第七章 ヴァイオレットと紫のクオリア PART6 (完結)

  6.


 中心を見据え彼の存在を確認した。


 胸に手を当てて心臓の鼓動を確かめる。


 大丈夫、今日もあたしの心は彼の方を向いている。


 目を閉じて両手に抱えている花に思いを込める。


 今からここは一足早い春一番の風が吹く。春の花達がこの式場を一つ先の季節へと導いてくれている。


 あたしはただ目的を果たすために前へ進むだけでいい。


 風花はドレスを踏まないように自分の胸が高鳴る場所へと踏み出した。



 ♡♡♡



「準備が整いました、どうぞご入場下さい」


 顔を上げて係員の指示通り歩く。ついにこの時が来たのだと溢れ出しそうな涙を堪え空を見上げる。今ここで泣いてしまっては化粧が崩れてしまう。気を引き締めて歩こう。


 夢にまで見た舞台が目の前に迫っている。実現できると信じていた、それは日々の祈りからくるものだと思っていた。長年願い続けてきた思いがついに身を結ぶ時が来た。


 ……彼は、あたしの全てだ。


 彼がいたからこそ、今のあたしはここに存在しているといっても過言ではない。他の誰でもない、彼の音楽が生きる希望を紡いでくれていたのだ。


 一歩、一歩前に進んでいくと、拍手の音が徐々に響いていった。普段から拍手を受けることには慣れているが、今日のものは別物だった。自然と緊張が高まり、心臓の鼓動が早くなっていく。


 もう一度胸に手を当てて心のコンパスに尋ねてみる。この儀式は習慣になっているが、決して嫌なものではない。彼を確かめる唯一の方法だからだ。心の針は彼を差し間違いないと告げている。


 彼の演奏はあたしの心に深く刻まれている。彼のピアノが、彼の音楽が奏でられることで心が自然とシンクロしていく。


 あたしのが彼の行方を示してくれるのだ。それは言葉で伝えることができないものだけど、不思議と感じとることができる。


 もちろん迷いはあった。彼は決して楽器を弾ける状態ではなかったし、彼を苦しめることに繋がることもわかっていた。だけど本当の彼なら大丈夫だという確信が沸いていた。その確信に近づくため願い続けてきた。


 ……その直感インスピレーションはやはり間違いではなかった。


 ホールの中には参列者がびっしりと詰まっており、皆起立していた。自分のために笑みを浮べてくれている者もいる。思わず顔が綻んだ。


 目の前には黒のスーツを着た遥が立っていた。彼の目には哀愁を漂わせる憂いと祝福を喜ぶ慈愛を含んでいた。


 頭を下げて彼の右手に左手を絡める。右手には昨日の夜中に自分で作ったブーケを携えている。今までこのブーケを作るために父親の手伝いをしてきたのだ。


 このブーケはユーチャリスがメイン、花言葉は『純潔』だ。


 彼に対してしてきたことを思えば、この花言葉はになる。だけど自分の思いは嘘じゃない。


 胸に思いをのせ前に進む。神父が教壇の上で本を広げ静かに自分の到着を待っていた。神父の前にはもちろん、あたしが長年付き合ってきた彼が立っている。


 彼はくるりと一瞬だけ顔をこちらに向けた。恥ずかしいのか、こちらを見た後、すぐに姿勢を正した。


 ……彼もやっぱり緊張しているのね。


 心の中で笑いながら彼の前に辿り着く。彼はそのまま自分に掛かっているヴェールを優しく掬い上げながらまっすぐに顔を合わせた。


 そこに立っているのは間違いなく、20年間、自分が愛してきた水樹だった。

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