第6話
例えそれが誰であろうと、上級生が下級生の教室に来るというのは、それなりに特別感があるイベントだと思う。池に一石を投じるうようなものだ。見慣れない人が自分たちクラスのプライベートスペースに入り込むと、視線が一気にそちらに集中する。
「さ、帰りましょう新くん?」
……つまりは、めっちゃくちゃ目立つので、こればかりは止めてほしかったりする。
割と頻繁に来ているというのに、詩織さんがこの言葉を言う度に、クラスにざわっと一陣の風が吹き抜ける。声音は男女が均等に入り交じっている。ほう、という溜め息も、どこからともなく漏れてきていた。
そんな疾風を巻き起こしたことなんて知りもせずに、詩織さんは背筋をまっすぐ伸ばして、僕の机の横に立つ。
僕はといえば、詩織さんの毎度の事ながら他人の目なんて歯牙にもかけない大胆な行動に、あんぐりと口を開けたまま固まってしまう。
ざわめきは残響のように周囲に残っている。それもそうだ。詩織さんは、いくら何でも美人すぎる。月とスッポンどころじゃない。周囲にも、妬みとか嫉みとか、そんな敵対的な感情すら入り込む余地がない。
ただただ呆然とした視線が、僕と詩織さんに刺さる。お腹が痛くなりそうな居心地の悪さに対して、詩織さんは顔色一つ変えず、こてんと首を一つ傾げて返した。
「どうしたの? 何か用事?」
「え……ええっと、そうですね。その、ちょっと、貰ったプリントの整理をしたいので……?」
たどたどしい口調で、さらに意味不明の疑問系にまでなりながら、手にしたプリントの束をぱたぱたと振る。次のテストを助けるための、おさらいの教材が多めに配られたのだ。時間を割いてプリントを作ってくれる先生の親切は本当にありがたいのだが、下線がいっぱい引いてある現代文や()の穴だらけの世界史の資料は、手に持つ以上の重みを与えてくる。
ともかく、渡された沢山のそれをとりあえずスッキリさせたくて、教科ごとにファイルに纏めておきたかったのだ。そんな風に、詩織さんから視線を外して前を向く。
こういう時の為に、僕は安い透明なクリアファイルの束を買って、引き出しの中に入れている。ただでさえ抵抗感のある勉強教材が、ずっしりかつバラバラだと本当にやる気がなくなってしまうから、今のうちに……
「ねえ。そこ、ちょっといいかしら?」
「え? あ、はあ……」
前にかざしたプリントの奥で、前に座っていた男子生徒がすごすごと席を立つのがチラリと見えた。
「よいしょ」
そのまま、流れるように詩織さんが、スカートを押さえて座り込んだ。
「……」
「じー……」
「……あの」
視線を上げると、肘を立てて僕の机の上に身を乗り出した詩織さんが、こっちをじーっと覗き込んでいた。
「どうしたんですか?」
「んーん、何も? 見ているだけよ。気にしないで」
「は、はぁ……じゃあ」
より一層ざわついたクラスの視線をそよ風にも感じない詩織さんが言う「気にしないで」は、説得力が違う。ぐうの音も出ず、僕はプリントの整理に戻る。
「……」
「じー」
「……」
「じ~~」
「ごめんなさい、ちょっとキツいですこれ」
作業が進まなさすぎる。単純な作業のはずなのに、全く進展しようとしない。
詩織さんの瞳には、なんだかやけに熱が籠もっている。深海を覗き込むような魅力があって、視線を外すことができない。それに、僕はちゃんと人目を気にするのだ。みんなからまじまじと見られるのは、平凡な男子生徒としては辛いものがある。
「ふふっ。狼狽える新くん、かーわいい」
詩織さんは、そんな僕の様子も楽しんでいるみたいだった。微笑んで、僕の顔をまじまじと観察する。人の目なんて、詩織さんにとってはオブジェクトにさえならないみたいだ。
こんな風に、詩織さんは学校にいる時は、僕の学校生活は詩織さんに支配されるのが基本だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます