第10話 そんなに待ってないよ
「柚葉のせいってどういう……」
意味が分からないと悠輝の顔が告げてくる。
「事故の時ね……私、落ちた後もまだ意識があったの……」
バスが道を外れて滑り落ちた事故。私たちはあの時に入れ替わった。
「その時は、まだ入れ替わって無くて……目の前に血だらけでボロボロの悠輝がいて……」
「それでどうして柚葉のせいってことに……」
「私が神様に祈ったの! 私が代わりになるって! 悠輝の代わりに!」
「代わりにって……」
今私は悠輝の代わりになっている。あの時に悠輝が死んでしまったとしても、入れ替わった状態なら私が代わりになれる。私の願いそのままに。
「だから、この入れ替わりは私のせいなんだよ! 本当は悠輝は大丈夫だったのに、勝手に取り乱して、変なこと願ったりして……」
一度口に出してしまうと、もう止まらない。ため込んでいた気持ちが言葉になって溢れでる。
「悠輝は私でいなくちゃいけなくなって……大変な思いしてるのにっ……なのに……」
私は楽しんでしまった。二人だけの秘密があることが嬉しくて。悠輝が私の事をずっと気遣ってくれるのに甘えて。
「本当にごめんなさい……」
「柚葉っそれは別に――」
「――責任取るの話は忘れていいから。悠輝は何も悪くないから」
私はそう言い残してその場を離れる。走って走って悠輝から距離をとる。
途中何度も悠輝の呼び止める声が聞こえたが、私はそれを無視して走り続けた。
ピンポーンとインターホンがなる。繰り返し何度も。
「いるんでしょ! 開けてよ柚葉!」
外から悠輝の声が聞こえる。何度も何度も私に呼びかける声が。いつもは外で柚葉なんて呼ばないのに、そんなこと気にしないとでも言うように名前を呼んでくれる。
「悠輝……」
私はベッドの上で膝を抱き、布団をかぶる。この声を聞いていると甘えたくなってしまうから。
悠輝に名前を呼んで貰うのは好きだ。柚葉ってそう呼びかけて笑ってくれる優しい悠輝が。最近は、二人っきりでないと呼んで貰えなくなってしまった。でも、それも全部自分のせい……。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。私はただ悠輝とずっと一緒にいたいだけなのに。
しばらく無視していると、インターホンの音も声も聞こえなくなった。
「…………っ」
自分で無視していたくせに、諦められたのを寂しいと感じる私は本当に自分勝手だ。
「悠輝、起きなさい……悠輝!」
「う……ん?」
布団をはがされて重たい瞼を持ち上げる。目の前にはおばさんが、悠輝のお母さんがいた。
「夏休みだからって、いつまでも寝てないの。お客さんよ」
「おきゃくさん……? ……それってゆうっ……柚葉?」
跳ね起きておばさんに確認する。悠輝なら今は顔を合わせたくない。
「柚葉ちゃんじゃなくて和矢君よ。柚葉ちゃんと約束でもあったの?」
首を振って否定するとおばさんは部屋を出て行った。
お兄ちゃんが何の用だろう……。もしかしたら、悠輝に頼まれて来たのだろうか?
悩んでいても答えは出ない。本人に確認しよう。
立ち上がって部屋を出る。多分玄関だろう。
「おはよう、悠輝」
「……おはよう」
予想通り玄関でお兄ちゃんは待っていた。近くに悠輝がいる様子はない。おばさんが隠していたわけでもないようだ。
「それで何の用?」
「ちょっと買い物に付き合って欲しくてさ」
「……柚葉に頼めば良いでしょ」
「だから、頼んでるだろ」
今は、悠輝が柚葉だ。誰かに聞かれる可能性があるから、体の名前で話を進めているのに、そこだけ柚葉扱いされても困る。
「僕は悠輝だから……」
お兄ちゃんに悠輝だと名乗るのも変な気分だ。でも、今私が悠輝なのは事実だし……。
「そうか。で、柚葉の方は用事があってさ。頼むよ付き合ってくれ」
「…………」
悠輝は用事……。薫子達と約束かな……? 今は悠輝は私だし、用事なら友達関係だろうから。いつもは予定を先に教えてくれるが、昨日から無視していたし、伝えずに出かけたのだろう。
「……良いよ」
「よし、じゃあ支度してくれ」
お兄ちゃんと話すのも気分転換としては悪くない。今は悠輝とは話せないから……。
「……それで何買うの?」
お兄ちゃんに連れられて、私たちが暮らす天衣市最大のショッピングモール、通称天衣モールにやってきた。夏休みだけあって混み合っている。最後に来たのは事故よりも前だ。
「ああ、こっちの店でな」
お兄ちゃんに先導されて進んでいく。どこに向かっているのか。こっちの方でお兄ちゃんが買い物をしそうなお店なら、スポーツ店かな?
しばらく、お兄ちゃんの背を追いかけて歩く。一緒に歩くのは悠輝になってからは初めてかもしれない。
「よし、ここだ」
「えっここって…………!?」
お兄ちゃんが連れてきたのは、中央の広いスペース。たまにイベントとかでステージをやっていたりするが、今は特に何もやっていない。適当にベンチとかが並んでいる休憩スペースだ。そこで買える物なんて自動販売機のジュースくらいだろう。つまり、目的は買い物ではないのだ。だって、すぐそこに……。
「悠輝……ううん、柚葉」
悠輝がそこのベンチの一つに座って待っていた。こちらに気づくと声を掛けてくる。
「……お兄ちゃん、騙したね……」
「悪いな。今はあっちも妹なんだ。可愛い妹の頼みを断れないだろ?」
何が可愛い妹だ。この格好つけ!
「じゃあ、俺は行くから」
そう言ってお兄ちゃんが立ち去る。
「柚葉……」
悠輝がまた私の名前を呼ぶ。どうして柚葉って呼ぶんだ。今は……。
「人前では、そう呼ばないって約束だよ。僕は悠輝」
「そっか、そうだよね。いつもこっちから注意してたのに。ごめん」
悠輝に謝らせてしまう。どうしてこんな嫌な言い方をしてしまうんだろう。
「じゃあ、悠輝。デートしよう」
「…………はい?」
予想外の言葉に変な声が出る。今なんて言った? デート?
「うん、デート。今はそっちが悠輝で私が柚葉なんでしょ? つまり私は女の子」
「うん……」
事実とはいえ、悠輝が自分のことを女の子とか言うのには違和感がある。
「昨日のデートの時、男の子が女の子一人残して、帰っちゃったんだよ? お詫びにもう一回デートして貰っても良いでしょ?」
「昨日の……」
デートだと思ってくれてたんだ。悠輝は、そんな風に考えてないと思っていた。
「ほら、行こう」
「……うん」
悠輝に急かされて歩き出す。さっきまで悠輝に申し訳ない気持ちで一杯だったはずなのに、悠輝の方からデートに誘ってくれた嬉しさでドキドキしてしまう。
「まずは、ここ」
天衣モール内の一角にやってくる。見たことのないお店だ。いつの間に出来たんだろう?
「ここは……?」
「ファンアニショップ。前に薫子と来たんだけど、悠輝と二人で一緒に来たいと思ったんだ」
そんなことを考えてたんだ、私は、薫子と二人で出かけてるってだけで、勝手に嫉妬してイライラしてたのに……。
二人で並んでお店に入る。グッズショップの他に展示スペース何かもあるらしく、そちらの方から見ていく。
「これ、ほとんどここの売り物のぬいぐるみとかだけで作ってるんだって。上手く言えないけど、見てるだけで楽しくなるよね」
ぬいぐるみなどでストーリーを表現した展示を見て悠輝が楽しそうに微笑む。
「……そうだね」
そんな悠輝を見て嬉しくなる自分を必死に押さえ込む。
駄目だ。楽しんじゃ。私のせいで悠輝は苦労してるんだ。私に悠輝と楽しむ資格なんてない。
「…………」
悠輝が無言でこっちを見つめてきた。
「ほら見て。ぬいぐるみも色々と種類があるよ」
「うっうん……」
グッズショップのコーナーに移動して、商品を眺める。色々なファンアニのキャラクター達のぬいぐるみやらが並んでいる。
可愛いとは思う。思うけど、今は男の子だしあんまり興味津々にしてるのも良くない。それに私は楽しんじゃ……。
「…………」
また悠輝がじっとこっちを見てくる。
「これ」
「……アザラシ?」
悠輝がアザラシのぬいぐるみを持ってきた。こんなキャラクターいたのか……?
「アザ太ってキャラクターだって。最近追加されたばかりらしいよ」
「……そうなんだ」
「薫子にどのキャラクターが好きか聞かれて、このアザ太が好きって言っちゃったから、一応覚えておいて。戻ったときに話し合わせないとだし」
「……うん。戻れれば…………ね」
「…………」
悠輝が睨むようにこっちを見てくる。駄目だ。悠輝と上手く接することが出来ない。
「僕、もう帰るから……」
そう言って店を飛び出す。また、悠輝から逃げてしまった。本当に何をやってるんだろう私は……。
「待って!」
「!?」
ファンアニショップを出て少ししたところで腕を捕まれる。振り返ると、走って追いかけてきたのか、肩を上下させている悠輝だった。
「何で、逃げるの」
「だって……悠輝に合わせる顔が……」
そう言って顔を背ける。悠輝の顔をまっすぐに見ることが出来ない。自分で言ったくせに、悠輝のことを悠輝と呼んでしまうし……。
「……ごめん!」
「…………っ!?」
ばしんっと両頬を悠輝の両手で叩かれる。突然の頬の痛みと驚きで硬直してしまう。
「悠輝、何を……」
「合わせる顔がないって何さ!」
「っ!」
悠輝が突然大声を出す。こんな姿は初めて見たかもしれない。
「柚葉、俺は怒ってるんだよ」
「……うん、分かってる」
それはそうだ。私のせいで悠輝は女の子を、私をやらないといけなくなったんだから。
「分かってない! 全然分かってない!」
悠輝の声は凄く怒っている。
「俺は、柚葉が悪いなんて全く思ってない」
「でも、私が変なこと考えたから……」
「柚葉は、俺のこと心配してくれただけでしょ。助かって欲しいってそう思ってくれたんでしょ?」
「でも、そのせいで……」
そのせいで悠輝に女の子でいることを強いて、苦労をかけて……。
「そのせいでか何て分からないじゃん!」
「絶対にあれが原因で……」
「それが原因だとしても、柚葉が俺のこと心配してくれたってことが悪いなんてこと絶対にない!」
悠輝がそう言い切る。柚葉は、私は悪くないと。
「でも、悠輝に大変な思いさせて……」
「大変じゃない!」
「嘘……」
「本当だよ……大変じゃない。困ることはたくさんあるけど、それで辛い思いをしたことはほとんどない」
そう言って私に優しく笑いかける。
「でもっ……でも!」
「ある意味貴重な体験だよ」
「……?」
「だって、女の子になるなんて普通は絶対に経験しないもん」
「確かにそうだけど……でも、このままじゃ」
このままじゃ、女の子を経験したどころか女の子になってしまうのだ。だって戻る方法が無いんだから。
「ずっとこのままかは、まだ分からないよ。よく分からない理由で入れ替わったなら、よく分からない理由で戻れるかもしれないし」
「…………」
私がどんなに否定しても、悠輝は大丈夫だと言ってくれる。大変じゃないって。
「じゃあ、何に怒ってるの……?」
「一つは、柚葉が自分が悪いって勝手に思い込んでたこと」
「それは思い込みじゃない」
「思い込みなの!」
「…………うん」
悠輝は私が悪いとはどうしても認めてくれないらしい。
「二つ目は……」
「二つ目は?」
今度は悠輝が少し恥ずかしそうにする。
「……まだ付き合ってないのに、抱きついてきたり、きっききキスを……しようとしてきたり……」
「えっキス!?」
抱きついたのは心当たりがあるけど、キスは……。
「しようとしてきたじゃん! 部屋に起こしに行ったら……後ろから抱きついてきて……」
悠輝がいつのことを言っているのかようやく気づく。確か、寝起きで悠輝に絡んだのだ。後ろから抱きついて、顔をのぞき込んだ。この体勢ならキスでもしそうだと思った記憶がある。
「あれは、抱きついただけで……」
「絶対嘘! ああいう時は絶対キスしてくるもん! 漫画で読んだもん!」
どうやら悠輝は少女漫画のシチュエーションを変に受け取ってしまっているらしい。もしかすると、最近の悠輝の行動はその影響?
「プールでも、かかカップルアピールするし……そういうのは、ちゃんとお互いの了解を得て付き合ってから……」
ぶつぶつと何やら呟いている。
「え、えーっと……つまり?」
「付き合う前の男女がああいうことしたら駄目! めっ!」
そんなことを怒っていたのか……。
「あと、もう一つ」
「まだあるの!?」
そんなに怒ることあるの? 入れ替わりのことは怒らないのに?
「薫子と居るときに、その……嫉妬? は良くないよ」
「…………」
図星なのだが、それは……。
「今は、俺が柚葉で私なんだよ。普通に女の子同士の友達といるだけで、面白くなさそうな顔されても困る」
「……そんな顔してた?」
「してたよ。最初は、自分が薫子と遊べなくて怒ってるのかと思ったんだけど……逆なんでしょ?」
「…………うん」
頷くのもちょっと恥ずかしい。これもう好きって言ってる気がする。
「さて、柚葉……」
「うん?」
悠輝が改まった様子でこっちに向き直る。
「提案があるんだけど……」
「提案?」
一体何だろう。何を言われるんだろう。悠輝の頬が赤くなっているのは、今から言おうとしていることが理由なんだろうか。
「…………さっきの返事からして、柚葉が悪くないっていうの納得してないんだよね?」
「……うん」
悪くないと言って貰っても、私に責任があるという事実は変わらない。戻れる可能性がゼロではなくても、一生このままで元に戻れずに悠輝の人生を狂わせてしまう可能性は十分にあるのだ。
「だからさ…………その、責任取ってくれる?」
「えっ……」
「それで許してあげるから」
目覚めてすぐに、自分を責める悠輝に私が言った言葉。あの時の言葉を今度は悠輝が言った。
「今は、女の子なんだし、こっちから言っても変じゃないでしょ?」
「でも、私なんかと……」
「なんかじゃない。柚葉が良い」
私が良い……。
「その……正直、好きとかは、まだ良く分からない。でも、将来誰かと一緒にいられるなら、柚葉と一緒が良い」
私は夢でも見ているのか、悠輝が私と将来も一緒に居たいって言ってくれるなんて。
「柚葉と一緒なら、この先元に戻れなくても、きっと大丈夫だと思うから」
「悠輝…………」
「もう一度聞くね。責任取ってくれる? これからずっと一緒にいてくれる?」
答えは決まっている。だって、ずっと私が望んでいたことなんだから。悠輝とずっと一緒にいられることを。
「……うん! 約束する」
「ありがとう………………えいっ」
私が返事をすると、悠輝が優しく私の両頬を押さえた。そして……。
「んむっ!?」
いっいい今口が……唇があたっ当たって……。
「もう、付き合い始めたんだからいいよね……最初のキスが女の子みたいにされるの嫌だから、先に奪わせて貰った……」
顔が熱くなる。今私はキスをした……ずっと好きだった相手と、悠輝と……。
悠輝の方も自分でやっておいて恥ずかしいのか、顔を赤くしている。
「えへへ……」
「えっえへへ……」
二人で小さく笑い合う。人通りの多いところで、キス。周りの人にちらちら見られているみたいで少し恥ずかしい。
「柚葉ちゃんだいたん……」
あれ、今聞き覚えがある声が……。
悠輝も気づいたのか、声の方を見る。そこには……。
「かっかか、かかか薫子!?」
少し離れたところで、具体的にはファンアニショップの前辺りで、少し顔を赤くした薫子がこっちを見ている。
「こんな人前で……女の子の方からキスしに行くなんて……柚葉ちゃんすごい……」
「いっいやこれは、えっとあの……」
「……わっ私、みみ見てなかったよ。イマナニモイッテナイヨー」
「そんなあからさまな嘘言われても困るよ!」
悠輝が薫子の方へと駆けていく。さっきまでは格好良かったのに、今は最近見慣れた可愛い悠輝だ。ああ本当に……。
「悠輝は可愛いなぁ……」
恋人になった幼なじみを見て私は思わず呟いた。
「やっと着いた……」
私は悠輝に呼び出されて私の祖父母の家がある田舎へとやって来た。
「夏祭りがあるのは知ってたけど、急に一緒に行きたいなんて」
とはいえ、私はドキドキしていた。付き合い始めてから最初のデートになるんだから。
暗い道を歩いて、待ち合わせの場所へと向かう。毎年来ている場所なので、今年が初めての悠輝よりも土地勘があるだろう。迷うことはない。
「あっ……」
待ち合わせをした鳥居の下に悠輝はいた。水色の可愛らしい浴衣を着て私の事を待っている。
きっと浴衣を見せたくて呼んだのだろう。浴衣姿を見せたがるとは、悠輝も中々に女の子である。
ゆっくりと近づいていく。恋人になって初めてのデート。その最初の言葉は何が良いだろう。
あと数歩の距離になったところで、悠輝もこちらに気づく。もう声を掛けた方が良い。
「お待たせ。浴衣可愛いね」
結局ありきたりな言葉で声を掛ける。もっと気が利いた言葉を考えておくんだった。
ずっと好きだった優しくて格好いい悠輝、入れ替わってからよく見る可愛らしい悠輝。今日の悠輝は可愛い方だ。
もし元に戻れてもこのままでも、私はどちらの悠輝も好きだから、どちらでもかまわない。一緒に居られれば。
これから続いていく二人の時間。恋人になって最初のデートでの悠輝の一言目は、私と同じくありきたりな言葉だった。
「そんなに待ってないよ」
そんなに待ってないよ 水城玖乃 @Hisano
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます