第三章 白秋の『爛』葉 PART2

  2.


「それは……」


 先の言葉が続かなかった。軽々しくいうものではないと思ったからだ。


「やっぱりこの間話したこと、確かめたいんだ。このままじゃ落ち着かなくてさ」


 熱田神宮に存在する父親は実の父親ではない。その言葉が彼の心に連鎖するように広がっていった。


「いつ行くんです? 決まったら教えて下さい。僕も予定を合わせないといけないし」


「ごめん、リー君ともちろん一緒に行きたいけど……やっぱり私の問題だから……。一人で行こうと思ってるの」


 リーの中で葛藤が走った。こういう場合はどういった言葉を返した方がいいのだろうか?


「葵さんはそれでいいんですか? 四年間も宮崎にいたのに行けなかったんですよね?」


「うん……。でもリー君に迷惑を掛けることになるし。大学を休まないとといけないでしょ。せっかく頑張っているのに水を差すわけにはいかないよ」


「確かに休まなければいけませんが、それでもいいです。葵さんの力になれるのなら」


「やっぱり、リー君は優しいね。ありがとう」


 葵は肩を落とし力を抜いた。

「でも今度別の時にいこうよ。案内したい店がたくさんあるんだ。私がバイトしていたレストランにも連れていきたいし、その店の地鶏の炭火焼は美味しいし、おかみさんがいい人だしさぁ。それにね、そこのオーナーがバーも経営していて店の切り盛りもしているの。とっても面白い人で、リー君に飲んで欲しいカクテルもたくさんあるんだ」


 葵は早口で捲くし立てている。何だか妙に無理をしている感じがある。

 リーが次の言葉を述べようとしたした時、彼女は彼の口を手で塞いできた。


「この前、リー君に勇気をもらったから大丈夫。リー君と一緒にいったら、きっと全て頼ることになっちゃうから。だから今回だけは私一人で行ってみたいの」


 リーは肩を落として、納得した様子を見せた。彼女が飲み干したカクテルを下げ、新たにジンライムを置く。


「……そうですか。わかりました。じゃあ僕は大人しく留守番しておきます」


「うん、ごめんね」


 葵の手が碁盤に伸びた時、新たな客が入って来た。その客はどこかで見たことがあるなと思えば、大学で同じ文学部の柏木美里

かしわぎ みさと

だった。


「わあ、リー君じゃない。どうしてここにいるの?」


「こんばんは、柏木さん。この店で週末バイトさせて貰っているんです」


「そうなんだ。ここってさ……チャージ高い?」


「いえ、そんなことないですよ。初回はサービスする形になっているんです」


「え、ほんと? じゃあ、せっかくだし飲もうかな」


 美里が席に座り注文を選んでいる時に、ふと葵の方を覗いてみると、寒気がした。彼女は美里を値踏みをするようにじろじろと観察している。


 リーはただならぬプレッシャーを感じた。


「……ねえ、リー君。私、あんまりカクテルとかに詳しくないんだけどお勧めとかある?」


「そうですね。柏木さん、お酒は強い方です?」


「もう、この間、一緒に飲んだばっかりじゃない」


 美里は笑顔で答える。

「もちろん弱いよ、だからできれば甘いカクテルがいいな」


彼女の甘えたような声が店に響き渡った。何やら横から強烈な熱視線を受けているような気がするが、そこは直視できない。


 リーはなるべく冷静に言葉を選んだ。


「そういえば、そうでしたね……。じゃあカルアミルクなんかどうです?」


「えー、せっかくだからリー君が作っている所が見てみたいなぁ。シェイカーを振るやつで甘いのとかもあるでしょ?」


「わかりました。アレクサンダーというカクテルがあるんですが、それはどうですか?」


 そういってリーはまずいと思った。先程葵に出したばかりだ。ここで同じものを出すのは非常にまずいような気がする。


 しかし美里はそれがいいといった。


「いい名前ね。それはどんな味なの?」

 再び甘えたような声が店にこだまする。


「カカオベースに生クリームを足したカクテルです」


 リーは目を伏せながら答えた。

「ブランデーを入れるんですが、薄くすれば柏木さんでも飲めると思います」


「へーおいしそう。楽しみだなぁ」


 リーは諦めてシェイカーを振ることにした。


 だがその瞬間、葵が席を立つのが見えた。彼女の右手には無数の碁石が握られている。プラスチックの石同士のギリリという摩擦音がバー全体に響く。


「……チェックで。すいませんけど、このボードゲーム直しておいて下さいね」


 葵のグラスを見るとすでに空になっていた。どうやらあれだけ強い酒を一気に飲み干したらしい。


 彼女の様子を目の端で覗く。さすがに足元はおぼつかない様子で左右に揺れている。


 手に握られた碁石はどうするのだろうか、それとも気づいていないのだろうか。それを追求する言葉すら憚

はばか

られる。穏やかな表情をしているが葵の眼は鋭い。


「あ……はい。ありがとうございます」


 葵は左手で札を2枚取り出した。


「お釣りはいりません。お仕事頑張って下さいね」


 二百円ほど足りないのだが……。


 リーは葵のプレッシャーに負け、見送る形をとった。彼女はそのまま振り返らずバーの扉を開ける。暗い店内に一瞬だけ光が漏れた。


 どうやら機嫌を損ねてしまったようだ。顔は笑っていたが、剣呑な目つきは変わっていなかった。


「どうしたの、あの人? 何か怒ってたみたいだけど、大丈夫?」


「いえ、柏木さんが気にすることじゃないですよ」


 そういいながらも頭の中では葵に対する言い訳を考えている。別に悪いことをした気持ちはないのだが、無意識にそうなってしまう自分がいる。


 付き合ってきた時間が、強制的にそういった思考にしてしまうのだ。


「……そう? ならいいけど」

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