第六章 ヴァイオレンスブルー&サイレントレッド PART2

  2.


 時計を見ると、すでに昼の十二時を回っていた。体は入れ替わらず、きちんと整頓された風花の部屋だった。


 ……やはり離れていたら、人格の転移は起きないのか。


 ため息をつきながら、安堵する。もし火蓮と離れて生活すれば、入れ替わりは起こらないかもしれない。


 テーブルの上に置手紙が置いてあった。今日で公演が終わりになるので先に出ます、と書いてあった。

 

 リビングに下りてみると、十年前とほとんど変わらない景色があった。以前見たテレビはブラウン管だったが今では液晶に変わっている。TV台の下にはビデオデッキがあり、ビデオテープが二つ入るダビング機能があるものになっていた。


 不自然さを覚える。テレビを変える時はビデオデッキも変えるのが普通ではないのだろうか。


 ……ビデオテープで再生したいものがたくさんあるのだろうか?


 周辺を探ってみたが、そんなに多い数ではなく4,5本のビデオテープしかなかった。ビデオを見比べて見ると、そのうちの一つに題名が書かれていないものがあった。ビデオを縦にして注意深く見るとシールが貼ってあった跡がある。


 申し訳なく思いながらもビデオを再生してみた。風花が映っているものではなく自分が映っているものだった。全日本中学生ピアノコンクールと天井に掲げられている。注意深く見るとそこに映っているピアノはストーンウェイだった。


 ……なぜこのピアノでコンクールに出ているのだろう?


 訝りながら続きを眺める。しかも今回の課題曲はリストの『鬼火』だ。今の自分からは考えられない激しい曲を選考している。一体どういうことなのだろう。


 少しテープを前に戻してみると、鷹尾鏡花という人物が演奏しており、自分と同じ曲を弾いていた。


 コンクールの結果は自分が一位となっていた。


 

 ◇◇◇


 

 家に帰ると、火蓮の置き手紙が置いてあった。


――携帯に連絡してもよかったですが、お取り込み中だと思ったので手紙を書きました。今日の夜、一緒に食事をしませんか? ご飯を買って帰るので家で待っていて下さい――


 ……ついに来るべき時がきたか。


 胸の辺りに重いものを感じる、火蓮も我慢の限界が来ているのだろう。普段の彼ならこんな手紙は書かない。やはり自分の考えが正しいのだと今更ながらに怖気つく。


 ピアノの前に座り、いつも通り練習に入る。最早自分の人格でピアノを弾いても何の特にもならないことはわかっているが、いつもの習慣で鍵盤を叩いてしまう。


 鍵盤からはじかれる音が耳を通り抜けて体中に流れ渡る。それは意識せず体に入ってくる酸素のようなものだった。ピアノの音を認識するだけで、自分の意識は冷静さを取り戻すことができる。


 ……なぜオレはストーンウェイを弾いていたのだろう?


 先ほどのビデオの映像を反芻する。中学の時のコンクールは二位だったはずだ。それなのに結果は1位となっている。この十年間、ストーンウェイを弾いていない自分がだ。しかも曲はリスト。何かの間違いだと思うしかない。


 ピアノの音が急速に濁っていく。意識を集中しなければピアノを弾くことができなくなっている。


 ……ピアノを弾いていないとでいられない。


 火蓮の帰りを忘れるために、ピアノに心を委ね続けた。



 ◆◆◆



「悪い、遅くなったな」 


 夜を迎え、火蓮は手刀を切りながらリビングに入ってきた。隣には風花はいない。今日ばかりは断わったのだろう。


「お前、まだ飯は食ってないだろう?」


「うん、食べてないよ」


「そうか……よかった」


 火蓮はビニール袋を開け何かを取り出そうとした。


「晩飯はこれだ」


 そういって火蓮はプラスチック容器に入っているうどんと蕎麦を取り出した。


「どちらでもいい。お前が好きな方を選べ」


 火蓮の眼は真剣だった。これが食事だけでなく他の何かを決定させるような眼光だった。


「兄さん、これってもしかして……」


「昨日お前はうどんの方が好きだといったよな」


火蓮は淡々とした口調でいう。


「もちろん、うどんを食べてもいい。だけど蕎麦を食べてもいいぞ。どちらかを選べば俺はその反対側を取る」


 再び火蓮に目が向く。彼の表情は変わらず自分の動きを全て観察しているようだった。


 ……やはり、これは食事を決めるだけではない。


 これは自分がどちらの人格を選択するのかという意思表示だ。うどんを食べれば火蓮の人格として、蕎麦を食べれば水樹の人格として生きることができる。彼はそういっているのではないか。


「水樹……お前はどっちを選ぶんだ?」

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