「広く浅く」と「狭く深く」

 大衆ウケを考える。考える。かんがえる。

「広く浅く」のことだと思うですよ、とどのつまり。大衆ウケというのは。


 このテーマを考える時に思い出されるのは、キム・ヨナちゃんと浅田真央ちゃんの対決。すごくケチが付いた勝負があったじゃないですか、ノーミスの浅田真央ちゃんが大技を決めても、総合点でキム・ヨナちゃんが勝って金メダル獲って。あの時は世間でも賛否両論騒がしかった。両者共に可哀想で、コロコロと選考基準を変える大会委員会に強い反感を抱いたもんだったけども。(同じことをノーベル文学賞の選考委員にも感じるが、彼らに対しては差別主義者ではないかとの疑いが消せないでいる)


 シンゴジラと君の名は。にしてもそうで、一点優れたモノと総合で優れたモノとの勝負っていうのは、もしかしたら比較出来ないものを無理に比較して間違ってしまっているような気がしないでもないですね。


 シンゴジラは一点優れたモノで、君の名は。は総合で優れたモノでしょう。


 と言ってしまっておいてなんですが、私、まだ両方観てないんですけどもね。ネタバレ状態でストーリーは全部知ってますから、世間の様子をデータに判断してます。


 シンゴジラはマニアックなのでしょうね、だから大衆の多くにウケるという事はなかったわけで、ウケた作品なんでしょう。だから、「狭く深く」という事だと思います。マニアックな視点を持った人はだいたい絶賛してるトコを見ると。


 片や、君の名は。の方は、エンタメですね。だから個々を観れば千差万別まるでバラバラの、大衆という大集団の、一人ひとりがまんべんなく、愉しむことが出来たからウケたわけで。これは「広く浅く」という事でしょう。ちょうどディズニー作品に見えるような反応が世間からは返ってきてると感じますんで。


 君の名は。の方は、ディズニーの多くの作品がそうであるように、多数の琴線に「広く浅く」ヒットしただけだから、マニアの集まる場所であるピクシブなどでも、多くのディズニー作品同様にスルーされてしまったんだと思うんですよね。

 言葉は悪いけど、当たり障りない造りをしていたから、マニアが改変したり切り取ったりという「遊び」が出来る余地がなかった。総合点が高いというのは、全体のバランスがカッチリと定まっていて、いじりようがないって事でもあるので。

 突出したポイントがないもんだから、マニアがいじって遊べなかったわけです。


 あれだけ多くの世界的ヒット作品を生み出しているディズニーですが、マニアな二次創作の世界ではあんまり見かけませんよ。同じように表向きは二次禁止を謳う円谷プロとは対照的です。ウルトラマンとか仮面ライダーは、ゴジラなのです。キャラクター作品。

 そのディズニーのモットーは確か、「誰にでもある普遍に訴えかける」だったと思いますが、これはキャラクター突出で考えると足枷ではないかと。


 実はこういうの、割と漫画とかでもあったりします。ツッコミどころと言えば、些細な矛盾点だの、ちょっとした粗捜しにしかならない、という作品です。こういう作品はまた、絶対に二次創作でフィーバーしないのも法則みたいにあったりしますね。

 卒なく出来すぎていると、二次創作でいじって遊べないのですよ。


 シンゴジラはCMや番組コラボで利用され、あちこちで遊ばれています。これは、一点優れたモノの特徴ですね。要は使という事でしょう。

 かつてラノベで言われた、今でも言われてますかね、「キャラクター小説」という定義は、シンゴジラをこそ参考にすべきで、君の名は。の方は参考に出来ない。あれはバランスのなせる技で、実際にはとても技術が高いのではないかと予測してますよ、総合力の勝利なのだから。

 真似はできないでしょうね、一つひとつのポイントにはこれといった特色も特異さもないけど、全体を纏めている部分(構成など表に見えていない構造的なポイント)が突出して優れているという事ならば。

 一見簡単そうに見えてバランスという見えない部分の采配がとても優れているのでしょう。このバランス一つで、凡作にも傑作にも換えうるわけで、下手に真似ても凡作以上にはならないだろうなという作品は幾つも見てきましたし。


 シンゴジラがあちこちで気軽く遊ばれているという事実は、キャラクターが確立された一個のパッケージとなっていて、これ単体で取り出して使う限りは失敗がないから、という事なのです。それはウルトラマンとか仮面ライダーも同じ。エヴァもね。


 この理屈はそのまま、なろう小説などのテンプレと同じでもあります。だから、テンプレ作品を批評する時は、その要素のパッケージそのものに着目して、前例のない部分は褒め、テンプレートのパックは差っ引いて判断しますよね。大きな工夫があれば、変化の分だけバランス取りが難しいわけで、全体の構成にも響きます。多く、エタる作品は変化させすぎてテンプレに収まらなくなった時に、どうしていいか解からなくて放り出している印象でした。マニュアルがなくなったからでしょうかね。手本を改変して作る面白い展開、というものから離れ、独自にゼロ状態で面白さを作るという段階で放り出している作品は多いのですよね。


 CMや番組コラボでシンゴジラを使う、これは視聴者的にもシンゴジラをシンゴジラとして受け入れて愉しむから問題がないが、なろう系テンプレは「お約束」として別個として見ることを強いる部分があるから、これも逆に大衆向けにならないんですよねぇ。大衆は普遍以外のベツモノ扱いっていうのをプレインストはされてないんですわ。

 アレは、なろうという場所の洗礼を受けた者しか楽しめない、逆説的マニアであるから、なろうマニアになれば、とても楽しいわけです。まずなろうでその特殊ルールをインストールしてこないと、プラグインを持たない普通の読者はついていけません。

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