サイライ(工事中)

雨旅玄夜(AmatabiKuroya)

第1話 目を覚ました場所 1


 足に激痛が走った。

その瞬間私は我に返り、その激痛の走る足首あたりを押さえた。

生ぬるい液体が手の平に滲み渡り、それを血だと認識するまでに数十秒。

足に大きな木片が刺さっていることに気が付くまでに、さらに数十秒。


 「あれ…ここは…」

目の前に広がるのは、コンクリートの壁と割れた窓のある風景。

ここは何かの建物の上の階であるということが分かる。

その割れた窓からは、わずかに月明りが差し込んでいた。

部屋の中は、窓際の一部を残してほぼ暗闇で、何があるのかよくわからない。

ただ、床の老朽化具合や、足元に何かしらのものが散らばっていることは、音や感触で分かった。




 私は無言で立ち上がる。

それは何かしらに不安を覚えたからというよりは、ただ純粋に周りの状況が分かっていなかっただけというのが正しいのかもしれない。

痛む足に特に何も施すこともなく、私は窓際の明るいところへ向かって歩き出した。


 ギシギシと床の音が鳴る。

この音を聞いていると、なんとなくまた自分の意識が自分の手の届かないところに行ってしまいそうな気がした。

この音はかなり耳に残っている。

『たぶん私は…ここを歩き続けていたんだろう。』

そういう考えが浮かんで、急に寒気と疲れが襲ってきた。

『いったいどのくらい?』

自分に自分が聞き返す。

『…わからない。』


 何かを自覚した瞬間、言葉としてはまとまっていないたくさんの考えが頭の中を埋め尽くした。

喉が渇き、妙な汗が出てくる。

頭の中で一つの結論を出す前に窓際へたどり着こうと、私は焦って痛む右足を引きずる。

その時無意識に私は、強く右腕の方に近いあたりを強く押さえていた。




 窓際にたどり着く。

私の意識がはっきりとしたところからそんなには離れていなかったものの、暗闇と焦りのせいかここまでが長く感じた。

私は息を吸って目を閉じる。

何も考えずに、一度頭をリセットして目を開く。


 窓枠には割れたガラスの破片や埃やらが積もっていて、それに触れないようにと窓の外を見渡す。

少々雲があるものの晴れた夜空で、風は肌寒かった。

私は下の方を見下ろした。

ハッキリとはわからないけれど、中庭のようなものとその先に林が続いていることが分かる。

林の先はどうなっているのかわからないが、少なくとも明かりは見えない。

何かがあるような雰囲気ではなかった。


 その後私はこの建物を見てみた。

側面はボロボロで、ところどころ塗装が剥がれてコンクリートが見えている。

自分のいる階の上にもほかに階はあるようだが、体を乗り出してみているわけではないので、どれくらいあるかはわからない。

また、下の階は結構あるらしく数えてみようとするものの、私の3階下からはまるで工事用の鉄骨に黒いシートを覆いかぶせたように何かで隠されているので、よくわからない。

少なくとも5階以上はありそうだ。


 『結構高い…。』

私は唾を飲み込んで、窓から離れる。

何だかよくわからないもやもやが、体の奥底から湧き上がってくるのを感じた。

体からゆっくりと力が抜けていき、右足の痛みさえも忘れてその場にへたり込む。


 『そうだ…私高いところニガテだった…よね。』




===




 それは小さいころの話だった。

私にはよく遊ぶ友達がいて、その子はとても腕白な男の子だった。

彼は私を揶揄うことが好きで、遊ぶたびに隠れて驚かしてきたり、急に走り出して私を置いて行ったりした。

そのたびに私は泣き出したものだから、彼は何度親に怒られたことか。




 そんなある日のことだった。

彼はきっといつものように私を驚かそうとしたのだろう。

私の方を向いてニヤッと笑ったあと、前も見ずに走り出した。

そこは歩道橋で、その時は保育園からの帰り道だった。

私の後ろで自転車を押していた親たちは、私よりも先に「あっ」と声をあげた。

私はその声に驚いて後ろに振り向き、もう一度正面を向いたころには、彼の姿は無くなっていた。

彼は普通の子より一回り小さい子であったがために、手すりを支える棒の間に一度は詰まるも、勢いでそのまま下の歩道に落下してしまったらしい。

その後にどういういきさつがあったか思い出せないが、少なくとも今は

「死んじゃったんだ」




===




 私は頭を抱えて、その場に小さくうずくまった。

それは多少なりとも小さいころのショッキングな出来事が影響しているが、それ以外の要因が大きかった。


 『おかしい…ほかのことがなにも思い出せない。』

ぽっかりと空白の期間が広がっていた。

私は今更になって、自分の置かれている状況を理解した。

そして、今現在の状況を説明できない状況に陥っていることを知ってしまった。

『そもそもここはどこなんだ…?』

『今思い出した“彼”って、いったい誰なんだ?』

『いや、そうじゃない…私は…私は誰なんだ?』


 こういう状況のことを、人は“詰んでる”というのだろう。

体が急に震えだし、手にはうまく力が入らなくてぴくぴくと指が動く。

まるで今まで作り上げてきたものが、原形もとどめないくらいに破壊されたような気分だった。

たしかにあったのに、それが何かわからないのだ。


 私はしばらくの間、そのままの状態でうずくまっていた。

ごちゃごちゃとする頭の中、幾度となく考えることをやめてしまいそうになったのだが、きっと防衛本能という奴だろうか、それはだめだと何かを考え続けていた。




 次第にパニックに近い状況も収まり、考えることも尽き始めてきた。

そうしていると急に疲れが出てきて、私はそのままうとうとし始める。

なんとなく少し顔をあげて、その暗闇ばかりが広がる室内を見渡した。

木片とか埃とかが散乱していて、特に目立つものはない。

そして私はふうっとため息をついて、またうずくまろうとした。


 視界の端にぴかっと何かが反射する。

私はその光に目を刺されたような痛みを感じてうめき声をあげた。

『あれ…は?』

なんとなく見覚えのある四角く薄い何かが、暗闇に落ちていることに気が付いた。


私はゆっくりと立ち上がり、どこか目の覚めていないような気分でそれを手に取った。

それは、タカサキという名前が書かれた警察手帳だった。

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サイライ(工事中) 雨旅玄夜(AmatabiKuroya) @travelerk1218

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