第13話 人間レベルは


 一週間が過ぎた週明けの月曜日、麻衣が学校に登校してきた。

 昼休みに麻衣は俺の教室に来て、昼食に誘ってきた。

 俺は少しだけ渋ったが、翔子が俺の脛を軽く蹴ってきたので一緒に昼食を摂ることにした。

 ……正直、会わせる顔などどこにもなかった。激しい罪悪感に胸を焦がされ、俺はまともに麻衣の顔を見ることもできなかった。

 屋上でベンチに座りながら、俺は黙々とヤキソバパンを口に運び続けた。


「昨日、和樹の夢を見たんですよ」

 ドクンと心臓が強く脈動した。ともすればヤキソバパンを握り潰してしまうところだった。

「……どんな、夢だ」

「天国で和樹が幸せに暮らしてる夢です。もしかしたら夢じゃなくて、本当にそうなのかもしれませんね。あの子、元気に草原を駆けまわってました」


 嬉しそうに笑う麻衣の顔を俺は直視できず、「そうか」とだけ返事をして視線を逸らした。

「私、最近よく人間レベルについて考えるんです。人間レベルによって何がどう変わったんだろうって。そうすると、いろんな人たちのことが思い浮かぶんです。雄一さんや、和樹のことも」

「……俺もだ」


 人間レベルはシステムに過ぎない。その是非は一人では決められない。

 一つのシステムにも、人によって、立場によって、様々な見方ができる。

 神はシステムの設計者、あるいは発案者になる。

 俺はそれに反発する者で、中には翔子のようにシステムを受け入れる者もいる。

 麻衣は生活にシステムの影響を受けないタイプだ。だが麻衣の周囲、例えばクラスメイト達はシステムの抜け目を突き、麻衣を利用して得をしようとする。

 あるいは正哉さんと早苗さんは、システムの裏をかき、その仕組みを利用することで和樹を救おうとした。

 そして和樹は……システムの犠牲者と言えるだろう。


「和樹が死んで、数日経って……いろいろと思い返してみて、私、初めて人間レベルに感謝しました。それを教えてくれた神様にも。知らなかったら、きっと皆で和樹を天国に連れて行ってあげることもできなかった」

「…………かもな」

 俺の吐いた言葉が、そのままナイフのように俺の胸に突き刺さってくる。全てを知っていながら素知らぬ顔でとぼけることができる自分に、今ほど自己嫌悪したことはなかった。

 麻衣は知らない。和樹が地獄に落ちたことを。あいつが嘘を吐いていたことを。俺にはあいつを救うチャンスがあったことを。


 ……そして、俺がそのチャンスを棒に振ってしまったことを。


 今すぐ全てを洗いざらい打ち明けて謝罪したい衝動に駆られた。一人で背負い続けるには重すぎる真実を、麻衣にも半分背負ってほしかった。

 だが言えるはずなどない。和樹が俺のせいで地獄に落ちたなんて、どうして麻衣に言えるんだ。和樹は死んだけど天国に行けたんだという麻衣への慰めを、どうして奪える。

 一生背負おうと心に決めた。

 この罪をずっと背負って生きていくことだけが俺に出来る償いだと思った。


「今日も何かボランティアするのか?」

「はい。また今週からびっちり予定を埋めました。……雄一さんは」

「付き合うよ」

 麻衣は嬉しそうに微笑んだ。

 麻衣は、俺が彼女のボランティアを手伝うことを心から感謝してくれていた。この程度で麻衣が喜んでくれるなら、何度だって助けてやりたいと思った。


「もう一週間くらい休んだらどうだ。もうすぐ期末テストもあることだし」

「……じっとしてると、嫌なことばっかり考えちゃうので。それにボランティアは私がしたいことなので」

「……そうか」

 和樹ができなかった分まで善行を重ねると麻衣は言っていた。それは今の彼女の心の支えになっているのかもしれない。


「……週末はどうするんだ?」

 週末はいつも和樹の見舞いに行っていたが、もうその予定は埋まらない。

「今週は空いてますけど、週末にも何か予定を入れようと思ってます。せっかくの休日なので」

 週末は平日のボランティアと違って時間があるため、結構大掛かりなボランティアもできる。というか、基本的にボランティアというのは休日に行うものだ。


「そういうボランティアは翔子の方が詳しいと思うぞ。あいつに訊いてみるよ」

「あ、じゃあお願いします。そういえば翔子さんは全然一緒にボランティアしてくれませんけど、どうしてなんでしょうね。あんなにポイントを欲しがってたのに」

「……さあ、なんでだろうな」

 はは、と適当にはぐらかした。




「週末のボランティアなら、遊園地とかいいんじゃない? 私もよくやってるし」

 五時間目の休み時間に翔子に相談すると、翔子は間髪いれずにそう言った。


「遊園地でボランティアなんてあるのか?」

「昔はアルバイト雇ってやってたような簡単な仕事って、今じゃボランティアに任せるようになってきてるんだよね。皆やりたがるし、経費も浮くしでお互い助かるわけ」

「遊園地の簡単な仕事っていうと、着ぐるみ着て風船配ったりするのか?」

「順番待ちの列を誘導したり監視したりね。あとは迷子の子を探す見回りをしてくれるだけでもかなり助かるんだって」

「へえ」


「それに、見回りをしながらショーとかも見れるし、休憩時間に食べ物とかご馳走してくれるし、結構悪くないよ」

 まあひたすら駅前の自転車を整理するボランティアよりかは楽しそうだな。

「私ちょうど今週の土曜日に遊園地で見回りのボランティアするから、興味あるなら話通しておいてあげてもいいよ」

「そうだな、頼むよ」


 アルバイトなら面接なりいろいろあるんだろうが、最近ではボランティアは来るもの拒まずなところが多いし、見回りのボランティアが増えて向こうに困ることもほとんどないだろう。

 ボランティアはこういうときに話が早くて助かる。

「もちろん川瀬さんも一緒に行くんでしょ?」

「まあ。そりゃな」

「なら見回りの方にしとくね。一緒にショーでも見てきなよ」

麻衣は翔子と違って真面目に迷子を捜すと思うけどな。まあいい気晴らしにはなるかもしれない。俺は翔子の提案を呑むことにした。






 麻衣は二つ返事で快諾し、土曜日は遊園地『ドリームランド』で見回りのボランティアをすることになった。

 ドリームランドに到着した俺達三人は社員の許へと通され、そこで簡単な説明を受けたあと小型の無線機を渡された。何かあればこれで迷子センターへと連絡することができる。

 迷子の子供を見つけた際の対応なども教えられ、麻衣は真剣に聞き入っていた。

 見回りコースなどは特にないが、可能な限り広範囲を移動することや、基本的には来場客を優先することを念押しされた。

 最後に、必要以上にサボらないことを暗に約束させられた。


「じゃ、時間まで適当に歩きますかね」

 翔子は長話に疲れたのか、うーんと伸びをした。

「どっかベンチがあれば座ろうよ」

「早速かよ。ほんとに節操無いなお前は」

「三人でバラバラに分かれた方が効率いいんじゃないでしょうか」

「効率なんて考えなくていいよ。迷子の子供なんて一日に五人も見つからないだろうし」

「とりあえず遊園地の構造を覚えるためにも適当に歩き回ろう。まだ開園して間もないし、迷子が出始めるのはもう少し後だろ」


 俺の案に二人とも賛同し、まずは三人で適当にドリームランドを散策することにした。

 大量の家族連れでごった返すドリームランド。様々なアトラクションが立ち並び、そこら中から陽気な声が聞こえてくる。敷地も広く、普通に歩いているだけでもかなり体力が消耗していった。

 遊びに来ている者とボランティアとしてきている俺達ではモチベーションも違うし、気だるさは人一倍だった。

 特に翔子はお土産屋やアイスクリーム屋を見つける度に足を止め、買い物をしたそうな顔を何度も見せた。


 一方で麻衣は開園して間もない今の段階からしきりにきょろきょろと視線を動かし、一人で立ち竦んでいる子供はいないかを探していた。

 気真面目な性格は相変わらずだ。いつもの麻衣の姿に戻りつつある。和樹の件の傷心も少しずつ癒えてきているのかもしれない。


 そんな麻衣の姿は、俺には嬉しくもあり……同時に苦痛でもあった。

 麻衣が立ち直ってきている様子は純粋に嬉しいが、その麻衣の心の支えが、和樹は天国に行けたという思い違いだという事実が悲しかった。

 そんな麻衣に対して真実をひた隠しにする負い目も、俺の心を際限なく苛んでいった。


 彼女は天国で和樹に会うためにこれからも必死に善行を重ね、やがて死んで、ようやく和樹に会えると思ったその矢先に思い知ることになるのだろう。

 和樹は地獄に落ちたのだということを。もう和樹とは会えないのだということを。

 そのときに彼女を襲う慟哭を想像すると、俺はいてもたってもいられなくなった。

 翔子はからかい半分に、麻衣とショーでも見に行けと……要するに麻衣とデートを楽しめと勧めてきたが、俺はそれも悪くないと思った。

 今日のドリームランドでのボランティアで、一時でも麻衣の孤独を紛らわせることができるなら、ちょっとくらいサボってもバチは当たらないだろう。




 一通り散策を済ませた俺たちは一旦休憩することにした。

 迷子の子供がいないか注意するだけならベンチで休みながらでもできる、という翔子の再三に渡ってのお言葉をいい加減無視するのが面倒になってきたところだった、というのもある。

 今のところ迷子の子供も、来場客同士での揉め事もない。賑やかな喧騒だけが心地いい時間だった。


「うへぇ、まだ四○分しか経ってないよ。信じられる?」

 翔子は時計を確認しながら、ぐてっとベンチに腰掛けた。時刻はそろそろ十一時に差しかかろうとしている。

「アトラクションに向かうわけでもなく、買い物するわけでもなく、ただ歩き回るだけっていうのは思った以上にキツいな」

 俺も少し疲れていた。子供の頃に遊園地に来たときは疲労など全く感じなかったものだが、立場が違えば同じ場所も違って見えるようだ。


「あっつい……ジュース飲みたい。ジャンケンしよう。負けたら三人分ジュースを買ってくること」

「いいぜ。ちなみに俺はパーを出す」

「嘘ついたら神様に報告するからね。じゃあ遠慮なくチョキ」

「私買ってきます。お二人は休んでいてください」

 麻衣はベンチから立ち上がると、近くの自販機に向かって駆けだしていった。俺は出そうとしていたグーをほどいた。


「川瀬さん元気だね。いつもあんな感じなの?」

「いつもあんな感じだ」

 あいつはいつも一生懸命で、いつも誰かのために必死な奴だ。

「……ポイント貯めるのって難しいでしょ? 全然貯まらなくて」

「ああ」

 その理由を俺は知っている。翔子が以前言っていた、『最近ポイントが貯まり辛くなっている』ことの原因も知っている。


 この先、ポイントは更に貯まり辛くなる。ほとんどの善行に補正がかからなくなり、低く設定された素点だけで人々はポイントを稼がなければならない時代がくる。もう数年と経たない内に。

「なのに、ポイントが下がるのってビックリするくらい簡単なんだよ」

「何もせずに怠けてればいいだけだからな」

「ううん、そんなもんじゃないよ。ちょっと悪いことしただけで、三○点とか一○○点とか平気で減点されるもん」

「そんなに持ってくのか? なんかあくどい商売みたいだな」


 普通の人間なら一○○ポイント稼ぐのに三カ月かかっても不思議じゃない。

 それが一度の悪行で全部持ってかれたらたまったものじゃないな。

 なるほど世界中で犯罪が激減してるわけだ。

 これも補正によるものなのだろうか。善行には感謝しなくとも、悪行はきっちりと恨む。そうすれば確かにガッツリとポイントを削られてもおかしくない。


「昔さ、友達と喧嘩しちゃったことがあって。そのときに友達に酷いこと言っちゃったんだ。その子の家は貧乏だったから、そのことについてね。その子は泣いちゃって……次の夢審査で四○点も減点された」

「……怒り狂ったか?」

「それよりもとにかく焦って、次の日に慌てて謝りにいったの。赦してくれたけど、でもポイントは貰えなかった。それがなんか納得できなくてさ。なんで加点も減点もこんなに厳しくされなきゃならないの、って今までずっと思ってた」

「……」


 おそらく、その子は翔子のことを赦さなかったのだろう。

 謝っているのは自分の人間レベルのために違いない……そう考えてしまって、補正は一切かからなかったんだろう。

「それから私は、人間レベルっていうのはそういうものなんだって割り切って、ただのシステムとして受け入れることにしたの。皆そうしてると思ってたし、この世の全ての善行は自分のためにしてることなんだって思いこんだ」

 そのとき翔子の視線が、自販機でジュースを買っている麻衣の方へ映った。


「でも川瀬さんとか、それに雄一のこととか見てたらさ、最近よく思うんだよね。人間レベルなんかなくたって人助けしたいって人は普通にいるんだって。私が思ってるよりもずっと、当たり前にいて、問題があるとすれば、そういう人達を見極められない私みたいな人間の方なのかなって」

「……」

「もしかしたら、人が人を助けるって私が思ってるよりもすごく当たり前のことなのかもね」

「……する側にとっては、それでいいかもな。だがされる側は当たり前なんて思うのはだめだ」

 神が作ろうとしているのはまさにそういう世界だ。助けられて当たり前……そういう考えだけは、絶対に持ってはいけない。


 そういう世界になってしまったら、和樹みたいな奴はこの先いくらでも現れる。何の罪もない者が、次々と地獄へ流れてしまう世界になるだろう。

「雄一、ほんとに変わったよね」

「そうか?」

「優しくなった」

「……俺は元から優しい奴だ」

「恋は人を変えるよね」

翔子は声をあげて笑って、俺はばつが悪くなってベンチから立ち上がった。

ちょうど麻衣が三つのジュースをこちらに持ってきていたので、二つ持ってやることにした。炭酸ジュースを思いっきり振って、それを翔子に渡した。

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