夏、宝物との出会い

第2話 夏、宝物との出会い

夏の日差しって、こんなに暑かったかな。

 分からない。今まで夏休みと言えば、家庭教師を付けられて勉強漬けの日々だった。ずっと冷房が効いた室内で過ごしていたせいで、暑さへの耐性も失われてしまったらしい。

「暑い……」

 吹きだす汗が止まらない。服もべったり張り付いて気持ち悪い。なんだよ、これ本当に日本の夏なのか?亜熱帯の気候の間違いだろ。

「まだ、これだけか」

 今日の仕事は、空き缶集め。これを業者に買ってもらえば、そこそこの資金ができる。空地生活は、基本的にお金をかけないのが鉄則。だが、どうしてもお金がかかるときもあるもので。万が一の時に備えて、資金集めは欠かせない。ゴミ袋の中には、拾った空き缶が入っている。合計十個ちょっと。いつもなら、もっと集まるんだけどな。

「ちくしょう……」

 どういうわけか、無性に悔しい。どれだけ頑張っても、俺の成果は報われないんだ。小さいときからそうだ。いつも、兄貴達が褒められて、俺はけなされる。まあ、二人も兄貴がいれば、比べられるのも当然か。二人とも、親父からすれば出来のいい息子だし。

「お前はしょせんガラクタだ」

 親父は決まってこう言った。テストでいい点数を取っても、習い事で賞を取っても褒めてくれない。それが当たり前って感じで、無視される。でも、悪い成績を出したときは違う。人が変わったように、思い切り俺を罵倒する。

「屑人間」

「出来損ない」

「ガラクタ」

 そう、俺はあの時「ガラクタ」になった。

確か、模試の判定が悪かったことが原因だ。こっぴどく怒られた後に、親子の縁を切られて、家を出て。ただのガラクタになった俺は、あてもなく街を彷徨っていたな。

 確かあの日も、今日みたいに暑かった気がする。いや、そうでもなかったかな。分からない。もう随分昔のことだから。

「あっ……」

 まずい。手に力が入らない。空き缶を入れた袋を、落してしまった。集めた缶のいくつかが、アスファルトを転がる。

「もう、駄目かも……」

 膝から下の力が抜けて、灼熱のアスファルトに倒れこむ。熱い。バーベキューで焼かれる、肉の気分だ。

 ああ、視界がぼやけていく。周囲の景色がゆがんで、黒く塗りつぶされる。これ、熱中症ってやつかな。もう、駄目だ……。

「やっぱ、俺はガラクタだ……」

 

 あの日、俺は心の底からゆううつだった。人生最悪の日、と言ってもいいだろう。それくらい、衝撃的な出来事があった。

 俺は、模試の結果を自室で眺めていた。突き付けられたのは、受け入れがたい事実。本当ならA判定を取らないといけないのに、俺はC判定を取ってしまった。結果をごまかすわけにもいかなくて、正直に父親に見せたら、罵倒されまくったな。

 そうだ。あの日から、俺はガラクタになったんだ。家を追い出されて、ここに来て、その後は―

「あれ……?」

 どこだ?ここ。知らない誰かの家だ。こじんまりした和室。畳の上に敷いた布団の上に、俺は寝ていた。体にかかったタオルケットには、昔放送していた、子供向け番組のヒーロー描かれていた。橋のほうが色あせている。この家、小さな子供がいたのか?

「あら、気が付いたみたいね」

 奥から、おばあさんが出てきた。少し背中が曲がっていて、優しい笑顔を浮かべている。

 きっと、この人が助けてくれたんだ。

「まだ、寝てなくていいの?」

「大丈夫です」

 額に乗せられていた濡れタオルを取って、上体を起こす。それから、周りを見渡した。部屋の隅に置かれたおもちゃ箱、小さな机と椅子もある。ここは、子供部屋らしい。

「俺、熱中症で倒れたのか……」

 「そうね。だからもう少し、休んでいきなさい」

「はい、助かります」

 おばあさんがおいてくれたのだろう。枕もとの水を一口飲むと、体がすっと冷えていく。「良かった、私が見つけられて」

「え?」

「この辺りって、日中でも人通りが少ないから。あのまま倒れていたら、大変なことになっていたわ」

「あ、確かに」

 アスファルトの熱と太陽光で、こんがり焼かれていたかもしれない。人間バーベキューか。あまりいい響きじゃないな。

「タオル、冷やしてくるわね」

「ありがとうございます」 

おばあさんは、濡れタオルを持って台所へ向かう。俺はその後姿を、ぼんやりと眺めていた。

(なんか、疲れたな)

 もう一度寝転がって、天井を見る。家の天井って、こんなに高かったのか。まあ、当然か。いつも寝床にしているのは、壊れた自動車の中だし。

(ねむ……)

 猛烈に眠い。瞼が重くなっていく。

あ、ももうだめだ。落ちる――。


『お前は、やはりガラクタだ』


 意識が途切れる寸前、俺を呼び戻したのは父親の声。そうだ、俺は、ガラクタだ。

「ガラクタ君!」

「え?」

 気のせいかな。今、ポンコツの声が聞こえた気がする。

「もう少し寝ていなさい」

 いつの間にか、おばあさんが戻っていた。俺をそっと寝かせて、額に濡れタオルを乗せてくれる。ひんやりした感触が、心地いい。

「あの……さっき、誰かの声が聞こえませんでしたか?」

「いいえ。私も耳が遠くなっちゃったからね、わからなかったわ」

「あ、俺の気のせいかもしれないし!聞こえなかったのなら、いいんです」

「そう。じゃあ、ゆっくり休んでちょうだい」

 おばあさんは俺の体に、タオルケットをかけてくれる。久しぶりだ。大人と話をするなんて。俺にとって大人といえば、無茶な期待ばかりを押し付ける、父親のイメージしかない。出来のいい兄と俺をいつも比較していて、褒められたことなんて、一度もない。優しい言葉は、一度もかけてもらえなかった。

 大人。それは冷酷で、自分勝手な生き物。使えないものは、ガラクタ扱いして、すぐに捨てる。自分にとって、都合のいいものしか手元に置かない。そして俺は―。


「ガラクタ君!」

「え?」

 今度は、気のせいじゃない。はっきり聞こえた。あいつの声だ。

「ポンコツ?」

 立ち上がったとたん、足元がふらついた。それでも俺は、窓に向かって歩いた。

「ガラクタくーん!」

 ポンコツはつま先立ちで、両手を大きく振っている。バカ、変な目で見られるだろ。人が通るかもしれないのに。

「あら、お友達が来てくれたのね」

 おばあさんは立ち上がって、玄関のほうへ歩いて行った。きっと、ポンコツを招き入れるつもりなんだろう。

「玄関へ、行ってろ」

 身振り手振りを交えながら、窓越しにポンコツに話しかける。だけど、肝心のポンコツは首を大きくかしげて、口をあんぐり開けていた。ダメだ、全く伝わっていない。

 「ん?」

 ガチャ、と扉を開く音が聞こえて、ポンコツはようやく分かったらしい。慌てて玄関に走っていく。しばらくして、二人分の足音が聞こえた。

「ガラクタ君、大丈夫?」

 俺の隣に座るなり、ポンコツは言った。

「平気。熱中症で、ちょっとふらついただけだ」

「水、飲まないとだめだよ」

 そういえば今朝は、あまり水を飲めなかった。備蓄がわずかだったからな。だから、空き缶集めの後に、水をくみに行くはずだったんだ。なのに。

「悪い」

「俺、心配したんだよ」

「……ごめん」

 心から、申し訳ないと思った。いつ以来だろう。こんな気持ちになるなんて。

「仲がいいのね」

 おばあさんが、笑顔で見ている。

「え、いや、あの」

 何だろう、急に恥ずかしくなってきた。

「あら、ごめんなさい。なんだか、孫の姿と重ねちゃって」

「お孫さんがいるんですか?」

 しまった。ポンコツは知らないんだ。

「いいえ、幼稚園の頃、交通事故で亡くなってしまってね。これは、生前孫が使っていたものなの」

 俺にかけていたタオルケットを二、三度撫でてから、おばあさんは立ち上がる。押入れの方に向かうと、上段から何かを取り出した。それは、小さな箱だった。アルミ製で、角が少しさびている。中身は何だ? 

「これ、何だと思う?」

 おばあさんが、缶のふたを開けて見せてくれたものは、石ころだった。大きさ・形・色も、すべてがバラバラだ。そこらへんの地面に落ちていそうな、ただの石ばかり詰まっている。

「これ、孫が集めていた宝物なの」

「宝物?」

「そう。宝物よ」

 ポンコツが、オウム返しをするのも無理はない。どうみてもただの石なのに、宝物だといわれても困る。

「周りから見れば、ただの石ころよね。あの子の両親―息子夫婦も、そう言ってたわ」

 でも、と言いながら、おばあさんは石を一つ手に取る。濃い灰色の、でこぼこした石だ。

「私にとっては、宝物」

 蛍光灯に石をかざして、愛おしそうに見つめている。きっと、お孫さんとの思い出に浸っているんだ。

(宝物……)

 そんな言葉、一度だってもらわなかった。

 だって、俺は「ガラクタ」だから。

 小さい頃からずっと、ガラクタだったから。

「うらやましいです」

 思わず、声に出していた。だけどすぐに後悔した。おばあさんと、ポンコツの視線が痛い。

「あ、えっと、ごめんなさい!なんか俺、変なこと言ってましたね」

 今更だけど、ものすごく恥ずかしい。顔の周りが、一気に熱くなる。

「やっぱり、似てるわ」

『え?』

 ポンコツと、俺の声が重なる。

「あなた、ガラクタ君だったわね。私の孫と似てるの」

「いや、でも、お孫さんはもう―」

「あの子が大きくなっていたら、あなたみたいになっていたのかしらね。仲の良い友達と、楽しくおしゃべりなんかして」

 おばあさんはまた、宝箱を撫でた。きっと、お孫さんのことを思い出しているんだ。目じりに、うっすら涙が浮かんでいる。

「あの、ガラクタ君がお世話になりました!」

 ポンコツが、いきなり頭を下げた。おばあさんは、口をぽかんと開けている。まあ、当然の反応だろう。

(俺も、お礼言わないとな) 

「お世話になりました!」

 すごく不格好だけど、精一杯の感謝を込めて。俺も一緒に、頭を下げた。

「いいのよ。あなたたちさえよかったら、いつでもいらっしゃい。今度は、ジュースとお菓子を用意しておくから」

「はい!」

 おばあさんと約束を交わして、俺とポンコツは家を出た。別れ際、ポンコツはちゃっかり握手を交わしていた。選挙の立候補者か、お前は。

 外に出ると、太陽が少し西に傾いていた。心なしか、熱さが和らいだ気がする。風が吹いて、俺とポンコツのほほを撫でる。しばらく無言で歩いていると、何だが気まずくなった。そういえば俺、ポンコツに心配かけていたんだよな。

「悪かったな、ポンコツ」

「いいよ。ガラクタ君が元気になったなら、それでいい。でも……」

 と言って、ポンコツは一歩前に出る。

「ガラクタ君、もう無茶したらダメだよ。その辺で野垂れ死になんて、かっこ悪すぎる」

「野垂れ死にって、大げさな」

「だって、俺たちはスクラップじゃないか」

 スクラップ。俺たちは社会から外れて、普通の高校生と違う道を生きている。周りから見向きもされない不用品、スクラップとして。

「そうだ。俺たち、スクラップだったよな」

「そうそう。見る目がある人にしか、価値がわからない。それが俺たちなんだよ」

「意味わかんねえ」

 ほんと、こいつの言うことって意味不明だ。

でも、不快じゃないんだよな。心にすっと入ってくる。

「ガラクタ君、いい人に拾われたね」

「俺は犬か!」

「いって!」

 少しだけ力を入れて、ポンコツを叩いた。

それから振り返って、おばあさんの家を見た。

ガラクタとポンコツを拒むことなく、迎えてくれた。優しいおばあさんの家。その方角に改めて体を向けて、一礼をする。

「どうしたの?改まっちゃって」

「お礼だよ。ポンコツとガラクタが、お世話になりました。って」

「それなら俺も」

 ポンコツが、俺の隣に並んで礼をする。端から見れば、奇妙な光景だろうな。でも、俺たちを受け入れてくれた、数少ない人だから。周りの目なんて関係ない。

「今度は、何かお土産を持っていこう」

「賛成!じゃあ、牧原君にお菓子とか分けてもらって―」

「却下」

「ええー?」

 さすがに、牧原からお土産までもらうわけにはいかない。お土産は、今度お邪魔するときまでに、じっくり考えておこう。

「帰ったら、空き缶集めの続きだよ」

「わかってる」

 迷惑かけた分、頑張るからさ。その言葉は、心に秘めておいた。

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スクラップ・ダイアリー 松木蛍 @K_matsuki01

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