第4話
その頃、宮の東門近辺に一人の巫女が住んでいましたが、霊験あらたかなことで有名で、そのため宮中にも出入りしていました。進士さまは、彼女に手紙を託すことにし、その家を訪ねました。
巫女は、早くに寡婦になったようで、年令はまだ三十にもなっていないようでした。容姿に大変自信があるようで、艶かしい雰囲気を醸していました。進士さまが来ると、さっそく酒肴の準備をしましたが、
「今日は忙しいゆえ、明日また参る」
とだけ言い残し、そそくさと出ていきました。
翌日、進士さまは、再び巫女の家を訪ねましたが、手紙のことは言い出せず、明日また来ると言ったきり帰ってしまいました。
進士さまのこうした有様を見た巫女は
― あの青年は、まだ年若いため、自分から動くことが出来ないんだわ。私の方から誘えば、きっとうまくいくわね。
と勝手に決め付け、誘惑することにしました。
次の日、巫女は沐浴し、髪を整え、きれいに着飾って、進士さまの来るのを待ちました。秀麗な青年と枕を共に出来ると思うと、巫女の胸は弾みました。
例のごとく、巫女の家にやってきた進士さまは、こうした彼女の有様を見ると、さも不愉快そうに言いました。
「あんたは霊力の強い巫女だそうだが、どうして私の心の内も分からないんだ!」
ここに至ってようやく進士さまの来意を理解した巫女は、少し落胆しましたが、これまでの経験から進士さまが何を望んでいるのか、おおよその察しはつきました。彼女は、神霊を祀った壇の前に平伏すと一心に祈りを捧げました。数分後、進士さまの方に向き直ると
「お気の毒だけと、想い人との御縁は無さそうね。無理に思いを遂げようとすれば、二人とも三年も経たないうちに冥界に行ってしまうわね」
と告げました。
「忠告、忝(かたじけな)い。だが、そのことは既に覚悟している」
進士さまはきっぱりと言い切った後、
「で、あんたに頼みがある。これを渡して貰えないだろうか」
と真摯な声で懇請しました。一途な思いに心を動かせられた巫女は
「本来ならば、私のような卑しい身の者は、先方さまから御声が掛からなければ宮内に入ることは出来ないのだけど、今回は特別にやってみるわね」
と快諾しました。進士さまは懐から手紙を取り出すと
「恩に着る。くれぐれも気をつけてくれ」
と言いながら巫女に手渡しました。
翌日、彼女は、さっそく宮中に入っていきました。突然、姿を現わした巫女を人々は訝しげに見ていましたが、彼女は適当に言い繕い、隙を見つけて私の手を引き、人気の無い裏庭に連れて行きました。そこで手紙を受け取った私は、大急ぎで部屋に戻ると封を切りました。そこには、私に対する深い思いと七言詩一首が記されていました。一気に読み終えた私は、声が詰まり、ただ涙が流れるばかりでした。しかし、このような姿を他人に見られてはまずいので、屏風の後に身を隠しました。この時より、私は進士さまを片時も忘れられなくなり、日々、狂おしい気持ちで過ごしています。こうしたことは、やはり言葉や表情に出てしまうのですね。大君が疑心を抱かれたのも人々が噂することも根拠の無いことではないのです……』
話を終えると紫鸞は涙を流しながら言いました。
「詩には作る者の心が現われてしまい、隠し立ては出来ないのね」
彼女も又、宮女の哀切を身をもって知る人間でした。
それから数日経った頃のことでしょうか、大君は翡翠を御呼びになり、
「汝等、十人で同じ部屋に暮らしていては、勉学に専念出来ないだろう」
とおっしゃり、半数に西宮に移るよう命じられました。そのため、私と紫鸞、銀蟾、玉女、翡翠は、即刻、これまで住んでいた部屋から出ていきました。
新居の周囲はひっそりとしていて、
「花ハ幽(かす)カニシテ草ハ細ク、水ハ流レ林ハ芳シ……。まるで山荘ね。学問をするに相応しいところじゃない」
と玉女が言ったので、私は
「舎人でも尼僧でもないのに、こんな宮奥深いところに閉じ込められるなんて……。漢の長信宮に暮らすようだわ」
と応えました。側にいた人々は、この言葉を聞くと皆、溜め息をつきました。
進士さまへは、その後も手紙を書き送りたかったのですが、進士さまの懇願にも拘らず、巫女は仲立ちを拒みました。宮女と外部の者の仲を取り持つのは危ないことですし、そこまでして他人の思いを遂げさせてやる義理も無いと思ったのでしょう。
歳月のみが虚しく流れて行きましたが、そんなある日、紫鸞が、そっと耳打ちしました。
「毎年、中秋の日、私たち宮女は、蕩春台の下の川辺に行き、浣紗(絹を洗うこと)をし、その後、そこで酒宴を開く習わしがあるでしょ。それを今年は昭格署洞で行なうの。そうすれば行き帰りに巫女の家に立ち寄れるでしょう。いい考えだと思わない?」
彼女の言葉は、私を嬉しくさせました。私は一日千秋の思いで中秋を待ちました。
季節は巡り小菊が黄色い花を咲かせる時期となりました。私の心は浮き立ってきましたが、それが表に出ないよう努めました。中秋も近くなったある日、私たち十人の宮女は浣紗の日取りと場所について相談するために集まりました。日時については簡単に決まりましたが、場所については難航しました。例年とは異なり、何故、わざわざ遠い昭格署洞にするのか、南宮(かつて私たちが住んでいた処です)の五人が訝しく思ったのです。西宮の人々同様、南宮の人たちも私が外部の者に心を寄せていることを薄々感付いたのかも知れません。結局、場所は決まらず、そのまま散会となってしまいました。
気落ちした表情になった私を見た紫鸞は
「大丈夫。私がこれから南宮に行って皆を説得してくるから」
と言って励まし、そのまま出ていきました。
どのくらいの時間が経ったのでしょうか、ようやく戻ってきた紫鸞は笑顔でこう告げました。
「大成功よ。今年の中秋はあなたにとってとても良い日になりそうよ」
私は紫鸞の手を取り
「あなたの恩は生涯忘れることはないでしょう」
と何度も御礼を言いました。
ついに待ちに待ったその日がやってきました。手紙を懐に忍ばせ白い薄絹の上着を抱えた私は紫鸞と共に一番最後に宮門を出て行列に連なりました。そして馬子に
「東門の外に住む巫女は、たいそう霊験あらたかだそうね。私も病を診てもらいたいので寄って欲しいのだけど」
と言うと彼女の家まで馬を牽いてくれました。
私はその家に入るやいなや
「今日、ここに来たのは金進士さまに会うためなの。どうか、進士さまを呼んで来て下さい」
と懇願すると、巫女はただちに使いを遣り、進士さまを連れてきました。
私たちは、お互い見つめ合ったまま何も言わず、涙を流すばかりでした。私は懐から手紙を取り出し進士さまに手渡すと
「夕方、もう一度来ますゆえ、進士さまはどうかこのままここで待っていてくださいませ」
と言い残し、昭格署洞へと向かいました。
進士さまは巫女の家に留まり、私からの手紙を読み始めました。私の身の上と想いを綴った内容に胸を打たれた進士さまは、ただ、ただ涙を流し、魂を失ったようになってしまいました。
夕刻、私は皆よりも一足先に昭格署洞を発ちました。巫女の家で壁に向かって惚(ほう)けたように坐っている進士さまの姿を目にしたた私は、その想いの深さに改めて心を動かされ、
「進士さまは貴い御身にも拘らず、私のようなしがない者のために長い時間、このようなむさ苦しい所で待っていて下さったのですね。私は生涯、進士さまにのみ心を捧げたいと思います」
と言いながら、はめていた雲南玉色の金の指輪を外して、進士さまの懐に滑り込ませました。そして耳元でこう囁きました。
「私は西宮に住んで居ります。進士さまは深夜、塀を乗り越えていらして下さ
い」
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