第7話 ボランティアは疲れる


 あれから二週間がたった。

全ての授業が終わり、クラスメイトが次々と帰り支度を始める中、翔子が声をかけてきた。

「雄一、今日ボーリング行かない? アキちゃんとかマッチとかも来るんだけど」

「悪い、今日予定あるから」

「また予定? 昼寝とか?」

「昼寝はさっき授業中にした」

 翔子は不満そうに唇を尖らせた。


「なんか最近の雄一、付き合い悪くない? 彼女でもできたの?」

「いろいろ忙しくてな」

 この二週間、本当に忙しかった。正直あいつのことを甘く見ていた。

「雄一さーん」

 教室のドアからこちらを呼ぶ声が聞こえてきた。川瀬麻衣が俺を手招きしていた。


「川瀬さんじゃん。え、予定ってあの子?」

「まあな」

「え、付き合ってんのあんた達?」

「なんでだよ。――いや、そうだな、俺があいつに付き合ってる、ってことになるな」

 首を傾げる翔子をよそに、俺は鞄をかついで席を立った。


「ちょっくらボランティアしてくるわ」


 唖然としている翔子を置き去りに、俺は麻衣の許へと向かった。



 

 麻衣が本格的にボランティアを再開してから一○日ほどが過ぎた。

 麻衣は本当に暇さえあればボランティアに参加しているようで、ほぼ毎日予定は埋まっていた。

 月三回、小学校の通学路の見回りをするボランティアサークルと、平日の午前中に駅前に散乱した自転車を整備し、また乱暴に自転車を止めようとする者に声をかけるボランティアサークルに正式なメンバーとして加入しており、俺もそれに付き合った。


 麻衣は朝通学する際に、駅前の自転車を整理してから登校してきていた。

 サークルメンバーの中でも毎日行っている者は麻衣一人らしく、高校二年生にして会長の座を約束されているらしい。慣れてしまえばそんなに苦じゃないですよ、とは麻衣の談。

 他にもチラシ配りや募金活動など、手当たり次第にやってるらしい、コンビニでの買い物では五○円玉以下のお釣りは全て募金しているとも言っていた。


 それら全てに付き添った俺は、正直体力の限界だった。たった一○日でヘトヘトになるほどで、授業中の居眠りもかなり増えてしまった。

 麻衣がそれを飄々と続けられるのは、やはりモチベーションの違いだろうか。

 放課後だけ付き合う、という暗黙の了解はあるにはあったのだが、校内で麻衣を見つけるときは決まって教師の荷物を持っていたり他人の清掃を代わってやっていたりと、なにかしら人助けをしているときばかりだったので、俺は仕方なく昼休みなどの休憩時間も麻衣の様子を見に行くことにした。

 そうなると必然的に昼時を一緒に過ごすことになり、昼食を一緒に摂ることも多くなった。今まで少し他人行儀だった俺たちも自然と打ちとけ、今では名前で呼び合うようになった。


「今日はなんだったっけ?」

「今日は本当は何も予定は入ってなかったんですけど、クラスの友達の猫が家出しちゃったらしくて、探してますっていう紙を町に貼るついでに猫の捜索を手伝う約束を」

「……まあ、いいけどさ」

「――あ」

 麻衣は廊下で何かを見つけたのか足を止めた。前方で大量のプリントを運んでいる女生徒がいた。


「同じクラスの子です。ちょっと手伝ってきます」

 急いでその女生徒の方へ駆けだす麻衣。俺は嘆息しながら後に続いた。

「佳奈ちゃん、手伝うよ」

「あ、麻衣ちゃん。いいところに。おねがーい」

 女生徒はプリントの山を全て麻衣に手渡した。麻衣は当然のようにそれを受け取り、よいしょ、と歩き出した。


「俺も手伝うよ」

 麻衣の隣に立って二人にそう言った。

「え、あなたも? お疲れ様」

「あ、じゃあ半分お願いしま――」

 麻衣の持っているプリントをごっそりと取ると、それを更に半分に分けた。


「三等分だ」

 その内の一つを、手ぶらの女生徒に押し付けた。一つのプリントの山がだいたい均等になるように三つに分けた。

「え? あ……ああ、まあ、そうだね」

 女生徒は面喰ったようにプリントを受け取って歩き出した。


 麻衣が人助けを申し出ると、多くの人間がそのほとんどを麻衣に押し付けようとする。麻衣は学内でも有名だが、特に彼女のクラスメイトにこの傾向は強い。

 人助けをしたいという麻衣を邪魔することはしないが、その際に彼女が理不尽に仕事を押し付けられないように配慮するのが俺の仕事だ。


 ……いや、仕事ではないな。俺がそうしたいからそうしているだけだ。麻衣もそれを認めてくれている。

 三人でプリントを運ぶならプリントは三等分、あるいは男の俺が多く持つべきだ。そういう当たり前のことを当たり前にさせたいだけだ。


「――ありがとうございます、雄一さん」

 麻衣はそう言ってニコリと笑った。

 この一○日間、彼女は幾度となく俺にそう言った。俺が麻衣を手伝う度に、彼女は心から俺に感謝しているのだと伝わってきた。

 人から感謝されなくたっていい、と麻衣は言ったが、俺の考えはこの一○日間で更に強くなっていった。


 善行をして、人から感謝されるだけでこんな気持ちになれるのなら、麻衣にはやはり努力に見合った分だけ感謝されてほしい、と俺は強く思うようになっていったからだ。




「――弟がいる?」

 町の電信柱に『逃げた猫を探しています』と書かれた紙を貼り付けながら訊き返した。

「はい。歳は八歳くらい離れてるんですけど」

 麻衣は紙を貼るだけでなく、通りがかった人に直接紙を配っていた。

 黙々と紙を貼り続けるのも飽きてきたので俺が適当に話を振ると、麻衣に歳の離れた弟がいることを教えてくれた。ますます家族構成が俺に似ているな。


「あんたの弟ならさぞかし善良な市民に育つだろうな」

 俺がそう言うと、麻衣は一瞬口ごもった。

「弟は……重い病気を患っていて……」

「ぉっと……悪い」

「いえ。今までもずっと身体の弱い子だったんですけど、ここ一年で急に心臓が悪くなって……ずっと入院してます」


「…………こういうこと言うのは不謹慎かもしれないけど、お前、ボランティアなんかしてていいのか? 弟の様子を見に行ってやったほうがいいんじゃないのか?」

「私この高校に入学するために一人暮らししてて、弟のいる病院はここから遠いので、放課後からはあまり行けないんです。でも休日はよくお見舞いに行っています」

「もしよかったら俺も一緒に行かせてもらってもいいか?」

「はい、是非! 弟もきっと喜ぶと思います!」

「じゃあ今週の土曜日にでも早速行かせてもらってもいいか。確か何も予定入ってなかったよな」

「はい。楽しみです」

 麻衣は嬉しそうに笑った。




 全ての紙を貼り終えたところで今日は解散となった。

 麻衣に分かれを告げて家路を行く道すがら、俺は町を観察してみた。

 ここ数日ずっとやっていることだ。俺も少なからず麻衣に感化されたのか、何か俺に出来る善行はないかと町を見るようになった。


 そしてすぐに気がついたのだが、思っていたよりも遥かにそういう機会はなかった。

 というよりも、俺がぱっと思いつくような善行……例えば町のゴミ拾いだとかは俺以外の者も率先して行っているようで、翔子の言うように町は本当に綺麗だった。

 よく漫画などでは重い荷物を持ったお婆さんが横断歩道を辛そうに渡ったりしているものだが、そういうのも特に目にしなかった。


 善行をしようと思うなら、今の時代ではもうボランティア活動を積極的に行っていくくらいしかチャンスは残されていないように感じた。


 ――ではもしそのボランティアですら需要過多になってしまったなら、人はどうやって善行を積めばよくなるのだろう。


 もしかするとそう遠くない未来では、善行をしたくてもさせてもらえない人達が出てくるのではないだろうか。

 もしそんなことになれば、もうボランティアという概念は崩壊するだろう。

 助ける側と助けられる側の力関係が逆転し、〝人助けをさせてもらう〟側になってしまう。

 それでは、もはや何がなんだか分からなくなってしまう。

 一見すると善い世界になっているように見えるかもしれないが、俺はそんな世界を想像するとおぞましさしか感じなかった。

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