スクラップ・ダイアリー
松木蛍
第1話 春、始まりの季節
春眠暁を覚えず……その次は思い出せない。中学の国語の教科書に載っていた、昔の偉い人が作った詩。覚えているのはそれだけ。
「しゅんみんあかつきを……あ」
うわ、やっちゃった。折角の力作だったのに。
「やらかしたな」
後ろから声が聞こえた。俺の相方の声。ものすごく呆れている。
「あは。あははは」
笑うしかない。久々に良いものが生まれる予感がしていたのに、自分で台無しにしたんだから。
「切っちゃった」
「だな。すっぱり切れている」
俺はさっきまで、桜の絵を描いていた。鮮やかに花びらを描こうと、ピンクの色鉛筆を取ったところまではよかったのに。睡魔には勝てなくて、幹に太い線を引いてしまった。
真っ二つに分かれてしまった桜―だったものは、俺の不注意で駄作になってしまった。
「ほれ」
ぺとりと、首筋に冷たい何かが当たった。
「ひょおおう!!」
喉の奥の方から変な声が出て、スケッチブックと色鉛筆を落とした。やかましい音を立てて、あちこちに色が散らばる。
「な、なにするんだよ……ガラクタ君のいじわる」
「眠気覚ましだよ」
そう言って相方―ガラクタ君は、俺の首筋に当てたタオルで工具セットを拭き始めた。彼は色白黒髪の美青年。機械の修理が得意な理系男子。今日もこうして、愛用の工具セットのお手入れに夢中。
「あれ?ガラクタ君、背中に穴が」
「どこ?」
「直してあげる!」
椅子の代わりに積み重ねた古タイヤから降りて、色鉛筆をケースにしまった。順番は、適当に。そして俺は、ガラクタ君の隣に置いてある段ボール箱から、裁縫セットを取り出した。
「さ、脱いで脱いで」
「ちょ、おまっ」
別に怪しいことをする訳じゃない。ガラクタ君が着ている灰色のパーカーの、肩甲骨の辺りに小さな穴があったから、繕ってあげるだけ。作業の為には、パーカーを脱がせないといけない。
「別に、明日でもいいだろ……」
「駄目だよ、今じゃないと。善は急げって言うでしょ?」
「なんか、使い方違う気がする」
「そお?俺、国語は得意だったけど?」
「まあいいや。早く直せよ」
「了解」
ちょっと色あせたプラスチックの箱を開ければ、裁縫道具一式がそろっている。錆びた縫い針。よれよれの木綿糸。糸きりばさみ。針山は無かったから、ダウンジャケットから綿を引っこ抜いて、そこら辺の布きれでくるんで作った。ちょっと汚いけど、そこはご勘弁。白い糸を適当に切って、針穴に糸を通して、長さを揃えて玉結び。それを針山に刺す。
「ん、こんなもんかな」
穴の周りに針を通し、糸で囲んで、最後にぎゅっと引っ張る。玉止めをしっかりして。
「できたよー!」
「早くね?」
「そう?こんなもんじゃない」
ガラクタ君は目を点にして、パーカーを受け取ってくれた。
「助かった」
うわ。超かわいい。ほっぺが桜色になってる。俺、惚れちゃうかも。ってか惚れた。
「飯にするぞ」
ガラクタ君は照れ臭そうに、冷蔵庫の方へ歩く。中には昨日もらってきた菓子パンが。
「無い」
ばっちりのタイミングで、ガラクタ君がセリフを引き継いでくれた。
「ごめん、食べちゃった」
実は昨日の夜、すっごくお腹がすいて、食べちゃいました。ガラクタ君の分も一緒に。
「説明してもらおうか?」
「だって、お腹と背中がくっつきそうだったから」
「んなことあるかああ!!」
「ひえー!本気の蹴りは勘弁!!」
ガラクタ君、怒らせると超怖いんだ。ヤンキーみたいな口調になるし、俺にミドルキックをクリーンヒットさせるし、もっとひどくなると鬼みたいな顔になる。
「で?どーすんだ?また牧原んとこ行く?」
「はい……ごめんなさい」
「質問に答えろっ!」
「ひええ行きます!牧原君の所に行きます!だから蹴らないでえ!!」
「よし」
くずっ。お腹ペコペコのガラクタ君は、いつもの三倍増しで怖い。刑事ドラマによくある、取調室の光景なんて比べものにないくらい。
「いくぞ」
頭をかきながら、ガラクタ君は立ち上がった。つやつやで柔らかい黒髪なのに。勿体ない。不機嫌な時のガラクタ君の癖。それをさせちゃったのは俺。
「ごめんね」
なんだか悲しくなって、謝ったら。
「いーよ、別に。こいつで帳消しだ」
俺が直したパーカーの穴を、背中に手を回して指差して、その手で、きれいな黒髪を整えて。笑顔で、ガラクタ君は言ってくれた。
「へへっ」
やっぱり、ガラクタ君は優しいなあ。俺は嬉しくなって、軽快な足取りでガラクタ君の後を追った。
「うまく、余っているといいな」
「大丈夫!何かしら余っているよ」
「そうじゃない。昨日、もらったやつだよ」
「え……」
昨日もらったやつ。それは多分、アップルパイのことだ。普通に買えば百四十円ぐらいする高級品。あんまり仕入れることもないらしくって、おいてあること自体がレア。それを手に入れられることもレアなわけで。カードゲームでいうところのスペシャルレアみたいな一品。ついでに言うと、俺の大好物でもあったりする。
(なんか、もったいないことしたな)
昨晩、猛烈な空腹に耐えきれなかった俺は、
アップルパイとピザパンを一緒に食べてしまった。ピザパンはガラクタ君の好物。割とよく仕入れる商品らしく、購入する人も多い。百二十円というお手頃価格だから、お昼代わりに買っていく人が多いんだとか。余ることはたまにしかなくてこれもレアな品だ。
思い返してみれば、俺は一晩にして二つもレア品を食べてしまった。それだけじゃない。ガラクタ君だって、お腹がすいているのをじっと我慢していたはずなんだ。
ああ。俺ってやっぱり「ポンコツ」なんだ。
「いでっ」
こうやって、電柱と正面衝突するくらい。
あれ?なんで、電柱にぶつかってたんだ?
「やれやれ」
二歩くらい前を歩いていたガラクタ君が、いつの間にか俺の前にいた。ちょっと下から覗き込むように、赤く跡がついた俺のおでこを見ている。
「いい加減暁を覚えろ」
俺がまだ寝ぼけていると思っているのかな。それとも……?
「大丈夫。暁は、覚えた!」
さっきの一撃で、目が覚めた。じんじんと響いていたおでこの痛みが、少しずつ引いていくのがその証拠。
「あ、桜が咲いている。春だねえ」
誰もいない公園。一本だけ生えている桜の木に、ピンクの花が咲いていた。まだつぼみの方が多いけれど、春がやってきたことを実感する景色だ。
「あのさ、今日の朝ごはん、ここでお花見しながら食べようよ」
「花見?まだ早いだろ」
「そんなことないよ。桜の花はちゃんと咲いているんだから、お花見はできる!」
「どう見ても早い気がするんだけど」
最初はちょっと困った顔をしていたガラクタ君。でも、すぐに笑顔になった。
「わかったよ。今日は花見だ」
「よーし、そうと決まれば急ごう!」
「こら、押すな!」
大人って年でもないけれど、子供というには大きくなりすぎた俺達。複雑なお年頃の男子二人が、じゃれあいながら向かう先はコンビニ。二十四時間営業で、日用品ならだいたい揃っているお店。けれど俺たちは、買い物をしに行くんじゃない。朝ご飯―もとい、お花見のお供を調達しに行くんだ。
俺達には金がない。でも「つて」くらいはある。他の人が使わないものを「譲ってもらう」ってこと。
「おはよー、牧原君。朝から精が出るねえ」
「お前らか。今日は何を持ってくんだ?」
そう。俺達には協力者がいる。でも、向こうはどう思っているのか分からない。それでも、食糧を始めとする日用品を分けてくれたり、時には(少しだけ)おごってくれたりする彼の名前は、牧原君。俺達と違って、学校に通いながらアルバイトをしている。通信制の高校らしい。
「お、ピザパンあった」
さすがガラクタ君。大好物をすぐに発見しちゃった。どれどれ、俺の分はあるかな?
「やった!アップルパイみっけ!」
廃棄ボックスの端の方、つぶれてリンゴがはみ出しているけど、確かにアップルパイがある。
「よかったな」
「うん!」
「普通、アップルパイでそんなに喜ぶか?」
牧原君には分かるまい。俺達の食料事情なんて。
「そうだ。これも貰うな」
げ、ガラクタ君ってばそれ、俺の嫌いな栄養ドリンクじゃないか。なんかこう、うがい薬みたいな変な味がするやつ。やっぱり怒っていたのか……。
「今日はやけに張り切ってるな。冬眠あけで食料を貪るクマみたいだ」
と、牧原君があきれている。まあ、間違いでもないんだけどね。実際冬眠してたし。「今日は花見に行くんだよ」
「そうそう。桜も綺麗に咲いているしね」
「花見か、俺もそのうち行こうかな」
「早めに行った方がいいよ。桜ってすぐ散っちゃうから」
「だな。んじゃ、今日の放課後あたりに行ってみるよ」
今日の放課後。俺達くらいの年ごろなら、よく使う言葉なのに。なんだか知らない世界の人が使う言葉みたいだ。
「いつもありがとな」
戦利品を袋に詰めて、お礼を言うガラクタ君。
「気にすんなって。お前ら、風邪ひくなよ」
「心配すんな。なんとかは風邪ひかないっていうだろ?」
「ちょっと、それって俺も入ってたりする?」
「当たり前だろ」
真顔で肯定しなくてもいいじゃないか!ガラクタ君のいじわる。
「確かに」
「牧原君までヒドイ!」
「悪い。じゃあ、俺仕事に戻るよ。またな」
と言って、牧原君は空の廃棄ボックスを持ち帰った。まあ、その中身のほとんどは俺達がもらったんだけど。だってもったいよ。
まだ食べられるものや、使えるものが、期限が切れたって理由で捨てられちゃうの。売り上げにはならなくても、俺達が食べたり、使ったりすれば、それは商品としての役割を果たせるんだからさ。
なんて、前にガラクタ君に言ったことがあったな。そしたら彼はこう答えた。
「ポンコツでも、ガラクタでもなくなるんだな」
ポンコツにガラクタ。誰からも必要とされなくなった「もの」達の名前。それが俺達の名前。
俺はポンコツ、相方はガラクタ。それ以上の意味はどこにもない。
「おい、何ぼーっとしてんだよ。行くぞ」
「あ、ごめん」
いけない。なんか今日は感傷的になりすぎてる。折角のお花見なんだから、楽しもう。
牧原君から分けてもらった食料やその他の道具を持って、一度住処に戻る。それから改めて食料と栄養ドリンク、空のペットボトルを持って公園に行く。朝早いだけあって、誰もいない。絶好のお花見スポットだ。
「人がいないうちに、さっさと済ませるぞ」
ガラクタ君、早速ペットボトルを取り出して、蛇口から水を汲んでいる。貴重な水を拝借するのは、俺達の大切なお仕事。サボったら命はない。色んな意味で。
「これ、袋に入れとけ」
「はーい」
しっかり者のガラクタ君と、どうしようもないポンコツの俺。生活の主導権を握っているのはガラクタ君で、俺はそのアシスタント。
でも、この関係が俺にとっては心地いい。
「終わったよ」
満タンのペットボトルをぼろ袋に詰めて、本日の水分確保は完了。さあ、お花見の時間だ。
「あそこのベンチに座ろう」
「おう」
ちょうど桜の木の下に、ベンチがある。木製で座ると変な音がするけど、俺達にとっては数少ない憩いの場所なんだ。
「それじゃ、折角のお花見だし乾杯しよう!」
「それでか?」
「う……ガラクタ君ってやっぱりイジワル」
「人のお楽しみを奪ったお前が悪い」
返す言葉もありません。おれはしぶしぶと、栄養ドリンクのふたを開けた。ガラクタ君はつぶれた紙パックジュースにストローを刺している。それを俺の目の高さに持ってきて。
「じゃ、乾杯」
「乾杯」
とん、とぶつかる瓶と紙パック。それぞれのドリンクを少しだけ飲んでから、本日の朝食に手を伸ばす。うう、口の中が変な感じ。早くアップルパイ食べよ。
「なんだろ。いつもよりピザパンが旨い」
「お、おれもっ!」
「食べてから話せよ」
リスみたいにほっぺを膨らませて、アップルパイの甘味を口いっぱいに広げる俺。そうしないと、栄養ドリンクの変な味が消えないんだ。
「う~ん、アップルパイ最高!」
「昨日も食べただろうが」
「そ、それとこれとは―」
「別、とか言うなよ」
「ふぁい」
さすがガラクタ君。俺の発言なんてお見通しだ。
「ま、今回は許してやるよ。今回だけな」
「以後気を付けます!」
全身全霊で頭を下げる。だってガラクタ君、
目が怖い。次にやらかしたら、本当に命が無い。
「……なあ、春ってさ、始まりの季節だよな」
「ふえ?」
「新学期とか新学年とか、新しいことが始まる季節だろ」
「確かに」
「そこんとこ、俺達どうなのかなって、思ったりして」
ガラクタ君が言う「そこんとこ」とは、今の俺達の生活のことなのか。学校にも行かない、牧原君みたいに働いているわけでもない。
スクラップ置き場に居場所を作って、その日その日を過ごしている。
俺達の生活って、なんなんだろう。自分で選んでおきながらこんなふうに思うのも変だけど、たまにそう考えることもある。周りと同じでいられなくて、周りの声に答えられなくてやってきた俺達なのに。
「うん……。分かんないや」
分かんない。良い・悪いの二択で済ましてしまえるものなのか。そうじゃなかったらどんな表現をすればいいのか。俺にも分からないよ。ガラクタ君。
「そっか。悪い、変なこと聞いて」
「良いって。俺とガラクタ君の仲じゃん」
「そうだな。俺とポンコツの仲だもんな」
ガラクタ君は苦笑いを浮かべて、紙パックジュースを一口飲んだ。それからピザパンをかじって、桜を見上げる。
「桜、綺麗だな」
「これからもっと綺麗になるよ」
俺も一緒に、咲き始めたばかりの桜を見上げる。まだつぼみが多いけれど、もう少し時期が経てば花が開いて、ピンク色の花吹雪が見られるだろう。
「その時が来たら、もう一回花見しような」
「うん!またピザパンとアップルパイ持ってきてさ、この木の下で食べよう」
「おいおい、手に入るかどうかは運しだいだぞ?」
「まあ、そうだけどさ」
確かに、ガラクタ君の言うとおりだ。それでも俺は、次のお花見の時も、互いの好物を食べながら話をしたい。同じようで、きっとどこか違う日常を、ガラクタ君と一緒に過ごしたい。
「でも、なんかできそうな気がするんだ」
「変な奴」
君に言われたくないんだけど。その言葉は心の中にしまっておいた。口に出したら、多分ひどいことされる。そんなことを考えた、春の朝だった。
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