では無かった。


 重力崩壊式実弾兵装ブラックホール・ウェポンは、一度撃ってしまえば轟音が収まるまでにしばらく時間が掛かる。だから、ブル機の狙撃を成功させる為には、チャック機が下手に大型ライフルを撃つ訳にはいかないのだ。

 勿論、ヴォーテックスはそんな事は気にしていない。

 ヴォーテックスから放たれる縮退炭素結晶ダイヤモンド弾を、チャック機は音響兵器ソニック・ウェポンを使って撃ち落としていた。重力崩壊が始まる前に破損させてしまえば、ブラックホール化は起こらない。チャック機から当てずっぽうに伸びる三本の衝撃波は、赤い軌跡となってヴォーテックス周囲の液体金属を貫いていく。

 それと同じ分だけ、ヴォーテックスも紫色の衝撃波を放っては、液体金属海に幾つもの超高圧気泡を作り出して行く。距離が詰まっているだけに、今度こそ直撃すれば中破は免れない。当たり所が悪ければ、コックピットブロックに収まるパイロットが肉片となって飛び散るのだ。二機のヘルダイバーから放たれる音響兵器ソニック・ウェポンの応酬は、捉えようのない闇の中で明らかにヴォーテックス優勢へと傾いて行った。


 チャックも今は持ち堪えている。しかし、もはや猶予は無い。


 ブルは今度こそ大きく息を吐き出し、視界から来る情報を全て閉ざした。目に見えるものなど、今は邪魔でしか無い。彼は機体システムと連動する拡張聴覚に全神経を集中させ、ひたすらに敵機が反射する音を拾おうと試みる。

 瞼の裏に広がる闇には、黄色い三角形が弾けたかと思えば、高速で回転する淡色円環が湧き出しては消えていく。ヒイラギのようなトゲが液体金属を切り裂く音、単発のメタルジェットエンジンが発する動作音、機体装甲に反射して届いて来る雑音に至るまで、逃すことなく脳内のイメージへと変換させて行くのだ。


 いかに高速といえども、音速は光に比べて遥かに遅い。

 だから、敵機の位置を捉えたとしても、今もそこに居るとは限らない。

 敵機が次にどう動くか、どう避けるかを緻密に描けていなければ、金属海うみにおける狙撃は絶対に成功しないのだ。

 しかし、それでも――――ブルは敵機の未来位置を完璧に読み切った。


「……ッ!」


 ブルの指がトリガーボタンを押し込むと同時に、敵機へ向けられていた砲口から真っ赤な衝撃波が炸裂する。超音速で撃ち出された縮退炭素結晶ダイヤモンド弾は、発射音が届く頃にはとっくに着弾している。故に事前に予測していなければ、回避するのは極めて困難だ。


 ちっぽけな針状弾頭は瞬く間に数kmを走り切り、ヴォーテックスの装甲に食らい付いた。

 その直前、常に安全距離ギリギリを保っていたチャック機は、メタルジェットエンジンの全開出力で以てヴォーテックスから離脱していた。無論、敵機のパイロットが反応する間もなくブラックホールが生成され、蒸発する。バラバラに引き裂かれた機体破片は数千万℃の火球に呑み込まれ、業火の中で大部分が蒸発させられていく。

 ブルのところにまで凄まじい衝撃波が届いた頃には、既に勝敗は決していた。


「あれに勝っ――――」


 狙撃は成功した。何かの幸運が働いたにしても、あれに勝ったのだ。

 舌を噛み切らないように歯を食いしばるブルは、自分達が掴んだ勝利を受け容れようとしていた。しかし、彼は自らが聞き取った音の中に、僅かな違和感を覚えていた。


 機体に到達した衝撃波には、僅かな乱れがあった。

 真っ赤な衝撃波の壁が押し迫って来るような光景の中に、ぽっかりと空いた小さな黒が混じり込んでいる。まるでそこだけ衝撃波の到達が妨げられたように、音が抜け落ちているのだ。あって然るべき場所に音が無い、音が反射している、そこに何かの物体がある。

 ブルの脳内でスパークする思考は、たった一つの致命的な答えを導き出していた。


 あれは、こちらに向けて飛来する縮退炭素結晶ダイヤモンド弾だ。


 敵機に着弾させる間際、ヴォーテックスもまたこちらの位置に気付いたに違いない。

 ブルは停止状態のメタルジェットエンジンを急速始動させると、エンジンに負荷が掛かるのも構わずに最大出力を設定した。蹴り付けるように踏み込んだフットペダルを介して、推進器内に強大な磁場が展開される。ローレンツ力によって液体金属が吐き出され始めるまで一秒と掛からないが、この時ばかりはその僅かな間が永遠にも思えた。


 回避は間に合うのか? ――――間に合わせてみせる。

 半ば願うような気持で愛機が進み始めるのを待つ彼は、心のどこかでは理解していた。事前に察知出来ていなければ、狙撃を避けるのは困難を極める。その言葉通りの結果が招かれるとすれば、もう手遅れだ。


 そんなブルの予想を裏付けるかのように、次の瞬間には機体表面から数十cmの距離で縮退炭素結晶ダイヤモンド弾の枷が解かれた。人間には知覚することさえ出来ない短時間の内に、ブラックホールが生成されては蒸発する。その間にブル機を襲った潮汐力は機体の一部を引き裂き、コックピットにまで深刻な歪みをもたらす。飛散したメインモニターの破片がブルの顔面に突き刺さると、彼の左眼球から永遠に光を奪い去った。


 しかし、破片に眼球を切り裂かれたというのに、不思議と痛みは感じない。

 それに不可解さを感じる間もなく、機体至近に咲いた火球が呑み込もうと広がって来る。しかし、それと前後して作動し始めたメタルジェットエンジンは、爆発的な推力で火球から機体を引き剝がしていった。

 背後から迫る火球、機体を砕く程の衝撃波、ブルの海刃は必死に死の暴威から逃れるようにして加速して行く。機体を半ば呑み込みつつある轟音と乱流に揉まれ、ブルの平衡感覚までもが乱される。真っ白な轟音が何もかもを埋め尽くし、焦燥に満ちた意識は闇に落ちて――――。



 まるで深海からおりを掬い上げるかのように、彼の意識は唐突に戻っていた。



 彼の身体は、すっかりくたびれた椅子の上に横たえられている。上から被せられているのは、寝る前に自分で用意した薄い毛布の感触だ。年を取ると眠りが浅くなってきて困る、などと思いながらも彼は渋々起き上がった。再び眠りにつけるような気分では無く、かといって今すぐ仕事に取り掛かるような気力も無い。気付けば、彼は何度も見て来た夢の内容を頭に思い浮かべていた。


 そして殆ど無意識に自らの顔を撫でると、節の目立つ指で古傷に触れる。とうに張りを失った肌に刻まれた、やや膨らみを持つ裂傷の傷跡。それは彼の左目から光を奪い去った傷に違いなかったが、もはやこの傷と生きて来た年月の方がずっと長い。左目が見えていた頃の感覚は、もう記憶の彼方に埋没して忘れかけているくらいだ。今となっては、この傷も自分の一部と言っても過言では無い。


 よわい78のブル=アルヘンドは、半世紀も前につけられた傷跡をいつくしむように撫でていた。

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