第四章 灰秋の『爛』葉 PART8

  8.


「アンバードリーム?」


 オーナーは首を傾げた。

「ああ、あれね。って何だっけ?」


「……もう。忘れちゃったんですか?」


 葵は口を尖らしていう。

「あれですよ。白いジンと緑のシャルトリューズと赤のベルモットを平等に混ぜたやつです」


「ああ、そういえばそんなカクテルがあったね」


 リー自身も初めて聞くカクテルだった。オーナーはシェイカーに氷をつめ、それぞれの液体を流し軽快にシェイクする。


「オーナー、黒いカクテルグラスがあったでしょ? あれで出して上げて」


「オッケー」


 オーナーは冷蔵庫の中から黒のカクテルグラスを出し、それにシェイカーの液体を注ぎ込んだ。


「はい、アンバードリームっていうカクテルね」


 カクテルグラスの中には山吹色をした黄金の液体で満たされていた。鼈甲(べっこう)色のグラスが洗練された光を掲げているようだ。


 リーは礼をいいながら口にした。辛口だが、適度に冷えており旨い。何よりいい氷を使っているせいか、水っぽさがなく味がしっかりしている。


「初めて味わうカクテルです。これ、中々度数高いですね」


「大丈夫? 飲めそう?」

 葵は自分で頼んでおきながら、リーを心配するそぶりをみせた。


「はい、なんとか。続けてとなったら苦しいですけど」


「そっか、よかった」


 彼女は胸を撫で下ろしながら彼に視線を向ける。

「リー君に飲んで欲しいカクテルだったの。飲んでくれてありがとう」


 オーナーはにやにやしながら、リーの顔をまじまじと覗いた。


「グラスに傷をつけるなよ。なんたってそれはバカラのグラスだからな。あーちゃんの彼氏じゃなかったら出してないぞ」


「いいじゃないですか。今日はお祝いの席なんだから」


「ん? 何だよ、お祝いって。何かいいことがあったのか?」

 オーナーは目を丸くした。


「……久しぶりにこうしてオーナーと飲めることがですよ。それに菊の節句なんて滅多にないじゃないですか」


「そうだな。おかげで今日は楽しい酒になりそうだ」


 突然、あっとオーナーは声を上げた。


「あっ。そういえばこのカクテル。確か三層に並べたブースカフェスタイルにすると、また名前が変わるんだったよなぁ」


 彼は腕を組んで瓶を眺め始めた。

「ベルモット、シャルトリューズ、ジンの順番で入れるやつ。確かフランス語だったのは覚えているんだが」


 聞いたことがある。リーはカクテルブックを想像した。

「ビジューです。フランス語で宝石という意味があるんです。このカクテルで使っている液体は赤、緑、白で、それぞれの色が宝石を表しているんです。赤はルビー、緑はエメラルド、白はダイヤモンドですね」


「そうそう、それだ」


 オーナーは手を叩いてリーに視線を合わせた。

「さすがバーテンダーだな。しかしカクテルっていうのは本当に面白いよなぁ。同じ材料でも混ざれば色が変わるし味も変わる」


 オーナーは感慨深そうにリーのグラスを眺めた。カクテルが放つ淡い光にリーも目を奪われた。


「ちなみにアンバードリームとはどういう意味なんだい?」


 オーナーの問いに彼女は抑揚のない声で答えた。

「琥珀(こはく)の夢、という意味です」


 琥珀。どこか遠い記憶の中で聞いた覚えがある。

 しかも、とても親しみの持てる響きだ。


「琥珀も宝石の一つだな」


 オーナーは光輝くカクテルを見ながらいう。

「木の樹脂によってできる天然の石だもんな、宝石が宝石を作るなんて、洒落たカクテルだな」


 ……どうしてだろう、琥珀という単語が耳から離れない。

 頭の中で眠っていた記憶が氷解しようと崩れかかっていく。しかし答えは出ない。


「そういえば、あーちゃんは何で宮崎にきたんや?」


「実は私の実家がこっちにあるんです」


「えっ? 確か名古屋じゃなかったんけ?」


「お母さんの実家が天岩戸神社なんですよ。それで大学も宮崎を選んだんです」


「へぇー、そうなんや。天岩戸神社といったら、アマテラス様の神社やもんなぁ。あーちゃんが勤めている熱田神宮と一緒やな」


「やっぱり地元の方だけあって詳しいですね」


 リーが横から口を挟むと、オーナーは、当たり前じゃ、と鋭い声を上げた。


「飲み屋をやっとって宮崎のことを知らんわけにはいかん。リー君は『夜神楽』という言葉を聞いたことあるけ?」


 もちろん内容は調べてある。だがここは地元の人の話に耳を傾けてみるのもいいかもしれない。

「いえ、初めて聞きます」


 そういうとオーナーは嬉しそうににんまりと笑みを浮かべながら語り始めた。


 『夜神楽』

 宮崎に伝わるお祭りの一つだ。

 これは配祀の神であるアヤノウズメの舞いが起源とされている踊りを通した物語だ。内容は三十三番で構成され、初番はサルタヒコの彦舞から始まる。七番までを碇七番と呼び、天孫降臨に必要な神が集うとされている。


 天孫降臨。ニニギが下界に降り立つ話だ。メインテーマにするのも頷ける。


「この話は天岩戸伝説を元にしているんだが、面白いことにアマテラスは出て来ない。アマテラスに相当するのは鏡なんだ」


 鏡とは八咫鏡のことだ。なぜメインとなるアマテラスが登場しないのか。リーはオーナーの言葉を静かに待った。


「そしてこの話の一番面白いのは二十九番に大神が登場するんだが、これが女ではなく男なんだ。おおわだつみの神といい、海神様だ」

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