第12話 神の審判は正しいのか


 和樹の葬式には多くの人間が参列した。

 和樹の在籍していた小学校のクラスメイト達も来てくれていたが、一度も会ったことのないクラスメイトの死にピンときていないようだった。

 俺と翔子も呼んでもらえた。翔子はいつものメイク姿を全て落とし、きっちりと喪服を着こなして礼儀正しくしていた。

 集まった全ての人に麻衣は深々と頭を下げ続けた。麻衣は充血した目とその下のクマが酷かった。一睡もしていないのは誰の目からも明らかだった。


「前に言ってた、子供が喜ぶことって……あれ、川瀬さんの弟さんのことだったんだね」

 翔子はいつになく悄然とした様子だった。

「ごめん、もっと真剣に相談に乗ればよかったね」

「そんなことねえよ。お前のおかげで和樹も喜んでくれたしな」

 俺はぬるくなったコーヒーを何時までも飲みきれないまま、会場の休憩所から動けずにいた。とにかく身体がダルくて、何もやる気が起きなかった。時間の流れが酷くゆっくりにも感じるし、逆に和樹が死んでからもう二日が経ったというのが信じられない感じもした。


「和樹君、天国に行けたんだってね。凄いね、八歳で二○○ポイントなんて、なかなかいないよ。よっぽど頑張ったんだね」

「ああ、頑張ってたな」

「どんなことしてたの? ――あ、いや、別にこれは私が参考にしたいとかじゃなくて」

「別にいいさ」


 あたふたと言い繕う翔子。

 こいつが人間レベルを上げたがっているのは知っているが、こんなときに人のことを利用してまでポイントを稼ぎたがるようなやつじゃないことは分かってるつもりだ。単なる興味だろう。俺は知ってる限りでの和樹の善行を語って聞かせた。

 その一つ一つを真剣に聞いていた翔子は、徐々に険しい表情へと変わっていった。


「……それだけ?」

「ん?」

「あ、違うの。馬鹿にしてる訳じゃなくて……ううん、ごめん忘れて」

 翔子は何か考え込む素振りを見せたあと、もう一つ質問をしてきた。


「和樹君、神様に会ったって言ってたよね」

「ああ、死ぬ直前に」

「そう……」

 何か腑に落ちないことでもあるのか、翔子は口許に手を持っていって黙考しだした。


「どうした。何か気になることでもあるのか?」

「……ううん、別に」

 翔子はそれきり考えるのを止めた。俺の肩を軽く叩き、俺が持ってるコーヒーを奪い取って一気に飲み干した。


「川瀬さん、凄く落ち込んでると思う。あんたの言葉が必要よ。ちゃんと気にかけてあげなさいよ?」

「分かってるよ」

 俺は翔子に促されるままに麻衣の許へと向かった。結局翔子は何を気にしていたのか明かさなかった。


 式が一段落して、麻衣は棺の前で佇んでいた。俺はそっと傍による。麻衣がゆっくりと振り向いて、はっきりとした口調で告げた。

「私、これからも人助けを頑張ります。あの子が出来なかった分まで頑張って、天国で和樹と会いたいです」

「……ああ、俺もこれからは真面目にポイント稼ぐことにするよ。あいつと死んだ後も一緒にいてやるって約束しちまったからな。間違って地獄に落ちたら大変だ」

 麻衣は和樹が眠る棺を指でさすった。


「私、怒られるかと思いました。和樹に会いたいから……自分のために善行をするのは良くないって」

「……それくらいの見返りはあってもいいんじゃないか?」

「私、見返りなんていらないって、前はそう思ってたのに……今はどうしても天国に行きたいです。あの子ともう一度会いたい」

「……前に電車で言ったこと覚えてるか? 『あんたみたいな人にこそ人間レベルは必要なのかもな』って言ったんだが」

「はい、覚えてます」

「あれはそういう意味だ」

 麻衣はしばしきょとんとした後、うっすらと笑った。


「和樹、今頃天国で何してるんでしょうね」

「パズモンの続きでもやってるんじゃないか?」

 麻衣はニコリと笑って、一滴だけ涙を流した。






 式が終わって、家に帰って、そのままベッドに潜り込んで泥のように眠ったところまでは覚えている。

 麻衣と同様に一睡もしていなかった俺は、きっと夢も見ないような深い眠りにつくものと思っていたが、予想に反して、どうも俺は夢を見ているようだった。




 緑の生い茂る美しい草原だった。

 煌めく太陽の光と満天の青空に恵まれ、近くからは澄み切った川のせせらぎが聞こえてくる。

 色とりどりの花に囲まれた大自然を、様々な動物が駆けまわっていた。温かな陽の光を浴びて火照った俺の身体を、涼しげな風が冷ましてくれる。


 もし天国があるとすれば、きっとこんな場所なのだろう。

 あらゆる負の概念から解き放たれた安息の楽園。

 そこに和樹がいた。


「お兄ちゃん! 来てくれたんだね!」

 和樹は嬉しそうに俺の方へ駆け寄ってきた。

 病院服など来ていない、Tシャツと短パンを履いた健康的な少年の姿を見て、俺は自然と涙を零していた。もう一度和樹の声が聞けたことが嬉しかった。


「よう。二日ぶりだな。元気にしてたか?」

「うん!」

「天国はいいところか?」

「うん! いっつも暖かくて、夜もなくて、友達もたくさんできたんだ!」

「そうか、そりゃよかった」

 俺は和樹を抱きあげると、その顔をじっと見つめた。痛みも苦しみもない、全てから解き放たれ、ただ幸福だけに満たされた表情を。


「……」

 ふと後ろから視線を感じて、俺は和樹を地面に下ろした。

「……天国ってのは、本当にこんな感じなのか?」

「君たち人間の想像力は本当に凄いね。どうして見たこともないくせにこんなに正確に天国を思い浮かべられるの?」

 シャリシャリと草を踏みしめながら、神が俺の前に現れた。


 いつもと同じ、白い衣を着て金のリングを頭上に光らせた女性は、俺が思い浮かべたらしい天国の景色を見回してしきりに感心していた。

「いや、むしろ逆かな? 死んだ人間が天国に来るわけだから、君たちの想像した天国へと徐々に移り変わっていった、ってことなのかも。にしてもこれは凄いよ。実際にこういう場所あるからね。夢でここまで思い描けるなんて」

「御託はいいからさっさと始めろ」

「ふふ。そだね、時間ももったいないし」

 パチン、と神は指を鳴らした。すると一瞬にして草原は消え去り、白い雲の中にいるようないつもの景色へと移り変わった。


「――夢審査を始めるよ、雄一君」


 神はいつの間にか手に持っていた資料をペラペラとめくり、ふんふんと唸った。

「前回の夢審査が一月くらい前で、あれから君は……うん! いろいろやってるね! 週四回のボランティアに、学校でもいろんな人の手助けをして、週末には川瀬和樹君のお見舞い。言うことなしだね。何より……うーん、これは素晴らしい。たっぷり〝補正〟がかかってます」

「補正?」

「オマケ点ってところかな」

「オマケはないんじゃなかったのか?」


「あれ、私そんなこと言ったっけ? 納得できないなら一つ一つポイントの内訳を言おうか? かなり長くなりそうだけど」

「必要ない。さっさと終わらせてくれ」

「うん、じゃあ今回の君のポイントは、プラス一六七ポイント。今の君の人間レベルは合計四七六ポイント。あと二四ポイントでEランクに昇格です!」


「――プラス一六七ポイントだと?」

 訊き間違いかと思って俺は訊きなおした。

「そうだよ。いやぁ、よく頑張りました。私嬉しい!!」

「それはまた……随分気前がいいな」

「いやいや。君の善行に見合ったポイントを与えてるだけだよ」


 溜飲は下がらなかった。プール掃除が三ポイントにしかならなかったことを考えると、たかだか十数回のボランティアなど一○○ポイントにもならないとばかり思っていた。

 和樹の見舞いを考慮しても、一六七ポイント分もの善行を積んだなんて実感は全くなかった。

「……まあいいか。あれくらいでそんなにポイントが貰えるんなら」

 和樹が五○ポイントくらい貰えていたって不思議はない。俺はいつになく穏やかな気分で神と会話できそうだった。


「さて、特に質問がなければ夢審査を終わりますが、大丈夫?」

「訊きたいことなんて山ほどある」

「答えられることならなんなりとお答えしましょう」

「和樹とは会ったか?」

「会ったよ。素直ないい子だよねあの子は」

「天国ってのは、ああいう子供でもやっていけるんだよな? 何か……子供だから不自由してたりしないか?」

「死後の生活については教えられないよ。ごめんね」

「でも、天国はさっきみたいな場所なんだよな。二○○ポイント貯めた人間はあそこで幸せに暮らせるんだよな」

「まさか」

 ぴしゃりと言い放つ神。俺は目を丸くした。


「二○○ポイントぽっちであんないい場所で暮らせるはずないでしょ。あそこは天国中層。Cランクの中でもちょっと上くらいの人間が生活する場所だよ。Fランクじゃとても入れる場所じゃないね」

「……なんだ、天国ってのは階級制なのか」

「上層中層下層に分かれてるの。ちなみに一番人が多いのは下層。まあ下層って言っても地獄よりはよっぽどいいけどね。文字通り天と地の差だよ。地獄はだめだよほんと。あそこは臭い」

「……和樹は下層か」

「ん? いや、和樹君は地獄に落ちたよ」

 …………。

「…………………………………………は?」


 身体中の全ての筋肉が弛緩してしまったかのような間抜けな声が漏れる。

 それくらい、神の言った言葉は理解できなかった。

「なん……なんだと? は? なんて言った?」

「地獄は臭い」

「そんなどうでもいい情報俺が訊き直したいわけないだろ。和樹はどこに行ったって?」

「地獄上層」

 今度こそ訊き間違いではなかった。今この女は……死んだ人間の行く先を選別する神は、和樹は地獄に落ちたと、間違いなく口にした。


「――ふざけんな。なんで和樹が地獄に行くんだ」

 自分でも驚くほど低く、小さい声だった。怒りが沸点に達するとこういう声になるようだ。

「なんでって、ポイント足りなかったからね。あの子は確か……一四二ポイントだったかな」

「一四二? なんでだよ。一五○ポイントは最低あるはずだろ」

「なんで?」

「あいつがそう言ってた。少なくとも二カ月近く前には一五○ポイントに到達してたって」

「言ってたね。あれは嘘だよ。私はそんなこと言ってない」


 チリチリと目の奥で火花が散った気がした。閉じた口の中で、顎が外れそうなほど歯を食いしばらないと頭がどうにかなりそうだった。

「死ぬ間際に……あいつは、あんたに会ったと言っていた。夢審査をしたって」

「そんなことあるわけないでしょ。死んだらどうせこっちに来るんだから、死ぬ直前に夢審査なんて二度手間じゃない。そんな面倒なことするわけないよ。そもそも夢審査っていうのはこれからの人生を考えてもらうために実施するのであって、これから死ぬ人にしたって何の意味もない。あの子と最後に夢審査をしたのは二週間くらい前だったかな。このままじゃ地獄に落ちるよ、ってちゃんと言ってあげたよ?」


「じゃああいつは嘘を吐いたって言うのか? 何のために?」

「質問というのは不明な事象について行うべきものだよ。分かり切ったことを訊くのは時間の無駄だよ、雄一君」

 分かり切ったこと。和樹が嘘を吐く理由など一つしかない。


「……俺たちを、心配させないため」

「んー? それはどっちの話?」

「は?」

「持ち点が一五○ポイントあるっていう嘘? それとも、二○○ポイント貯まったよっていう嘘?」

「……どっちもだ」

「ならハズレ」

「……」

 神はクスクスと笑った。その笑い声は俺の神経をゴリゴリと逆撫でした。


「さ、質問は終わりかな? じゃあ夢審査を終わりに――」

「なんで和樹が地獄に落ちなきゃならないんだ」

 声を震わせ、俺は再び神に問いかけた。神は呆れたように肩をすくめた。

「ちょっとちょっと、何度も言わせないでよ。ポイントが足りなかったんだってば」

「当たり前だろうがッ!!」


 堪えていた激情が決壊し、俺は血を吐くように神に向かって叫んだ。

「あいつはまだ八歳だぞ! 八歳! どうしろってんだよ! どんな善行を積めってんだ!

じゃあなにか? 子供は死んだらみんな地獄に行くのか? ああ!?」

「だいたいそうだね。子供の内に二○○ポイント貯めてる子ってあんまりいないね」

「おかしいだろうが! 地獄ってのは悪い奴が行くところだろ! 和樹はいい奴だったんだ。何も悪いことなんてしてなかった。なんでただ必死に生きてただけの子供が地獄に落ちなきゃならねえんだよ! 理不尽にも程がある!」


「そんなの今に始まった話じゃないでしょ? 子供が死ぬのは悲しい。理不尽。そんなのは、別に天国地獄なんて関係なく昔から当たり前にあったことなんだから」

「それを救うのがてめえら神の仕事だろうが!」

「救う? どうして〝誰の役にも立てずに死んだ人〟を救わないといけないの?」


 ブチン、と俺の中で何かが切れる音がした。目の前が真っ赤に燃え盛った。

「――て、めえ……ちょっと神だと思っていい気になりやがって……このクソアマ……!」

 神は吠えかかる野良犬をあやすような顔で失笑した。

「雄一君、私は慈悲深い女神だから赦してあげるけど、今の発言は問題だよ?」

「黙れ……何が神だ……何が……機械的に採点してるだけの脳なしが偉そうに!」

「雄一君」

「お前らには感情がねえのか? ちょっと考えれば分かるだろ、あいつが地獄に行くのはおかしいってことくらい! 何が人間レベルだ。何が善行だ。その基準も明確にしてねえくせに勝手に和樹を地獄に落としやがって! この悪魔が!」

「あ」


 神は、はぁ~、と深いため息を吐くと、資料を数枚めくった。

「雄一君……今のはNGワードだよ。もぅ~……ごめんねぇ、減点しなきゃ。でも一ポイントだけにしておいてあげるからね。えっとだから、今の雄一君の人間レベルは」

 バシン、と俺は神が持っていた資料を右手で力いっぱい払い落とした。神は再び嘆息をして俺の目を見返してきた。


「雄一君、これは上層にある大樹ゴッドクリフの樹から作った貴重な紙で」

「なんで人間レベルのことを世界に公表した」

 俺は神の胸倉を掴めるほど接近すると、そこから更に顔を近づけて睨みつけた。

「何の目的で公表したんだ。世界を良くしたかっただなんてほざくんじゃねえぞ」

「それは言えないんだってば。ヒントは前にあげたでしょ?」

「言え! 何もかも勝手に決めて勝手に選別して、そのくせ何も教えないつもりか! そんなことで和樹が地獄に落ちたって納得できると思ってんのか!」


 今日という今日は絶対に逃がさない。こいつが少しでも俺を夢から覚まそうとしたら殴りかかってでも吐かせてやる。

 神は沈黙したままじっと俺の目を見つめ返してくる。俺はその目を睨みつける。そうして一○秒が流れ、一分が流れ、神はついに両手を上に上げた。


「――降参降参。分かったよ。教えてあげるよ」

「……嘘じゃねえだろうな」

「嘘? そんなことしないよ、人間じゃあるまいし。まあもう何年もすれば皆気がつく頃だろうし、ちょっと知れるのが早くなっただけと思えば大したことじゃないか。あー、後で報告書書かないと」

「さっさと話せ」

「立ち話もなんだし、椅子とテーブルでも出そうか。お菓子食べる? チーズとか」

「いらねえからさっさと話せ」

「私チーズ食べたい。雄一君も食べようよ」

「さっさと話せ!」


 そう? と神は鳴らそうとしていた指をほどいた。

「そうだねぇ、まずは何から話そうか。さっきも言ったけど、天国と地獄にも位があって、上にいくほどいい暮らしができる。中層は皆が想像してる天国のイメージとほぼ同じだね。特に上層は、まさに楽園だよ。一○○○○ポイント貯める価値は十分ある」

「お前はそこに別荘構えてクッキー食ってるわけか」

「私はチーズが大好き」


 神はウインクを一つ飛ばした。殴り飛ばしたくなる気持ちを抑える。

「でもね、それもタダで楽園になるわけじゃない。楽園を維持するためには、少なからず労働力が必要なの」

「労働力……だと?」

「そう。地獄に落ちた人と、あとは天国下層の人達の労働力で中層、上層は維持されてるの。でも、ここ一○○年くらいの間に、そのバランスが大きく崩れてきてる。中層以上に人が増え過ぎて、地獄での労働力が追いつかなくなってきてるの。だから私は人間レベルを公表して、そのバランスを整えようと思ったの」


「……待てよ。おかしいだろ。人間レベルを公表すれば人間は皆善行を行おうとする。そうしたらもっと天国に人が増えるだろ」

「ノンノンノン」

 神は意味深に指を振った。


「君はずっと人間レベルの評価基準を知りたがってたね。――いいよ。教えてあげるよ。〝なにを以てして善行とするか。そのレベルをどう測るか〟」


 神は先程俺が払い落とした資料を拾い上げると、パンパンと叩いた。

「善行、悪行の基準は全てリスト化されています。およそこのリストに載っていること以外の善行はないよ。で、そのポイントも予め決まっています。でもね、それは大したことじゃないの。重要なのは〝補正〟の問題」

「補正?」

 さっきも出てた言葉だ。俺の善行には補正が大きくかかっていた、と言っていた。

「同じ行為でも、補正のかかり方で貰えるポイントは大きく上下します。言うなればこの〝補正〟こそが善悪の基準、そしてそのレベルとも言える概念だよ。君もずっと疑問だったでしょ? 真面目に善行をしても不真面目に善行をしても、もらえるポイントは同じ。なぜか?」

 俺は黙って頷いた。


「善行に補正がかかる条件は二つ。『他の人がどれだけそれをしたくないと思っているか』そして『どれだけ他人が感謝しているか』。この二つだよ」

「……具体的に言うとどういうことだ」

 抽象的過ぎて分からなかったが、どこか違和感なく聞くことができた。

「本人がどれだけ善かれと思っていても、それを受ける側がちっとも感謝していなかったら、それは〝独善〟だよね。偽善ですらない。何の価値もない行為だよね」

「……それで?」


「そして、例えばボランティアを募集して、もし誰もそんなことしたくないと思ったら、募集した人は困るよね。そこに「私がやります」って名乗りをあげたら、募集した人はとてもありがたいと思うだろうし、補正も大きくかけてあげてる。

――でももし、誰も彼もが名乗りをあげたら? 募集した人は感謝するかな? ううん、きっとこう考えるんじゃないかな。『みんなこのボランティアをしたいんだ。人間レベルを上げたいんだ。〝自分はむしろ彼らにボランティアをさせてあげている立場なんだ〟』ってね。当然、感謝なんてするはずもないし、善行の価値も薄れる」


「……」

「他には、同じ善行でも、仕事としてそれをこなすと貰えるポイントが下がるんだけど、これも同じ理由だね。仕事としてやっちゃうとほとんどの人が感謝しなくなるの。道のゴミを拾ってくれる人には感謝しても、ゴミ収集の仕事をしてる人にはさして感謝しないでしょ?

――ここまでの説明で、人間レベルを公表した理由を理解してもらえるかな?」

「……つまり」


 つまりこいつは……。

「この世から、感謝の気持ちを消したいのか。善行を奪い合えって言うのか……!」


 人々が善行に感謝しなくなれば補正はかからなくなる。ポイントが貯まり辛くなる。

 ポイントが貯まらないから、皆焦って善行を行うようになる。我先にと善行を奪い合うようになる。

 そうすると更に善行の価値が薄まり、人々は尚更善行に感謝しなくなる。

 そうして最終的には、ちょっとやそっとの善行ではポイントが貯まらなくなる。

 そうなれば、よほどの人間でないと天国上層になんていけなくなる。大量の人間が下層に流れることになる。

 そういう者たちの労働力が、こいつらの快適な楽園生活の糧となる。


「……腐ってる。人々から感謝の気持ちを奪って、地獄に落として……何が神だ!」

 俺の糾弾に、しかし神は妖しげな笑みすら浮かべる余裕を見せつけた。

「ふふふ……分かってないなぁ雄一君。もし人類から感謝の気持ちが消えるとしたら、それは私のせいじゃない。それが人間の本質なんだよ」

「なんだと?」


「受けた施しに裏があるかどうか……そんなこと、よく考えてみれば自分には何の関係もないって思わない? 困ってる自分がいて、助けてくれた人がいる。重要なことはその一点だけのはずでしょう? 人々がそれを正確に認識して、ちゃんと感謝すれば何の問題もないんだよ」


「……」

「なのに、その善行が他人のためか自分自身のためか……そんなどうでもいいことに囚われて、途端に人は感謝しなくなる。善行をすればポイントがもらえる。ただそれだけで、人は善行を行う人を偽善者と嘲るようになる。〝自分がそうだから他人もそうだと考える〟それが人間の本質なんだよ雄一君。利己的で、妬み深くて、恩知らず……私はその本質を利用させてもらっただけだよ」


「……」

「最初は頑張ってる人の方が多くポイントをもらえたんだよ? 真面目に頑張ってる人の方が皆に感謝されてたからね。でも、たった数年で、もう誰も区別しなくなった。君は以前からずっと私に「真面目な人にも不真面目な人にも同じだけポイントを与えるのはおかしい」と言っていたけど、ふふ……」


「……っ」

「てんで的外れだったね、雄一君。真面目な人達に多くポイントを与えていないのは私じゃなく、〝君達人間の方〟だったんだよ。君たち人間の浅はかな認識が、君の言う理不尽を生みだしていたんだよ」

「……つまり、善行の価値っていうのは……」


「そう、善行の価値は受け手で決まる。言うなれば善と偽善もそこで区別される。私は素点と補正の倍率を定めただけ。実際に何ポイントあげるかっていうのは、君たち次第ってわけ」

 俺は何も言葉を発することができなくなった。打ちひしがれたような絶望感だけがあった。神の言うことが正しければ……和樹が地獄に落ちたのは……つまり……。


「この一カ月君が行ってきた善行は、とてもよかった。素点は低いけど、でも川瀬麻衣さん、そして川瀬和樹君……この二人は君に本当に感謝してた。心から。ボランティアやお見舞いだけじゃなく、君の言葉一つ一つにね。だから君は沢山ポイントを貰えたんだよ」

「……」

「その点、和樹君のご両親は全然ダメだったね。なんか和樹君に色々させてたけど、あの二人、微塵も感謝なんてしてなかったもん。子供に宿題やらせるくらいの気持ちでやってたからね。当然補正も最悪、やってることもどれも素点が低すぎて評価対象外レベルだし、あれじゃあポイントは貯まらないよね」

「……俺達が和樹を地獄に落としたって言いたいのか。俺達が和樹に感謝しなかったから、あいつは地獄に落ちたってことなのか」

「ぶっちゃけて言っちゃっていいの? そうだよ」


「お前がもっと早くそのことを皆に教えていれば―― !」

「感謝した? 本当に? 〝感謝するとポイントが増えるから感謝する〟の? ――ふふ、それっておかしくない?」

「……ッ」

「――でもチャンスはあった」


 神は不意にいつもの飄々とした態度から一変して、真剣な表情を浮かべた。

「なに……?」

「さっきの質問覚えてる? 『なぜ和樹君は嘘を吐いたのか』。――君は和樹君のためなら一緒に地獄に落ちたっていいとまで言っていたね。そこまであの子のことを思っていた君が、和樹君の嘘の心意に気付いていれば……あと六○ポイントか……どうだっただろうね」

「どういう意味だ……俺のこと……? ――ッ」

 そのとき、俺の脳裏に一つの可能性が思い浮かぶ。あの日、俺が和樹に言った言葉……和樹はまさか、俺のために……。


「――さ。そろそろ夢審査は終わりましょう」

 唐突に神が言った。俺は俯いていた顔をあげた。

「ま、待てよ! まだ話は――」

「雄一君、君は善行を行う者の心の在り方も重視しているようだけど、実は私も同意見なんだ。だから今まではなかったんだけど、八年前から最終審査も実施することにしたの。君ならきっと合格できるよ」

「おい聞いてんのかてめえ! 逃げんじゃ――」

「おはよう雄一君。善い一日を」




 神に掴みかかろうとしていた手は、部屋の空を虚しく切った。

 ベッドから飛び起きるようにして目ざめた俺は、寝起きで力の入らない手を、それでも血が滲むほど強く握りしめた。


「くそ……くそぉッ……!」

 悔しさで身体が潰れそうだった。やり場のない憤り。自分の無力さ。何もかもが悔しかった。惨めだった。


 ――なぜ和樹は嘘を吐いたのか。その答えを俺は今更ながらようやく理解した。

 ……和樹は知っていた。自分が地獄に落ちることを知っていた。だからあいつは、俺が一緒に地獄に行ってやると言ったとき嘘を吐いたんだ……俺を地獄に落とさないために。自分が地獄に落ちたと知れれば、俺まで地獄に落としてしまうと思ったから。


 もう二度と会えなくなると分かっていながら、地獄に行くと分かっていながら、それでもあいつは俺を助けるために嘘を吐いた。今にも泣き出しそうな絶望の中、誰かに縋りたくなる幼い心をぐっと堪えて、あいつは俺を救おうとしたんだ。


 ――これが善行じゃなくてなんなんだ。何百ポイント積んだって釣り合わないくらいの、自分を犠牲にして他人を救おうとする、一点の曇りもない善意の心じゃないか。そんな優しい心をもった子供がどうして地獄に落ちなきゃならないんだ。


〝――でもチャンスはあった〟


……俺が気付かなかったから? 俺が和樹の心意を汲んで、理解して、そうして和樹に感謝していればポイントになったのか? 大量の補正がかかってあいつは天国に行けたのか?

誰にも気づかれない善行には補正はかからないというのか。


「どうなんだてめえ! なんとか言ってみやがれこの野郎!」

 神に。世界に。人間レベルに向かって、俺は怒りのままに叫び続けた。

「くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 握りしめた拳をベッドに振り下ろす。そのまま崩れ落ちるようにベッドに顔を埋めて、俺はただ泣き喚くことしかできなかった。

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