第四章 灰秋の『爛』葉 PART2
2.
葵は初めて出会った時と同じ服装をしていた。白のワンピースに緑色のトレンチコート。心地よい既視感がリーを襲う。その隣には灰色の袴を着た年配の男性がいる。二人は談笑し、ゆっくりとした歩調で散歩を楽しんでいるようだった。
化粧の仕方がいつもより濃い気がするが、それは旅のせいだろう。
その姿を見てリーはほっとした。目の前にいるスパイはやはり葵ではないと思うと、自然と吐息が漏れる。
葵の表情は軽かった。どこから見ても孫と祖父の構図だ。柔らかく暖かい空気が二人を包んでいた。きっと二人は共通の人物・葵の母親の話題で盛り上がっているのだろう。
三人の同行に注意し身を強張らせていると、フォンが踵を返した。これ以上、進んでも自分にメリットがないと判断したのだろう。葵は目的通り天岩戸神社に辿り着き宮司らしき人物と話している。きっとここで白の勾玉の情報を手に入れることができるだろう、と確信したに違いない。
フォンはリーに対して手刀を切りながら狭い道を横切ってきた。彼の顔を目の端で捉えるが、何の表情も浮かんでいなかった。リーの変装が効いているのか、任務中なので敢えて気づかないフリをしているのかもわからない。隣にいた華奢な女性は俯いたままだった。
ターゲットはフォンがこの場から立ち去るのを見ても全く動じなかった。きちんと奥まで進み、宮の前で一礼し願い事を上げている。その作法は板についており、思わずターゲットに目を奪われた。
礼をした後、ターゲットはじっくりと時間を掛けて宮の中に佇んでいた。ぽっかりと空いた洞窟の中で近くに咲いている萩の花を眺め、そよそよと流れる川のせせらぎを目にし、自然を目一杯満喫していた。
ターゲットの後ろに葵はいる。お互い気に掛けるような空気はない。しかしターゲットの視線からは細い糸のようなものを感じてしまう。
……やはり彼女の目的は葵なのかもしれない。
リーは再び思案した。フォンよりも神社の巫女に暴かれる方がまずいことを考えると、充当な考えだと思い直す。
葵が熱田神宮の正式な巫女ではないからだ。血族主義を重んじる神道の中で、養子である人物には正当な情報を与えることを嫌っている人物もいるだろう。
その一派が葵にスパイを送っているとしたら――。
そして彼女はすでに二つの場所を決められた日に辿っている、今回で三つ目だ。ターゲットが葵をつける理由も存在する。
……ついに動き始めるか。
リーは再び動向に注意した。ターゲットは目的を達したためか悠然と宮から離れていく。どうやらこの場を立ち去るようだ。
ターゲットの動きに合わせてゆっくりと川の方を眺めることにした。川の流れを追っていると、不自然にならない目標物があった、野鳥だ。
……懐かしい、白鶺鴒(しろせきれい)だ。
胸の辺りは黒、腹の部分は白く背中は黒掛かった灰色をしており、白色の顔に黒のアイラインが入った鳥といえば、一種類しか存在しない。この辺りでは珍しいな、とノスタルジックな気分になる。
……どうしてこんな気分になるのだろう。
自分の気持ちに訝る。中国にいた頃の記憶ではないのは確かだ。日本にいた頃の記憶だろうか、しかし鳥に関する記憶などない。
「……すいません」
女性ではない声が後ろから聞こえた。そのことに戸惑い、思わず振り返ってしまった。ターゲットが発したとわかった時には心の中で舌打ちした。
ターゲットと目が合った。なぜ自分は振り返ったのだと自責の念が沸く。
「ちょっと横を通らせて頂きますね」
一目見てスパイが変装しているわけではないと悟った。女ではない、という直感も沸いた。もしくは男でもないのかもしれない。そんな中世的な顔立ちだった。顔の作りは葵にも似ており、またリー自身にも似ているように見えた。
……君は誰だ?
ターゲットを目の端で確認する。足取りは遅いが、この場から立ち去ろうとする感じだった。結果的にフォンを追う構図になったといえるが、彼ならすでにこの領域を離れているだろう。
……このままターゲットを追うべきか。
葵と距離を取ることによって、彼の正体を探ることもできる。だが心の中では近づいてはいけないという直感が働く。彼を追うことによって他のスパイに狙われる可能性もあるからだ。
……今日の所は様子を見た方がいい。
土地勘のなさに加えて、葵の近くにいた方が安全だという意識が働く。彼女の身内が近くにいれば、ターゲットもうかつには動けないだろう。
やはりここは葵に近づくべきだ。
頭の中を巡っている煙を掻き消し前に進むが、胸の鼓動が足をおぼつかせる。このまま彼女に近づくことは恐ろしい何かに足を踏み入れる感じがするのだ。
だがここで引き返すことはできない。誰もいないことを確認し変装を解き、深呼吸を入れ歩を進める。
葵と年配の神主は先程と変わらず、巨大な穴が開いた所で立ち止まり話を弾ませていた。
葵の視界に入る所で彼女を眺めていると、目があった。
わざと避けるように見せたが、彼女は気づき、こちらに向かって声を上げた。
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