第3話
その夜、紫鸞が誠意に満ちた口調で私に問い質しました。
「女として生まれたのだから、お嫁に行くことを望むのは当たり前のことよね。あなたの想い人が誰だかは分からないけれど、日々、やつれていく姿を見るのはつらいことよ。私に話してはくれないかしら」
彼女の心遣いを有り難く感じた私は立ち上がって謝意を述べたのち
「宮中は人が多くてうっかりしたことは言えないので、今まで黙っていたけれど、あなたがそれほどまでに私のことを気に掛けてくれているようなので話すことにするわ」
と胸の内を打ち明けることにしました。
『去年の秋、黄菊が開き始め紅葉が色づき始めた頃のことでした。書堂で大君が絹を広げ七言詩十首を書き写されていた時、小童が 〝金進士と名乗る者が来ているのですが……〟と告げました。大君は〝そうか〟と嬉しそうに応えられ、中に通すよう命じました。間もなく現われた〝金進士〟は、端正な美少年で、その所作は年令に似合わず実に見事でした。金進士の噂は、以前から耳にされていた大君でしたが、実際にお会いになられると一目で気に入られ、二、三、言葉を掛けられた後、酒席を設けられました。この時、大君は私たち十人を呼ばれました。これは異例のことでしたが、金進士が年若く、生真面目そうだったので、差し障りがないと判断なさったためでしょう。席上、大君は進士に詩を詠むことを勧められました。初めは辞退しましたが、大君の再三の言葉に、ついに筆を手にしました。その間、大君は金蓮には歌を歌わせ、芙蓉には琴を弾かせ、宝蓮には簫を吹かさせました。そして飛瓊には酒を注がせ、私には墨を磨るよう命じられました。進士さまの顔を一目見ただけで私は魂を奪われてしまいました。進士さまも私に微笑まれた後、幾度も視線を向けました。
書き上げられた詩箋を御目を通された大君も何度か詠じられ、その出来栄えを絶賛なさいました。続いて、古の詩人について御下問なさいましたが、進士さまは的確に答えて大君を喜ばせました。すっかり御気をよくされた大君は、進士さまと詩文について意見をお交わしになり、遂には進士さまの手を握られて
「汝の才はこの世のものとは思えぬ。天が汝を我が国に下されたのは決して偶然ではないだろう」
とおっしゃられました。
以来、私は進士さまのことが忘れられなくなって、夜も眠れず、食べ物も喉に通らなくなって、このように痩せ細ってしまいました』
ここまで話すと紫鸞は
「私はすっかり忘れてしまったけれど、そんなこともあったわね」
と言いました。私は更に話を続けました。
『それからも大君は進士さまとのお付き合いを続けられましたが、私たちは姿を見せることは出来ず、ただ、窓の隙間から窺うだけでした。しかし、この気持ちを何とか伝えたいと思い、ある日、箋紙に五言詩をつらね、金鈿(金のかんざし)と共にしっかりと包みましたが、渡す方法が見つからず、そのままになってしまいました。
私のこの小さな願いが叶う時は、突然やってきました。それは、月のたいそう明るい夜のことでした。大君は、この美しい月を風雅を解する人々と共に愛(め)でたくお思いになり酒宴を開かれました。この席で大君が、進士さまの詩を詠じられますと、人々は感嘆し、ぜひ作者に会いたいと口々に言いました。大君は、さっそく進士さまのもとに使いを送られました。間もなく現われた進士さまは、憔悴しきっていて、以前の面影はありませんでした。大君は驚かれて
「汝は憂患とは程遠いと思っていたが、沢の畔を彷徨って憔悴したのか?」
と故事を引用なさってておっしゃったので人々は大笑しました。すると、進士さまは恐縮した口調で
「しがない身の上にも拘らず、大君の恩寵を賜わってしまったため災いを招き、このように病身になってしまったようです。今回は、大君の御下命ゆえ、人に支えられながら参りました」
と応えたので、人々は皆、膝を正して敬意を示しました。
進士さまは年令が若いため、戸口に近い末席に着きました。私は、この機会を逃しませんでした。人々が大酔しているのを確かめると、そっと例の包みを戸の隙間から投げ入れました。進士さまは、すぐにそれを拾うと懐にしまいました。
家に帰ると進士さまは、さっそく包みを解き、詩箋に目を走らせました。
― あの人も同じ思いをしていたのか!
進士さまの心は喜びに満ちあふれ、以前にも増して私への思いが強くなりました。早々に返事をしたためましたが、託す者がいないため、送ることが出来ず、手元に置いたままになってしまいました。なすすべのない進士さまは、日々、詩箋と金鈿を見ては嘆息するばかりでした。
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