第四章 灰秋の『爛』葉 PART6
6.
真名井の滝に戻る頃には夜空に星が見え始めていた。出雲と同じく曇り一つない星空が光を零し溢れている。
「……綺麗な星空ですね」
「そうだね……」
彼女も夜空に視線を向けていたが、ちらりと彼の方を見た。
「……リー君。まさかここで天体観測を始めるわけじゃないわよね?」
葵の目が尖っている。どうやら七夕の日に望遠鏡を持っていたことをまだ根に持っているらしい。
「まさか。望遠鏡なんて持って来てないですよ」
「そうはいうけど、ポケットに小型の双眼鏡が入ってるじゃない」
思わず手がすくんだ。まさか、葵を監視する時に使った所を見られたのだろうか。
「えっ。まさか本当に持って来てるの?」
やられた、とリーは後悔した。ただの彼女特有の冗談だったのだ。伸びた手が右ポケットの近くで止まる。
「……呆れた。本当に持って来てたのね……」
葵は大袈裟に溜息をついた。
「私と星と、本当はどっちが好きなの?」
「違います、葵さんを見失ったらいけないなと思って。一応持って来てたんですよ」
咄嗟の言い訳が通じるはずがなく、葵は首を振りリーにそっぽを向けた。
「いいよいいよ、言い訳しなくて。本当にそういう所は用意周到なんだから。どーぞ、じっくりと、ゆっくりと気の済むまで眺めて下さい」
きつい口調だったが、葵の表情は柔らかかった。目がにやけている。きっとそこまで怒っているのではないのだろう。
「……じゃあお言葉に甘えて」
このまま天体観測をしなければ、双眼鏡を持ってきたことを不審に思われるだろう。形だけでもと思い、夜空を眺めた。
夜空を眺めると、秋の四角形を簡単に発見できた。名古屋の都市部では間違いなく裸眼では確認できないだろう。星の煌きに思わず時を忘れてしまいそうだ。
「あそこを見てください、葵さん。あそこにペガスス座があるんですよ」
葵の目線に合わせて、指で軌道を描きペガスス座を辿った。葵は驚嘆の声を上げて喜んでいる。
「こんなにくっきりと見れるのは久しぶりです。あの星を見てください。あそこからこうやって四つの星を辿ると四角形ができるでしょ? 僕らが今追っている勾玉もあんな風に繋がっているのかもしれません」
そういうと葵は目を伏せた。なぜか憂いを含んだ表情をしている。
「……葵さん?」
「……リー君、お願い、ぎゅっと抱きしめてくれない?」
彼女の眼が潤んでいた。自分の心は一瞬で彼女に染まっていく。
力を込めて葵を胸の中に押し込む。彼女の甘い匂いと共に、近くに咲いていた向日葵の花びらの香りが風に吹かれて体の中に染み込んでいく。
「……あったかい」
葵はリーの胸の中で頬ずりした。
「九月といっても山の中だと寒いね。もう秋が来てるんだなぁ」
「そうですね」
葵の匂いはなぜか心をときめかせるものではなく、穏やかにしてくれるものだった。女性の匂いというのはそういう風にできているのだろうか。彼女を抱きしめる度にとても安心する。
「私ね。春も好きだけど、夏も好きなの」
「どうしてですか?」
葵は日焼けすることを極端に嫌っていた。とても夏が好きなようには見えない。
「だって夏になったら向日葵が咲くでしょ」
彼女はきっぱりと答えた。
「ここは暖かいから、たくさんの向日葵で埋まるの。その光景を見るだけで、私は一人じゃないって思えるんだ。もうすぐ時期は終わっちゃうけどね」
「葵さんは本当に花が好きなんですね」
「うん。花があるから、私は元気でいられるんだ」
「僕も葵さんのそばにいますよ。ずっと……」
「……ありがとう」
彼女は俯いたまま頷く。
「やっぱり優しいね、リー君は」
一瞬の沈黙の後、葵はぽつりと呟いた。
「…………後一つになっちゃった」
突然彼女が口にした一言で彼は固まった。後一つということは白の勾玉を手に入れたのだろうか。すぐに訊ける雰囲気ではなく、曖昧に返答した。
「そうなりますね。伊勢神宮にある黒い勾玉が集まれば、全て揃うことになります」
彼女はリーの胸の中からひょっこりと顔を出して訊いてきた。
「何色だったか知りたい?」
「ええ、教えて貰えるのであれば」
彼女はにやにやしながら胸に手を滑らせる。そこには朱色の紐で括られている透明に光る石が見えた。どうやら水晶のようだ。
「一応白ということになるのかな。透明で色はないけど」
「なるほど。葵さんと同じ純粋な白ですね」
「……なんでそう思ったの?」
「葵さんほど純粋に感情を見せる人を僕は知りませんから」
彼は本心で答えた。
「怒る時は怒るし、笑う時は笑うし、泣く時は思いっきり泣く。素直に感情を表現できる葵さんが羨ましい。まるで何にも染まっていない雪のように、真白で純粋な色です」
「あ、ありがと」
彼女は恥ずかしそうに頭を掻きながらいった。
「てっきりダイヤのような固い石を想像していたんだけど……。思ったより軽いよ、これ。多分水晶だと思う」
彼女が取り出した勾玉は一筋の光を導くように煌めいた。
「これが白の勾玉。西の四神、白虎が司る宝石ですね。実に美しい」
「綺麗だよねぇ……」
葵は勾玉を上目遣いに覗いた。
「青龍、朱雀ときて白虎は現実にいる動物だもんね。虎は死んだ後、石になるといわれているから、これも虎からできているのかもね」
「聞いたことないですが、そんな言い伝えがあるのですか?」
「うん、おじいちゃんがいってたから、間違いないよ」
天岩戸神社の宮司がいっていたのなら何か意味があるのかもしれない。もしかすると四神は方向だけでなく動物自体にも何か意味を持っている可能性がある。
青龍。熱田神宮で祀られている草薙剣はヤマタノオロチという龍の尾から見つかっている。全てはここから始まった。
朱雀。別名、鳳凰、鳳皇。天武天皇を知るためには譲れない情報を数多く持ち合わせていた。
白虎。白と黒を含んだ現実に存在する動物。きっとこれから先、何か重要な手がかりを手に入れることができるかもしれない。
「そういえばさ、勾玉を全部揃えるのはいいんだけど、全部揃えたらどうするつもりなの?」
思わぬことを聞かれてリーは首を捻った。マスターからは勾玉を集めろといわれているが、集めてどうするのかは考えたことはない。
「本当ですね。それについては考えていませんでした」
「……そうだろうと思った」
葵の顔に笑みが戻った。彼女の笑顔を見れるだけでリーの心は熱い液体で満たされる。
「どうしたらいいと思います?」
「そりゃ、もちろん正しい神がいる場所に持って行くんじゃない?」
「なるほど。一理ありますね。もしかすると、またここに戻ってくることになるかもしれませんね」
「……そうね」
葵は風になびかせていた髪を束ねて大きく伸びをした。
「そろそろ、いこっか。バーも空く時間になったし、美味しいもの、いっぱい食べちゃおう」
彼女は明るい声でそういったが、目は伏せたままだった。
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