最終話 幽霊警官
魔が差すと言うが、我々は凶悪事件で、被疑者がそう言った言動を発するところを多く目にしてきたはずだった。何の問題も無かった人物が、突然と取り返しの付かない行動を取ってしまうのだ。そうすると、本当に悪魔の存在を肯定したくもなる。いやそれとも、それは単に人間の弱い心が生み出しただけの幻なのだろうか。
本部より緊急要請を受け、小松、中原両巡査は現場に急行した。現場は探すまでも無く、すぐに見つかった。二車線のとても広いとは言えない通りだった。明らかにそこだけが、他の通りとは懸け離れていて、異様な雰囲気を漂わせていた。
高いビルと低い建物とが、乱杭のように不規則に立ち並び、そこを歩く人はどこにも見えなかった。道路に面した店はシャッターを下ろしたままで、上がっていたとしてもとても営業しているようには見えなかった。そこへ二十台を超すパトカーが一度に集まって、白黒の車体と真っ赤な警告灯が酷く目を引いた。パトカーは車体を路肩に寄せ、同じ間隔で列を作っていた。他にも車両は駐車していたが、それも全て応援に駆け付けた覆面パトカーだった。これほど物々しい光景は、警察署敷地内であっても珍しかった。既にこの数のパトカーが集結しているとは、我々は完全に出遅れてしまったようだ。
小松、中原は現場に到着してみたものの、辺りを見回し困惑した。通りには尋常で無いまでのパトカーが並んでいて、騒然とした状況にあると言うのにも拘わらず、人っ子一人見当たらなかった。我々は何か思い違いをしているのか。ここは現場では無かったのか。それにしても、警備の警官一人出ていないとは、どうも腑に落ちない。早速、小松は無線で確認を求めるも、電波の状態が悪く、連絡がまるで取れなかった。こんな事は、これまでに経験したことが無かった。
我々は一先ず外へ出て、縦列するパトカーを窺った。おかしな事に、そのどのフロントガラスも、ドアガラスも酷く汚れて、車内の様子が分からなかった。小松、中原は他のパトカーも一台一台、確かめて歩きながら、顔を曇らせた。――どれも同じであった。しかし、指先で擦ってみても、汚れは簡単には取れそうに無かった。どうも外側だけが汚れていると言うわけでも無いようだった。当然ながら、ドアもロックされ、ガラスをノックしても物音一つ返って来なかった。それに、どうも落ち着かない。何かがおかしかった。――ここは静か過ぎる。小松はそれに気付いた。本来なら聞こえてくるはずの、けたたましいサイレンの音も、スピーカーから発する警告の指示も、警察無線の不明瞭な声も響いていなかった。パトカーの中は、全くのもぬけの殻だった。他の警官はどこへ行ってしまったのだろう。それほど現場は切迫していると言うことなのか。
突然、無線が鳴った。
「至急、至急。応援求む……」
が、その後がはっきりと聞き取れない。何か言っているようであり、何の意味も無い言葉を羅列し、誰かがしゃべるのが混線しているふうにも聞こえる。我々はパトカーの間を右往左往するが、無線の声は依然として明瞭にならなかった。
その日は酷く暑かった。靴底が、熱せられたアスファルトで溶けてくっ付いて来るように、路面に吸い付いて足が重かった。車両のバンパーも、フロントガラスも猛烈な日差しに照り付けられ、驚くほど熱を帯びていた。強い日差しは、確実に二人の体力を奪っていた。
砂漠のど真ん中に取り残されたときの心境とは、この様な感じなのだろうか。この状況はそう言う気分にさせられる。我々は本当に電波も届かない、連絡も取れない、孤立した場所に迷い込んでしまった。他の警官は、どこへ消えてしまったのだ。
それから、しばらくしてのことだった。
「あっ、あそこ。誰か居ますよ!」
中原が、それに気付いて大声を上げた。
「どこ?」
小松も叫んだ。
「ほら、あそこです。人じゃないですか」
炎天下の車道のずっと先に、人影があるのが、ようやく小松の目にも留まった。そこは真っ直ぐな道が、製鉄所で精製した熱鉄のように灼熱し、遠くは陽炎が立ち上って見えた。その歪んだ景色の中に、誰かが立っている。
「ここらの住人でしょうか?」
「とにかく、あそこへ行ってみよう」
小松、中原はそこを目指すことにした。何か現場の情報が得られるかも知れない。そう思ったのだった。
「あれ、警官だ!」
その時、小松が驚いたように言った。それは、制服を着た警官だった。その警官は、体の正面をこちらへ向けていたが、我々に気付いている様子は無かった。ただじっと道路の真ん中に佇んで見えた。
「何をしているんでしょう?」
中原は首を傾げた。二人はいよいよ足を速めて、その警官の元へ急いだ。ところが、おかしな事に我々が幾ら急いでも、その影に近づくことができない。こちらが歩くのに合わせ、人影も我々から遠ざかって動いているとでも言うのだろうか。まるで地平線に浮かぶ蜃気楼や、炎天下の路面に現れた逃げ水を追っているようだった。どんなに追い掛けても、それを捕らえることはできなかった。
我々はとうとうパトカーの列の端まで来た。が、依然として、その人影にはたどり着くことができなかった。小松、中原は周囲を注意深く見回した。しかし、何も発見できなかった。先ほどの警官は、その姿が見えなくなっていた。我々がここに至る間に、他の場所に移動してしまったのだろう。二人はすっかり汗だくになり、その顔は疲れ果てていた。相当な距離を歩かされた気がした。
とその時、後方を振り向いた小松の顔色が変わった。彼の顔は酷く強張って、驚きの表情を隠せないでいる。我々が今来た向こう側に、誰かが立っている。さっきの警官だ。いや別の警官かも知れない。我々は一度も、その警官とすれ違わなかった。ずっとその影を追って、ここまで来たのだ。それを見逃すはずが無かった。誰か別の警官が現れたのだ。それで今度こそ、その警官の所へたどり着こうと急いだ。急いだが、今度も結果は同じであった。その警官に近づこうと、何度も試みた。必死に足を速めた。が、その人影は少しも近くに寄る気色を見せなかった。
我々は再び乗って来たパトカーの所まで戻って来てしまった。小松は、無意識にその前で足を止めて、顔をしかめた。誰かにからかわれている気がした。すぐにでも現場の状況を把握しなければならないにも拘わらず、その手段が見つからなかった。我々の知らない事件が起きているのは間違いなかった。
その時だった。急に無線の声が聞こえてきた。ようやく無線が通じた。そう思った小松は、無線から聞こえてきた内容に耳を疑った。現場は我々の思いも寄らない事態に陥っていたのだ。――現職の警官一名が拳銃を携帯したまま、行方をくらましたのだと言う。
「氏名は?」
小松の声が明らかに変わった。
「
「
事態は急を要している。我々は一刻も早く捜査に参加し、遅れた分を取り戻さなければならなかった。ここでいつまでも、質の悪い幻に付き合っている暇は無いのだった。しかし、先ほどの警官はどこへ行ってしまったのだろう。パトカーの中へ戻ったのか。小さなビルとビルとの間には、狭い階段が見えた。
「またあの警官です。何しているんだろう?」
中原が向こうの景色を指し示すように言った。見れば、道の先にさっきと同様に一人の警官が立っていた。後から考えれば、小松はこの時、直感的にある不安を感じていたと言う。その警官は、バーンと言った。確かに我々に向かって挑発するふうに、そう口にしたように見えたのだ。その直後、我々は一瞬、恐ろしい光景を目の当たりにした気がした。あれはただの蜃気楼だったのか、あるいは酷い幻だったのか。警官が銃口をこちらへ向けて、発砲するところを見せられた。
小松も、中原も、はっと息をのんだ。が、そこにはもう誰も居ない。最初から誰も居なかったのだった。気付けば、既に日は傾いて、あれだけ暑かった日差しもすっかり弱まっていた。もう蜃気楼も陽炎も消えてしまった。我々が目にした、眼前を真っ赤に染めた惨劇は単なる幻だったのか。その通りには熱臭い空気がだけが、淀んだ川の流れのようにそこへ留まっていた。それは、我々の煮え切れない気持ちと同じであった。
その後、行方不明だった警官が見つかったと言う連絡を受けた。残念なことに、その警官は遺体で発見された。遺体は、見るも無惨な状態だった。警官は携帯していた拳銃で頭部を貫き、自殺を図ったと言うことだ。
心霊実況警察 つばきとよたろう @tubaki10
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。心霊実況警察の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます