第二章 朱夏の『絢』雨 PART6

 6.


「ど、どうして……そう思うんですか?」茜は声を震わせている。


「隠蔽された日の神は『男』だからです」彼は即答した。「アマテラスの弟であれば、日の神様ともいえるのではないでしょうか? 事実、彼は天界に上がったこともあります」


 リーは饒舌に語り続ける。


「葵さん、皇居には三種の神器が祀られているんでしたよね。八尺瓊勾玉以外の二つはレプリカで」


「うん、そうだよ」


「もし八尺瓊勾玉までもレプリカだとしたらどうしますか?」


 ……そんなはずはない。彼女は言葉を漏らしそうになったが途中で止めた。


 茜も真剣な表情になってリーの言動に身を強張らせている。


「なぜそう思うんですか? 何か根拠があるような言い方ですね」


「茜さんの見せてくれた勾玉ですよ」


 二人の鋭い視線にも、リーは怖気つかずに続けた。

「そもそも鏡と剣のレプリカを作っておきながら、なぜ勾玉だけレプリカを作らなかったのか……? それはすでに本物は本来の形をしていないからです」


「えっ。どういうこと?」さっぱり意味がわからなかった。


「茜さんが持っている勾玉は本物の八尺瓊勾玉を加工してあるんじゃないかということです」


「ええっ?」


 ……これが三種の神器の八尺瓊勾玉?


 有り得ない。本当の勾玉は八尺ほどの大きさがあるものをいうのだ。こんなに小さいわけがない。


「リー君のいいたいことはわかるわ。だけどなぜ加工しなければいけなかったの? その理由はわからないでしょ」


 リーは肩をすくめて答えた。


「はっきりとした理由はもちろんわかりません。ですがこんなに小さければ八尺瓊勾玉とは誰も思わないでしょう?

 それに神社のお土産ではたくさんの勾玉の形をしたものがあります。勾玉のアクセサリーをしていても何の問題はありません。巫女さんがしているものであればなおさらです」


 ……確かにその通りだ。


 神社では市販された勾玉が売られている。自分だって今日買ったばかりだ。勾玉のアクセサリーを見ても変には思わない。


「瑪瑙に関することで言い伝えが一つあります」


 茜は宙に視線を移してからいった。

「八世紀の初め、708年にです。当時、第四十三代・元明(げんめい)天皇の時代。出雲大社から皇居へ瑪瑙の勾玉が献上されたという書籍が残っているんです」


 リーの瞳にさらなる輝きが増した。


「それは本当ですか? 元明天皇の時代というのは」


 リーの勢いに茜は一歩退く。

「は、はい。確かそうでした。でもこれが八尺瓊勾玉という記述はもちろんありません」


「それでも十分です」


 リーは息を荒げながら呟く。

「また一つ確証を得た気分です」


 元明天皇の時代なら、持統天皇とも関わりはあるだろう。元々アマテラスがスサノオと関係にあるのは周知の事実だが、隠蔽された神がスサノオの祖先だといわれれば、見る目は変わる。

 そこには神ではなく、必ず人間の疾しい気持ちが眠っているからだ。


「何だかリーさんのいってたことが本当に現実味を帯びてきましたね……」


 茜は溜息をついていった。

「でもどうして出雲では七夕に赤椿が光るという伝説があるんでしょう。椿が咲かない時期なのに、おかしいですよね」


 リーは低い声で答えた。

「きっと天の川が関係しているのではないでしょうか?」


「天の川って彦星と織姫の話?」


 葵が尋ねると、彼は頷いて話を始めた。


「七夕という行事自体は中国が発祥です。中国ではこの日に五色の糸を吊るすんです。緑、赤、白、黒、黄色です。織姫と彦星が再会を果たすために掛かるのが星空の橋。つまり、灯りを頼りにして二人は出会うんです」


「なるほど、中国では糸を吊るすんですね」


「そうなんです。日本では色紙でしたよね? 灯りといえば日本では鬼灯を祖先の霊を導くために供えるのでしょう? それも赤を主張しています。これは偶然とは思えません」


「うん。だけど、七月だったらまだ早いよ」


 そういって葵は考え直した。

「そっか。リー君がいいたいのは今と昔では暦が違うといいたいのね?」


「そうです」


 リーはゆっくりと頷いた。

「旧暦なら一ヶ月ずれるので八月になります。昔の日本ではお盆も七夕に重なっているんですよ。鬼灯、赤椿、そして七夕。葵さんと茜さんが持っている勾玉は必ず関係があると思います」


 そういうと、茜が再び勾玉を握った。光は先程に比べて薄くなっている。


「そうね、私もそう思う」


 茜は胸元にある勾玉を外した。

「葵ちゃん、もしよかったらこれ預かってくれない?」


「どうしたの? 急に」


「葵ちゃん達がここに来たのって、私が持っている勾玉が目当てだったんじゃない? 内宮の神様の謎を解きにきたんでしょう?」


 葵は口元を緩めた。

「違うわ。本当に思いつきで来ただけなの。リー君の話は面白いけど、そんなことは有り得ないから」


「私ももちろん本気にはしてないよ」


 茜は首を振った。

「だけど葵ちゃんの家からなら伊勢神宮も近いでしょ? もしかしたら彼と一緒に行くこともあるんじゃない? あげることはできないけど、貸すのはいいよ。そうだ。来年、式年遷宮があるでしょ? それまで貸しといてあげる」


 リーの顔を見ると、剣呑な目つきに変わっていた。このまま借りておいてくれといっている。


「……そうね。リー君も興味があるみたいだし、茜ちゃんがいいなら、借りさせて貰おうかな」


「茜さん、ありがとうございます。必ず返すとお約束します」リーは謝辞を述べて、茜の手をぶんぶんと振り回した。


「うんうん、大事にして下さいね。謎が解けたら私にもちゃんと教えて下さいよ。約束ですからね」


「もちろんです。せっかくのご好意なので、徹底的に調べてみようと思います。何かわかりましたら連絡します」


「うん。お願いします」 


 茜を自宅の近くまで送る。彼女は車から降りると、小さく手を振りながら別れの挨拶を述べた。


「今日はありがとう。葵ちゃんに会えてよかったよ。不思議な体験が一杯できたし」


「私もよ。正殿に入るなんて二度とないだろうね。一生の思い出ができちゃった」


「また来年の式年遷宮でね」


「うん、またね」



 茜に手を振られながら、当初の予定だった星空が見えるホテルに向かうことにする。正直、今の状況では天体観測などする気分ではない。


「……赤く光る椿なんて、幻想的で素敵だったね」


 葵は大きな溜息をついた。

「…………なんだか一気に疲れちゃった。リー君なんて眉一つ動かさないで潜入するんだもん。相当な修羅場をくぐってきているって感じだったよ」


「そんなことないですよ」


 リーは苦笑いしながらハンドルを操作している。

「表情が顔に出ないくらい真っ青になってたんです。本当は怖くて叫びたかったんですから」


「……本当に?」


「……本当に」


 目が泳いでいない。きっと本心なのだろう。


「……そっか」


 葵は車に置いていたペットボトルに口をつけた。

「リー君も飲む?」


「飲みたいです、口の中がからっからに乾いてます」


「あんなこと体験したら体中の水分が飛んじゃうよね」


 窓を開けて夜風をたっぷりと浴びる。強張った体中の筋肉が和らいでいくのがわかる。そして次に起こることを想像すると、再び体が固まっていく。


 今日は初旅行。このレンタカーに乗った時からすでに腹は括っていたはずだった。


……リーが相手だから大丈夫。


彼女は不安よりも期待の方が強まっていくのを感じて、風の中に身を委ねることにした。

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