ひーっ……!

「もう一度お伝えします。貴女に依頼する案件のランクは “B”。テロリストによりトレインジャックを受けた列車を停止させることが任務となります」


 “国家安全保障省国家安全保障局” の職員は先程と一切違わぬ声音で同じ言葉を繰り返した。


「……は?」


 そしてそれを受けた柾屋まさや 雪白ゆきしろも先程と同じ返答を返すしか出来なかったのだった。

 彼女は仕事を望んでいた。それも出来るだけランクの高い、高額な仕事が国から依頼される日を待ち望んでいたのだ。

 そして今、彼女の望んだ通り “ランクB” と言う今まで受注した事のない仕事が舞い込んでいる。それも公募されている仕事を自ら申し込むのではなく、“国家安全保障局” の職員から直接指名で依頼されているのだ。これは正しく彼女が夢見ていた状況に他ならなかった。

 しかしその仕事内容は彼女が思っていた物とは到底違う内容だった。いや、予想していたが出来れば依頼されたくない仕事だったのだ。

 悪い方の予想が当たってしまい、初めて依頼が来た嬉しさとない交ぜになって雪白の思考能力をオーバーしてしまい呆けた声しか出せなかったのだった。

  だが時間は彼女を待ってはくれない。


「……柾屋雪白さん。申し訳ありませんがゆっくりと考えている時間はございません。先程も申しました通り、この仕事は今現在トレインジャックとなっている列車を貴女の 『異能力』 で止めて頂く事にあります。今この時もテロリストに占拠された列車は多くの乗客を乗せたまま疾走しており、多数の犠牲者を出す危険に孕んでいます。即決でお願いいたします」


 スラスラと澱みなく語る職員の口調には一部の無駄も無く、全くの時間的ロスすらない。

 しかしそれでも雪白には即座に返答する事が出来なかった。グルグルと二つの返答が頭の中を回り、そのどちらも喉を通って口から飛び出してくれなかったのだ。

 僅か数秒逡巡していた雪白に、職員が二の矢を放つ。


「……仕方ありません。返答無きときは 『否』 と受け取り、この案件は別の方へと依頼いたします」


「あ……」


 だが雪白はこの言葉にどこかホッとした安堵を感じていた。彼女は仕事を欲していた。それも出来るだけ難度の高い仕事を……である。

 しかしそれは危険を伴う、命の危機が付いて回る様な物を望んでいたのではない。先日の公園で暴れ回る 「異能者」 を抑え込めたのも偏に能力の相性が良かっただけであり、一歩間違えば彼女は大怪我、もしくは命の危機に瀕していたのだ。

 それを考えれば今回は明らかに暴力集団と敵対する事となり、その危険度は先日の比ではないのだ。

 出来れば仕事を受けたい、でも命に関わる危険な仕事は怖くて仕方が無い。

 答えの出ない二択であったが、電話の向こうで職員が言った通り他の 「異能者」 へと依頼されるのならば今回はそれも仕方が無い。雪白はそう考えていたのだった。


 ―――次の言葉を聞くまでは……。


「それではこの案件をランクS 「異能者」 である渡会わたらい直仁すぐひと様へと引き渡し致します」


「わた……私、引き受けますっ!」


 彼女の萎えた、どこか逃げ腰であった感情が、職員の言い放った「渡会直仁」の言葉で一気に燃え上がり、殆ど条件反射で雪白の口から発せられたのだった。


「よ……宜しいのですか?」


「勿っ! 論っ! ですっ!」

 

 突然火が付いた雪白の物言いに、先程まで電話の向こうで淡々としていた職員もたじろいでいた。それ程彼女の豹変は驚くべきものだったのだ。

 今の彼女には怖いだとか逃げたいだとか、出来れば引き受けたくない等と言う思いは無い。当然乗客の安否や引き起こされる被害の大きさなど微塵も考えていなかった。

 ただ、ただ只管ひたすらに「渡会直仁」への対抗心だけを漲らせていたのだった。


「りょ……了解しました。それでは今から10分後にお迎えが上がります。柾屋雪白さんは貴女が最高と思う準備を整えて待機してください」


「解りましたーっ!」


 そう言うと電話の向こうで受け答えしていた職員は、まるで逃げ出す様に電話を切ってしまったのだった。雪白も受話器をベッドの上へと置き、勢いよくそこから立ち上がった。


「渡会ーっ! 直仁ーっ! 負けない……負けないんだからねーっ!」


 彼女はガッツポーズを取ると、気合いと共にそう叫んでいたのだった。


 ―――ドンドンドンッ!


「うるっせーぞっ! 静かにしろーっ!」





 ―――10分後……。


 ―――バラバラバラバラッ!


「な……っ! 何―――っ!?」


 丁度準備を終えた雪白のアパートを震わす轟音が部屋の外から鳴り響いた。

 彼女は即座に外へと飛び出すと、そこには小型高速ヘリが今まさに着陸しようとしている所だったのだ。


「……これって……まさか……」


 煌々と強烈なライトを周囲に放ちながら、ヘリは道路へと着陸する。その様はまるで UFO が降り立った場面の様であり、近隣住民も何事かと表へ出てその様子を伺っていた。


『柾屋雪白さんっ! 準備が完了していれば即座にヘリへ搭乗してくださいっ!』


 既に午後9時に差し掛かろうかと言う夜半、明らかな近所迷惑であるにもかかわらず、大音量スピーカーからは彼女の名を呼ぶ声が周囲に拡散されていた。


「……やっぱり……あれが……迎え……なのね……」


 まるで映画の様な状況に雪白は呆然と、そして他人事の様にその光景を眺めていた。


『繰り返しますっ! 柾屋雪白さんっ!……』


「わ―――っ! 繰り返さなくていいよ―――っ!」


 これ以上ない近所迷惑を起こしながらご丁寧にフルネームで自身の名を呼ばれ、雪白は目に涙を浮かべてそう叫びヘリへと駈け出していた。


「柾屋雪白さんですね? 急いでいますが念のために認識番号を……」


「言う言うっ! 言いますから早く乗せて下さい―――っ! それから出来れば今すぐ飛び立ってください―――っ!」


 こんな晒し者状態には、如何なハートの強い者でも耐える事は難しいだろう。まして雪白はメンタル面がそう強い方ではない。

 彼女の事情と心理状態など委細関係ないと言った表情と声音で、雪白をヘリの中から出迎えた担当官が事務的に告げた言葉を遮って、雪白は一刻も早くこの場から出発する様懇願した。


「いえ、決まりですので。認識番号を……」


 だがあくまでも手順を順守する目の前の女性は雪白の叫喚等どこ吹く風であった。雪白は早口で彼女の問いに答え、漸く搭乗を許可されたのだった。彼女を乗せたヘリは即座に上空へと舞い上がり、一気に目的地へと加速した。

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