最終章 菫(すみれ)色と魂のクオリア
最終章 菫(すみれ)色と魂のクオリア PART1
1.
「久しぶりね、火蓮君に水樹君」
扉の奥に懐かしい人物が立っていた。風花の母親の
「本当に久しぶりですね。今日のコンサートを見に来てくれたんですか?」
「うん、先週帰ってきたの」
彼女の横には遥が立っており再び会釈を交わす。
「風花が会って欲しい人って……」
「そう、お母さんよ」
そういうと楓は大きく頭を下げた。
「二人とも素晴らしい演奏をありがとう。とってもよかったわ」
楓は頭を下げたまま続ける。
「……ごめんなさい。事故に遭ってから一度しか顔を合わせていないわね。本当はもっと帰って来たいんだけど、日程が中々合わなくてね」
「いいえ、構いませんよ。風花、なぜ楓さんをここに?」
風花は答えず楓が再び口を開いた。
「私が会って確かめたいことがあったのよ。私はね、あなた達のことよりもご両親に気をとられていたから、あなた達の異変には気づかなかったの」
楓は吐息をついて二人を見た。
「私がフランスで公演を行なっている時、風花からおかしな話を聞いたわ。退院してから家に戻ると、水樹君がヴァイオリンを弾きたがって、火蓮君がピアノを弾きたがっていると。私は気にする必要はないと思っていたんだけど、風花は私に毎回この話をしたの」
「そうだったみたいですね」
火蓮も横で頷く。
「風花はね、最初からあなた達の人格を気にしていたの。記憶がなくなったというのはお互いの人格が入れ替わったためじゃないかってね」
……なるほど、やはり最初から疑っていたのだ。
だが風花はそうであって欲しくないために無理やりお互いの立場を言い聞かせるようにした。その結果が魂の矛盾へと繋がっていったのだ。
「私は神山先生に意見を聞いたの。水樹君と火蓮君の人格が入れ替わっているんじゃないかと話をしたら、それは有り得ないといわれたわ。お互いの性格は事故がある前からほぼ変わっていない、それならば魂が入れ替わっているはずがないとね」
「だけどそれは風花が強制したからじゃないですか?」
火蓮が横から口を挟む。
「俺達の記憶はなかったから、そうだと思い込む他なかった。だから性格も変わっていないようにみえた」
「そういう考えもあるわね。でもそれはやっぱり違う。君達の性格は作られたものじゃない、元々のものなのよ」
「元々の性格? これだけ違和感を覚えているのにですか?」
「そうなの。その答えは遥さんが見つけてくれた……」
楓は遥に視線をやってから告げた。
「性格が一緒だけど扱う楽器が違う。それでいて魂に矛盾を感じる。そこから導き出された答えは別の魂が紛れている可能性があるということ」
「それってもしかして……」
「……そう。あなた達の中にいるのはあなた達の両親の魂じゃないかということよ」
「……それは面白い意見ですね。でも絶対にありえません。もし仮にそうだとしても、釈然としないことがたくさんあります」
「……もちろんわかっているわ。一つずつあなた達が持っている疑問点について話し合っていきましょう」
「……わかりました」
呼吸を整え彼女に告げる。
「じゃあ始めから話をさせて貰いましょう。記憶が蘇ったのは夢を見るようになってからです。幼児期の記憶ではオレはピアノを弾いて母親に怒られています。これはオレが火蓮だという記憶じゃないんですか?」
「それは海君の記憶かもしれない。あなたが見た母親は本当に灯莉だった? 絶対に灯莉だといえる自信がある?」
「いえ……ありません」
記憶を辿るが、あれが灯莉だという証拠はない。
ピアノを弾いて怒られた、という記憶だけだ。父親は両親から楽器を教わったという話も聞いているため反論はできない。
「……話を変えます。オレには両親に内緒で海を見にいった記憶があります。あの時には三人しかいなかったのに、両親が覚えているはずがないんです」
楓の表情は変わらなかった。その質問にも答えを用意できるといった表情だった。
「それは二つの仮説を立てることができるわ。一つは私と遥さんと海君で一緒に見た記憶。もう一つはあなたが両親に話した記憶ね」
「いいえ、どちらもありえません。僕は帰りに楽をして帰りたいがために、お金を隠し持っていたんです。そのお金はカレンの机に隠してあったんです。両親が知るわけがない。そして隠したのはオレで間違いないんです」
「それは違うわ、水樹」
風花が右手を振った。
「海さんは火蓮の机にお金があることに気づいていたの。気づいていながら黙認していたのよ」
「なぜ父さんは黙っていたの?」
「火蓮があなたを庇っていることを知ったからよ。本当にお金を持っていたのはあなたなの。あなたがお金を持っていてタクシーを呼ぼうとした。だけど火蓮がそれを断わって三人で自転車で変えることを提案したの」
……どういうことだ。
新たな情報に困惑する。予想外の答えに声を失う。
「ちょっと待ってくれ。俺にもお金をくすねた記憶があるぞ。水樹がくすねたのなら、この記憶は何だ? やっぱり俺が水樹だということなのか?」
「それは灯莉さんの記憶だからよ」
風花は物怖じせず答えた。
「あなたの中には灯莉さんの魂が入っている。灯莉さんは火蓮がお金をくすねたと思っていた。だからあなたがお金をくすねたという記憶が存在しているのよ」
「じゃあ俺が幼少の頃、風花と一緒に遊んだ記憶はなんだというんだ。いつも二人だけだったぞ。それに一緒に観覧車に乗った記憶がある。もちろん二人でだ」
「火蓮君、その観覧車に乗った記憶というのは本当なの? どんな観覧車だったか覚えている?」
「もちろんです。俺が乗った観覧車はガタガタと金属音を立てる観覧車でした。周りはどうかな、地面は鉄板で椅子は革張りだったかな」
「ガタガタとね。観覧車の色はどうだったの?」
「色? たしか、オレンジだったと思います」
「……そう、オレンジだったの……」
そういって楓は口元を緩めた。
「火蓮君の中に入っているのはどうやら本当に灯莉のようね。私と灯莉はずっと小さい頃から一緒にいたの。それで、観覧車にも乗った記憶があるわ。灯莉は高い所が怖いといっていたけど、一回だけ付き合って貰ったの。それに私が小さい頃の観覧車は確かオレンジだったはずよ。今は――」
「ブルーに変わっているわ」
風花が横から継ぎ足す。
「ついでにいわせてもらえば、今の観覧車は新しくなって音を立てて回らないの。電気の音の方がうるさいくらいよ」
「二人とも少し落ち着いて」
遥が二人を諫めていく。
「観覧車が変わったのはちょうど10年前だ。仮にその前に風花と火蓮君が観覧車に乗っていたという記憶があったとしたら、その話は両親の魂の入れ替わりにはならないよ」
「ちょっと、お父さん。横から口を挟まないで」
風花が怒りを露にしている。丁寧な物言いだったが眉間に皺が寄っている。
「どうせ後からわかることだ。ここは全て正直に話した方がいい。これから先再び疑うようなことがない方がいいだろう?」
いつになく遥の瞳には冷たい光が映っている。もしかしたら風花は火蓮と二人で色が変わる前に乗っていたのかもしれない。地元では小中学生の遠足でこの遊園地に行くことが決まっているからだ。
「オレの記憶では風花と火蓮の二人が観覧車に乗っている姿を下から眺めていました。隣には美月がいたのを覚えています」
「その観覧車に乗っていたのはきっと私と遥さんよ。私が遥さんに告白したの」
「それだってただの推測じゃないですか。僕の隣にいた人物は母さんだっていいたいんですか? 楓さんの話だって全て確信があるわけじゃない」
「水樹君も落ち着いて」
遥が冷静にいう。
「必ず何か正しい指標があるはず。ゆっくり考えていこう」
「……あるわ、一つだけ」
そう切り出したのは風花だった。
「火蓮、お父さんの指揮棒を持ってきたといったわね。どこから持ってきたの」
「もちろん家からに決まってるじゃないか」
「なぜ家の中にお父さんが使った指揮棒があるとわかったの?」
「それはビデオを見て……」
「ビデオではタクトの棒の部分しか見えないわ。
火蓮の表情が重い。何かを思い出そうと懸命に考えているようだ。
「いや、書いていなかったな……」
彼は誰に話すでもなく自分の頭の中を整理するように告げた。
「確かあれはベンチに座っている女の子からプレゼントとして貰ったはずなんだ。場所は思いだせないけど、それは確かだ」
「そのタクトはね……私が海君にプレゼントしたものよ」
楓は真剣な表情で告げた。
「小さい頃にね、約束したの。海君とオーケストラをする時には私がプレゼントした指揮棒で演奏してくれとお願いしたの。その指揮棒は木で出来てるんじゃないかしら?」
「間違いないです」
「その木はね、私と同じ名前の木で出来てるの。海君は指揮棒を使って練習する時は折れにくいプラスチック製を使っていたわ。だけど年末のコンサートの時には私が上げた指揮棒を使ってくれたの。そこにはイニシャルを入れているわ。K・Kと入っているんじゃない?」
水樹は火蓮が使っていたタクトの端を見た。観音寺海、間違いなく父さんのイニシャルでもある。
「どうやってこれを作ったんです?」
火蓮は確かめるようにいう。
「私の父親に作って貰ったの」
楓はきっぱりといった。
「こういうものは昔手作業で作っていたみたい。だからそれは手作りなの」
風花を覗き込むと、地面に目を向けうな垂れていた。背中で両手の親指を交互に擦り合わせていた。
「もちろん最初は水樹君の中に海さんが、火蓮君の中に灯莉さんが入っていたんだと思う。だからピアノや指揮棒を振ることに矛盾点があったのだと思う。でも二人の魂が入れ替わったから、記憶が混同して、自分が誰だかわからなくなったと思うわ」
「……ということは僕の中には」
「そう」
風花は乾いた声で告げた。
「あなたのお父さんの魂が眠っているの」
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