「セカイ系」はイマイチ解からない
世界の危機が「ぼくと君」に集約されてしまうのがセカイ系、という認識なのでしょうか? いや、それだったら昔からあります。
エヴァンゲリオンでしたっけ? 主人公が世界より恋人を取ってしまう系の物語がセカイ系、という風に紹介されていたのですが、それだと仮定しておきますね。
『世界を取らずに個人を取っちゃう主人公』という、笑っちまう構図ですね。
これね、おじさんおばさん世代だってね、主人公以外がやるんだったら、何も文句は言わないし、鼻で笑ったりもしないと思うんですよ。広い世の中ですし、世界を救うのを放棄して彼女と逃げちゃう男が居たっていいと思いますよ、ええ。
私も、そういう男にスポットを当てて、主役に据えたら面白いかも、という思考実験から生まれたものだろうと認識していましたし。
従来なら、モブにしかならないようなタイプを主人公に据えるという事ですよね。(はい、鼻で笑われる要素が垣間見えてきました)
かつて、こういう「世界と個人を天秤」っていうシチュエーションは、スーパーマン(初代)の頃からずーっと存在していました。
でも、精神がまるで逆転しているんです。
スーパーマンは、恋人を救うか世界を救うかの選択を迫られた時、いや、それは選択ではなく、世界を救うのは当然で、恋人を救えないこと、救わないという選択を取らねばならない憤りに焦点が当たっていました。
ずーっと、「世界か彼女か」のテーマではそうだった。世界を取るのは決定事項。そうだから主役は主役であり、ヒーローを名乗れるわけです。自己犠牲の究極の形態として描かれたわけなので。(すごくシンプルなんだけど、現代ではなんか捻じ曲げられていますね、もっと単純に考えればいいだけなのに)
これを、決定事項ではなくしたものが、セカイ系なわけでしょう?
わたしに言わせれば、屁理屈の賜物です。たぶん、世のおじさんおばさんもその臭いなりを嗅ぎ取ってるから鼻で笑うのだと思います。
世界ではなく、自己を取るのと同義なのです。悪役の精神構造なのですね。それも、特に読者が嫌うタイプ、下らないエゴの塊ってタイプの悪役と。小物が権力持っちゃった、てタイプの悪役を思い浮かべてください。ソレです。単に、比較で捨て去るものが「世界」という馬鹿デカいものだから、なんか凄いヤツに見えてくる。
今までになかった、というのは確かです。どっちかと言うと、「思っても誰もやらなかった」に近いんじゃないかなとも感じますけども。(だって、サブキャラがそれをやる、て作品は過去に幾らでもありましたからね)
だけど、主人公がやったらシャレにならない。
小物がヒーローを名乗るから、鼻で笑われるのだと私は思ってたりします。ヒーローは大物なのです、その定義は迷いなく「世界を救う」を決定事項にする、という点。疑いすら持たないヒーローも多かった。最近はそこで悩む人間的なヒーローも増えました。けれどそれでも、悩む質がなんか違いますよね。(苦笑
実際の歴史、戦国とか幕末を齧ると、書きたい傾向はセカイ系の真逆に行くんじゃないかなとも思うんですよ。とても多くの人間が係わって、大河の流れのように事件が次々と連携していき、やがて世界が変転する。スケールがデカいので、個人の力など微々たるものとしか描かれない。けれど、歯車のように、その微々たる力は確実に、他の誰かの歯車を押すのですよ。脈々と続く流れ、というか。
そういう事に浪漫を感じるタイプが、セカイ系を鼻で笑うのではないかな、と思いますね。世界ではなく、セカイ、と呼称するのも含めて。
で、セカイ系を書きたい方は、微々たる影響しか描けないというところが、不満なのではないでしょうか。俺TUEEEEの形式って、なんだかんだで憧れでして、色んな事柄で一度は俺TUEEEをやりたくなるものです。大河の脈々を、俺TUEEEするにはという一つの実験的カテゴリなのかな、とそんな風に理解しています。
世界を救うかどうかは俺の指先一つ、てシチュエーションの俺TUEEEがやりたかったのかなぁ、と思ったり。まぁ、よく解からんてのが本当のトコです。
なんせどれがセカイ系作品だか見分け付かないから。(台無し)
<答えの無いクエスチョン>
思考実験的には、「世界を救うのは決定で、彼女は救えない」→「世界を救って、ウルトラCで彼女も救う」→「それって自己犠牲の究極が崩れるよ」→「彼女を救えない=自己犠牲究極形」→「まてーい!」を経ての、セカイ系だったのだろうと思うんですが、だからって「彼女だけ救って世界滅ぶ」だと本末転倒どころか、台無しじゃないか、と思うのですよねぇ。
たぶん、自己犠牲ってのが通常は「最高の美徳」に位置付けられているのがね。では、彼女を見捨てる決断が最高の美徳なのか、に繋がってしまうから。で、世界も彼女も救ってしまえになると、犠牲はどこ行った、となってね。ロジックで次から次へと崩れていってしまうのですよね。
で、「世界か彼女か」の裏側には究極の自己犠牲とそのロジック的矛盾という命題まで隠れていますんで、生半可な理由で彼女を選んでしまうと、すごく小物に映るんですよねぇ。隠れている文学的命題が実は桁外れにデカい、というトリック。
下手な理屈付けなどすれば、造り手までが「浅いところまでしか見てない」と評価されかねません。それが「セカイ系」という小馬鹿にした俗称なわけで、実はかなり危険な爆弾ではないのかと思いますね。生半可な気持ちじゃ手を出せません。
やっぱ、自己犠牲は「自己」と付くくらいだから自分一人が犠牲になる以上を含めてはいけないんだと思いますね。
アレだ、「世界を救って、彼女の身代わりに自分が死ぬ」
うん、これなら賞賛できる。
て、アルマゲドンとか往年からあるよ、このパターンも。(笑
どちらかを犠牲にしなければならないとなった時、世界を犠牲にしちゃう主人公でどうして感動出来る作品になるんだろうか。どっちも嫌だと自分が犠牲を引き受けるのがパターンだったわけですけれど。
そこに挑戦しているのかも知れないですね。
世界も彼女も自分も犠牲にならない?
世界のためにあえて彼女は犠牲に?
世界も彼女も救う為に自分が?
ラストのパターン、彼女の為に世界を犠牲に。
これで感動を呼ぶという挑戦でしょうか。
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