第2話
御存じのように、荘憲(世宗)大王には八名の大君(王子)がいらっしゃいましたが、その中で三男の安平大君が特に秀でていらっしゃいました。大王は、大君をとても愛され、多くの財物を下賜なさいました。そのため、大君の暮らし向きはとても豊かで、十三歳の時、別宮を建ててそちらに移られました。それが、ここ寿聖宮です。大君は学問をことのほか好み、日のある間は詩作や書芸に励み、夜は読書に勉めて一刻たりとも無駄に過ごしませんでした。こうした大君のもとに当時の名だたる文人たちが集まり、学問について大いに論じ合いました。それは時には夜を撤して行なわれ、一番鶏が鳴いても、まだ続けられていることさえありました。大君が最も得意としたのは書道でした。文宗王がまだ王世子(皇太子)だった時、集賢殿の学士たちに
「もしヨン(王+容・安平大君の名)が中国に生まれたならば、王羲之には及ばずとも趙孟 よりはずっと高く評価されただろう」
とたいそう称賛なさったそうです。
そんなある日、大君は
「世の才子たちは、皆、静かな場所を求め、その地で勉学に専念して成功したという。ちょうど、郊外の山辺に、そのような環境の良いところがあるという。そこで修業すれば成果もあがることだろう」
とおっしゃり、さっそく、郊外に匪解堂、盟詩壇という建物を造られました。ここにも多くの文人たちが集まってきましたが、その中で、詩文に最も秀でていらっしゃったのは成謹甫(三問)さまで、書は崔興孝さまが一番でした。しかし御二方とも大君には及びませんでした。
このような有様に物足りなさを感じたのでしょうか、大君は宮女たちを侍らせた酒席で次のようにおっしゃいました。
「天は才知を男には多めに女には少なめに配分したようだ。今、詩文の才を誇る士大夫は数多くいるが、本当に優れている者はほとんどいない。それ故、もし汝等が学問を始め、熱心に勉めれば相当の成果を上げられるのではないだろうか」
そして宮女の中から、年が若くて賢く、美しい娘十名を選び、御自ら学問の手ほどきをなさいました。この十人とは小玉、芙蓉、飛瓊、翡翠、玉女、金蓮、銀蟾、紫鸞、宝蓮そして私、雲英です。
大君は、まず、諺文(ハングル)で書かれた「小学」を教えて下さり、続いて四書五経、李白、杜甫を始めとする唐詩数百首など、士大夫の修める学問は一通り教授なされました。私たちは、それらを五年も経たないうちに、すべて習得しました。
それからというもの、大君は外から戻られるたびに、私たち十名を集められては詩を作らせ、その出来栄えによって賞罰を下されるようになりました。私たちの詩は大君には及ばないものの、音律の清雅さ、句法の美しさは、盛唐の詩人の作品を彷彿させるほどでした。
大君は、私たちをとても可愛がられ、宮内に留め置いて外部の人間とは言葉を交わせないようになさいました。そのため、大君が度々、文人たちを招いて酒席を設けては詩の応酬をなさっているにも関わらず、私たちは近付くことが出来ませんでした。そして、いつも、次のように私たちを訓戒なさるのでした。
「宮女が門外に出ることは死に相当する大罪である。又、外部の者が宮女の名を知ることも同罪である」
いつだったでしょうか、外から戻られた大君が、例のごとく私たちをお側にお呼びになり、
「今日、文士たちと共に酒を飲んでいたところ、宮内の大樹より青烟が立ち上り宮城を包み、一部は山麓にたな引いて行った。その有様が、なかなか趣き深かったので、五言絶句に詠んでみた。そして他の者たちにも詠むよう命じたのだが、どれ一ついいものがなかった。汝らが、ひとつ詠んでみなさい」
と、おっしゃって五言絶句を作らせ、年令順に発表させました。
私たちの詩を一通り御覧になった大君は、たいそう驚かれ
「晩唐の詩と比べても遜色の無い出来だ。謹甫たちは、とても及ばないだろう」
と激賞なさり、再三、吟咏なさった後、それぞれに対し講評されました。
「……ただ、雲英の詩だけが人恋しさで切なげな気持ちが色濃く現われているが、その相手は何者だろうか。まったく見当がつかない。よその者に心を寄せるなど、本来ならここから追放されて当然だが、汝の才が惜しいゆえ、このまま置いておく」
予想外の御言葉に吃驚した私は、そのまま庭に下りて平伏し、涙を流しながら訴えました。
「詩作の時、偶然、そうした表現が浮かんだだけで他意はございません。しかし、大君さまが御疑われた以上、私は万死しても悔いはございません」
「詩というものは、作る者の性質と心情が出てしまうものだ。汝はこれ以上、何も言うな」
こうおっしゃると大君は、綾絹十反を特に優れた詩を作った五人に分け与えました。
大君は、まだ私を側にお召しになられませんでしたが、その御心が私にあることを、宮中の人は皆、知っていました。
私たちは、東側にある自室に戻りました。灯を燈すと、さっそく七宝製の机の上に唐の律詩の本を広げ、その中の宮怨詩について優劣を論じ合いましたが、私は屏風にもたれたまま泥人形のように一言も発しませんでした。そんな私を見て小玉が言いました。
「さっきの詩によって大君に疑われたことが辛くて何も言わないの? それとも大君の御心があなたにあるゆえ、将来、錦衾を共にすることを密かに喜んで何も言わないの? あなたの胸の内は分からないわ」
私は衿を正して応えました。
「他人であるあなたに、どうして私の気持ちなど分かりましょう。私は今、詩作をしているのですが、先程のようにおかしな表現をするのではないかと気掛かりで、口を閉ざしているだけです」
すると銀蟾が
「心ここに在らずの状態で、側に居る人の言葉も風のように耳をかすめるだけのようね。あなたが何も言わない訳を当てるなど、さほど難しいことではないわ。ひとつ私が試してみましょう。」
と言いながら、窓辺の葡萄の木を示し、これを七言四韻の詩に詠むよう促しました。私は筆を執るとすぐに紙上に文字を連ねました。
「すごいわ! 雰囲気は古めかしさを脱し切れていないけど、僅かな時間でこれほどのものを作るなんて、普通の詩人では出来ないわ。七十人の弟子が孔子に心服したように、私もあなたを尊敬するわ」
書き上げた詩稿を一読した小玉は、ただ感嘆するばかりでした。
「それは誉めすぎというものよ。でも文字はしなやかで、内容は天に舞うような感じがするわね」
紫鸞が、こう評すると他の人々は皆頷きました。
私は、この詩で皆の疑心を解くつもりでしたが、果たせませんでした。
翌日のことでした。門外で、車馬の賑やかな音がしました。門番が来客の意を伝えると、大君は東閣で彼らを迎えました。集まったのは文人ばかりでした。席上、大君は昨夜の私たちの詩を披露しました。人々は、皆、感服し、
「大君はいったい何処で、このような名作を手に入れられたのでしょうか?」
と尋ねました。大君は微笑みながら、
「童僕(子供の召使)が外に出掛けたとき、路上で拾ったものだ。恐らく、近郊の才子の手によるものだろう」
と応えましたが、皆、納得いかないようでした。そうしたなか、遅れてやってきた成謹甫さまが、私たちの詩を御覧になって次のように言いました。
「これらの詩は風格が清雅で気高い想いあふれ、俗世の色彩がまったく見られません。作者たちは、宮中の奥深いところに暮らし、俗人と交わることなく、いにしえの詩を学び、日夜吟じているのでしょう」
そして、私たちの作品を一つ一つ評したのち
「……願わくは大君が御隠しなさっている仙女十名を臣等にも会わせて頂きたく思います」
と結びましてた。大君は謹甫さまの洞察力に、たいそう感服なさいましたが、そうした素振りは少しもお見せになられず、
「誰が汝に詩評を命じたか。我が宮中に、そのような者が居るわけがないだろう。つまらぬことを申すな」
と躱(かわ)されました。
私たちは戸の隙間から聞こえてくる、こうした言葉に耳を傾けていましたが、皆、感嘆するばかりでした。
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