第四章 灰秋の『爛』葉 PART9 (完結)
9.
リーの鼓動が早まっていく。今の言葉は彼の推理を後押しするものだった。やはり隠蔽された神は実在するのかもしれない。
「……とても面白い話ですね。是非見てみたいです」
そういうとオーナーは残念そうに頭を振った。
「それがな、残念ながら季節限定の行事なんよ。今の時期には見られんのじゃ。だからまた宮崎に遊びに来るといい」
「そうですね、次の機会があれば……」
返事に困っていると、団体客が入ってきた。若い女性がボックス席を陣取っている。
「ありゃ、ここまでのようだね。ちょっとおじさんは若い子達にお酒を作らないといけないから」
彼女達はそれぞれにカクテルを頼んでいるようだった。オーナーは無言でカクテルを作り始めていく。その早業にリーは舌を巻いた。
彼が手にしている液体は何かに導かれるように次々と混ざり合っていった。まるで魔法を見ているような手さばきで酒が踊っているようだ。先程までにやにやしていたオーナーの顔が真剣になっている。その姿を見て女性達は目を丸くしてカクテルが来るのを待ちわびていた。
「凄いですね、やはり一人でやっているだけあって、恐ろしく早い」
「そうね、でもリー君も負けてないよ」
「そんなことないですよ」
「いーえ、そんなことありますよ」
葵と話していると、オーナーはトレイに軽々と十個のグラスを載せカウンターを出た。
「あーちゃん、俺はあっちの客につくから。何かあったら適当に飲んでいいぞ」
「はいはい、わかりましたよ」
葵は肩をすくめながら頷いている。
「どうぞどうぞ、若い子達の所へ行ってきて下さい」
「悪いな」
オーナーは眉根を寄せて彼女に頭を下げた。
「リー君、あーちゃんにカクテルを作ってもらってもいいぞ。こいつが作るカクテルも旨いからな」
オーナーは白い歯と頭を輝かせながら、トランプを片手に女子大生のグループの中に入っていった。
「凄い積極的ですね。僕にはとても真似できません」
「そうでしょうね、リー君にはあんな風になって欲しくないけど……」
オーナーの姿を目で追う。彼は踊りながらカードマジックを披露して笑いをとっている。実に楽しそうだ。同じバーテンダーとは思えない身のこなしぶりで客を楽しませている。
「……リー君もあっちに混ざりたいの?」
「いえいえ、バーっていうのは色々なやり方があるんだなと思って。それにしても、初耳ですよ。葵さんがカクテルを作れるなんて」
彼女がまさかバーでも働いていたとは知らなかった。真剣にカクテルの練習をしていてよかったなと安堵する。
「リー君が訊かなかっただけじゃない」
彼女はにっこりと微笑んだ。
「嘘はついてないよ。もしよかったら、本当に私が作って上げよっか?」
「じゃあ、一つお願いしてもいいですか」
「りょーかいです、お客様」
彼女はカウンターの中に入り、シェイカーをくるりと回した。その中にウォッカ、ドライベルモット、赤いスロージンを投入し、リズミカルにシェイクする。
「はい、どうぞお客様」
目の前には真っ赤に染まった液体があった。グラスの回りが砂糖でまぶされてある。いつの間にスノースタイルにしたのだろうと目を丸くする。
「これは?」
「キス・オブ・ファイアというカクテルです」
葵に一礼して一口飲む。悪くない。苦味と渋みが通り抜けた後、程よい砂糖の甘みがマッチしている。僅かなレモンが後味をよくしてくれる。彼女が好きそうな辛口だ。
「……葵さんが好きそうな味ですね。さすが元バーテンダー」
「そうでしょ。っていっても、これしか作れないんだけどね」葵は笑いながら頭を掻いた。
「……ねえ、バーテンダーさん。このカクテルの名前の由来を教えて下さいよ」
「これはですね、お客様」
葵はわざと腕を組んで答える。
「情熱に身を任せた女性が意中の男性を落とすために作ったカクテルです。そのため熱い唇を誘う名前になっています」
「……なるほど」
リーは笑いながらいった。
「今考えたにしては上等な内容です」
「その通りです、お客様」
葵は舌を出して肩をすくめる。
「名前の由来はわからないけどこの色が好きなの。色に敏感なリー君ならわかるだろうけど、この色は緋色というのよ」
全くわからない。そもそも、色の区別など興味はない。いつもの彼女特有の皮肉だった。
「緋色はさ、思ひ色っていわれるの。相手を思う色なのよ。私がいつも神社で穿いている袴の色と一緒」
彼女の巫女姿を想像する。朱色の袴が彼女の純粋さを引き立たせているようにみえる。
「このカクテルには葵さんの気持ちが籠もっているんですね」
「そうよ」
彼女はびしっと彼に対して指を立てた。
「だから残したら許さないからね」
たじろぎながら、リーはグラスを傾けた。そういわれると残すことなどできるはずがない。
「……何かこの雰囲気は落ち着きますね。本当に僕の働いている店と似ている」
そういうと葵は苦笑いした。何か言葉を発するのを待っていると、彼女は目を細めるばかりで何もいわなかった。
「……どうかしたんです?」
「んーん、何でもない」
リーは天岩戸神社で途切れていた話題を出してみた。
「昼間の話が途中だったんですが。聞かせてくれませんか?」
「そうね」
葵はぼんやりと天井に掲げられたステンドグラスを覗き見て胸にある勾玉を掴んだ。白の勾玉がそこにあった。
「これね、馨がくれたんだ。神社に行く前に大学で馨と会ったの。その時にね。私に持っていて欲しいって」
「そうだったんですか……」
葵は目を伏せていた。彼女の長い睫毛が一層憂いを強くしている。
「本当はね、私、白の勾玉があることを知っていたの。彼がいつも身につけていたから、リー君の話を聞いてからすぐにぴんときてたの」
合点がいく話だった。葵は白の勾玉が実在するかのように話を進めていたからだ。
「さっきさ、私には双子の弟がいるっていったじゃない? だけどね、その双子っていうのが一卵性双生児だったみたい」
一卵性双生児。聞いたことがある言葉だ。双子には二つの種類があり、一卵性と二卵性がある。一卵性は全く同じ遺伝子を所有し、二卵性は別の遺伝子を所有するといったものだ。
「確か一卵性なら、性別は一緒になるんじゃないんですか。馨という方は男なんですよね?」
「もちろん、男よ」
彼女はきっぱりといった。
「本来なら性別が同じになるんだけど、私達は性別が違ったらしいの。これはね、珍しいことなんだって。だから不吉なことが起こる前兆ではないかということになって、私達は離されることになったの」
彼女は抑揚のない声で淡々と告げた。
「私は女だから、後継者にはなれない。だから私が養子に流されたの」
リーが黙っていると、葵はぎこちない笑みをみせた。
「……ごめんね。何か重たい空気になっちゃったね」
葵が告白したことによって、二人の間には重い沈黙が流れた。リーは何のフォローもすることができなかった。また、してはいけないのではないかと思った。
フォンをつけていたスパイに意識が向かう。ターゲットはひょっとすると楸田馨なのかもしれない。あの顔は葵とそっくりとはいわないが確かに似ていた。変装した跡も見られなかったし性別にしても男か女かはっきりしない部分があった。
だがなぜ彼がフォンを付け狙うのかはわからない。
「楸田馨さんは葵さんと会った後、大学に残ったんですか?」
「いや、家に帰って留学の準備をするっていってたよ」
「留学?」
「うん、イギリスに行ってさらに専門的な研究をするっていってた。今日から向かうみたい」
「今日から?」
思わず大声を上げる所だった。咄嗟に口を手で塞いで辛うじて抑える。
もしフォンの隣人が馨であれば納得いく部分もある。懐かしむように神社を歩いていたからだ。しかし宮司である祖父を目の前にして何の接触もないのはおかしいとも思う。葵の後ろも無言で通り過ぎているのだ。これはやっぱり辻褄が合わない。
あの人物は一体誰なのだろうか――。
「神社の息子なのに、研究に没頭しているんですか? 他に後を継ぐ人がいるんですかね?」
「まだおじいちゃんが現役だからね。家業を継ぐにはまだ時間があると思ったんじゃないのかな」
「その方は今、どこに? イギリス行きの飛行機に乗っているのですか?」
「うん、多分ね。飛行機は十七時頃っていってたし、まだ乗っていると思うよ」
十七時。葵と天岩戸神社で食事をしていた時間だ。あの人物が馨であるのならば、あの場にいられるはずがない。空港までの距離は一時間以上あるからだ。
だが頭の中にまだ疑問点が燻っている。あの人物が馨ではないかと思えてならない。
「そういえば、おじいさんと会ったことがあるといっていましたが、どんな話をしたんです?」
「……何でもない話よ。神社のことを聞いたり世間話程度よ」
「その時に馨さんは自分がここの後継者だ、という話はしましたか?」
「いや、してないよ」
「おじいさんからもそういう話は出ませんでした?」
「そういえば、そんな話はしてなかったなぁ。私のことを気遣って敢えてそういった話題を出さなかったのかもね」
疑問点が大きい穴となって侵食していく。もしかすると葵はターゲットに嵌められているのかもしれない。
馨という人物はスパイで、葵に対してだけ後継者だという姿を見せていたのではないだろうか、
世間話程度であれば、三人で会っていても不都合はない。むしろ彼女を騙すためには格好の餌場だったのではないか。
……まさか、彼は。
リーの中でターゲットの存在が灰色に染まっていく。
「葵さんのお母さんは天岩戸神社の巫女さんで間違いなかったんですよね? 結局会えたんですか?」
「うん、それがね……」彼女の表情が曇る。「私の両親はすでに亡くなっていたの……」
「え……」
リーは絶句した。返す言葉が思いつかない。
彼女は冷たい声で続ける。
「何でも中国に旅行に行った時に亡くなったみたいなの」
「……中国ですか?」
「ちょうど二十年前にね。電車の事故に巻き込まれたみたい」
リーの心臓が大きく高鳴る。二十年前、彼の両親が日本のスパイに殺された時だ。まさか両親が亡くなったというのは……。
「馨もその時、中国にいたみたい。だけど奇跡的に助かったのよ。それで天岩戸神社に預けられたってわけ」
恐れていた思念が輪郭を明示しながらはっきりと浮かんでいく。今日つけていた人物は紛れもなくスパイだ。そしてあれは馨ではない誰かだ。
……楸田馨は――。
天岩戸神社にいる母親。真名井の滝。ぼんやりとした幼い記憶。そして中国での事故。
全ての事象を繋ぎ合わせると、答えは一つしかない。
……楸田馨は―――俺だ。
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