第15話 人助けは


 俺が駆け付けたときにはもう既にドリームレストランは炎に包まれていた。

 爆発があったのは二階部分らしく、火の手はそこから上がっていた。

 一目みただけで凄まじい火力だと分かる。一階からはぞろぞろと客が脱出してきていた。大勢の係員が誘導、救出を行っており、数百人の野次馬がレストランの周囲を囲んでいた。


「下がってください! 割れたガラス片などが周囲に散らばっています! 大変危険です!」

 係員は野次馬を追い払うのに必死だった。俺に少し遅れて翔子が追いついてきた。

「うそ、ちょっと――ここに川瀬さんがいるの!?」

「麻衣! おい、麻衣! 返事しろ!」

 何度も無線で麻衣に呼び掛けるが、応答はない。焼けつくような焦燥が俺の胸を満たしていく。麻衣はあの中にいるのか? いや、もう食事を済ませて店を出た可能性も……。


 ――いや、店を出たなら無線に出るはずだ。そもそもドリームレストランから迷子センターまでの道程で麻衣と出会わなかった。

 麻衣はあの中にいる。まだ脱出していないんだ。


 再び大きな爆発。今度は三階からだった。爆風で弾け飛んだガラス片が周囲に降りかかり、一斉に悲鳴が巻き起こった。

「危険です! 下がってください!」

 三階からも炎の影がちらつき始め、いよいよ全焼も時間の問題と思われた。

「消防車はいつ来るんだ!」

「あと三分以内には来るそうです」

「消火器は!」

「いま集めさせています」

 係員の会話が聞こえる。消防車の到着には三分近くかかるらしい。


 あんな炎の中で三分……十分に人が死ねる時間だ。

「――あの、すみません」

 俺は一階から出てきた女性に声をかけた。

「中で高校生くらいの女の子を見ませんでしたか? こう、黒髪で、気弱そうで、服はなんかこんな感じで」

「は、はい見ました! 中で逃げ遅れた人達の誘導をしていました」

 ギリ、と歯を噛みしだく。そんなことをするのは麻衣に決まっている。あいつはやはりまだあの中に……。


 麻衣を見たこの女性が逃げられているんだ。麻衣だって逃げられたはずだ。なのにあいつはまた自分の身を顧みず人助けをしているのか。

 やがて一階から逃げてくる人が途絶えた。店内に残された人間はもういないか……あるいは逃げ場を失っているということだ。

 その人間の中に、麻衣がいるということなのか? それとも逃げ場を失った人をなんとか助けようとしているのか。


「麻衣! 返事をしろ!」

 何度呼びかけても無線は沈黙したままだった。翔子も固唾を呑んで炎に包まれたレストランを見つめていた。

 ……なぜ麻衣は出てこない。もう中に人はいないんじゃないのか。もう自分が逃げてもいい頃じゃないのか。それをしないのは何故だ。何故無線は繋がらない?

 ついに一階部分にも火が回り始めた。二階で発生した火災は着実に燃え広がっている。このままでは一階が炎に包まれるのも時間の問題だ。そうなったら……麻衣はどこから脱出すればいいんだ。


「――くそッ!」

 野次馬を押しのけ、俺はドリームレストランに向かって走り出す。

「雄一!」

 その俺の腕を、翔子ががっしりと掴んで制止した。翔子は必死に様相で首を振った。

「ダメだよ雄一。我慢して。もうすぐ消防車が来るから待とう」

「……」

 俺は翔子の瞳をじっと見つめ返した。


「……ありがとう、翔子。心配してくれて」

「……」

「お前さっき言ったよな。俺と麻衣は似た者同士だって。――こんなとき、あいつならどうするか……俺はよく知ってる」

「……」

「俺はあいつを助けたいんだ」

「……ダメだよ、そんなの」

「翔子」

 翔子は長い沈黙の後、ギュッと一度だけ強く俺の腕を掴み、ゆっくりとその手を離した。


 俺は一目散にドリームレストランの中へ駆け込んでいた。後ろから聞こえてきた係員の制止の声を意に介さず、火の手の回った一階を突き進んで階段を上った。

「――ぐっ……!」

 二階は灼熱の地獄だった。真っ赤に燃え狂う炎が視界の全てを蹂躙し、その場に存在する全てを燃やしつくしていた。ガラガラと崩れ落ちる天井や柱がテーブルを叩き潰し、目を開けていられないほどの煙が俺に襲いかかった。

「麻衣! どこだ! 麻衣!」

 ハンカチを手に押しあてながら声の限り叫んだ。返事はない。俺は早打つ心臓を抑えつけ、冷静に状況を整理する。


 火の手があったとはいえ、一階から二階へは来ることができた。二階に麻衣がいれば逃げられるはずだ。麻衣は三階にいる。

 三階へと続く二つの階段の内、一つは完全に炎に遮られており進むことは不可能だった。残るはもう一つの階段だが……こちらも崩れた天井が道を塞いでおり容易には進めない。

 逆にこれをどかせば退路は確保できる。俺は迷うことなく瓦礫に手を伸ばした。

「――ぎッ! あ、あああああああああ!!」

 燃焼した瓦礫は容易く俺の両手を焼き焦がしていく。

 俺は全力を振り絞ってその瓦礫を後ろへ吹っ飛ばし、残る瓦礫も次々とどかしていく。その度に俺の両手は焼け爛れ、肉の焦げる匂いが鼻をついた。


 道を塞いでいた瓦礫を全てどかし、俺はなんとか三階へと辿りついた。三階も二階とほぼ同じくらいに酷い有様だった。

 いや、二階はまだ開けたスペースが多かったが、三階は凝った内装のせいで入り組んでおり、通路を塞いでいる瓦礫のせいで迷路のようになっていた。

 間違いない、麻衣は瓦礫に阻まれて逃げられなくなったんだ。

「麻衣! いるのか! 返事をしろ麻――」


 こつん、と何かに足を引っ掛ける。見ると、それは小さな無線機だった。

「――ッ!」

 俺がボランティアで支給された無線機と同じもの。疑いようもなく麻衣のものだ。爆発の際の混乱か、あるいは誘導の際に落としてしまったのか。俺は無線機を拾い上げるとポケットに仕舞った。


「――雄一さんですか!?」

 そのとき、少し遠くから声が聞こえてきた。聞き間違えようもない麻衣の声だった。

「麻衣! どこだ!」

「こっちです! 男子トイレにいます!」

 俺は急いで男子トイレに向かう。が、なるほど、トイレへと通じる通路は斜めに倒れた柱によって塞がれていた。これのせいで麻衣はトイレに閉じ込められてしまったのか。

 俺はしゃにむに構わず柱にしがみついて柱をどかそうとする。胸元から腕にかけてが熱に炙られ、俺は喉が潰れるほど吠えることでその激痛を押し殺した。


 火事場の馬鹿力が爆発したのか、柱を真横に倒すことに成功した俺はそのまま男子トイレへと駆け込んだ。

「麻衣!」

「雄一さ――ッ! 雄一、さ……その傷……」

 麻衣は俺のことを見るなり絶句した。そのとき初めて気付いたが、俺の身体は衣服もろともに酷いことになっていた。だがそんなことを言っている場合ではない。


「逃げるぞ麻衣! そいつは……ッ、隼人か」

 麻衣は隼人を抱きかかえていた。隼人は意識を失っているようだが、まだ息はあるようだ。

 なるほど、だいたい事情は呑み込めた。隼人がトイレに立っている最中に爆発が起こり、客の誘導を終えた麻衣は隼人がいないことに気付いて駆けつけたところを閉じ込められてしまったというわけか。


「この子、かなり煙を吸っちゃったみたいで」

「お前は大丈夫なのか」

「はい、なんとか」

 とはいえ、このトイレにもかなり煙は入り込んできている。炎から逃れられても、この煙だけで死ぬには十分すぎる。

 このトイレには小さな換気窓しかない。ここからの脱出は不可能だ。


「とにかくここを出るぞ。道を塞いでいた柱は俺がどけといた」

「はい」

 麻衣は火傷で隼人を抱えられない俺の代わりに隼人を抱きかかえ、立ちあがった。トイレを出てきた道を戻る。もし俺がここについたときから何も変わっていなければ、一階までの道は全て確保したはずだ。


「――おい、なんだこれ」

 そう考えた矢先……俺は愕然とする羽目になった。

 俺が上ってきた階段が崩落している。俺一人ならなんとか降りられないこともないが、階段の真下は炎に包まれた瓦礫の山だ。隼人を抱いたままではとても無事に着地できる状態ではない。

 かといってもう一方の階段も完全に炎に包まれている。こっちは瓦礫がどうとかいう問題ではないので、突破するのは不可能だろう。

 俺に続いた麻衣も惨状を見て言葉を失った。完全に退路が絶たれたように思えた。


『――雄一、聞こえる!』

 そのとき、無線から翔子の声が聞こえてきた。

「聞こえるぞ」

『良かった……生きてた……どうなの状況は!』

「三階のトイレで麻衣を見つけた。意識を失ってる子供も一人。……階段が崩れてて降りれない」

 翔子が息を呑む声が聞こえた。


『雄一、今ここにレストランの従業員がいるの。何か他に道はないか訊いてみる!』

「……翔子。……ありがとな、いろいろ」

『……ふざけたこと言わないでよ。死んだらマジでぶっ殺すからね』

 無線が切れる。俺はポケットから拾った無線機を取り出すと麻衣に渡した。

「これを持っておけ」

「あ、これ……雄一さんが拾ってくれてたんですね」

「いま翔子が逃げ道を探してくれてる。これであいつの指示に従うんだ」

 麻衣は頷くと無線の電源を入れてイヤホンを装着した。


『雄一、聞こえる?』

 再び翔子からの無線が入った。

『二階は火が強すぎて梯子も近づけられないの。だから一階まで降りるか、三階から飛び降りるしかない。できる?』

「無理だ。子供がいる」

『マットの準備も間に合いそうにない。一階まで降りて。いい? 崩れてるのは多分客が使う用の階段だと思う。でも階の端に、従業員が使う用の小さな階段があるの。そこに行ってみて! 道はこっちから指示するから。今三階のトイレって言ったわね?』

「そうだ。急いでくれ、死んじまう」

『まず右に曲がって』

「無理だ、塞がれてる」

『じゃあ左!』

「行くぞ、左だ!」


 俺は麻衣を先導して先に進んだ。麻衣は隼人を抱きかかえながら必死についてきた。

『左手にL字型の大きなテーブルがあるの見える!?』

「全部燃えてて分からねえよ!」

『大きなライトの下!』

「――これか、あったぞ」

『それを左側にしてまっすぐ進んで!』

「行き止まりだ」

『それを右!』

「右――あった、これか!」

 確かに細い階段が一つあった。崩れてないし炎も弱い。それにちゃんと一階まで繋がっているようだ。


「でかした翔子! よし、お前からだ麻衣!」

 後ろから迫る炎から麻衣を逃がそうと、麻衣を先に進ませる。麻衣はぜえぜえと息を吐きながら必死に走り続けていた。

 急いで階段を降りる。もつれそうになる足をなんとか前へと漕ぎながら、二階の半ばまできたその時。

 激しい音と共に崩れ落ちる天井。それは麻衣の頭上へと降り注いだ。麻衣が上を見る。間に合わない――。


 ほとんど反射的な行動だった。俺は麻衣を突き飛ばしていた。直後、下半身に激痛が走った。


「ぃ……た。ぅ……ゆ、雄一さん」

 突き飛ばされた麻衣が俺を見る。

「ゆ――ッ」

 麻衣の顔が一瞬にして青ざめる。

 俺は下半身を完全に瓦礫に押し潰されていた。確認するまでもなく骨が砕け折れている。押し潰された筋肉が破裂して大量の血が飛び散っていた。

「いやあああああ! 雄一さん!」


 麻衣が絶叫しながら俺の足にのしかかった瓦礫を持ち上げようとする。だが麻衣の力では到底持ち上がる気配がない。無論、俺にそんな力が残されているはずもない。

「雄一さん! そんな……どうして!」

 麻衣は半狂乱になりながら懸命に瓦礫に力を込める。擦り切れた指から幾筋もの血液が流れる。俺は激痛に喘ぎながら、自由に動く両手で麻衣を突き飛ばした。

「……行け……」


 今ここで時間を取られては、一階からの脱出すら困難になる。いや、そもそもこれ以上隼人に煙を吸わせるわけにはいかない。

 だが麻衣は断固として首を縦に振らなかった。

「雄一さんも! 雄一さんもです!」

「俺は自分でなんとかする。隼人を助けろ」

「でも……!」

「絶対に子供を死なせるな!」

 びく、と麻衣の身体が震える。

 麻衣は両目から大粒の涙を零した。


「いやだ……いやだぁ……雄一さんが言ったんですよ……自分の命を軽んじるような人助けの仕方はやめろって……なのに、どうして!」

「別に軽んじたわけじゃない」

 ただ俺は……自分の命よりも、お前のことを優先させた。それだけのことだ。

 そうしたいって思えるくらい、お前のことが大切だっただけなんだ。

「行け。お前じゃこの瓦礫をどかせないだろ。行って助けを呼んできてくれ。じゃないとマジで死んじまう」

「……ッ」

 麻衣は瓦礫から手を伸ばし、隼人を抱きかかえた。


「必ず助けを呼んできます! だから死なないで雄一さん!」

 走り去っていく麻衣。その直後、俺の眼前で天井が崩落した。それを見届けた俺は、静かに麻衣の無線へとダイヤルを合わせた。


「……麻衣、聞こえるか」

 なんとかして足の瓦礫をどかせないかともがいてみるが、どうも無理そうだった。徐々にこちらへと迫ってくる炎の熱を感じながら、俺は続けた。

「俺、お前に出会えてよかった。お前のおかげで色んなことに気づけたよ。人を助けるのに理由なんていらないって……そんな当たり前のことを、お前に出会うまで忘れてた」

『――やめてください雄一さん! いま一階につきました! すぐに助けを呼びますから!』

「麻衣、お前は間違ってない。この先どんなに世界が感謝を忘れて、善行の意味に迷うようになったとしても、お前みたいなやつがいて……誰かのことを思い遣ることができるんだって知ることができて……本当によかった」

『雄一さん! ――いや、やめて、離して!』

『君、無事か! 早くこっちへ来なさい!』

『要救助者二名確保! 一名は意識不明の重体! 至急搬送を――』

『中にまだ人がいるんです! 雄一さんを――雄一さんを助けてくださいッ!』


 俺は無線を切ると、そのまま身体の力を抜いた。絶え間なく点灯し続ける無線のランプの明かりを見つめていた。

「ありがとう、麻衣」

 炎はすぐそこまで迫っていた。足の指先が焦げるような感じがしたが、神経が麻痺しているのかさほど苦痛ではなかった。

 全てが紅蓮に染まった視界の中、俺に絶望はなかった。麻衣を助けられてよかったと、ただ安堵していた。朦朧とする意識の中、俺は抗うことなく瞼を閉じた。




〝――雄一〟

 ふと聞きなれた声がして、俺は目を開けた。燃え盛る炎の中に、一人の女性がひっそりと佇んでいた。懐かしい顔。声。全て鮮明に覚えていた。

「……久しぶり、姉さん。俺を迎えにきたか?」

 姉さんがそこにいた。半透明な身体が炎の光に照らされて赤く染まりながら、質量の感じさせない右手がそっと俺の頬に触れた。

〝――私のこと、恨んでる?〟

「……前は、少しだけ。俺は赤の他人なんかよりも、姉さんに生きていてほしかった。どうして姉さんは……姉さん自身のことを助けてくれなかったんだろうって、納得できなかった」

 だが、それは違うのだと今ならば分かる。


「でも……そうじゃないよな。人を助けるって、理屈じゃないよな」

 誰を助ければ誰がどれだけ得をするとか、何ポイント貰えるとか、それらは自分が失うものや侵すリスクに見合っているかとか……人助けっていうのはそういうことじゃないんだ。

 目の前に困ってる人がいる。その人を助けてあげたい。――ただそれだけの、何よりもシンプルな願いなんだ。

〝――後悔してる?〟

「この有様のこと? ――まさか。むしろ、あそこで翔子に呼び止められたまま、リスクがどうとか考えてた方が、よっぽど後悔したと思う。これは……結果的にこうなっちまったけど、でも――大切な人を助けることができてよかったって、心から思うよ」

 姉さんは優しく微笑むと、俺の頭を撫でてくれた。


「それよりも姉さん……あんた、成仏してなかったのか? それとも、天使にでも昇進して俺を迎えに来たのか?」

「いや、これは夢だよ雄一君」

 パチン、と指を鳴らす音が聞こえた。


 気がつくと俺は自分の足で立っていた。炎の熱さも、煙の息苦しさも、灼熱に染まった景色も、全て丸ごと消し飛んだ。

 代わりに現れたのは真っ白な景色と、真っ白な衣を着こんだ一人の女性だけだった。

「やあ、来ちゃったね雄一君。随分早く来ちゃってまあ」

 神はいつもの筋肉に力のこもってない緩みきった表情で、にへら、と笑った。


「……死んだか」

「残念ながらね。でも運はよかったかな。炎で丸焼きにされる前に、一酸化炭素中毒で意識を失うことができたからね。苦痛はなかったでしょ?」

「麻衣と隼人はどうなった」

「どっちも無事だよ。もう少し救助が遅れていたら隼人君は危なかったけど、君のおかげで命拾いしたね」

「そうか……よかった」

「だよね。よかったっていう言葉は、人が死んだときじゃなくて人が生きたときに使われるべき言葉だよね」

「そんなことはどうでもいい。俺はこれからどうなる」

「最後に夢審査をして、最終的な人間レベルを出します。で、それが終わったら……」


 神は俺の後ろを指さした。振り向くと、そこには一つの金の扉があった。中から隠しきれない光が漏れているのが見える。

「その扉へ入ってください。中は役所になってるから、いろいろと書類手続きをして、天国の住民票を作成してね」

「……俺は天国に行くのか」

「もちろん。じゃあ夢審査を始める? 内訳はいらないんだったっけ。君の人間レベルは合計で九八一ポイント。――惜しいね。あと一九ポイントでDランクだったんだけど」

「別に構わねえよ。さっさとしてくれ」

「いやいや、これが何気に重要でね。最後の君の善行――本当ならもっと高得点になるはずだったんだ。素点がそもそも高いけど、ああいうのは基本的に補正もかかるからね。……でも川瀬麻衣さんは、心の底から君に感謝することはできなかったみたい。それがあればDランクだったのにね。――どうしてか分かる?」

 神の質問に、俺は失笑で返した。そんなことは言われるまでもないことだった。


 麻衣は、俺が自分を犠牲にしてまで麻衣を助けることを望んだりはしなかっただろう。自分のせいで俺を死なせる羽目になってしまったと後悔しているかもしれない。それがブレーキになっているのだろう。麻衣らしいといえばらしい。

「どうやら余計なお世話だったかな」

「俺に質問はない。夢審査を終われ」

「どうぞどうぞ。さあ、扉をくぐって」

 俺は神に促されるままに扉の前に立ち、ドアノブに手をかけた。


「――君はとても珍しいタイプの人間だった」


 神はおもむろにそう言った。

「今までも人間レベルについて批判してきた人達はいたんだけど、君は彼らとは違って、人間レベルによって貶められた、人の善意そのものに怒っていた。自分の利益は一切考えずに、君が願っていたことはいつも一つだけ。頑張った人には、頑張った分だけ感謝してあげてほしい……それだけだったよね」

「……別に。当たり前のことだろ」

「でも今の人間レベルは君も知っての通り、善行を行う者の善意は全くポイントに影響していない。君はそれがどうも納得できないみたいだったよね」

「今もしてねえけどな」

「私もだよ」

 は? と俺は首を傾げた。


「私は八年前に人間レベルの責任者になったわけだけど、そのときの仕事は善行の素点と補正倍率を定めることだけ。システムそのものには関与してないんだ。今の人間レベルのシステム上、人の善意は反映されない……私はこれがなんか気持ち悪くてさ、そろそろ人間レベルのシステムを構築しなおそうかと思ってるんだよね」

「どうぞ好きなだけ頑張ってくれ」

「でも私一人の力じゃちょっと難しくて、優秀なパートナーが欲しいと思ってたんだ。公平に善意を測ることができて、なおかつ今の人間レベルに強い不満を抱いている、優しい心の持ち主が」

「……俺はそんな器じゃねえよ」


 俺は神の言葉を聞き流して、扉を開けた。

 眩い光が俺を包みこんでいく。

「ううん、君には十分その素質がある。最終審査をあんなに軽々とクリアしただけでもそれが分かるよ」

「最終審査……? なんだそれ。そんなのいつやったんだ」

「さっき。君の夢の中で」

「――な」


 夢の中。俺の前に現れた姉さんは、俺にいくつか質問をしてきたが、あれは――

「あれは、お前が――」

「偽善者が自分の偽善を悔やむ瞬間っていつだと思う?」

 神は器用にウインクを一つ飛ばした。

「それは、自分の善行が自分に何の利益ももたらさないと気付いたときだよ。君は自分のためではなく、他人のために善行をした。そこに何の見返りも求めなかった。……君の善意は証明された。


 ――ようこそ天国へ。歓迎するよ、雄一君」


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