第四章 灰秋の『爛』葉 PART7
7.
高千穂峡から街に戻り、リーは葵が大学時代バイトしていた『クアトロ』という店に入った。洒落た洋風の店構えだったので緊張して入ったが、スタイルのいい女性が満面の笑みで出迎えてくれた。
「わあ、あーちゃんじゃない。どうしたの?」
「おかみさん、お久しぶりです」
「なんだー、戻ってきたんなら連絡くれたらよかったのに。本当に久しぶりね」
「すいません、こっちに来る予定がなかったもので」
どうやら葵はあーちゃんと呼ばれていたらしい。彼女も笑みを浮かべて応対している。
「そっかぁ。でも来てくれてありがとうね。で、隣にいるのは誰なの? 彼氏さん?」
「そうなんです、中国から来ているリー君です。日本語も上手なんですよ」
「へぇ、外人さんなんだ」
おかみは大きな黒目をさらに開いている。
「今日はサービスしてあげるからね。たっぷり美味しいもの用意してあげるから」
そういっておかみは何もいわずに生ビールを持ってきた。何でもこれもサービスらしい。気前がいい人だなとリーは礼を述べた。
「じゃあ、まずは乾杯しよっか」
「そうですね、じゃあ乾杯」
乾杯を皮切りに、葵が注文するまでもなく次々と料理が運ばれてきた。宮崎名物の地鶏の炭火焼も大きなプレートに乗っている。
何でも葵が一番好きな料理は明太子カルボナーラらしい。リーの台所でも何度も作ってもらっていたが、プロの腕前とほとんど遜色ない。こちらには葱が入っていないくらいの差だ。
「葵さんの料理が上手い理由がわかりました。ここで鍛えられたんですね」
「うん、そうなの。ここのまかないは何でも美味しかったわ。卵の白身が残るからって、それだけをご飯と混ぜ合わせてチャーハンにしてもらったり何でも無駄なく使っていたの」
「そんな話を店の中でしないでちょうだい」
おかみは皿を回収しながらデザートを運んできた。
「はい、宮崎名物、日向夏(ひゅうがなつ)蜜柑のシャーベットでお口直しね。あーちゃんはこれが好きだったよね」
葵はうんうんとシャーベットを掬いながら答えた。
「ここのが一番美味しいです。それに日向夏蜜柑には母親の思い出がありますし……」
……蜜柑に母親の思い出があるとは何のことだろう?
葵からはその話題を聞いたことはない。だがこの味はどこかで味わった気もする。
「あーちゃん、それにしても変わらないわね。三年ぶりに会ったというのに、逆に若くなった気がするわぁ。恋をするとやっぱり若くなるのね」
「おかみさんこそ、全く変わってないですよ」
葵は笑いながらおかみを褒めちぎった。
「スタイルも維持されてるし、羨ましいです。リー君、おかみさんには中学生の子供がいるんだよ」
リーは目を大きく開いた。
「へぇ、そんな風には見えません。とっても若いんですね」
「またそんなこといって」
彼女は満面の笑みを見せた。
「いいわ、今日はサービスしてあげる」
「え? いいんですか?」
葵はおかみに見えないよう、リーに向かってピースサインをしていた。なるほど、最初からそれが狙いだったわけか。
「うんうん。久しぶりに顔を見せてくれたんだもの、これくらいサービスするわ」
おかみは胸をポンと叩き上機嫌で頷いた。
「その代わりこれを食べ終わったら、パパの所にいってあげてね。あーちゃんが来たとわかったらとっても喜ぶと思うわ」
「ちょうど、今から行こうと思っていたんです」
彼女は頭を下げてシャーベットを口にした。
「彼も名古屋ではバーテンダーとして働いているんですよ」
「そうなの。じゃあ、彼氏さんも楽しめると思うわ」
おかみは満面の笑みを見せていった。
「世の中には色々なバーがあるからね。是非楽しんでいって下さいね」
おかみに見送られ、その後一本の通りを横切り煉瓦で建てられた建物の二階に上がっていった。ここにオーナーがいるらしい。中世風の海と太陽が描かれた看板にはオーブストーリアと書かれてある。
「お、あーちゃん、久しぶりやなぁ。おかみから話はきいてっぞ」
すらっとした背の高い男性が頭を下げておしぼりを出してきた。頭は丸坊主で豪華な色のシャツにカラフルな眼鏡をかけている。ぱっと見は相当胡散臭い人物だ。
「お久しぶりです、オーナー。今日は彼氏を連れてきました」
「そうかそうか」
オーナーはおかみと同様、満面の笑みを見せている。
「おー中々の男前やなぁ。何にするか? 宮崎に帰ってきたんなら、芋焼酎が恋しいやろ?」
「そんなことないですよ。ほぼ毎晩飲んでます」
そういうとオーナーはけらけらと声を上げて笑った。
「お前は本当によく飲みよったもんな。せっかくやけえ、焼酎一本くらいサービスしてやるわ。どっちがいいか? 黒と白」
「そうですね、最近は白ばかり飲んでいるので黒でお願いします。リー君はどうする?」
オーナーは不思議そうな顔をしながらリーの顔を見た。
「リー? なんや、日本人やないんか」
リーは席を立って挨拶をした。
「リー・シュンといいます。中国から留学で来ています」
「こりゃまた上手な日本語やなぁ」
オーナーは長い手を出していった。
「ゆっくりしていってくんろ、松尾といいます。それでリー君は何を飲むかい?」
「じゃあ、僕も彼女と同じもので」
葵が横から口を挟んできた。
「リー君、ビールにしといたら? 度数もきついし、あんまり飲めないじゃない」
「いえ、せっかく宮崎に来たんですから、焼酎を飲んでみます」
「お、わかってるねぇ。さすがあーちゃんの彼氏だな」
そういうとオーナーは氷を割りながら、ロックグラスを用意した。その中に『黒霧島』を半分ほど垂らしマドラーでといた。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
ぐいっと一口飲むと、焼酎の香りが体中に広がり体の底から熱くなった。やはり飲みなれていないときつい度数だ。
「おお、いい飲みっぷりやな。やるな、あーちゃんの彼氏」
「いえいえ、本当に弱いんです。勢いをつけないと飲めません」
リーは謙遜した。
「それにしても飲みやすいです、これ。水割りなのに全然水っぽさを感じない」
「そうやろ、これはあーちゃんが選んだ氷やからな」
オーナーは自慢げにいう。
「前に取り扱っていた氷はな、すぐに解けて味が薄くなっていたんやけど、あーちゃんがいい氷屋さんを見つけてきてくれたおかげで味が落ちにくくなったわけだ」
「なるほど」
リーは感嘆の声を漏らした。
「味にうるさい葵さんがいたからこそ、質のいい氷が見つかったんですね」
「そういうこっちゃ」
葵を見ると、そんなこともあったなぁと感慨深そうにグラスを傾けていた。カウンターで酒を呷っている彼女はいつも通りで様になっている。
辺りを見回してみると、ボトルの配置、カウンター、ボックス席とリーが勤めている店と構図が似ていた。きっと、マスターが葵に通わせるために似せたに違いない。
「何だか僕が勤めているバーに似てますね」
「そうでしょ、雰囲気が似てるからあの店に通ったのよ」
オーナーはカウンター越しの向かい合わせに座り、自分のグラスに酒を注いだ。この店でも店側は進んで酒を飲むらしい。オーナーのグラスからはほんのりと花の香りがした。
「松尾さんのグラスから仄かに花の香りがします。何の匂いですか?」
「ああ、これね」
そういってオーナーは大きなガラス瓶を差し出した。その中には黄色に染まった菊が溢れんばかりに積もっている。
「今日は重陽の節句だから、菊酒を飲もうと思ってな。リー君も次はこれを飲んでみるといい」
「そ、そうですね」
芋焼酎ときいて少し距離がおきたい所だ。このままでは酔いつぶれてしまう。
「葵さんもこの中で働いていたんですか?」
話題を変えるために彼女に話を振る。
「うん、たまにね」
彼女は焼酎を軽々と飲み干していった。
「人が足りない時だったり、こっちの店に料理を運ぶ時に来たの。こっちでもさっきのお店の料理を頼むことができるのよ」
「料理はクアトロでお酒はここで鍛えられたんですね」
「そういうこと」
葵はグラスを傾けて、一気に呷った。いつもより拍車が掛かった飲みっぷりに驚嘆せずにはいられない。
「葵さん、本当に強いんですね」
「リー君の前で酔ったことはないでしょ」
「確かに、酔った所を見たことはないですね」
オーナーはにやにやと笑いながら口を開いた。
「あーちゃんはいつも客から奢ってもらって、店の売り上げに貢献してくれたんだ。だから料理を持ってくる時は大体、あーちゃんにお願いしていたんだよ」
オーナーは自分の分がなくなると、おかわりを作り始めた。最初の一杯はきちんとマドラーで混ぜていたが、次の分はグラスの中に手をつっこんで氷をくるくると回している。格好をつけない所が逆に好印象に見える。
「ええ、私もわかっていて料理を持っていきましたよ。酔わないようにお水をたくさん飲んでからこっちに来ていたんです」
オーナーはけらけらと笑った。
「そうだったんか、どうりで酔わなかったんやなぁ」
「でも今日は酔いたい気分なんです。思いっきり飲みますよ」
そういって彼女はグラスを空にした。男性張りの迫力だった。
リーがおかわりを躊躇していると、葵がフォローしてくれた。
「リー君、次はカクテルにしたら?」
「そうですね。僕も松尾さんのカクテルが見たいです」
「そうかそうか、んじゃご要望があれば何でもいってくれい」
リーは何を頼むべきか考えた。脳内であれこれと考えている間に葵が横から口を挟んできた。
「オーナー、アンバードリームでお願い」
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